116話:アナベル VS ナイン

「――ルくん。ノエルくん」


 名前を呼ばれ、肩を揺すられ目を覚ます。昨晩は手持ちの紙を使い切るまで、鐘の内側に描かれた魔法陣を転写していた。

 その後、戻ってきて仮眠を取ろうと思ってのだが、ノエルのベットにはあられもない姿のアナベルが寝ていたため、仕方なく部屋の隅でシーツにくるまる事にしたのだ。

 なにしろアナベルに近付くだけでナインがフシャーと威嚇するのだから仕方ない。


「うーん……。おはようございます、アナベルさん」


「おはようじゃないわよ。どうして床で寝ているの? ちゃんとベットで寝なくちゃダメじゃない」


 起き抜けで、いまだうつらうつらとする目を擦って、アナベルを見上げる。

 彼女は真っ白な薄手のシーツで身を包み、胸元を強調するように腕を組んでいた。


――この人はブレないなぁ……。


 と、ぽかんとした顔で眺める。


「もう、聞いてるの? ノエルくん」


 今度は谷間を強調するように腰を屈めて胸を近付ける。朝から何をやってるんだか……。

 ぼんやりと眺めていたノエルも、これ以上は拙いと慌てて口を開いた。

 ナインから黄色信号が出ていたのだ。


「覚えてないんですか? 昨日の夜にアナベルさんに力一杯締め付けられて、危うくこっちは死にかけたんですよ?」


「そうだっの、ごめんなさい。でもそれはきっと私の思いが強すぎたせ痛っ!」


 お色気全開の艶めかしい口調で、アナベルがノエルに手を伸ばす。

 と、ノエルの肩口からナインの猫パンチが飛び出した。

 フゥフゥと背中の毛を逆立てて、これ以上は我慢ならんとばかりに威嚇する。


「ちょっと、ノエルくん。どうしてこんな所に猫が居るのかしら?」


 引っ掻かれた手の甲をさすりながら、アナベルが目をつり上げた。

 こんな事になるだろうとは思ってはいたが、ナインも一応は手加減はしてくれているようだ。

 魔法を使わずに猫パンチで済ませているのだから。


「昨日死にかけたときに目が覚めちゃって。少しだけふらっと散歩していた時に拾いました」


「孤児院は動物禁止なのよ? 直ぐに元の場所に戻してきなさい」


「そんな……。ちっちゃくても同じ命なんですよ? 一度助けておいて今更知らん振りなんてできません!」


 しれっと嘘を付いたうえ、使い古された正論をぶつける。

 イメージは命を慈しむ小さな少年。ナインを庇うように両手で抱き締め、涙目でアナベルを見上げる。

 その姿は、さながら保健所の職員から子猫を庇う子供のよう。


「くっ……。そんな顔をしてもダメよ! ノエルくんを許したら他の子供達もきっと同じ真似をするわ。そうなったら孤児院が動物園になっちゃうじゃない!」


 ごもっとも。まさにアナベルの言い分の方が正しい。

 ノエルの言っていることは只の我が儘でしかない。

 しかしノエルは譲らない。こうなると選択肢は二つ。

 強引に子猫を奪い取って捨ててくるか。ノエルが子猫と共に出て行くかだ。


「嫌です! この子は僕が育てます」


 いたいけな子供の演技に気をよくしたのか、知らず知らずの内にノエルの一人称が僕へと変わっていた。

 ノリノリである。


「いいわ、それじゃあ私がその子を元居た場所に戻してきてあげる」


 そう言って手を伸ばしてきたアナベルに、またもナインの猫パンチが炸裂する。


「いたっあ。どうして私ばっかり引っ掻くのよ!」


 抗議するようにアナベルが頬を膨らませる。

 しかし当のナインはノエルの腕の中で、みぅと頭を擦り付けながら庇護欲を煽っている。


「この子はメスなので、もしかしたらアナベルさんに嫉妬してるのかもしれませんね」


 言ってノエルはヨシヨシとナインを撫で回す。


「くっ、このメス猫!」


 この台詞を皮切りに、アナベルとナインの仁義無き戦いが幕を開けた。

 アナベルが伸ばしてきた手をナインが引っ掻き続けている。

 いい加減諦めればいいのにとも思うが、アナベルは譲る気がないらしい。


――そろそろかな?


