1.マイラ ―盟約暦1006年、秋、第1週―
マイラにとってその日の目覚めは、いつもと何も変わらなかった。
夜明け前の暗い部屋の中にぽっかりと浮かぶ四角い暗青色の枠。そこから差し込む薄明りが、部屋の中にあるものの輪郭をうっすらと縁取っている。
同室のタニアを起こさないように、そっとベッドから出ると、マイラは四角い暗青色の枠――窓まで歩き、留め具を外して押し上げた。
初秋のひんやりとした空気が顔を撫で、ブルネットの髪がさらりと揺れる。昼間は汗ばむこともあるが、朝夕の冷え込みは確実に秋の到来を告げていた。これから冬に向かうにつれて、暖かい寝床から出るという試練の厳しさは増していくだろう。それを思うと、マイラは一年前の、まだ実家にいた頃が懐かしくなった。
少し開いた窓の隙間から見える景色は城壁の石壁だけだ。
もっとも、マイラの実家の部屋だって窓の向こうは隣家の屋根なのだから、珍しいというわけではない。ただ、もし城壁がなければ、この窓からでも下に広がる王都が一望できただろうなと残念には思う。
城壁の上からの眺めについて、マイラはタニアから聞いていた。特に朝日の昇る瞬間は美しいそうだが、その時間に侍女のマイラが城壁の上に行くような用事はない。それはタニアも同様なのだが、彼女は親しくなった近衛兵と一緒に行った事があるらしい。
その話を聞いて以来、マイラは密かに夢見ている。
夜明け前、亜麻色の髪の騎士に手を引かれながら、見張り番の目を避けて城の東棟を抜け出し、中庭を走り抜け、城壁の階段を上がる。そんなちょっとした冒険の末、二人は城壁の上にたどり着く。
マイラが腰を下ろすと、亜麻色の髪の騎士は暖かいマントを広げ、二人で一つのマントに包まれる。
朝日が王都を照らし出し、たくさんの建物の影が伸びていくのを眺めているうちに、二人の距離は徐々に縮まって――
マイラはハッと我に返った。城壁の石壁を凝視したまま妄想に浸っていた自分に気付いて恥ずかしくなる。
誰にも見られてないよね――と、慌てて窓を押し開けて外を探る。マイラとタニアの部屋は二階にあり、ちょうど下をパン焼き職人見習いのニクラスが歩いていた。幸い、ニクラスは桶に汲んだ水をこぼさないよう集中しているようで、マイラには気が付いていないようだ。
ほっとして城の北側に目を向けると、竜舎の赤い屋根が少し見えた。この窓からでは全体を見ることはできないが、二階分の高さがあって、平らな屋根はつり橋のようになっている。
竜舎にはドラゴンと、亜麻色の髪の騎士が住んでいる。
「風、冷たいね」
突然声をかけられて、マイラはびっくりした。タニアがいつの間にか起きていた。
「そ、そうね、ほんと……」
魔法使いでもないタニアが、彼女の妄想を覗き見ることなど絶対に不可能なのだが、竜舎を見ていた事は気づかれたかもしれない。
慌てたマイラは誤魔化すように、「さ、先に王妃様の部屋の暖炉に火を入れてさしあげたほうがいいかしら?」と続ける。
「えっ、さすがに暖炉は要らないんじゃない?」
眉を寄せて眉間に小さなしわを作り、タニアが否定した。
「そっか、そうだよね」
「そうだよ。それに、そういう事を勝手にやるとウィルマが怒るよ。あの人、自分の知らないところで侍女に動かれるのが死ぬほど嫌みたい。私たち召使いじゃないのにね」
タニアは顔をしかめた。マイラは遠慮がちに微笑えむ。
タニアは侍女として二年目なので、マイラの一年先輩ということになる。年齢的には二つ年上の一八歳で、東部の出身らしく少し日に焼けたような健康的な肌色をしている。明るい茶色の髪も城内では珍しい。
はつらつとした明るい性格で、他人の悪口を言うことはめったにないのだが、侍女長のウィルマに関しては例外だった。マイラはタニアの事が好きだし、友達だと思っている。しかし、侍女長に関しては同調することができずにいつもそわそわしてしまう。
ウィルマの物言いは厳しいけれど、少なくともマイラの経験上、理不尽な事を言ったりはしない。その指示に従っていれば間違いは無いと思っているし、どちらかと言えば尊敬している。
