93話:ダンジョンの子、リリー
懐かしむように遠い目をしたセバールを見て溜息を付く。
事の始まりを聞いただけでも分かる。
随分と壮大で、長い話になりそうだ。
このまま最後まで話を聞いてもいいが、おそらく途中で寝てしまう気がする。
今日はなにぶん多忙な一日だった。
色々な事があり過ぎて思わず忘れてしまいがちだが、今のノエルは子供なのだ。
体力には限界がある。
それこそ必要に迫られれば無理だってするが、今がその時とは思えない。
そうそうに終わらせるか、出来れば後日にして欲しいところ。
「爺さん、その話長くなるか?」
突然、水を差されセバールはキョトンとした顔を向けた。
「なんじゃ? 何か差し迫った予定でもあるのかのう」
悲しげな表情。憂いを帯びた瞳がウルウルとひかり、口許を固く結ぶ。
まるで捨て犬が道行く人に媚びるかのように。
ただし老犬だ。それも厳つい顔をした闘犬である。
これがチワワならまだ分かるが、セバールが今さらか弱い老人を演出したところで、感じ入るところは何もない。
寧ろうっとおしい。こっち見んな。
「いや、そうじゃないんだが、今日は一日色々あってね。流石がに少し疲れてるんだ。続きは明日にしてくれないか?」
「ぬっ……。まぁいいじゃろう」
「助かるよ、で……だ。我が儘ついでに一つ頼みがあるんだが、良いか?」
「なんじゃ言うてみ」
「うん、暫くここに泊めてもらえないかな?」
やや不安げな面持ちをしていたセバールの顔が色味を帯びる。
その背後からは「おおぉ」と言った歓喜の声まで聞こえてきた。
何故か盛大に歓迎されている。ノエルの方が不安になるほどだ。
先程の昔話を途中で遮ったため、どう言う理由かは分からないが、敵意を向けられている訳ではないし危険はないだろう。
今は兎にも角にも休みたい。身の危険でもない限り、全部まるっと後回しだ。
「良いぞ。なんならここに住むか? お主なら大歓迎じゃぞ」
「ありがとう、助かるよ。ても、永住は止めとくよ」
「そうか、それは残念じゃ……」
正直なところ、ノエルは少しばかり気味の悪さを感じていた。
この熱烈な歓迎具合もそうだが、セバールの背後にいるダークエルフの中には、祈るように両手を合わせ、じっと見つめる視線がチラホラと見受けられた為だ。
セバールの見せた懐かしむような視線とは違う。
どちらかと言えば縋るような視線。
妙な事にならなければ良いが……。
「ふむ、後ろの者達を紹介したかったんじゃが、いたしかたあるまい。それも含めて明日にしようかの。リリー、案内してもらえるかの?」
「はい、長老様」
セバールに言われて立ち上がったのは、腰丈ほどのサラリとした美しい銀髪に潤みを含んだ紫瞳、肌は褐色よりやや薄い
他のダーク・エルフ達と同様に鼻筋の通った美しい顔立ちをしており、鈴を鳴らしたような良く通る声色の持ち主。
中でもその紫瞳は見たところ少女以外には見あたらず、その浮き世離れした存在感をひときわ際立たせていた。
「リリーってあの主様って人と同じ名前?」
ふと疑問に思う。先程の物言いでは、まるで故人を懐かしむかのようだった。
何より種族が違うだろう。もしかして担がれたのか?
「爺さんの主ってヒューマンじゃなかったのか?」
不思議に首を捻るノエルを見て、セバールが掌をポンと叩く。
「おぉ、そうじゃった。説明しとった方がええかの。この子は儂らがダンジョンに籠もるようになってから、初めて生まれた子供なんじゃよ。じゃからこの子は儂ら全員の希望と言う意味を込めて、先代様のお名前を頂いたと言うわけじゃ」
「あぁ、なるほど。そりゃヒューマンがそんなに長生きするわけないか」
リリーは半歩下がると、さっと頭を下げる。
綺麗な所作だ。貴族向けの礼儀作法でも学んだのだろうか?
