80話:会場へ続く道
「それではお時間が参りましたら、あらためてお迎えにあがります。その間、何かご用が御座いましたら、扉の外に控えております使用人に、なんなりとお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
ノエルはディート公爵との拝謁後、ひとり控え室へと通されていた。
とは言っても見た所スイートルーム並みの設備が揃っているため、ゲストルームとして使われている部屋なのだろう。
間取りはと言えば2LDKの億ション程広く、置かれた家具も一流所が使われていた。
周囲の気配を探ってみるが、今のところ監視の目は感じられない。
が、まず間違いなく潜んでいるだろう。
先に執務室にいた、護衛らしき者達の気配から察すれば尚の事だ。
そもそも公爵の護衛ともなれば、生え抜きの一流所を揃えているのが当たり前。
にもかかわらず、彼等は気配すら殺していなかった。
出来ないのではなく、
そう考えるのが妥当だ。
予想される主な理由は二つ。
一つはノエルに力を見せつけ扱いやすくする事。
そしてもう一つは、後の監視へ向けての布石だろう。
見えるものをより鮮明に見せつける事で、見えないものを更に見えなくする。
おそらくは、そんな所だろう。にしても――
――この警戒心は、流石に異常だ。
ノエルがこの程度の事に気付かないとでも思っているのだろうか?
それとも気付かれる前提で揺さぶりを掛けてきているのか。
分からない――考えれば考える程、ドツボに嵌まってしまいそうになる。
そしてもう一つ、ノエルにはどうしても気掛かりな事があった。
――ジェニファーの事だ。
何故、彼女はあの場に居る事を許されたのだろうか?
ノエルはジェニファーが堂々と人前に姿を晒している事に、大きな違和感を感じていた。
実の妹が一連の事件の実行犯だったのだ。
その立場は言わずもがな、拘束されてしかるべきではないだろうか?
ましてや今夜執り行われるのは、被害者の家族を招いてのパーティー。
おまけに全員が貴族で他国の要人ときた。
そんな中で加害者の肉親を自由にさせておく事に、一体どんなメリットがあると言うのだろうか?
分からない……。
いくら頭を捻っても、思い浮かぶのはどれもこれもデメリットばかりだ。
――何か重要な事を見落としているのか?
ノエルは部屋の壁に背を預け、唸るように考え込み始めた。
今から思えば言霊宣言の見届け人に、ジェニファーを寄越した時点でおかしかったのだ。
ベルンハルトに止められこそしたものの、彼女から向けられた殺意は紛れもなく本物だった。
本来なら今朝の時点で、ディート公爵はあわよくば自分を始末ようと思っていたのではないだろうか?
――だとしたら……。
ノエルの背中に冷たい汗が流れる。
自身が今まで気が付かなかっただけで、本当は始めからギリギリの綱渡りだったのではないだろうか? ……と。
しかし、だとすると何故自分は未だに生かされているだろう?
考え方が甘かった。
まだ自分は頭の何処かで自身の置かれた状況を、物語の主人公になぞらえていたのかもしれない。
偶然、襲われた貴族令嬢を目撃して、悪漢共から助けだし成り上がる。
そんなご都合主義的な話が、現実に起こり得る筈が無いと言うのに……。
(ヤバいな、今直ぐにでもとんずらしたい気分だわ)
今夜、このパーティー会場で、ノエルは何かが起きそうな予感を感じていた。
それも自身の命を脅かす様な何かが……。
――いっその事、本当に逃げ出すか?
