5.ギャレット ―盟約暦1006年、秋、第5週―
ギャレットはうつ伏せになって茂みに潜んでいた。先の鋭い葉に薄皮を切られた痛みが、待ち伏せの緊張感と相まって苛立たせる。
前方には南北に通じる街道が微かに見えるが、その向こうの森は闇の壁にしか見えない。星々の瞬く夜空のほうが、むしろ明るく見えるほどだ。
南に目を向けると、ぼんやりとした明かりを背負ってサウスキープの砦の影が見えた。町から上がる黒煙は西の監視所のほうへ流れている。火勢が弱まったのか、煙も薄くなっていた。
反対に北の方角を見ると、やはり暗闇だが、その中にちらちらと揺れる光点がいくつか列を成して浮かんでいた。避難民たちが持っている松明の明かりだ。
似たような状況を、ギャレットは何度か経験していた。その時は帝国軍側――すなわち追撃する側としてだが。
敵の目的はサウスキープを占拠することで間違いないが、同じくらい重要なのはアルガン帝国軍の強さを誇示することだ。帝国軍の恐怖を知らしめるためには、町を残虐に蹂躙した後、その様子を伝える人間がいなければならない。逃げ道として北へ向かう道を空けてあるのも、そのためだろう。そして次は、逃げた人々に追撃を行い、数人ずつ殺して恐怖を増長させる――テッサニア統一戦争の時のやり方だ。
その頃と全く同じ事をするという確信は無かったが、住民達が脱出するまで仕掛けてこない所を見ると、ほぼ間違いないだろうと思っている。
最初の攻撃は、夜通し逃げて一息ついた明け方頃のはずだ。そうするためには避難民を捕捉していなければならず、その役割を与えられた斥候が通るとすればこの道だろうとギャレットは予測した。帝国軍は逃げるのに必死なサウスキープの人々が、逆に待ち伏せするとは思っていないだろう。特にファランティア人は戦いに関して素人だと思っているはずだ。
ギャレットは、自分と同じように伏せっている隣の二人を見た。アルノとウッツという名前だと先ほど知ったばかりの衛兵だ。見かけた事はあるはずだが、ギャレットは名前を覚えるのが苦手だった。
ここで待ち伏せすると決めた時、衛兵の中から弓を扱った経験のある者を募った。手を挙げた五人に対して、敵が追撃してくるのは確実という事と、こちらから待ち伏せする目的について説明した。
最初の待ち伏せを成功させれば、敵も警戒せざるを得なくなり、追撃の速度が落ちる。しかし危険な作戦には違いないので、参加を拒否する機会を与えたところ、三人が拒否してこの二人が残ったのだ。
このやり取りの間、ジョンもエッドも口を挟まなかったが、二人とも〝有無を言わさず命令すれば良かったのに〟と考えているだろう。実際、エッドと目を合わせると肩をすくめていた。
アルノとウッツはまだ若く、身体の震えを抑えることができずに茂みの葉を揺らせている。泥を塗った顔の下は緊張で蒼白になっているに違いない。今日は風があるので自然と葉は揺れているが、帝国軍の斥候に見破られないかとギャレットは不安になった。
街道を挟んで反対側の森に目を向ける。エッドがいるはずの木を見上げても、まったく姿は見えず、気配もない。エッドの弓の腕は傭兵時代から信頼しているが、気配を殺す術はファランティアで狩人になってから身についたものであろう。
その時、エッドがいるはずの樹上から矢羽に使っている白い羽がふわりと落ちてきた。暗闇の中では目を凝らさなければ見つけられないが、エッドからの合図だ。隣の二人にも目で合図する。二人の瞳は涙で潤んでいた。
〈みなし子〉にいた頃であったなら、ギャレットはこの瞬間に二人の顔と名前を忘れていただろう。戦場に出たら戻ってこない新兵の目をしていたからだ。
薄煙の向こうに小さな明かりが見えた。その明かりは地面の狭い範囲だけを照らしている。ランタンに黒い布を被せて照明を制限しているのだ。斥候が夜道を行くのに使うもので、それが見えるということは、すぐそこまで来ているということだ。
やがて明かりの向こうに黒っぽい服を着た人影がぼんやりと浮かんで見えるようになった。三人組で、足音を抑えて歩いている。帝国軍の斥候だとギャレットは判断した。アルノとウッツの緊張は限界で、今すぐにでも飛び出してしまいそうだ。
(もう命中しなくてもいいから撃て)
心の中でエッドに呼びかけた瞬間、森の暗闇から矢が飛ぶ。
矢は三人の斥候の間をすり抜け、地面に突き立った。誰にも命中しなかったのは相手に運があったからだとギャレットは思うことにした。三人は装填済みのクロスボウを持ち上げて、矢の飛来した樹上を狙って撃ち返す。素早く正確な反撃だ。ババン、というクロスボウの発射音と同時にギッレットは鋭い声で命じた。
「やれっ!」
隣にいるアルノの腕を肘で突くと、二人は弾かれたように立ち上がって弓を引いた。森のほうを向いている敵の背中に向けて矢を放つ。そしてすぐに二人は北に向かって走り出した。
一射して、全力で逃げる――二人に課した任務はこれだけだ。
アルノの矢は敵の手前で地面に刺さり、ウッツの矢は敵の肩をかすめただけだ。しかし敵は一瞬混乱した。森にいる敵を探す者、逃げていく二人を追おうとする者、本隊に戻るべきかと考えているのか南に目をやる者、三人は別々の方向を向いている。
クロスボウの欠点は連射ができない事だ。アルガン帝国のクロスボウは鉤を使って弦を引くよう工夫されているものの、その欠点を補えきれるものではない。帝国軍の斥候たちはそれぞれ別方向を見ながら、とにかく再装填しようと、クロスボウの先端の輪に足を入れ、腰のベルトに固定した鉤に弦を引っ掛けて、脚を伸ばす。
この瞬間、誰もギャレットを見ていなかった。
ギャレットは素早く中腰になり、狙いをつけて矢を射る。矢は一人の右目に深々と突き刺さった。手にした明かりを目印にしたとはいえ、暗闇の中で矢を命中させられたのはほとんど運によるものだ。その場に弓を捨て、
残った二人のうち一人は、
最後の一人は突進してくるギャレットに気付き、クロスボウを捨てて剣を抜く。ちっ、とギャレットは舌打ちする。
(クロスボウにこだわっていればこのまま倒せたものを)
ギャレットは上段から力を込めて
ギャレットの
待ち伏せが成功して戦いが終わる頃には、エッドも樹上から下りてアルノとウッツを追いかけ走って行く。ギャレットも
次はこう上手くはいかないだろう。避難民には女子供もいるし、今後は怪我人や病人も出る。全員は助けられないな、とギャレットは頭の中で損失を計算した。命を数で計算するのは八年ぶりだった。以前は何とも思わなかったのに、今では微かに罪悪感がある。それが良いことなのか悪いことなのか分からないが。
前方を走る二人の若い衛兵に追いつき、ギャレットは肩を軽く小突いて「よくやった。一〇人の命に値する働きだった」と褒める。それは誇張ではなく、この奇襲成功から見積もってそれくらいの意味はあった。
アルノとウッツは顔を見合わせ、笑顔を見せる。二人には人殺しを手伝ったという意識はないのだろうが、それで良いとギャレットは思う。
戦場においては、そのほうが普通なのだから。
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