81話:ヘインズ・フォン・ディーゼル

「あの目……。いいね、凄く良い。やっぱり、この世界は最高だなぁ」


 ノエル達に別れを告げ、パーティー会場へと戻ったヘインズは、機嫌良さげに呟いた。

 ニヤニヤと顔を綻ばせ、リズムを刻むように運ぶその足取りは、今にも踊り出しそうにも見えた。


 そんな彼、ヘインズ・フォン・ディーゼルは転生者である。

 前世での名前はブラッド・キャスケード。

 極々一部の者ではあるが、熱烈なファンを持つ有名人でもあった。

 ただし、悪名の方で……。


 幾つもの異名が付けられたブラッドではあったが、中でも最も有名な二つ名は、Brad・Bloodブラッド・ブラッドだろう。

 血濡れのブラッド。そう呼ばれた彼の半生は、あまりにも特異なものだった。


 ブラッド・キャスケードは、アメリカ合衆国・ジョージア州・ジョンズクリークで生を受ける。

 ジョージア州は南部に位置し、バイブルベルトと呼ばれる十字教の盛んな地域で、中でもジョンズクリークは比較的裕福な人々が暮らす所として有名な街だった。

 

 外科医の父と小学校教師の母を両親に持ち、所謂上流階級の恵まれた環境で育ってきたブラッドであったが、彼には誰にも言えない大きな欠点を抱えていた。

 

 本人がそれに自覚したのは七歳頃の事。

 一人校舎裏で蟻やバッタ、蝶を相手に遊んでいた時だった。

 担任教師に呼び出され、例え小さな命でも弄ぶような真似をしてはいけないと、お叱りを受けたのだ。


 しかしブラッドにはそれが理解できなかった・・・・・・・・

 それが全ての事の始まり。ブラッド・ブラッドの誕生。

 もっとも、当時のブラッドはそのプライド故に、誰に相談するでもなく、命を大切にするのは当たり前、といった素振りで生活を続けていた。


 頭脳明晰、誰にでも優しく人懐っこい美少年。

 すべからく彼の周りの者達はそう評価している。

 更には信心深い両親に連れられ、日曜学校にも足繁く通っていたため誰一人気付くことが出来なかったのだ。


――ブラッド・キャスケードの持つ異常性に。


 実の所、彼は続けていた。

 誰も居ないところで虫を殺し、誰も近寄らない場所に犬を埋める。

 そんな日常を……。


 とは言えブラッドからしてみれば、決して命を玩具にしている訳ではない。

 知りたかったのだ。命を生を死を、そして恐怖というものを。

 

 後に彼が精神鑑定を受けたおり、医者はこう診断している。

 反社会性パーソナリティ障害。サイコパスと。


 ブラッドは恐怖を感じた事がない。

 正確には感じることが出来ない。理解出来ないのだ。

 だからこそ彼は憧れた。キャーキャーと騒ぐ人々に。


 鬱屈した思いが常に彼の後を追い、日常生活を浸食していく。


 その結果、ブラッド・ブラッドが生まれた。


 彼が初めて凶行に及んだのは二十歳の時。

 当時の交際相手とのあいだに、子供が出来たことが切っ掛けだった。

 女性の方が堕ろす事を望んだのだ。そしてそれをブラッドは受け入れる。

 ブラッドとしては正直な所、どちらでも良かった。

 元々彼女との交際も、恋愛感情とは如何なるものかを知るために始めた実験のようなもの。

 だから生みたいと言えば結婚し、今度は家族愛とは何なのか、母性愛や父性愛は?

