82話:謝礼と言う名の報酬
静寂の中、会場中の注目がノエルへと集まる。
先にメイから習い受けた礼の作法通りに、胸に手を当てると軽く会釈をする。
その様子を見た、来場者達による割れんばかりの拍手の音に、顔を上げると息を呑む。
一見すると好意的で、その表情には笑みこそ浮かべているものの、目の奥には相手を探るような値踏みの色が伺える。
――此奴はいったい何者だ?
そんな権力者達の煤けた感情の機敏を感じ取り、改めて気を引き締める。
呑まれてはいけない。だが気負い過ぎても相手の思惑に乗せられてしまう。
ノエルは、刺す様な視線には気付いていないとばかりに、アリスに向かって微笑むと、手を取り悠然と足を進めた。
本来であれば、今夜の主役であるノエルに対し、彼らの方から挨拶に来るのが礼儀である。
が、生憎とノエルは平民で彼らは貴族。
この世界での身分の差はあらゆる事情を覆す。
その為、ノエルの方が彼らの元へと向かい、一人ひとり挨拶をして回る事になる。
貴族側からすれば、挨拶をさせてやっている。
と、言う立場になる。らしい……。
挨拶をして回る順番は、背後にいるメイから耳打ちして貰いながら、相手方の名前や立場を確認していく。
ノエルは、顔、名前、爵位、派閥などを聞きながら、ふと思う。
――これはいい機会かも知れない、と。
これだけの権力者達が一同に介する所を、実際に目にする機会などそうはない。
それぞれの国の実情や関係性、政治に経済に歴史的背景。
メイから教えられるそれらの事柄を、記憶し取り込みながら当人達と話をするなど普通は有り得ない。
特に貴族同士の派閥を目の当たりに出来るのはありがたい。
見るとそれぞれが小さな集団を作り、さもにこやかに
これが所謂、貴族の派閥と言うものなのだろう。
中心にいる人物をひたすらに、よいしょしているだけの者もいれば、寡黙に聞き役に徹している者もいる。
かと思えば長年の友のように接する者も見受けられた。
見ているだけで派閥内の序列が手に取るように分かる。
ただ不思議なことに、一国だけ全員が寄り集まるようにして談笑している者達がいた。
イグニス王国の貴族達だ。
ここアルカディア大陸において、もっとも特異な国、イグニス。
かの国は、大陸内で唯一永世中立国を名乗っている事で有名だった。
おそらく派閥などと悠長な事をやっている余裕は無いのだろう。
なにせ今は戦国の世だ。直に始まるであろう大戦を思えば尚の事。
ノエルからすれば、いざと言う時の逃亡先としては、真っ先に外した国である。
この乱世で中立を維持するなど無理があるのだ。
それこそ勇者の二、三人でも囲っていない限りは……。
人数が多い事もあり、挨拶としては簡単な口上を述べるに止まるが、それはそれで助かるので問題ない。
貴族相手に舌戦とか勘弁して欲しい。勝てる気がしない。
『私に仕える気はないか?』
『その気があるなら騎士にしてやろう』
もはやお決まりになった、彼らの誘いを断りながら粛々と革袋を受け取っていく。
面白いことに、この金貨の詰まった革袋は、お礼ではなく報酬だそうだ。
ノエルは平民で、しかも孤児と言うことになっている。
そのような下の者に位の高い貴族が、簡単に頭を下げるわけにはいかない。
故に、礼ではなく報酬とのこと。
なんとも癪に障る話だが気にしても仕方がないし、何より金には変わりない。
メイが持つ、銀製の大きなお盆に積み上げた金貨袋見て気付く。
それぞれに紋章の刻まれたそれは、どれもこれもが大凡同じ大きさをしている。
もしかするとこの手の報酬とやらは、大体いくらと決められているのかも知れない。
「ノンたん、アリスおなかすいたよー」
考えに耽っていると、握った手をぐいっと引っ張りアリスが頬を膨らませる。
確かに子供にとっては退屈極まりない状況だろう。
「すいませんアリス様、後ほんの少しですから、もうちょとだけ、我慢してください」
「本当? 本当に本当?」
「はい、本当に本当です」
「わかったー。あのねぇ、アリスケーキ食べたい!」
「はははっ、そうですね、後で一緒に食べましょう」
「うん!」
