4話:燃えよ五歳児!
自身の心の奥底から、どす黒い何かが沸き出してくる。
それはやがて全身に染み渡り、その身体の熱量を上げていく。
そして身体とは裏腹に頭は冷たく冷えていく。
瞬間――頭よりも先に身体が動き、身体よりも先に魔力が動いた。
爆発した魔力はその身体に力を与えた。
力を得た身体は大地を蹴りだし宙を飛んだ。
宙を駆ける身体を冷えた頭が制御する。
頭と身体と
――9回裏2アウト満塁、狙うは一打逆転ホームラン――
「ぶっとべぇぇっ! こんのっクソ虫がぁぁぁぁぁ!」
冷えた頭で狙い澄ますようにフルスイングした角材は、振り返ろうと半歩ほど足を下げた男の側頭部を強打する。
――ボギャ
鈍い音を立て殴られた男は、側転するかのように回転し、片膝を立てて座る仲間の上にダイブする。
男を殴った角材は手元から折れてグリップだけが手の中に残っていた。
勢い余って今だ宙を漂うノエルは、身体を捻って両足と左手で三点着地をするとザザザッと地面を滑って制止する。
飛んできた仲間に覆い被され仰向けに倒れた男は、唐突に訪れた身の危険に対処すべく、被さる仲間を必死で払いのけ振り返る。
ノエルは右手に残った折れた角材の残骸を振り返った男の顔面に向けてブン投げる。
しかし男は反射的に首を捻って木片を交わすと、そのまま地面を転がるように回転し立ち上がろうと片膝をつく。
ポケットに手を突っ込み用意していた小石を握ると、立ち上がろうとする男の顔を目掛けて次々と投石を繰り返す。
息をもつかせぬ投石の連続がついに男の顔面にクリーンヒットする。
たまらず身を背けて身体を丸める男目掛けてダッシュすると、勢いもそのままに男の横っ面を全力でサッカーボールのように蹴り飛ばす。
「ガッ」と短い声を吐いた男は仰け反るように跳ね上がり仰向けに倒れると、遂にはピクリとも動かなくなっていた。
「ハァッハァッ、ハァッハァッ……」
(やべぇ、超怖かったぁぁぁぁぁ)
「まさか、ほんの数十秒の戦闘で息切れするとはな……」
未だ肩で息をしながら大急ぎで麻袋を広げると慎重に少年を引っ張り出す。
抱き抱えるようにして、ピクリとも動かない少年の口元に耳を当てると深い安堵の息を吐く。
「よかったぁ、生きてて本当によかったぁ……」
そのまま両手で肩口と膝の裏をすくうように抱き上げると、立ち上がって辺りを見渡す。
「どうしよう……。この村って医者とかいるのかな? やばいぞ、俺この村のこと全然知らないんだけどっ!」
キョロキョロと辺りを見回しながら途方に暮れていると、倒れ伏している二人の男が目に入る。
「死んでないよな……。まぁいいや、考えてもしょうがない。兎に角ここから一番近い家を目指そう」
身体強化を掛け直し少年を抱えたまま走り出す。
やがて公園の出口を抜けると、煉瓦造りの平屋の家から灯りが漏れているのを見つけた。
(よし、灯りが付いているなら誰かいるよな?)
未だピクリとも動かない少年を抱え、灯りを目指して速度を上げる。
玄関先に付くと、つま先で蹴るように戸を叩きながらノエルは必死に頭を巡らせた。
もし自分が人攫いから少年を救い出したことを知られたら?
