5.マクシミリアン ―盟約暦1006年、秋、第13週―

 サウスキープの砦にある部屋の窓から、アルガン帝国軍南部方面軍の司令官であるマクシミリアン将軍は町を見下ろした。占領時、ほとんど砦としての機能は失われていたが補修は進んでいる。町を囲む防壁の建造も順調だ。次の春にやってくる兵士たちの家族や農民たちを受け入れるための家も次々に出来上がり、今も大工仕事の音は砦まで聞こえている。


 ファランティア南部の要であるブラックウォール城を包囲して孤立させるという作戦も、まったく問題は無い。作戦方針が変わって攻城戦になるとしても準備万端である。


 であるにも関わらず、マクシミリアンの顔は怒りに赤く染まっていた。その怒りを一身に受けているのは、背後に立つ副官のロジャーだ。


「で、ロジャーよ。私は皇帝陛下になんと報告すればいい。君の言葉を借りればこうなるな――〝ファランティアに聖女ミリアナが降臨し、信心深い者たちが軍から離脱しています。聖女軍は神出鬼没で、我が軍の輜重隊の半数が行方不明になり、討伐部隊を出しましたが戻りません。補足致しますが、もちろん、私はその聖女が本物だとご報告しているわけではございません〟」


 肩越しに背後のロジャーを見やると、彼は広い額に浮かび上がった冷や汗を拭いながら口を開いた。


「しかしながら閣下、聖女だと名乗る者が我が軍におけるファランティア南部での活動を妨害しているのは事実でございます。その正体は、〈クライン川の会戦〉にて敗走したファランティア軍の騎士や兵士、帝国に反感を持つ現地民の集団だと考えますが……信心深い兵士たちは動揺しております」


 マクシミリアンは信心深いほうではないが、それでも子供の頃から休息日には教会に行ったし、今でも祈りは欠かさない。より信心深い者であれば動揺するのも理解できる。聖女を名乗るという作戦は敵ながら大胆と言わざるを得ない。


「しかし、その聖女とやらはファランティア人なのだろう。なぜエルシア大陸の聖女がファランティア人になるのだ。おかしいではないか。しかも、信徒であるエルシア人を殺して回るなどあり得ん」


「はい、閣下。討伐隊に志願した者のほとんどがそのように考えておりました。ファランティア人が聖女を名乗るなど冒涜であると。偽者の聖女を討伐することで信仰心を示すのだと申しておりました。ところが先日、聖女軍に襲われて逃げ戻った輜重隊の兵士によりますと、その討伐隊の多くが聖女軍に合流していたという事でございます。信心深い彼らをも騙す〝何か〟があるとしか思えません」


 ロジャーは冷や汗を拭いながらも、淀みなく話した。マクシミリアンは彼を鋭い視線を向ける。


「〝何か〟では報告にならん。曖昧な言い方は嫌いだ。私はもちろん、皇帝陛下もな」


「申し訳ございません」

 ロジャーは頭を下げて、黙ってしまった。


 この副官は決して無能ではないから、今回の事を彼の落ち度とマクシミリアンは考えていない。ロジャーの言うように、敵側に〝何か〟があるのだ。そしてその〝何か〟とは、おそらく魔法だ。


 ロジャーも同じ考えだろうが、証拠がないので明言を避けたのだろう。ファランティアには、かの悪名高いブレア王国の魔女がいる。


 本国に審問官の派遣を要請すべきかもしれない。審問官なら異端を証明できるし、魔術師や魔女の正体を見抜くことも可能だ。だが、そのためには理由を説明しなければならない。


 話だけ聞けば、馬鹿らしいと一蹴されそうな理由を、だ。


(せめてもう少し情報を得てから報告すべきだな……)