癇癪を起こし掛けていたアリスを、何とか宥めると辺りを見渡す。
取り敢えず一通りの挨拶を済ませ、残ったのは後一人。
現在、この会場の中でノエルがもっとも警戒する人物。
それはフェルドナンド王国が誇る王国の盾。
ロベルト・フォン・ディーゼル辺境伯その人である。
見れば道中ノエル達を待ち伏せしていた少年が傍らに立ち、とても子供とは思えない下卑た笑みを浮かべている。
もうあからさまに嫌な予感しかしないが、無視するわけにもいかない。
なにせ相手は辺境伯だ。それも、このリーリア王国と平原を挟んで国境を接する。
ノエルは振り返ると、思いついた様にメイに口を開いた。
「メイさん、すいません最後は一人で行ってきます。少し待っていて貰えますか?」
「ええ、それは別に構わないけど、大丈夫なの?」
「はい、何事も経験ですから。じゃ、ちょっと行ってきます」
アリスをメイへと預け、一つの集団へと足を向ける。
予想に反して、ここまでは概ね順調だった。
だからこそ何かが起こりそうな気がしてならない。
ディート公爵から聞いた話によると、彼らは騎士団による奪還作戦を実行したらしい。
しかしノエルが自力での脱出に成功してしまった為、せっかくの手柄が空振りになってしまった。
もしかすると、その事を根に持っているかも知れない。
ランスロット領で起きた事件をディーゼル家が解決すれば、彼らは大きな貸しを公爵家に作ることが出来る。
その機会をノエルは彼らから奪ってしまった形になる。
平静を装っているようにも見えるが、腹の中では何を考えているか分かったものではない。
現に、今まさに彼から立ち上る魔力は、隠しきれない感情の変化を物語っているようにも見えた。
「ディーゼル辺境伯様ですね? お初にお目に掛かります。私ノエルと申します。この度は私事の為にご足労いただき誠にありがとう御座います」
「ふむ、些か不格好な言葉遣いだが、まぁいいだろう。平民相手に多くは望むまい。で、何用かな?」
「はい、かの王国の盾と称される辺境伯様に、お目に掛かる機会など滅多にごさいませんので、是非に一度ご挨拶をと参上したした次第にごさいます」
「ふんっ、見え透いた世辞だな。ほら、持って行け」
ぽんっとビロードで作られた巾着を投げ寄越す。
今まで受け取ってきたものと違い、ゴツゴツとしたものが入っている。
中を確認してみたい気持ちにかられるが、今開けるのは失礼だろうと、頭を下げると早々に退散する事にする。
やはりこの男は嫌な感じがするのだ。
「ありがとう御座います。それでは私はこれで」
「待て……」
「はい、何でしょうか?」
「ひとつ聞きたい事がある。貴様が見たと言うローブ姿の者の中に、白髪で赤い瞳をした男は見なかったか?」
ぶっきらぼうなロベルトの質問に、ノエルはしれっとした様に首を傾げる。
この質問は予想の範囲内。しかも聴き方が好都合だった。
「いいえ、その様な容姿の方は、
「本当だろうな?」
「勿論です。【あの日、捕らわれてから今日まで目にしていません】」
「そうか……、ならいい」
「はい、それでは失礼いたします」
言って踵を返したノエルを、今度はヘインズが呼び止める。
「ノエル君、ちょっと待ってくれないか? 折角だから少し話をしよう。いいよね? 父さん」
「あぁ、だがあまり羽目を外し過ぎるなよ?」
「はい。それじゃぁ行こうか、ノエル君」
「……はい」
ヘインズに背中を押され、なすがままに会場の角へと追いやられる。
と、不意にヘインズが耳打ちをした。
「君、本当は知ってるんだろ? アルフィード兄さんのこと」
「お兄さん、ですか? すいません、私は存じ上げませんが」
「あはははっ、聴き方が悪かったみたいだね。【アルフィード兄さんの行方を知ってるかい?】」
「――っ!」
「いいねその顔! やっぱり僕の見込んだ通りだ」
「…………」
「黙りかい? まぁ僕としてはどちらでも良いんだけどね」
やはりと言うべきか。ノエルはここに来て、一波乱おこりそうな気配を感じていた。
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