 頃合いを見計らっていたノエルは、悲しそうな表情を作ると、立ち上がってアナベルに背を向けた。


「アナベルさんの気持ちはよく分かりました。仕方がありません、この子と一緒に僕が孤児院を出て行きます。短い間でしたがお世話になりました」


 呆気に取られた顔で見送るアナベルに、ノエルは止めの一言をお見舞いする。


「さようならアナベルさん。優しくしてくれてありがとう……」


「ちょっと待ったぁぁっ!」


 背後から聞こえたアナベルの叫び声に、ノエルはニヤリと笑んだ。落ちたな、と。


「でも、僕はこの子を見捨てるわけには……」


「分かったわ。司教様や他の皆は私が説得します。だからノエルくんはここにいなさい! いいわね?」


「本当に説得なんて出来るんですか?」


「任せなさい。鐘護としての権限を全て使ってでも押し通すわ」


 何だか大事になってきたが大丈夫だろうか?


 ノエルは心配そうに眉尻を下げると、アナベルへと向き直る。

 見ると彼女は片膝を付き、両手を広げて微笑んでいた。

 まさかとは思うが、私の胸に飛び込んでこいアピールなのか?

 ノエルは途端にげんなりと肩を落とした。


 しかしやらない訳にもいかない。おそらくここはそう言う場面だ。

 仕方がないと腹を括り、心の中で気合いを一つ。


「アナベルさん!」


 花開いた向日葵のようにニカーと笑うと、ノエルは自身を迎え撃つ宿敵めがけて飛び込んだ。


「ありがとう!」


「痛っ!」

「フシャー!」


 しかしアナベルの献身むなしく、ナインは容赦なくスライムを討伐したのだった。



………………。

…………。

……。

 



 

 部屋で軽く朝食を済ませた後、アナベルに外出を禁止されたノエルは、教会の歴史について書かれた本を読みふけっていた。


 教会の信仰する神は、この世界を作ったとされる主神ゼリュースの娘であるアリアーデを信仰対象にしている。

 その歴史は意外にも浅く、およそ300年前に帝国のスラム街で誕生したという。

 当時は今ほどは人族至上主義が幅を利かせておらず、全ての人々が教会を訪れていた。

 そんな中で誕生した信仰。それは人族こそが神に愛されし種族であるという歪んだ教え。

 今まさに聖法国を席巻している人族至上主義に他ならない。


 ノエルはこのくだりを読んだとき、随分と悪知恵の働く奴がいたものだと鼻白んだ。

 とくに生まれた場所がスラム街と言うのがいかにもだ。

 虐げられたか弱き人々は、自分よりも虐げられた存在を望む。


 アイツらよりはまし。そう思わせることで人々の心を掴んだのだ。

 更に300年前と言えば先の大戦のあった頃。戦時中のスラム街がいかに悲惨な状態だったか、想像するのは容易い。


 そして、戦争が激化し、難民が増えれば増えるほど信徒達は大陸中に散らばっていく。


 こうして300年の間に信仰は国境を越え、今では三大信仰の一つとして数えられるほどになった。

 因みに残りの二つは、精霊信仰と聖法国が掲げるゼリュース教である。


 ただし、300後の今ではその教えもかなり様変わりしていた。

 当初、信仰心を煽るために利用された人族至上主義も、今では完全に廃れてしまっている。

 現に孤児院には数多くワービーストの子供達が身を寄せている。

 その為、今ではゼリュース教の方が差別問題で苦しんでいると言う皮肉な結果になっている。


 だからだろうか、近年に置いてはアリアーデ教会の勢力が増し、ゼリュース教が押され気味となっているようだ。


「問題はなぜ始まりが帝国だったのか、だよな……」


 帝国主義を掲げる国家が、人種差別を容認するだろうか?

 前世で生きてきた地球での事なら、この状況も理解できる。

 なにしろ彼処には人間しか種族がいないのだから。

 しかしこの世界では違う。むしろヒューマンは脆弱な部類に入るだろう。

 戦時中にわざわざ自国の戦力を削ぐような事をするだろうか?

 ノエルにはそれが疑問だった。


 この女神アリアーデ信仰には、政治的な裏があるような気がする。

 仕掛けた当人が帝国なのか、はたまた別の勢力なのかは分からないが……。


「でもなぁ、一応聖地は帝国と聖法国になってんだよな。こんがらがってくるな……」


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