大の男を五歳の子供が倒し少年を救出するなど異常でしかない。
この事を切っ掛けに自分が転生者だとバレる可能性がある。
しかし今この手の中でぐったりとして意識を失っている少年をそのままには出来ない。
考えながらもどうにもならない事態に、遂にノエルは考えるのをやめた。
(無理っ! 俺にはそんな器用な立ち回りは無理無理っ! よし、余計なことは喋らない。それでいこう)
やがてドアが開くと、そこにはやけに姿勢の良い白髪交じりの黒髪の老婆が顔を覗かせた。
「何だい、あんたは? どこの子だい?」
怪訝な顔でそう言った老婆は、ノエルが抱える少年を見ると慌てたように扉を開く。
「ちょっと、その子ぐったりしているじゃないか。一体全体何があったって言うんだい?」
「んっこれユーリ、公園で倒れてた」
そう言って少年を老婆に差し出すと、
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちな! あんたどこへ行くきだい?」
「ん~っ、帰る?」
苦し紛れの言い訳にその場が静まり返る。
「…………」
「…………」
(やっぱ、無理ですよねぇ……)
「あんた名前は?」
「んっ、ノエル」
「そうかい、ノエルかい。それじゃぁノエル、家に付いたら誰か大人の人をここに連れてきてくれるかい?」
「わかった」
言うだけ言うと老婆はとっとと扉を閉めてしまった。
(あれ? 色々と聞かれると思ったのに拍子抜けだな……。まぁ、好都合だしいっか)
そう首を傾げながら来た道を公園へ向かい走り出す。
先程の男達が目を覚ます前に急いで戻らなくてはならない。
今のノエルにとってマイケルの行方を探す唯一の手がかりなのだから……。
煉瓦造りの家の中、少年を抱えた老婆は少しだけ寂しげな顔で呟いた。
「これも、運命なのかねぇ……」
◇――――――――――◇
「参ったな、思ったよりも時間を食っちまったぞ、逃げて無いだろうな?」
大急ぎで公園へ戻ると二人の人攫いは、未だ白目をむいて気絶している。
ノエルは男達のブーツから靴紐を外し手足を縛り上げると、今度は腰からベルトを抜き取る。
両手足を縛り付けられた男達を、背中合わせに座らせるとベルトを使って固定し、最後の仕上げに頭の上から麻袋を被せた。
「ふぅ……。さて、始めるか」
――パーン、パーン
袋越しに男の頬の辺りを平手打ちにする。
「んあっ、なっなんだ? 何も見えねぇ。ぐっ、動けねぇっ?! どうなってやがる」
目を覚まし慌てふためく男の顔面に、容赦なく
――ドゴッ
「ぐはっ。なっ、なにしやが「黙れ、殺すぞ?」っ!」
男はピクリと身体を振るわせると口を閉じる。
ノエルはそんな男をしばらくの間じっと観察していた。
――言葉は少なく・痛みは熾烈に――
それは相手に自分を冷血かつ残忍な者だと印象づけるために考えた芝居であり、今のノエルに成し得る精一杯の作戦だった。
暫く観察を続けていると、男はモゾモゾと後ろ手に縛られた手を動かし始める。
「いくら探してもナイフは見つからないぞ?」
そう言ったノエルの手には、刃渡り15cm程のナイフが握られていた。
「くそっ、お前は一体誰な――ぐぁっ」
悪態を付く男の顔面に、またも”無言で”拳を叩き込む。
――ドゴッ!
「まっ!や、やめ――」
――ドゴッ!
「わかった、わかったか――」
幾度となく繰り返していると、男は遂に完全に口を閉ざしてしまう。
その後もジッと無言のまま、ノエルは男を観察し続ける。
沈黙……。その沈黙が、男に恐怖を与える……、筈だ……。
これは以前見たスパイ映画で、捕らわれた主人公が受けた拷問を思い出し、ほぼそのまま真似たものだ。
”ほぼ”と言うのは、映画の中で拷問を受ける主人公は、目の前の男のように目隠しをされていなかったからだ。
目隠しをしたのは、より恐怖心を呷る為……、ではない。
ノエルは暴力を振るう際の自分の顔を見られたく無かったのだ。
映画の中の拷問は、痛みに顔を歪める主人公の目を、悪役がニヤニヤとのぞき込むシーンがある。
しかしそんな悪役然とした態度を自分が取れるかと考えた結果、まず無理であろうと判断に至ったためだ。
相手の顔を殴りつけた際、恐らく自分は殴られた相手と同じ様に顔を歪めてしまうだろう。
それこそ相手の痛みを想像して……。
ノエルは凡人だった。
運動も勉強も中の中であり、人付き合いに関しても凡そ自分の意見など言わず、他人に会わせてばかりいた。
そんなノエルが、今まさに暴力の真っ只中にいるのだ。
しかし、無理だと投げ出すわけにはいかない。
それだけは絶対にしてはならない。
もしノエルがここで投げ出せば、二度とマイケルは帰ってこないだろう……。
沈黙が続く……。
ノエルはただ黙して待っている。
男が動くのを、喋り出すのを待っている。
自らの顔を歪めながら、その拳を男の顔に叩きつけるために。
「な、なぁ話あお――」
――ドゴッ!