マイラは窓を完全に押し上げて支え棒を立てた。タニアもベッドから起き出し、燭台を手にして火を貰いに部屋から出て行く。その間にマイラは召使いが運んでくれた水桶から洗面器に水を移して、手や顔を洗い、口をすすいで歯を磨いた。
タニアが戻ってきて燭台を置き、二人は薄暗い部屋の中で身支度を整える。マイラは髪をまとめて背中に流しているが、タニアは編み上げているので、それを手伝った。
髪を編み上げるのは最近になって一部の貴族女性たちが始めた流行で、既婚女性がするようなまとめ上げとは形が違う。高い位置で編んだ髪は動きに合わせて跳ねるので、それが快活なタニアの印象に似合っているとマイラは思う。
それから今日の服装を選び、若い女性の間では定番になりつつある流行のコルセットで胸まで締め上げた。
最後に、お互いの装いを確認し合ってから、燭台を手にして部屋を出る。
吹き抜けの二階通路はコの字形をしていて、扉が並んでいた。それぞれの部屋からも侍女たちの話し声や身支度の音がする。
レッドドラゴン城の東側にあるこの建物は東棟と呼ばれ、地上二階建て、地下室も含めれば三階層になり、南半分が住み込みで働く侍女たちの住居として使われている。
二階の扉から続く渡り廊下で大広間のある
吹き抜け通路から下を見ると、玄関ホールには通いの侍女メラニーとサスキアの二人がすでに来ていて、噂話に興じている。侍女たちは一日の始まりに、そこへ集まることになっているのだ。
王都出身者や、王都に別宅を持っているような貴族の血縁者などは自宅から城に通ってくるのが普通で、この二人もそうである。貴族というだけなく年長者でもあるので、マイラたちはさっそく挨拶するため階段を下りた。
一日のうちで侍女が全員集まるのは、この朝の時間だけで、彼女たちはウィルマが姿を見せるまで色々な噂話に花を咲かせる。噂好きのタニアはさっそく二人の話に加わっていた。
マイラは他人の恋愛や家庭の事情にあまり興味が無いのだが、彼女たちと上手くやっていくために流行の話題を知っておく必要があることは理解している。マイラは商人の娘で、通っていた学校は裕福な家庭の子供たちがほとんどだったから、そうした付き合いを学んでいた。
それに、マイラの実家のように裕福な商人からすれば、貴族と言っても単なる肩書きに過ぎず地主という認識でしかない。貴族だからといって勉強ができるわけでもないし、金持ちとも限らない。貴族だろうが一般人だろうが、公の場で剣を抜けば程度の差はあれ問題になるし、正当な理由が説明できなければ罰が科せられる。
外国では貴族に対して無礼を働いた一般人が、公衆の面前で斬り殺されても問題にならないという話はマイラも聞いたことがある。しかし、このファランティア王国でそんな事はあり得ない。
一人また一人と侍女たちが加わり、自然とおしゃべりの声量が大きくなってきた頃、侍女長のウィルマが現れた。
ウィルマはいつもどおり長い黒髪をきっちりと編んで背中に垂らし、肩を開いて背筋を伸ばして立つ。ただでさえ長身なうえ、そのような姿勢で高い位置にいるので自然と侍女たちを見下ろす格好になった。表情は硬く、冷酷な印象すら与えるのだが、それが彼女の美しさを損なうどころか引き立てている。
子供の頃に読んだお話に登場する氷の女王が実在したなら、それはウィルマのような外見に違いない――と、マイラは思っている。
ウィルマが手を打ち鳴らすと、侍女たちはおしゃべりを止めて彼女に注目した。
いつものように一日の予定が話され、それぞれに役割が割り振られていく。とはいえ、週の予定はだいたい事前に知らされているので、通常は確認に過ぎない。
今日はまず王妃の部屋に行ってから――と、マイラが頭の中で今日の予定を思い出しているところへ、ウィルマは予定の変更を告げた。
「マイラさん。急で申し訳ないのだけれど、今日はシモーネさんの代わりに竜舎へ行ってくださるかしら」
(えっ、うそ、やった!)
