88話:雛と梟と鴉
シャクナはチラリと背後に視線を飛ばすと、ウンザリしたように吐き捨てた。
「まったく……、いつまでもヒナ扱いしやがって」
「しゃあねぇっすよアニキ。俺らが
「そうですね、ボロさんの言うとおりです。今は目の前の任務に集中しましょう」
ボロとビスクスに宥められるも、未だに納得できない様子のシャクナが鼻を鳴らす。
「フンっ」
シャクナ、ボロ、ビスクス、の三人は、浮浪児として街をさまよっていた頃から、共に支え合ってきた親友であり、戦友であり家族だった。
それは教会の孤児院に引き取られた後も変わらず、今も血よりも濃い絆で結ばれている。
いかに血の気の多いシャクナと言えど、二人に苦言を呈されれば無視するわけにもいかない。
彼らがシャクナを止めるのは、いつだってシャクナの為を思っての事なのだから。
「に、しても何だか妙な仕事っすよね。あんな小さなガキ一人監視するのに俺ら三人のみならず、ワザワザお目付役まで寄越すなんて……。いったい何者なんすかね?」
「さぁな、大方どこぞのお偉い御貴族様の隠し子か何かだろ。いけすかねえ話しだぜ、クソッ!」
「さて、それはどうでしょうね……」
ボロとシャクナの顔色が変わる。
このビスクス特有のもったいぶった言い回しは、何かしらの確信を持っているときの彼女の癖だ。
おそらくこの後、自称頭脳派による遠回しな長ったらしい説明が始まるのだろう。
それを察したシャクナとボロ。
どちらが何を言うでもなく互いに視線を交わすと頷き合う。
((よし、聞かなかった事にしよう!))
「…………」
突然黙り込んだ二人の様子に、ビスクスの鼻がヒクヒクと動く。
普段から何があっても顔色一つ変えない無表情のビスクス。
そんな彼女の感情を、読み解く術がコレだった。
――あぁ、不味い。
こうなってしまったビスクスを放置しておくと、最後には完全にヘソを曲げてしまう。
大事な初任務の最中にそうなってはたまらないと、慌てて二人は取り繕った。
「ビ、ビスクスは何か知ってるっすか? 勿体ぶらずに教えて欲しいっす」
「あ、あぁそうだな。情報の共有は大事だと思うぞ、うん」
「フンッ。まぁ、いいでしょう。物を知らないお二人に教えて差し上げましょう」
ビスクスは気を取り直したように鼻を鳴らすと、クイッとメガネを上げた。
「ビスクス、悪いが今は任務中だ。三行にまとめてくれ」
「――っ! ま、まぁ仕方ありませんね。実は私、後ろにいる二人の会話を聞いてしまったんですよね。どうやらあの少年は、周辺の三国から同時に狙われているらしいです。今は監視に止めていますが、おそらくはその内に殺害命令が下されると思いますよ?」
ドヤ顔で語って聞かせるビスクスの情報に、流石の二人も驚きを隠せない。
どう見ても十歳にも満たない少年が、何をどうしたらそれ程の事態を引き起こせるのか。
もしかするとあの少年は……。
シャクナは躊躇いがちに言った。
「まさか王族か何かか?」
自身が思ついた中で、もっとも可能性が高そうな理由。
だが、いざ口にしてはみた物の、どうにも現実味がない。
それ程の重要任務を、駆け出しに任せるとは到底思えないのだ。
そんなシャクナの疑問を焦らすかの様に、ビスクスは黙ったまま首を横に振った。
「じぁいったい何をしたって言うんすか? まったく想像もつかないっす」
二人のやり取りを眺めていたボロが口を開く。
「残念だけどそこまでは分からないわ。ただ……」
溜める……。それこそタップリと。
シャクナとボロは、このビスクスの間が嫌いだった。
こんな時の彼女は、それはもう何とも言えない悦に入った表情をするのだ。
それこそ彼女の大好きな、探偵小説の主人公みたいに。
「おい、ビスクス……手短に頼むと言っただろ。今は任務中なんだぞ?」
「分かってるわよ……。私が言いたかったのは、あの少年は私たちと同じ孤児だってことよ」
折角の見せ場を邪魔されて、やや不機嫌なビスクスがまくし立てるように告げると、今度はボロが不思議そうに首を傾げる。
「なんか益々解らなくなったっすね」
「結局なにも分かんねえじゃねぇか……」
「何よ? 不測の事態になったときはどんなに小さな情報だって役に立つことが間々あるのっ!」
「不測事態ってなん――あっ!」
ムキになったビスクスに、逆にやりこめられたシャクナが愚痴を零した瞬間、前を行く尾行対象の少年が猛然と走り出す。
咄嗟の事に出遅れたシャクナとビスクス。