「ま、待ってく――」
――ドゴッ!
「やめっ――」
――ドゴッ!
身体強化を施しても尚、拳には男の熱が伝わってくる。
そしてその熱こそがノエルに暴力の痛みを伝えてくるのだ。
(この手の荒事は覚悟していたつもりだったんだけどな……)
「随分と大人しくなったな、褒美にナイフを返してやろう」
ゆっくりと足音をたてて近づく、ピクリと一瞬震えるが口を閉ざしたままの男の太股に、逆手に持ったナイフを突き刺す。
「っ!痛ってぇぇ、やめろっ、やめてく――ぐぁ」
「まったく、少し褒めるとこれだ……。ナイフは没収だな」
大袈裟に呆れた態度で告げると、太股に突き刺さっているナイフを一気に引き抜く。
「あぁぁぁっ。ぼっぼうやめでぐれぇ……。なんでもするがらぁあぁ――」
――ドゴッ!
泣きながら懇願する男の顔面に、またしても情け容赦のない拳を叩き込む。
「黙れと言ったはずだ! まったく仕方のない奴だ」
鼻を
(何でコイツは泣いてるんだ? あれだけの事をしておいて泣けば許されるとでも思っているのか?)
「おいっお前、攫った子供をどこに隠した?」
爆発しそうな怒りを抑え、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「しゃ、喋ってもいいのか?」
「あぁ、だが聞かれた事だけを答えろ。お前と世間話をする気はない」
「っ! に、西だ! 西の外れにある、倉庫に捉えてある」
目の前にいるこの男のせいで、マイケルは今まさにこの瞬間にも倉庫の中で一人、恐怖に震えているのだろうか?
ナイフを握る右手に力が入る。怒りのままにこの男の心臓に突き立ててやりたいと、沸き上がる怒りの衝動を抑えこむ。
「仲間は何人いる?」
「見張りが二人だけだ」
「魔法を使える奴はいるのか?」
「いない……。そもそも、魔法なんて物を使え――ぐぁ」
――ドゴッ!
「世間話をする気はないと、言ったはずだ !」
「…………」
「攫った子供達をどうするつもりだった?」
「……売る」
「買い手は誰だ?」
「風の日の夜明け前に、行商人を装ったゲイルと言う名の男が受け取りに来る」
「今まで何人の子供を売り飛ばした?」
「……15人」
そう言い終わった瞬間、身体強化を施したノエルのつま先が男の鳩尾に突き刺さる。
それは演技ではなく、衝動的に振るった只の暴力だった。
「オッオエェェェェ」
盛大に麻袋の中をゲロまみれにして、一緒に縛り付けられた男と共に横倒しに倒れると、気絶したのか男はピクリとも動かなくなっていた。
「ゲスがっ……」
結果としてこの拷問の演技が、ノエルから暴力への忌諱感を薄れさせていた。
◇―――――――――◇
「ふっふっふっふ」
外灯も消えた夜深くノエルは一人、村の東にある公園から西へ向けて走っていた。
(くっそ、本当にここは村なのか?広すぎるだろ……)
先程、村の中央に位置する大きな教会を通り過ぎたことから、西側へ来ていることは間違いないはずだ。
はやる気持ちを抑えノエルは冷静に作戦を練っていく。
(やはりこのまま俺一人で行くのは危険だな。いくら相手が二人とはいえ保険は掛けておくべきだろうな……。とは言え下手に立ち回ると俺が転生者だとばれかねんぞ……)
ノエルは自分が転生者である事実を隠していた。
もしもそんな事がバレでもしたら、間違いなく入らぬ不幸フラグが立つのは目に見えている。
無口で無愛想な子供を演じ続けているのもその為だ。
暫く西の大通りを走っていると、ガチャガチャと金属がこすれる音が聞こえてくる。
とっさに灯りの消えた魔柱の影に身を隠すと、目を細めて音の聞こえた方角を確認する。
(あれは……、騎士か?)