思いがけない幸運に心の中で喝采を上げる。
だが、この場でぴょんぴょん跳ね回るわけには行かない。澄ました顔を装って「承りました」と軽く会釈した。視線を感じてちらりと横目で見ると、タニアがウインクしてきて、マイラはドキリとする。
(えっ、なに、今の〝私は分かってる〟みたいな合図!?)
話が終わり、ウィルマが三回手を打つと、それを合図に侍女たちはそれぞれの仕事に向かう。ウインクの意味を聞き出すためにタニアを捕まえたかったが、先にウィルマがマイラを捕まえた。
「マイラさん。王妃様に一言お断りしてから竜舎に向かっていただける?」
「あ、はい」
しまった、とマイラは思ったがもう遅かった。
「〝あ〟は要りませんよ。その癖、早く直しなさい」
「はい。ウィルマ侍女長。まず王妃様にご報告して、竜舎に向かいます」
そう言ってマイラはそそくさと王妃の部屋に向かった。
渡り廊下を通って
ぴかぴかの鎧に身を包んだ近衛騎士がマイラの持ち物を調べる。彼らとは顔見知りだが、こうするのが決まりなのだ。
〈王の居城〉は城の中にある小さな城とでもいうようなもので、四角形をしており、中心には天井がない中庭がある。その中庭を取り囲むように回廊があった。
日の出を迎えて明るくなり始めた回廊を進んでいくと、中庭からテイアラン王が剣術の稽古をする声が聞こえてくる。テイアラン王の生活はマイラたち平民よりもずっと規則正しく、マイラはいつも感心してしまう。王族というものは、もっと自堕落な生活をしているものと思っていたのだ。そういう意味では、アデリン王妃のほうが想像に近い。
王妃の部屋の扉を軽くノックして「マイラです」と告げてから中に入る。
そこは、暖炉やテーブル、
サスキアと軽く会釈を交わしてから奥の寝室の前に立つ。扉をノックして、「侍女のマイラです。王妃様」と声をかけて待った。「どうぞ」と小さな声が返ってきたので、マイラは扉を開けて部屋に入る。
寝室で、王妃のアデリンは赤みのある金髪を垂らしたままベッドの上に腰掛けていた。黒っぽい瞳はまだまどろんでいる。マイラの考える美人とは違うが、豊満な胸に腰周りのしっかりした太めの体型は女性的で愛らしい。マイラはやせっぽちなので、アデリン王妃の女性らしい身体つきには憧れる部分もある。
マイラはスカートの裾をつまみ上げ、腰を落として挨拶した。
「おはようございます。王妃様。ご気分はいかがでございましょう?」
「おはよう、マイラ。もうすっかり目が覚めているのね。皆すごいわ……」
アデリンは小さなあくびを手で隠した。
「私も実家にいた頃は、お昼まで寝ておりました」
マイラが言うと、アデリンは「そうなの? 実は私も」と微笑む。
テイアラン王とアデリン王妃の婚礼は一年ほど前のことで、王都は一週間もお祭りのようだった。
父に連れられて、マイラが初めて王都を訪れたのもその時である。ファランティア各地から集まった人々がブレナダン通りにひしめき合う中、静々と進む王妃の行列は美しく、マイラはすっかり魅了されてしまった。それで、学校を卒業したら侍女になろうと決めたのだった。
ファランティア王国では、貴族でなくとも侍女として城で働き、給金を得ることができる。もちろん誰でもというわけではない。平民の場合は貴族の後見人が必要だし、貴族社会での礼儀作法を身に着けている事や、学校を卒業している事など、条件はある。
マイラの父は西部の大都市プレストンで複数の宿屋を経営する裕福な商人で、地元の貴族にも顔が利く。後見人になってくれる貴族は簡単に見つかったし、学校も卒業していたので侍女になることができた。
こうして王妃の無防備な姿を見て、言葉を交わしていると、一年前に憧れた世界に自分がいるのだと思える。だが、あの美しい人々の行列に自分が加わっているという実感は、まだ感じることができずにいた。
