7.テイアラン ―盟約暦1006年、秋、第5週―

 秋の夜風は酒で火照った身体に心地よいものだが、テイアランにはそれを感じる余裕がなかった。


 夜会の最中にサウスキープが攻撃を受けているという知らせを聞いてから、耳鳴りさえしてきそうなほどの動揺を必死に隠して立ち振る舞ってきたのだ。たとえそのような緊急事態であっても、取り乱すなど王としてあってはならないからだ。


 生まれた時から王となるべく養育されてきたテイアランは、自らの役割を演じる事に集中した。そして自室に戻り、柔らかい長椅子ソファに身を預けた今になってやっと、テイアランは自分に身震いすることを許した。震える身体を両手で掻き抱く。この震えが寒さによるものではない事は自分自身よく分かっている。戦いや戦争などというものは、物語の中や、歴史書の中のもので、現実ではなかったはずのものだ。


 サウスキープから伝書鳩が運んできた報せは、最初の一報のみで続報はない。敵が帝国軍だという確証はないが、皆が言うように、他には考えられない。


 南部総督であるブラックウォール城の城主グスタフは、家臣のフォーゲル親子と共に夜明けには南部へ向けて出発するはずだ。彼らが詳細を知らせてくれるまで、気を利かせた南部の誰かが続報を送ってこない限り、待つしかない。


 現地の状況はどうなっているのか、今やるべきことは何か、そもそも何故アルガン帝国がファランティア王国を侵略するのか――恐ろしいのは分からない事ばかりだからだ。


(帝国から逃げてきたアリッサたち魔術師の亡命を受け入れたのが原因なのだろうか……)


 アルガン帝国は魔獣のみならず、魔法使いと魔法に関わる全てを根絶すると公言している。しかしテイアランの父、先王テイアラン四八世がアリッサたちの亡命を受け入れてから一二年の間、帝国からは抗議も引き渡し要求も何も無かった。今になってやっとアリッサたちの所在を掴んだ、などという事は考えられない。ファランティア王国はアリッサたちの存在を隠してこなかった。


 しかし、仮にそれが理由だとしても、常識的に考えれば引き渡し要求などの交渉から始めるものではないのか――長いため息と共にテイアランの思考は現実を離れ、子供時代へと向かった。まだ皇帝になる前の、レスター少年の姿は記憶の中でぼんやりしている。


 駆けていくサイラスを追うブランの背中を見送った時、テイアランの隣にいた陰気な少年。言葉が通じないせいもあっただろうが、声を聞いた記憶はない。無口でおとなしい子供に見えた。仲間外れにした記憶はないし、ぽっちゃりした体型をからかってもいない。ファランティア滞在中に不便はなかったはずだ。恨まれるような覚えもない。


(何を考えているのだ、私は。子供の頃の恨みで戦争を起こすわけがない。レスターは兄のサイラスを失い、大人になり、王になり、皇帝になった……彼だって子供の頃の記憶は曖昧なはずだ。幼い日のたった数日間の記憶を探っても意味などない)


 結局、テイアランはいくら考えても無駄だという結論に達した。使者を送り、この攻撃にどんな大儀があるのか問うしかない。だが、その前にできる事もある。


(もしかすると、捕縛したエリオ・テッサヴィーレから答えを得られるかもしれない。まずはそこからだ)


 その時、テイアランの部屋をノックする音がした。


 声が震えてはまずい、とテイアランは集中して慎重に、いつもより威厳のある声を意識して応じる。


「何用か?」


「ブラン王が、陛下に緊急の用件があると言って来られています。いかが致しましょう」

 扉の向こうから近衛騎士が問うてくる。


 ブランに相談するのはいいかもしれない、という思いつきはテイアラン自身によって一瞬のうちに否定された。テイアランは王なのだ。同じ王であっても、他人を頼りにしてはならない。


「良かろう。応接室で会おう」


 そう答えてテイアランは立ち上がった。不安な顔も動揺した素振りも見せてはならないぞ、と自分に言い聞かせて服装を正す。部屋を出ようとして、壁に掛けられた剣が目に入った。今は帯剣しているのが相応しいような気がしたので、剣を取って部屋を出る。


