79話:ディート・フォン・ランスロット

「やぁ、君が噂のノエル君だね? 私がディート・フォン・ランスロットだ、アリスを助けてくれて礼を言う。ありがとう」


「い、いえいえ私は大した事はしてませんから。たまたま・・・・運が良かっただけといいますか……。えっと、その……」


 頭を下げるディートの行動に、虚を突かれたノエルはしどろもどろで慌てふためく。

 流石に貴族だけあって、相手の動揺を誘うのはお手の物。

 ノエルは先制攻撃をまともに受けてしまう形となった。


「いや、君のした事はなかなか出来ることじゃない。もっと自分を誇りたまえ」


「ありがとう御座います。恐縮です……」


 ディートの何気ない笑顔一つに妙な威圧感を覚えたノエルは、出来うる限りゆっくりと丁寧に、短く言葉を紡いでいく。

 相手の思惑に呑まれ始めている。

 やはり一筋縄ではいかないようだ。


「お屋形様、お客様をこのまま立たせて置く気でございますか?」


「あぁそうだな、すまなかった。さぁ、ソファーにでも座ってゆっくり話そうか」


「はい、失礼いたします」


 促されるままに大きなソファーへと腰を掛ける。

 そうして向かい合ったディートとノエルの間に、暫し無言の時間が続く。

 ディートの後ろにはセバスが、ノエルの背後にはメイが、それぞれが控えるように佇んでいた。



――この静けさには覚えがある。


 いつだったか、前世で父親の作った借金を肩替わりさせられた時と似ている。

 まず始めに力を見せつけ、次に友好的を装うと、最後にたっぷりと間を取って告げるのだ。

『お前はもう逃げられないぞ』と……。


(やり方がまるでヤクザだな……)


 最初こそ動揺してしまったものの、改めて冷静さを取り戻したノエルは、相手方の思惑を考えていた――。


 ノエルの後ろにはオンディーヌがいる。

 おそらく彼等はそう勘ぐっている筈だ。

 が、実際は違う。ノエルは今現在オンディーヌが何処にいるのかすら知らないのだ。


 しかしノエルは幾ら聞かれても、それを決して口にはしなかった。

 あくまでも『ちょっと故郷に里帰りしているだけ』と話してある。


 些か情け無くもあるが、ノエルには未だ力が足りず後ろ盾も無い。

 そこで相手にチラ付かせたのが、オンディーヌと言う手札だった。

 実際はそれすら虚構で白紙でしかないのだが、見せられた相手からすればさぞ厄介なことだろう。


 問題はこの煤けたジョーカーを、ディートがどう扱うかだ。


 厄介事、もしくは危険視された場合、おそらくノエルの命は無い。

 しかし取り込もうと画策してきた場合は、それこそ脅すか力ずくで手に入れようとしてくるはずだ。


――さてどう考える?


「ディート公爵様、この度はこの様な場に平民である私などを呼んでいただき恐縮です。改めてお礼を言わせてください。ありがとうございます」


「はっはっ、先程も言ったが、寧ろ礼を言うべきは此方の方だ。頭を上げてくれないか?」


「はい……」


 何でもない。それこそ取り留めのない会話が続く。

 ディートが話を振り、ノエルが短く答える。

 ただの世間話の裏に、どんな意味が込められているのか。

 ノエルは一語一句聞き逃さぬよう、何度も頭の中で反復していく。


――何故だ? 何故核心を突いてこない?


 ニコニコと終始機嫌良さげなディートを見て首を捻る。

 入室してからかれこれ三十分は経とうと言うのに、未だオンディーヌの話題の一つも出て来ない。


――何を考えている?