「本日は王妃様のお側にお仕えする予定でしたが、事情がありまして竜舎のほうへ行かなくてはなりません。一言、王妃様にお断りをと思いまして、伺いました」
そう言ってマイラは頭を下げる。
「それは残念なこと。分かりました。金竜ブラウスクニース様によろしくお伝え下さいな。本来なら私も、もっと頻繁にご挨拶へ伺うべきなのでしょうけど……」と、アデリンは言葉尻を濁した。
ドラゴンと対峙したとき、恐怖を感じない生物はいない。だから恥じることはないのだが、王家の人間は例外とする考えが今も残っている。かつてはドラゴンへの恐怖に耐えられる者だけが王妃になれる時代もあったと、マイラも歴史の授業で学んだ。
アデリンはその事を気にしているのだろうと思い、マイラは以前に聞いた話を思い出して言った。
「ランスベル卿が申されるには、ドラゴンは誇り高い生き物だから、恐れられる事を当然だと考えているそうです。ですから、お気を悪くされてはいないと思います」
「そうだと良いのだけれど。ところで、マイラは平気なの?」
アデリンの声には、マイラへの心配と興味が入り混じっているように感じられる。
「平気というか、その……徐々に、ですね。初めてお会いした時は私、失神してしまいましたし……」
「そうなの? 私は失神まではしなかったわ。そんな怖い思いをしたのに、竜舎に行かされるのね。もしかして侍女長にいじめられているの?」
アデリンがそんな事を言うので、マイラは慌てて首を左右に振った。
「とんでもございません! 私のほうからお願いしたのです」
「あら、なんだか面白そうな話ね」
アデリンがベッドから身を乗り出したところで、ノックの音が響いた。
扉の向こうからサスキアが、「王妃様、入ってもよろしいですか?」と声をかけてくる。アデリンは肩をすくめて言った。
「ゆっくり話す時間はお互いになさそう。マイラ、今度続きを聞かせてくれる?」
正直に言えば、人に聞かせるような話ではない。しかし王妃に向かってそうはっきりと言うことができず、マイラは「ええ、また機会がございましたら……」と曖昧な返事をしてしまった。
「楽しみにしているわ」とアデリンは言い、扉の向こうのサスキアに向かって「どうぞ。お入りなさい」と呼びかける。
「それでは王妃様、失礼いたします」
サスキアと入れ違いに暇を告げて、マイラは退室した。
王妃の部屋を出たマイラが次に向かったのは城の厨房だった。
厨房は東棟にあるので、また戻る事になるが、その手間をかける価値はある。この時間、厨房ではパン焼き職人のエッケルトが見習いのニクラスにパン焼きを教えているはずなので、焼きたてのパンが手に入るかもしれないのだ。
ニクラスが練習で作ったパンは料理人たちの朝食になる。最初の頃はとんでもない出来だったパンも、最近ではテーブルに出して良い出来だと他の料理人からも評価されている。
しかしエッケルトはニクラスのパンを認めようとしない。焼きたてのパンが食卓に出されることはないので、時間がたって冷えた状態の出来栄えで判断しているのかもしれない。だが正直なところ、マイラはエッケルトが前日に作り置いたパンよりニクラスが練習で作る焼きたてパンのほうがおいしいと思っている。
マイラは直接厨房に向かうため、大広間から配膳室の前を通って北側の渡り廊下を歩き、東棟北側に入った。扉を開けたとたんに、パンの焼けるいい匂いが漂ってくる。
厨房の入口には手の空いた召使いや、庭師のアントンなども来ていた。マイラは軽く挨拶を交わしつつ彼らに加わる。厨房に顔を出すと、ニクラスが大きな手袋をはめて、ちょうど窯からパンを取り出したところだった。
いい香りが厨房全体に充満する。今日のパンは四角い形をしていた。
「これからもずっと練習してて欲しいよなあ」とアントンが呟く。
うんうん、とマイラも同意する。
厨房の入口から覗き込んでいるマイラにエッケルトが気付き、ばしっとニクラスの肩を叩いて、親指でマイラを指差した。
