92話:草原の約束――その2

 くらくらと混濁する意識の中、楽しげにはしゃぐ子供の声と、クスクスと言う笑い声が耳に届く。


――何があった?


「ぐっ……」


 重い瞼をこじ開けて、ふらつく頭をなんとか擡げる。

 状況が分からない。皆は無事だろうか?


「あっ、戦士長! 気が付きましたか?」


「シスルか……状況を説明してくれ、いったい何があった?」


 シスルの話をまとめると、心優しい魔女が助けてくれたらしい。

 色々と端折り過ぎて訳が分からない。尋ねる相手を間違えたか……。


「お前に聞いた俺が馬鹿だった。エイダを呼んでくれ……」


「ひどっ! せっかく具合の悪そうな戦士長の為を思って簡潔に説明したのに」


「端折り過ぎだ馬鹿! いいからとっとと呼んで来い」


 未だ鈍痛の治まらない頭を押さえ、シスルを追い払う。


 それにしても自分は何故気を失ったのだろうか?

 目に見えない何かに頭をブン殴られたような感覚だけは覚えている。

 意識を失う直前に現れた女。確かにただ者ではなかった。

 しかしあの瞬間、女は動いてすらいなかった。

 と、するならば……。


「くそっ、伏兵がいたのか……」


「失礼ね、私がそんな卑怯な真似をするわけないじゃない」


「――っ! 貴様っ、何故ここにいる?」


 不意にかけられた言葉に振り向くと、当の魔女が佇んでいた。


(まただ、こいつは幽霊か何かか?)


 セバールは慌てて立ち上がろうとするも、足をもつれさせ尻餅をつく。

 やはり頭を酷く打ったらしい。だが、そうも言っていられない。


――この女は危険だ……。


 なけなしの力を振り絞るように、なんとか立ち上がろうと試みる。

 ガタガタと震える膝を抑えて頭を擡げる。


「駄目よ、まだ暫くは休んでなさい」


 女は立ち上がり掛けたセバールをチョンッと小突く。

 たったそれだけでセバールはまたも尻餅をついてしまう。

 限界などとうに過ぎていてのだ。

 今のセバールにあるのは、仲間を守るという義務感と戦士長としての誇り。

 そして、その目に宿る戦意のみであった。


 気持ちだけではどうにもならない。

 いま目の前にいる相手は、そういう者だった。


――最早ここまでか……。


 セバールは己が死を覚悟する。友の元へ行くだけだ。


『ユグドラシルで合おう』


 脱出間際、友の放った言葉が頭を過ぎる。


――あぁ、いま行くよ……。


 目を閉じ、歯を食いしばったセバール。

 と、魔女の盛大な溜息が響く。


「はぁ……、なに勝手に死を受け入れてんのよ、馬鹿ね。ちょっとシスル! 貴方ちゃんと説明したんでしょうね?」


「あーいや、すんません! 短くまとめたら伝わりませんでした!」


「お馬鹿!」


 下げた頭に拳骨を貰い、シスルは涙目でうずくまる。

 その様子を、セバールは呆気にとられた様に眺めていた。


「大丈夫よ、私は敵じゃないわ。貴方達を傷付けたりはしないし、誰にもそんな事はさせない。だから今は安心して休んでなさい」


 目線を合わせるように腰を落とした魔女は、優しげに声を掛けると被っていた大きなトンガリ帽子を上げた。

 少女だ。声色から女性だとは気付いていたが、まさか少女だとは思いもよらなかった。


 強者の発する暖かな言葉は、時として傷つき疲れ果てた者に安らぎと安心感を与える。


――完敗だ。完膚無きまでに……。


「我々は助かるのか? 皆は死なずにすむのか?」


「えぇ、貴方達は助かったのよ。もう誰も死んだりしないわ」


 助かった。そう認識した瞬間、緊張の糸が切れたのか、セバールは地に身体を投げ出すように寝転んだ。


「そうか……、良かった……」


 言って、今度は自ら意識を手放した。


「頑張ったのね。そんなに成るまで本当に……」


 呟いた魔女の目に涙が滲む。


「言っときますけど、戦士長をボコボコにしたのは魔女のねぇさんですからね?」


 こさえたタンコブをさすりながら、シスルは反射的に突っ込みを入れた。

 そりゃ誰だって突っ込むだろ? とはシスル談。


 

 グルリッ! 憤怒の魔女が振り返る。


――しまった!


 気付くが遅く、シスルは二つ目のタンコブを作る事になった。


「あ痛ぁっ!」





………………。

…………。

……。





 次にセバールが目を覚ましたのは、シスルの背におぶさっている時だった。

 見ると先頭を行く魔女に付き従うように列を成し、仲間と共に何処かへと向かっている途中のようだ。


「シスル、すまんな面倒を掛けた」


「駄目ですよ、まだ大人しくおぶられていて下さい。戦士長はかなりの大怪我だったんですから」


「は? とはどう言う意味だ?」


 セバールは首を捻る。他に怪我を負った者がいるのだろうか?