 それらを考察するためのモルモットとしてしか見ていなかったのだ。


 が、その事が当時外科医をしていた父親に伝わった途端、事態が急変する事となる。

 女性が中絶処置を受けた婦人科が、ブラッドの父親が勤める病院であった為、おそらくは同僚からでも伝わったのだろう。


 信心深い彼からすれば、中絶は悪行でしかない。

 それこそ殺人のように扱ったのだ。


 結果、ブラッドと両親との間に深い溝が刻まれてしまう。

 

 ことある毎に彼等はブラッドを罵倒し、犯罪者のように扱う毎日が続いた。

 普通ならば言い返すか、家を出て距離を置こうとするものだろうが、ブラッドは違った。

 寧ろ彼はこの状態を興味深いとすら感じていたのだ。


 常日頃から愛とは何かを説いてきた両親が、あまつさえ実の息子に憎しみにも似た感情をぶつける。

 いったい彼等の中で何が起きたのか。

 ブラッドはそれを観察し続けた――。


 結論から言おう。結局、ブラッドは両親を理解できなかった。

 しかしその最中、遂に事件は起こってしまう。

 ある日、酒に酔った父親がいつもの様にブラッドを責め立て始める。

 普段ならば散々喚き散らした後、のれんに腕押しのブラッドに業を煮やしてその場を去っていくのだが、酒に酔っていたのもあったのだろう、この日、彼は思わず手を出してしまった。


 それが切っ掛け。後の悲劇の幕開けだった。

 気が付いた時、ブラッドは全身血塗れの状態で、父親の上に馬乗りになっていた。

 そんな茫然自失とした彼が次にとった行動。

 それは、証拠隠滅でもなければ自首でもなく、母親の拘束だった。


 我に返った時、実の父親を手に掛けた事を悔やむてでもなく、彼の頭の中に浮かんだものは『もったいない』と言う思い。


 虫や動物では分からなかったが、人間ならどうだろう?

 痛みや苦しみや恐怖を与えよう。

 それを観察していれば分かるかもしれない。

 人は何故、痛みを、苦しみを、死を、恐怖し、遠ざけようとするのかを。


 それからブラッドは、実に一週間もの長きに渡り母親を拷問し続け、最後には殺害にまで及んだ。


――そして、遂に彼のたがが外れる。

 

 父親を殺害してから逮捕されるまでの凡そ三年間の間に、ブラッドは28人もの人の命を奪い続けた。


 後の供述により明らかになった、その凄惨たる手口に、世界は恐怖し被い隠さんと早々に死刑判決が下される。


 獄中にて、彼、ブラッド・キャスケードはこう言い残している。


 結局わたしは、死の恐怖と言うものを理解できなかった。

 しかし、たった一つだけ分かった事がある。

 死とは日常で、人は呼吸するように死んでいくものなのだと。


 あなたが気が付いていないだけで、死とは常にあなたの側に存在しているのです、と――。


………………。

…………。

……。



「お待たせしました父上」


「ふむ、で、どうだった?」


「いったい何の話ですか?」


「誤魔化すなヘインズ、会って来たのだろう? あの少年に」


「流石は父上、お見通しでしたか。まぁ結果から言えば違います・・・・ね」


「それは確かか?」


「そう言われると困りますねぇ。あくまでも勘ですから。ただ、感じ取った体内魔力量から見て、大した使い手では無いと思いますよ? 父上も会ってみれば、お分かりになるでしょう」


「そうか……」


 ロベルトは渋い顔で頷くと、ヘインズの頭にぽんと手を添えた。


「まったく、お前は無茶ばかりするな……。あまり私を心配させてくれるなよ?」


「はい、以後気を付けます」


 言ってガヤガヤとざわめく声に振り返ると、ヘインズはニヤリと口角を上げる。

 大勢の貴族達を前に、堂々とした面持ちで、ノエルがアリスをエスコートしている様が見えた。


 おそらくは、ここにいる貴族達も直ぐに彼の異常性に気が付くだろう。

 そうなれば是が非でも彼を手に入れようとしてくるはずだ。


 そうなる前に自分の手に――いや、それではだめだ。

 そんな事をすれば今までの二の舞。

 結局また何も分からず仕舞いで終わってしまう。


――では、どうすればいい?


 ヘインズは、人々に囲まれるノエルを見て目を細めた。


――アレは僕のものだ。絶対に誰にも渡さない――


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