 そんなノエルの疑問を躱す様に、ディートはアリスを見て目を細めた。


「ところでアリスは先程からいったい何をしているんだ?」


「…………」


 ノエルの膝の上に身を投げ出し、うつ伏せになって手足をバタ付かせるアリス。

 先日の脱出劇の際、道中馬車でも同じようにノエルの膝の上で溺れていたのを思い返す。

 アリス特有の甘え行動なのかもしれない。

 出来れば時と場所は選らんで欲しいが……。


「ふふっ、きっとアリス様はノエル君に甘えているのかと。お立場上、同じ年頃のご友人が近くにいらっしゃいませんから」


「なるほど、確かにそうかもしれんな。そうだノエル君、どうせなら家に仕える気はないかね? そうなればきっとアリスも喜ぶ」


「申し訳ありません。せっかくのお申し出ですが、私はこの先も一薬師としてやっていこうと決めてますので。それに、私を快く思わない方もいらっしゃるようですし……」


 ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべたディートを見て、

 ノエルは改めて思う。

――やはり貴族は苦手だと。


 ディートの申し出は本音ではない。浮かべている作り物の笑顔と同じだ。

 それは四方八方から感じる魔力がそれを証明している。

 立場上、護衛が隠れているであろう事は予想していたが、子供一人相手にするにしては、些か大袈裟すぎる人数だ。

 それに――。


 始めから殺気を隠そうともしない魔力が一つ、ノエルへ向けて刺すように放たれている。

 おそらくは先に示したノエルからのメッセージへの返答なのだろう。

『お前などいつでも殺せるぞ』と言う。


(ジェニファーとか言う女だな、これは……まいった、そう言う事か……)


 力には力を。実に権力者らしい発想だ。

 が、それは同時にノエルの放ったブラフが、十分に効果を発揮した事の証明でもある。


――精々頭を悩ませて欲しいところだ。


 そんなノエルの思惑を察してか否か、ディートは苦笑いしつつも残念そうに言った。


「そうかい? まぁ無理強いするつもりも無いが、キミは随分と欲がないんだねぇ。普通なら誰もが飛びつく話だと思うが?」


「ははは、欲が無い訳じゃありません。ただ、自分の身の丈はわきまえているつもりです」


「だと良いがね……」


 ディートはぼそりと呟いた。





◇――――――――◇





「さて、皆の意見を聞こうか?」


 ノエルの去った執務室で、ディートとその従者達四人が膝を付き合わせる様に意見を交わしていた。


――あの少年は異常だ……。


 自分の命を賭け金にして勝負をしている。

 本人はその事に気が付いているのだろうか?

 もし、分かった上でやっているのだとしたら――。


「危険ですな」


 と、真っ先にセバスが声をあげる。


「ほう、セバスにしては珍しく即断だな。理由を聞こうか?」


「はい、恐れながら言わせて頂くなら、あの少年は些か聡過ぎます。それに他国に彼の存在が露呈すれば、ランスロット家に戦争を仕掛ける気配ありと断じられるでしょう」


 聡いかどうかはさて置き、確かに戦争を仕掛ける気があると思われるのは厄介だ。

 しかし――。


「まぁ言っている事は概ね間違ってはいないが、放っておいても戦争は起きるぞ? それも近い内にな……」 


「――それはいったい?!」


「草から連絡が会ってな。どうやらディーゼル家の嫡子は神子らしい。まぁあくまでも可能性があり、と言ってはいたがな」


「それは何とも……」


 聞いたベルンハルトが思わず横やりを入れる。


「それが事実なら彼を抱き込むべきではありませんか?」


「確かにな……。だが私にはあれの思惑が未だによく見えんのだ。どうしても聖法国からの間者の可能性が捨てきれん」


「なるほど……、しかし、では一体どうするおつもりで?」


「まぁ今は泳がせて置くしかあるまいな……。問題は他国に情報が漏れたか否かだ」


「あんなガキとっとと殺しちまえばいいんだ」


 遮るようにジェニファーが声をあげる。

 握り締めた拳からは血が滴り、その目は殺意に満ち満ちている。


 そんなジェニファーに冷ややか視線を向けたディートは、途端に険しい口調へと変わる。


「ジェニファー、教えた筈だぞ? 殺意は身に纏うものでは無いと」


「も、申し訳ありません……」


「まぁいい、セバス、闇を使ってあの少年を監視しておけ。ただし、くれぐれも接触は避けるようにな」


「かしこまりました」





――今、大戦と言う時代の歯車が、回り始めようとしていた。

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