 自身が気を失っている間に事が起こった?


「あぁ、最初に戦士長がやられた後、俺とエイダで嬢ちゃんに挑んだんですがね。まぁ結果は散々でしたよ……。化けもんですね、あれは」


「そうだな……」


 セバールはなる程と頷く。確かにあれは勝てる気がしない。

 見たところ17~18歳の少女に見えた。

 それもエルフなどの長命種ではなく、どう見てもヒューマンの。

 何をどうすればあの年であれ程までの力を手にする事が出来るのだろうか?


「で、我々は一体どこに向かっているんだ?」


「この先に嬢ちゃんが作った街があるらしく、そこで俺らを保護してくれるらしいですよ?」


「街を作った? 自分でか?」


「はい、なんでもやっと住人が出来たって喜んでましたから。たぶん言葉どおりなんじゃないですかね?」

 

「ないですかねってお前、他に何を聞いた? 今度は端折らずに全部説明しろ」


「はいっ!」


 少々怒気の籠もったセバールの声に、シャンと背筋を伸ばすシスル。

 ここでふざけたら三つ目のたんこぶが増えそうだ。

 笑いを取りに行くのは今度にしよう。


 シスル曰く。

 最初にセバールが気を失った後、慌てたシスルとエイダが少女に挑みかかる。

 が、まるで大人が子供の手を捻るかの様に叩き伏せられたとの事。

 セバール、シスル、エイダと言えば、戦士の中でも最強と言われる三人だ。

 それが目の前で続けざまに軽く捻られたのだ。

 それはさぞかし絶望的な光景だった事だろう。


 空腹と疲労の中で、もはや全員が死を覚悟した。

 そんな時、予想外にも彼女は皆に救いの手を差し伸べる。

 まさに地獄の底に吊り下げられた一本の糸。

 どうせこのまま死ぬぐらいならばと、その手に縋ってしまうのも仕方がない。

 おそらくは考える余裕も警戒する余力も無かったのだろう。


 ここまでは良い。未だ警戒は必要だが一応の筋は通っている。

 だが街を作った? なんだそれは……、馬鹿にしているのか?


 セバールはシスルの背に揺られながら、皆を導くように先頭を行く少女を、訝しげに見つめていた。


 二時間ほどだろうか、途中に休みなど一切挟まずの、相変わらずの強行軍で進み続ける。

 降りしきる豪雨が大地へと降り注ぎ、叩き付けられた雨水が跳ね上がるように微かな水柱があがる。

 そのせいか、いつの間にやら辺りは深い霧に包まれていた。


「あれよ! もう少しよ、皆ガンバって」


 霧の中、不安げに怯える人々を、少女の声が引っ張り上げる。


 確かに、霧の向こうになにやら黒い影が見えた。

 それはやがて近付くにつれ、うっすらとその姿が浮かび上がってくる。

 塀……、だろうか? 樹皮すら剥がされていないぶつ切りの丸太を地に差し込み、その間を土壁で塞ぐように作られている。

 酷く雑な作りだ。しかしながらそれはとても人ひとりが、成し得たとは思えぬほどに長く街を囲う塀の様に続いている。


――本当に街があるのか?


 俄には信じがたい光景に、セバールは目を見開いた。


「希望の街へようこそ! 歓迎するわ」


 いつの間にか少女が並ぶように佇んでいた。

 自らが作ったと豪語する自慢の街を眺め、誇らしげに笑っている。

 大きい……。身形ではなく、その存在が。

 セバールは少女から目が離せなくなっていた。


「君は何故、我々にここまでしてくれるんだ?」


「うーん……恩返しかな?」

 

「我々と君とは初対面だと思うんだが……」


「あー、違うちがう。私はね、昔ある人に命を救われたの。でも訳あってその人とはもう会えない。だから代わりに貴方達を助けるの。私の言ってる事、分かる?」


「すまないが私には君の言っている事がよく分からない」


「うーん、何て言ったら良いのかなあ。私が貴方達を助ける事が出来たら、あなた達の心の中には誰かに優しくなれる何かが生まれるかもしれない。そうしたらそれが巡り巡ってあの人の元へ届くかもしれないわ。それってとても素敵な事でしょ?」


「そうだな……」


 被っていたトンガリ帽子を脱ぐと、少女はセバールへと右手を差し出した。


「私の名はリリー。よろしくね、住人第一号さん」


 これが後に主と仰ぐ事となる少女との邂逅だった。

 

 

 

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