 マクシミリアンは考えるのを止めて振り返り、ロジャーを正面に見据えて命令した。


「再度、討伐部隊を編成せよ。第一目標は聖女を騙る軍の撃滅ではない。連中から一人でも多く捕縛し、聖女とやらの正体を暴くのだ」


「はっ。討伐部隊を編成いたします」


 ロジャーは復唱し、そして部屋を出ようと背を向けた彼にマクシミリアンは小さな声で付け足した。


「……ただし、信心深い者は駄目だ」


 ロジャーは納得した様子で頷き、「了解しました。人選はお任せを」と言って部屋を出て行った。


 一人になり、ため息をついて椅子に腰を下ろす。一番上の引き出しから小さな酒瓶を取り出し、直接口を付けて含んだ。エルシア大陸にある彼の故郷で作られた強い蒸留酒が喉を焼きながら胃に落ちていくと、もやもやした嫌な気分が治まる気がする。


(こんなはずでは無かった。何かがおかしい……)


 マクシミリアンは言い知れぬ不安を感じていたが、それを認めたくなかった。


 これまで帝国の拡大は留まることを知らず、全ては順調そのものだった。帝国の拡大と共に勲功を重ねたマクシミリアンは将軍にまでなった。帝国もマクシミリアンもつまずいた事などない。だから現状の停滞に、過大な違和感を感じてしまうのだ――そうに違いない。


 ファランティア併合は、帝国が東方に侵攻する前の小手調べに過ぎないはずだった。海を渡った他の大陸での大規模な軍事演習程度に考えていたのは、マクシミリアンだけでなく、他の司令官、帝国議会の議員たち、全員がそうだったはずだ。


 当初、ファランティア王国はサウスキープとホワイトハーバーを占領すれば降伏するだろうと考えられていた。外部との行き来を絶たれて包囲された形になるし、侵入した帝国軍は全軍のほんの一割にも満たない数なのだ。


 帝国の版図はエルシア大陸全土およびテッサニアだ。テストリア大陸の三分の一程度の版図しかないファランティア王国との物量差は、想像するだけで子供にも分かるはずだ。とは言え、一戦も交えず降伏というのも無いだろうから、大方の予測は最初の戦闘後に降伏するだろう、というものだった。


 実際、最初の戦闘となった〈クライン川の会戦〉でも帝国軍の精鋭は見事な働きで圧倒的勝利をおさめた。続くブラックウォール城の包囲も速やかに行われた。


 だが、王都に送った降伏勧告の使者は戻らず、戦争は継続する。


 次の段階としてホワイトハーバーから王都ドラゴンストーンへ向けて進軍が開始された。喉元に剣を突きつけられれば、さすがに降伏するだろうと思われていた。


 しかし、ファランティア東部街道での戦いは、駆けつけた北方の蛮族によって帝国軍が撃退されてしまうという結果に終わった。その上、東部方面軍の司令官バーナビー卿までも討ち取られてしまったのである。


 帝国軍は現在、ホワイトハーバーまで後退して軍の再編と増強を行っている。小規模な北方人部隊による散発的な襲撃による被害も報告されているし、状況的には、帝国軍はホワイトハーバーに封じ込められているように見える形だ。


 そしてサウスキープ――というより南部――は、例の聖女軍に引っ掻き回されている。


 本国の友人から届いた手紙には、アルガン帝国はファランティア王国を甘く見すぎていたとか、北方の蛮族と同盟を組む可能性は予測可能範囲だった、とかいう意見が貴族の間に出始めていると書かれていた。


 その評価が帝国軍の最高司令官であるレスター皇帝への反感に繋がらないかとマクシミリアンは懸念している。帝国議会の議員はもちろんのこと、一部の貴族の間ではレスター皇帝がファランティアを特別視しているというのは周知の事実である。


 確かに、皇帝陛下は様子を見過ぎた。単純に正攻法で王都まで攻め上ってしまえば良かったのだ。


 だがいずれにせよ、帝国軍の勝利は変わらない。そしてレスター皇帝が何を考えているにせよ、突きつけた剣を引くなどあり得ない。彼は平和な世に生まれた王ではなく、戦いで覇道を歩んできた皇帝なのだ。


 おそらく皇帝陛下は自ら動かれるだろう――。

 そしてその時こそ、この戦いは帝国の勝利で終わるのだ。

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