が、見ると、ボロは遥か前方で少年に追縋っていた。
その姿を見るや否や、慌てた二人は身体強化を発動し、ボロの後を追いかけた。
――しまった! ここで逃げられたら大変な事になる。
初任務で大失敗。それも三人もいて、たった一人の子供にいいように捲かれるなんて目も当てなれない。
「シャクナ、エンチャントを使うわよ」
言ったビスクスの魔力が膨れ上がる。
それを感じたシャクナは、慌てたようにビスクスをたしなめた。
「待てビスクス。そんなもん使ったら魔力の気配で尾行がバレるぞ!」
「そんなのとっくにバレてるわよ。だから逃げて行ったんでしょ!」
風を纏い、猛烈な勢いで速度を上げだビスクスを見送ると、シャクナは火属性を纏い地を蹴った。
――こりゃあ後が思いやられる。
シャクナは、ドヤ顔で巧拙を垂れるビスクスの顔が目に浮かび、顰めっ面で前を見据えた。
その後、凡そ三分ほど駆け抜けて、漸くシャクナとビスクスはボロへ追いついた。
前方には少年の後ろ姿が見える。
ボロが居なければまんまと逃げられていたかもしれない。
「流石だな、ボロ」
労うようにボロの肩を叩くと、当の本人は些か緊張した面持ちで答えた。
「まだっすよ、あの少年……もしかしたら俺より魔法に長けてるかもしれないっす」
「マジか?!」
「マジっす。どう考えても追つけ無い距離と速度だったのに、途中から手加減し始めたんすよ」
三人の中で、もっとも魔法に長けたボロが言うのだ、間違いないのだろう。
だが、いったい何のためだ? シャクナは何かイヤな予感を覚えた。
――この感じは覚えがある。
過去にあった苦々しい出来事が頭を過ぎる。
隣を走るビスクスに視線を向けると、左手の袖口から僅かにケロイド状になった過去の傷跡が顔を覗かせていた。
「嫌な感じがするぜ……。始末した方がいいかもしれん」
言ったシャクナを遮るようにビスクスの待ったが入る。
「駄目よ、まだ殺害命令は出ていないわ」
監視対象者を命令もないのに勝手に殺害など出来るわけがない。
それはシャクナも十分に理解している。
しているが……、頭がずきりと痛むのだ。
しかし、そんな三人の思惑をよそに、少年は再び逃げる速度を上げた。
(くそっ、やっぱり普通じゃねぇ……)
シャクナの表情は益々固くなってゆく。
此方はエンチャントまで使っているというのに、見れば少年は身体強化のみで逃げ続けている。
間違いなく本気ではない。
――舐めやがって……。
シャクナやビスクスはおろか、ボロまでしだいに離されていく始末。
と、次の瞬間――。
急激に魔力の高まりを感じたかと思うと、風に乗って飛び上がった少年が見る間に遠く離れていき、一瞬にしてその身に纏った魔力ごと掻き消えた。
前を行くボロが不安げに振り返る。
「どうするっすか?」
「どうするったって……」
言い淀んだシャクナが言葉を失う。
こんなもの、どうしたって言い訳のしようが無い。
下手をすれば三人揃って処分されかねない。
途方に暮れ、思考までも停止しまった二人にビスクスの凛とした声が届く。
「そのまま走り続けなさい。大丈夫よ、私に付いてきて」
ハッキリと、確信めいたその言動に、シャクナとボロは顔を見合わせる。
「言ったはずよ、あの子は孤児だって。だったら逃げ込む場所なんて一つしかないじゃない」
「「あっ!」」
姿こそ見失ったが、まず間違いない。
ビスクスは確信していた。
何より背後かは追ってくる二羽の梟に、動揺した様子が見えないのだ。
恐らく彼らは感じ取っているのだろう。
逃げた少年から漏れ出す魔力を……。
「だから言ったでしょ? 不測事態が起きた時には、どんなに小さな情報だって役にたつって」
ビスクスがクイッとメガネを上げると、降り注ぐ月の光でレンズがキラリと煌めく。
――さぁ、急いで孤児院へ向かうわよ!――
三羽のヒナと二羽の梟が走り去った後、物影からヒョッコリとノエルが顔を覗かせる。
随分とあっさりと巻けたものだ。
先を行く三人は兎も角、後ろの二人はそこそこやりそうな気配はあったのだが。
「見込み違いか……。何か不完全燃焼で終わったな……」
ノエルは残念そうに肩を落とすと、キョロキョロと辺りを見渡し、夜の闇に溶けるように姿を消した。
――しゃあない、爺さんに会いに行くか――
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