94話:ダンジョン 1日目――その1

 ダンジョン五階層にある最後の扉。これより先は、魔物がひしめき合う危険な世界となる。

 ノエルは今、その大きな扉の前に立っていた。


 今朝、セバール宅で朝食のご相伴に預かった時の事。

 三日ほどダンジョン内に滞在する許可を取り付け、更には地下六階以降の立ち入り許可を貰ったのだ。

 せっかく階層型ダンジョンにいるのに、指を咥えて見ていれるだけなんてあり得ない。


 そもそも殆どのダンジョンは国の管理下に置かれているものが多く、一般人が立ち入りを許される事は滅多にない。

 ダンジョン内で取れる資源は貴重な物が多く、ましてや魔導書を好き勝手に持ち出されては国防に関わる。

 となれば国が管理下に治めるのも頷ける。


 だからこそ、ノエルはこのチャンスを逃したくなかった。

 魔導書の売買が許可制になっているリーリア王国内で、今現在、自身が所持している以上の魔法を手に入れる事が出来る絶好の機会。

 これを逃す手はないだろう。


 それにダンジョンでの冒険は、ノエルが叶えたいと思っていた目標の一つでもある。

 異世界ファンタジーと言えばダンジョンだ。

 ライトノベルのファンだったノエルが燃え無いわけがない。


 その為に手持ちの酒すべてをセバールへ進呈したのだ。

 楽しまなくては損である。


 先程からニヤニヤと顔を綻ばせていたノエルは、気持ちを落ち着ける様に深く深呼吸をした。

 気持ちが高ぶるのは致し方ないが、浮つくのはまずい。


「ふぅ……。それでは行ってきます」


「本当にお一人で行かれるのですか?」


「はい、今日はさわり程度で引き上げて来るつもりなので、とくに問題は無いと思いますよ」


「ですが……」


「大丈夫です。ダンジョンについては以前から散々調べてきましたし、こう見えて、そこそこは戦闘経験もありますから」


「そう……ですか……」


 案内役の無口な天然少女こと、リリーが心配そうに呟く。

 リリーからすれば年端もいかない小さな子供が、たった一人でダンジョンに挑むなど自殺行為としか思えない。

 しかし付いて来るなど言われれば従うしかない。

 リリーにとっては、神子みこであるノエルの言葉は絶対だった。

 ダーク・エルフ達を導く存在。長老たるセバールから、幼き頃より言い聞かされていた一族の恩人、リリーの物語。


 その名を受け継いだからだろうか、彼女はいつしか神子と言う存在に憧れを抱くようになっていた。

 セバールから神子が現れたと聞かされた時も、リリーは一も二もなく自分を世話係にするよう願い出た。


 魔法の腕には自信があった。ダンジョンの探索経験も十分にある。

 それなのにノエルは自分に付いて来るなと言う。歯がゆい。

 どうすれば信頼を勝ち取れるのだろうか?

 どうすれば共に在ることを許して貰えるのだろうか?


 思い出すのは昨晩の失態。緊張のあまり舞い上がったリリーは開けるべき扉を引っこ抜いてしまった。

 ノエルは見て見ぬ振りをしてくれていたが、きっと呆れていたに違いない。

 恥ずかしさのあまり、顔を伏せ、肩を振るわせる。

 このままでは自分の所為で一族すべてが見捨てられてしまうかもしれない。

 何とかして取り返さなくては。


 扉を開き、六階層へと降りていくノエルの背中を見送りながら、リリーは固く決意した。


――もう二度と失敗は繰り返さないと。


 しかし、その決意は僅か三秒で砕け散る事となる。

 ノエルが去った後、心ここに在らずで突っ立ていたリリー。

 そんな彼女の鼻面を閉まる扉が襲いかかった。


「あ痛ぁ!」


 彼女の天然はちょとやそっとでは治らないらしい。




………………。

…………。

……。

 