(無理だろうなぁ。何だ、俺はいったい何を見落とした? ……くそ、分からねぇ。しょうがない、一応備えだけはしておくか……)
ノエルはトイレの扉を開けると、ズボンを下ろすでもなく便器に腰掛ける。
今朝から今の今まで一人になる時間が無かったため、せっかく手に入れた魔導書を読み解く暇がなかったのだ。
本来ならこんな場所で、しかも監視の目が光る中で行う事ではないが、ここに至ってはやむを得ない。
相手が誰であれ、黙って殺される気はさらさらないのだ。
ならば尚の事、少しでも生存率を上げておかなければ……。
(効果があるか分からないが、一応闇のエンチャントを掛けておくか)
ノエルは魔導書へ闇属性の魔力を注ぎ込むと、気を取り直すように表紙を開いた。
………………。
…………。
……。
――トントンッ
「はい」
「失礼します。会場の準備が整いました。宜しければご案内い「のんたーん!」」
「がはっ……」
迎え来たメイの言葉を遮るように、アリスがノエルにダイブする。
それを見たメイは、ヤレヤレと砕けた口調で微笑んだ。
「ふふふっ、しょうがないわね。ノエル君そろそろ時間よ、準備は良いかしら?」
「はい、問題ありません。でも良いんですか? 公爵家のご令嬢と一緒となると、周囲の貴族様に変な憶測を与える事になりませんか?」
「そうね、でもまぁ大丈夫よ。ランスロット様も気にするなって仰ってたし」
ムギュっとぬいぐるみでも抱くように、ノエルに甘えるアリスを見下ろすと、またも疑問が沸き上がる。
何故アリスがノエルに近づく事を許しているのだろうか、と。
警戒して然るべき相手の側に、自分の愛娘が近づく事を許すとは思えない。
にもかかわらずディートはあろう事か、パーティー会場への同伴まで許したという。
一体どの様な意図があるのだろうか?
(不自然な事が多すぎるな……。もしかして俺を混乱させる事が目的なのか? そうだしたら、完全にしてやられてるな……)
「大丈夫なのよー!」
グリグリと胸元に頭を擦り付けてくるアリスの頭をひと撫ですると、ノエルはポリポリと頬を掻いた。
おそらくこれは動揺を誘うための陽動。そう思えば合点がいく。
ならば考え過ぎずに受け入れた方がいいだろう。
そうしなければ泥沼に嵌まりそうだ。
「そうですか……、わかりました。では案内をお願いできますか?」
「はい、どうぞこちらです」
メイの後を追うように、赤い絨毯の敷かれた広く長い廊下を歩く。
壁際には絵画や壷などの美術品が並び、見上げるほどの高い天井には、大きなシャンデリアが幾つも連なっている。
その道中、不意にメイが足を止めた。
「ヘインズ様、この様な場所で待ち伏せとは些か不作法ではございませんか?」
「あははははっ、ゴメンごめん。確かに少し不作法だったね。心より謝罪を」
言って現れたのは一人の少年。
見た所、年の頃はノエルと同じ七歳位だろうか。
切れ長の黒い瞳に黒い髪、鼻筋の通った面持ちの美少年。
ただ、薄い唇とやや青白い肌が、少年に幽鬼のような不気味さを与えていた。
「やぁ、ノエル君。先日は助けてくれてありがとう。どうしても直接君にお礼が言いたくてね。不作法を承知で待たせて貰ったよ」
「あっ、いえ、お礼なんてそんな、ご無事で何よりです……」
「あはははっ、やっぱり良いね君。直接会いに来て正解だったよ。父と一緒だと君のそんな顔はきっと見れなかっただろうからね」
「ヘインズ様……、これ以上はあなた様の父君にも、ご迷惑が掛かるのではないでしょうか?」
「おっと、そうだね。そろそろ退散するとしよう。それじゃノエル君、また!」
声色の強くなったメイの胸中を察したのか、ヘインズはそそくさと去っていく。
どう言う事だろう? ノエルは首を捻る。
彼は最後までアリスに声すら掛けなかったのだ。
わざとだろうか?
だとしたら七歳かそこらの年の子供が、リスクを承知で行った事になる。
子供のした事だ、幾ら何でも考え過ぎかもしれない。
見ると、メイは今も顔を歪めて去っていくヘインズを睨み付けていた。
(次から次へと、まったく……)
「ふんふんふーん」
鼻歌を歌いながらノエルの手を握り、ブンブンと機嫌良さげに歩くアリスに微笑むと、先を見据えて息を呑む。
見えて来たのは、金に縁取られた重厚な観音開きの扉。
その先に居るのは、前世では想像すら付かなかった権力者達。
それぞれが膨大な財を誇り、私設の軍隊まで持つ力の権化。
凡そ勝負にすらならないであろう強大な相手に、大した力も手札も持ち合わせていない自分がどこまでやれるのか……。
一瞬、緊張に顔を歪めると、目を閉じ大きく息を吐く。
そうして開いたノエルの眼差しは、猛禽類のように鋭く尖っていた。
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