ニクラスはマイラを見て少し顔をしかめながらも、焼きあがったパンの一つを布で包み、
「ほら、持っていきなよ。火傷するからつまみ食いすんなよな」
ぶっきらぼうに言って、
「ありがと。これから竜舎なの」
受け取りながらマイラが言った。
「ランスベル卿に感想聞いたら教えてくれよ」
「うん、わかってるって」
そう言ってマイラは
ニクラスが練習でパンを焼く日に、竜舎の担当になったのは運が良かった。ランスベルは焼きたてのパンの香りが好きらしいのだ。以前に持って行った時は、「なんだか幸せな気持ちになりますよね」と言っていた。
ランスベルは一七歳なので、マイラより一つ年上という事になる。
それでもマイラに対してずっと敬語のままだ。マイラにすれば当然敬語を使うべき相手なので、そうしている。本当はもっと友達みたいに話したいのだが、知り合って一年にも満たないし、最初から友達候補として出会っていない。学校の同級生や幼馴染のニクラスと話すようにはいかなかった。
少し近道しようと、マイラは一度、厨房の地下まで狭い階段を下りた。倉庫を抜けて目の前の階段から地上に出ると、東棟の北側に出られる。そのまま、城壁が落とす影の中を北に向かって歩いた。
今は半分も火が入ることのない鍛冶場を抜ければ、竜舎が目の前に見えてくる。
赤く平たい屋根で、高さは二階分ある。石作りの小さな塔がつながっていて、そこが竜騎士の住まいになっていた。
塔の上には鎖のついた木製の引き上げ装置があり、反対側にも同様の装置が木を組んだ足場に設置されている。これらは屋根を開くための仕組みで、ドラゴンが直接飛び立つ時に使われたらしい。もちろん屋根を開かず歩いて外に出ることもできる。そのための大きな扉も付いていた。
竜舎の周囲はいつも静かだが、今日はいつにも増して静まり返っているようにマイラは感じた。いつもどおりに塔の扉をノックしても反応がない。
「ランスベル様、侍女のマイラです」
呼びかけて、しばらく待っても出てくる気配はなかった。こんなことは今までなかったので、何だか嫌な予感がする。
塔を見上げながら大扉のほうへ回り込む。塔の最上階にある窓は開かれていて、明かりが灯されたままになっているのが見えた。
大扉はドラゴンが出入りするためのものだが、人間用の小さな扉も付いている。
「ランスベル様、マイラです」と、その扉をノックしても、やはり反応がない。
「ランスベル様?」
今度は強めに扉を叩いた。それでも反応がないので、もう一度強く叩こうと拳を振り上げた時、扉が軋み、ゆっくりと開き始めた。
マイラは慌てて、振り上げた拳を背中に隠す。乱暴な女の子だと思われたくない。
「あっ、ランスベルさ――」
現れたランスベルを見て、弾んだマイラの声は途切れた。
ランスベルは頭から灰にまみれていた。目は赤く、頬には涙が伝った跡が残っている。
「どっ、どうしたんですか!?」
驚いて問いかけるマイラに、ランスベルは無感情に言った。
「すみませんが、マイラさん。今日は誰も竜舎に近づかないよう、伝えていただけませんか」
「私もですか? だいじょうぶですか?」
どうしたらいいか分からず、マイラは混乱した。
「僕は大丈夫です。それより陛下に伝言をお願いします。とても大事な伝言です」
「はっ、はい。なんでしょうか」
何かしてあげるべきなのに――どうしたらいいの、とマイラは自問する。
「今朝、ブラウスクニースが死にました……詳しくは明日、ご報告しますと、お伝え下さい」
それだけ言って、ランスベルは扉を閉めてしまった。
驚きのあまり、マイラは何も言うことができず、扉の前に立ち尽くすのみだ。
何かしてあげるべきなのに――その言葉だけが、心の中で繰り返されていた。
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