 ダンジョン内は、相も変わらず灰一色の空間が続いている。

 リリーの説明によると、十回層まではゴブリンしか出ないらしい。

 以前ゴブリンと戦ったとき、ノエルは魔法を覚えていなかった。

 だが今は違う。よほど油断でもしない限り問題はないだろう。


 十回層まではそうそうに攻略して、出来れば今日中にその先へと進みたい。

 と言うのも、どうやら魔導書の入った宝箱が出現するのは、どんなに浅くても十一階層かららしいのだ。


 三日後にはダンジョンから出て行くことになるノエルとしては、せめて一冊ぐらいは手に入れて帰りたいところ。


 足音を立てぬように慎重に進みながら、辺りの気配を探っていく。

 六階層に降りて三十分ほど経っているが、未だに目視はおろか気配すら感じない。

 この層は魔物の数も比較的少ないのかもしれない。


 やがて一つ目の曲がり角へ差し掛かった頃、ノエルは手にしていた矢を矢筒へと戻した。

 周囲を警戒しながら、身を隠す事も出来る。色々と為すならもってこいの場所だ。


 ここに来るまでの間、ノエルはせっかく手に入れた火属性を試してすらいなかった。

 ぶっつけ本番ではあまりにも心許ない。

 敵に遭遇する前に最低限、どのような事が出来るのか知っておきたいところ。

 

 ノエルは周囲を気にしながらも、待機魔力を火属性に変換していく。

 攻撃魔法と言えば真っ先に思い描くのは火のファイヤーボールだろう。

 ただ、この火球、実際に目の当たりにすると、かなり想像と違ったのになる。

 とくにノエルのような転生者は必ず一度は惑うはずだ。


 火と言うものは質量を殆どもたない。と、言うことはだ。

 対象に命中しても、そのまま撫でるように通り過ぎてしまう。


 これがノエルの持つ火球に対する一般的なイメージだった。

 しかし以前アルル村で襲われた際、ザンバの放った火球は、着弾と同時に対象を炎が包み込むように燃え上がらせていた。

 この現象は、魔法により作り出した炎は、所謂物理的な現象で言う所の炎とは違うのでは無いだろうか?


 おそらくこの考え方は正しいと思う。

 しかしそれをイメージし、魔力を用いて魔法で作り出そうとすると、途端に足踏みしてしまう。

 頭では理解していても前世の記憶が邪魔をしてしまうのだ。


 純粋な子供のようにコレはこう言うもの、と割り切ることがどうしても出来なかった。

 そこで、指向を変えて理屈を付けることにした。

 といっても屁理屈・・・でしかないが、問題は無いだろう。


 端的に言えば、想像するのは炎そのものではなく、溶岩である。

 炎が対象にまとわりつく様なイメージが出来なくても、溶岩に置き換えれば簡単に想像ができる。

 見たこともない不思議な炎を作り出すより、溶岩の方が現実的に思えた。


――よし、いける!


 自分の中での理屈は作り出す事が出来た。

 後は、より想像し易いように手順を洗い出す。


――まず溶岩とは何か。

 

 それは地下にある岩石が溶け出したものを指す。

 成分は……、より粘りけがあるものがいい。


 デイサイト……、いや流紋岩が良い。

 

 温度は凡そ700℃。高熱に燃え上がった表面は白く、くぐもったようにぼんやりと光っている。

 その成分は酸性が強く、二酸化珪素が多い。


 イメージが固まる毎に徐々に掌の上に熱が集まる。

 と、それはやがて白く陽炎のように燃え上がる火球へと姿を変えた。

 大きさはバスケットボールほど。

 しかし、とてつもない熱量を放っている。


「よし!」

 

 出来た火球に満足げに頷くと、

 掌の上でふよふよと浮かぶ白い火球を遠投でもするかのように振りかぶり、壁に向かって投げつけた。


 それは重力による自由落下を無視し、真っ直ぐに飛んで壁にベトリとこびり付く。

 些か不思議な挙動で飛んでいったが、恐らく形の割りに質量が殆ど無いためだろう。

 つまり重力の影響を受けずに飛んだと言うこと。

 となれば、遣り方によっては飛距離もかなり伸びそうだ。


「魔法すげえぇぇ!」


 壁にこびり付いた火球が燃えながらズルズルと床に垂れていく様を見て、ノエルは思わず腰が引ける。


 改めて魔法の怖さを思い知った。

 あんな物をまともに喰らえばひとたまりもないだろう。


「よし、もう一つ別のバージョンも試してみるか。やべぇな、楽しくなってきたぞ」


 

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