 隣の応接室で、ブランは長椅子ソファに寛いだ様子で座っていた。テイアランが姿を見せると、片手だけ上げて声をかける。


「おう、忙しいところすまない」


「いや、実際のところ何がどうなっているのか分からなくて、やれる事がない」


 そう言いながらテイアランはブランの対面に腰を下ろした。ブランは笑った。


「そういう時はだな、どーんと構えてればいいさ。俺だったらもう寝てる」


 他人事だな――と、テイアランは苛立ちを感じたが、何度も戦争を経験しているブランにとっては本当にそんな大事ではないのかもしれない。心情は別にしても、ブランの堂々とした態度は手本にすべきかもしれなかった。


「ところで、急ぎの用件というのは?」


 テイアランが問うと、ブランは周囲を気にする素振りを見せ、それから身を乗り出す。


「実は、葬儀が終わったら話すつもりでいたんだが、こうなったからには早く話すべきだと思ってな。簡単に言うと、北方の四地方は一つになる。北方連合王国を作ることにした」


「えええっ!?」


 テイアランは腰を浮かして素っ頓狂な声を上げてしまった。まったく予想していなかった話で、一瞬、帝国軍のことを忘れるほど驚いた。


「建国宣言と明文化を、伝統に則ってファランティアでやるつもりだったんだ。だから四王のうち二人がここに来ていて、親父の代理でヒルダも来ているわけだな。まだ言ってなかったがヤルマールは先の戦いで死んだ。アード王は空位で、今は一時的に俺の支配下にある」


 今まで統一されたことのない北方が、ついに統一される――それはアルガン帝国との戦争と同じくらい、現実味のない話であった。


「四地方は今までどおり王を擁立するが、そのうち一人が上位王として連合王国の頭領になる。初代の上位王は俺だ。明日、建国宣言と調印式をやりたいんだが、立ち会ってもらえるか?」


「も、もちろんだ。ファランティア王として……立ち会う」

 さすがにこう事件が続いては、テイアランも動揺を隠すことができなくなった。


「よっし。それでな、もう一つ相談だが……」

 ブランは両手で膝をバシンと叩いて、ますます身を乗り出した。その眼光の鋭さはテイアランも見た事がないほど真剣で、恐れを抱くほどであった。


「お前がよければファランティアも北方連合王国に入れてやるぞ」


「こんな時に冗談はよせよ、ブラン……」


 その申し出はテイアランにとって、あまりに荒唐無稽で考えるまでもなかったので、そう即答する。一拍の間、ブランが真剣な目つきのまま沈黙したのでテイアランは理由もなく不安になった。だが、ブランはすぐにいつもの調子に戻って長椅子ソファにどっかりと背を預ける。


「……すまんな。それでこれは冗談じゃないんだが、北方人にとってファランティアは古き父祖の地だ。北方にはファランティアを助ける気概があるが、どうだ、同盟を結ぶというのは」


(その手があったじゃないか!)


 テイアランは思わず小躍りしそうになった。北方の戦士は歴戦の勇士揃いだ。彼らが味方に付けばアルガン帝国とも渡り合える。使者を送り交渉する方針に変わりはないが、北方連合王国の成立と同盟関係は大きな影響力を持つだろう。もしかすると、交渉次第では戦争が終わる事だってあるかもしれない。


「助けてくれるのか?」


 思わず本音を口にしてしまってテイアランは恥じたが、ブランはそれに気付いた様子もなく答えた。


「無論だ。ファランティアを守るためなら戦士たちも喜んで付いてくるだろう」


 照れ隠しにテイアランは口元に手を当て、立ち上がって室内を歩きながら、「モーリッツを呼んで詳細な条件について検討しなくては」と独り言のように言う。


「俺はもう寝るから、明日にでもその詳細な条件とやらについて話そう」


 ブランはあくびをしながら興味なさそうに言って、立ち上がった。


「条約の内容は国の運命を左右する大切なことだぞ。上位王になる者がそんな事で――」


 テイアランの言葉は、「じゃあな」というブランの一言で遮られ、巨漢の王はのしのしと部屋から出て行った。


 それからテイアランはモーリッツを呼ぶよう侍従に命じて寝室に戻った。先ほどまでと違い、秋の夜風が涼しく感じられる。


 ドラゴンの死、北方の統一、アルガン帝国との戦い……歴史書のテイアラン四九世の項目は大事件ばかりだな、などと考えながら仰向けにベッドへ身を沈め、目を閉じる。

 そしてモーリッツが来るまでの僅かな間、テイアランは幸せな夢を見た。

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