「すまんのう、この子はちと無口でのう。根はいい子なんじゃ、仲良くしてやってくれると有り難い」
「あぁ、此方こそよろしくお願いします」
リリーは微かに微笑むと、赤らめた顔を伏せる。
人見知りなのだろうか。
なにしろダンジョンの中で生まれ育ったのだ、外から来たノエルとの接し方が分からなくても無理はない。
ここは大人しくしておいた方が無難だろう。
「こちらです、どうぞ」
か細いながら、良く通る声に促され、後に続くようにその場を後にする。
横目に見た他のダーク・エルフ達に軽く会釈をする。
何か言いたげな表情を見せる者もいたが、愛想笑いでやり過ごす。
このまま会話を続けていたら、何かしらの取引を持ちかけられる気がしたのだ。
疲労が溜まり、思考の鈍った状態では不味いだろう。
申し訳ないがどれもこれも明日以降にして貰おう。
案内されながら周囲を観察すると、どこもかしこも似たような景色が続くだけ。
壁も床も天井も、全てが灰一色。
こんな場所で数十年、数百年と暮らしていくのは相当キツいだろう。
何よりもまず、精神的に参ってしまいそうだ。
着ている衣服にしたって、魔獣の革を使ったかんぬきのようなもの。
女性は腰巻きこそ巻いているものの、男は、何というか……動くと見えそうで困る。
気にならないのだろうか?
その後、階段を下りて地下三階の大きな扉の前に着く。
開いた扉の先には今までよりもかなり広い部屋にでる。
そこは上で見にした村同様、簡素な丸太小屋が建ち並んでいた。
――本当にここで暮らしてるんだな……。
失礼だとは思いつつも、ついつい辺りを観察してしまう。
水や食料はどうしているのだろうか?
そもそもこの丸太はどこから手に入れて来たのだろう。
考え出せばキリがない。本当に不思議な空間だった。
村のはずれに在るこじんまりとした丸太小屋。
窓すらない一見すると物置と見間違うほどの作り。
そこまで案内されて漸くリリーは口を開いた。
本当に無口な女性だ。
「主様をお招きするには些か心苦しいのですがなにぶん、その……急でしたので……」
耳元まで赤らめながらモジモジと身体をクネらせている。
このリリーと言う女性、見た目には少女と見紛う姿だが、おそらくノエルの前世を足したよりも遥かに年上だろう。
ただ、それにしては随分と子供っぽく見える。
黙っている時は、その凛とした佇まいと見目麗しい容姿が相まって、端麗としたものだったのだが。
産まれてからこの方ダンジョンの外を知らないのだから、文字通りの世間知らずと言うところか。
「いえ、お気になさらないで下さい。突然押し掛けたのはこちらですし、私は主と呼ばれるような人間ではありませんので」
「――っ! こ、これは失礼いたしました。私ったら、つい先走ってしまって……」
「いやいや、本当に気にしないで下さい。所で中に入っても?」
「あっ、はい、ただいま扉をお開けいたします。あ痛っ! すっすいません……」
言われて慌てたように振り向いたものだから、リリーは扉に頭をぶつけてしまう。
よほど恥ずかしくなったのか、先程にもまして赤みが増していく。
茹で蛸の様とはこのことだ。
それでもリリーは、気にしていない素振りでガタガタと扉を揺らし始めた。
「え?」
見るとリリーは、扉をまんま引っこ抜いていた。
まさかはめ込み式の扉とは……。
これは完全に倉庫だな。
扉を抱えたままあたふたしているリリーの脇を通り、小屋の中へと足を踏み入れる。
そこは何の変哲もない六畳ほどの広さの部屋だった。
元々使われていなかったのか荷物はおろか、家具さえ置かれていない閑散とした部屋。
寝るぶんには何の問題も無い。部屋があるだけ上等と言うものだ。
何しろ当初は野宿の予定だったのだから。
「ありがとうございました。それではお先に休ませて頂きますね?」
「あ、はーい。ただいま扉をお閉めいたします」
ガタガタと扉を付け直すと、スーっとスライドさせて扉を開ける。
何故か涙目のリリーは、何度も頭を下げながら扉を閉めると、ドタバタと足音を立てながら、慌てたように走り去っていった。
その様子から、彼女の心中を察する。
スライド式の扉を間違えて引っこ抜いたのだ。
さぞかし気まずい思いだっただろう。
案内された部屋の中、先程のリリーを思いだし、ノエルは久し振りにお腹を抱えて笑い転げた。
どうやらダンジョン産まれの希望の子は、ド天然らしい。
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