見ると数人の騎士が夜の見回りらしき事をしているのが見えた。
(辺境の村に騎士? う~ん、まぁいいや。どっちにしろ好都合だ、あいつらを動かすことが出来れば……)
このチャンスを逃すまいと、頭をフル回転させながら辺りを見回す。
(これでいいか……。すまん、緊急事態なんで許してくださいっと)
――ベキッ
音を立てて民家の庭を囲う木製の板を剥がすと、腰に差したナイフを取り出した。
(出来た!これでかつるっ!)
そう言って掲げた板には、片言だがノエルがこれまでに得た情報が書き記されていた。
『東の公園 悪い人いる 西の倉庫 子供いる 悪い人 朝くる』
(つ、伝わるかな……)
少々心許ないが、このまま手をこまねいている訳にもいかない。
こっそりと騎士に近づき、祈るような思いを乗せて板を投げつける。
(届け、俺の思い!)
そんなノエルの思いを乗せたメッセージは、勢い良く飛んでいき的確に騎士の後頭部を捉えた。
――ガッシャーン
「えぇぇぇ?!」
けたたましい音を立てて前のめりに倒れた騎士を、前をいく仲間の騎士が助けに戻る。
「おい、どうした、大丈夫か? しっかりしろ、おい」
倒れた仲間の頭を抱え必死に声を掛ける様子を見て、慌てて魔柱の影に隠れると両手を合わせて心の中で謝罪する。
(すまん、思いが強すぎた……)
こっそりと騎士に向けて一礼すると、ノエルは再び西に向けて走りだす。
後3時間もすれば夜が明けてしまう、そうなれば本当に取り返しの付かない事になる。
――何故なら今日は風の日なのだから――
何度も身体強化を掛け直しようやく西の外れにたどり着くと、
そこには大きな木造の倉庫らしき建物が見えてくる。
しかし、ようやくたどり着いた倉庫の前で愕然として立ち尽くす。
「多過ぎだろ……」
そこは、見渡す限り一面に大きな倉庫が建ち並ぶ、巨大な倉庫街だった。
「こんなの村じゃなくて街だろ! くそっ、この中からどうやって探せってんだ?」
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉ!」
(やってやる! なにが何でも探し出してやるからな!)
ノエルは走り出す、残り時間は2時間少々とにかくしらみつぶしに見て回る。
木造とはいえ倉庫のドアは分厚く鍵が掛かっており、一階部分には窓すら付いていなかった。
そこで何とか屋根の上に上ると、通気工と思しき2階部分の小窓を覗いて回る。
額からは滝のように汗が流れ、息も絶え絶えになった頃、遂に遙か東の水平線白みがかってくるのが見えた。
『時間切れ』そんな最悪の展開が頭をよぎり足が止まりそうになる。
「ハァハァ、ハァハァ……。まだだ、まだ間に合う……」
弱気になりかける自身を一喝し次の倉庫へ屋根から屋根へ飛び移ろうとしたその時――倉庫街を走る一代の幌馬車が目に映った。
「っ! まさか、あれか?」
倉庫の屋根から壁伝いに降りると、祈るような思いで先を走る幌馬車へと近づいていく。
こっそりと馬車の荷台に飛びつくと、そっと荷台に掛かった幕を開ける。
「当たりだな……」
開いた幕の内側には、誰もいない鋼鉄の檻が隠されていた。
荷台の中に忍び込むと、当たりを物色する。
馬車の中には五つの麻袋が積んであり、そのどれもが食材しか入っておらず、武器になりそうな物は唯一荷物を押さえるのに使われていた角材ぐらいだった。
(角材……またか……。RPGの初期装備かよ)
手にした角材を見て肩を落とすが、丸腰よりはましであろう。
額に浮き出た汗を拭い「よしっ」と小さく気合いを入れ、荷台の入り口にしゃがみ込むと、来るべきその瞬間を待ちかまえる。
上がった息を整えて体内魔力を練り直すと、目を閉じて右手に握った角材をギュっと握りしめた。
(待ってろよマイケル、必ず助けてやるからな!)
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