二章:死霊の森
28話:緑の家
ダンジョンランクB:死霊の森
アルル村の東から南にかけて三日月状に広がるこの森は、凡そ8万km²にも及ぶ広大な面積を誇る。
立ち並ぶ木々はその殆どが緑葉樹であり、月の光はもちろんの事、日の光すら遮るほどに
また、土は湿り気が強く、背の低い草や藻が
◇――――――◇
度重なる命のやり取りに精神的、肉体的疲労を余儀なくされたノエルから、魔の森は集中力すらも奪っていく。
それでも歩みを止める訳にはいかない。
もしかすると、直ぐ後ろにまで追っ手が迫っているかもしれないのだ。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
一人、真っ暗な森の中を歩くノエルの頭の中には、ケイジの言葉が何度も繰り返し木霊する。
『
何故こんな事になってしまったのか……。
考え得る限り最悪の展開だ。
ケイジの物言いでは、300年おきに複数の転生者が生まれるらしい。
同じ世界からなのか、はたまた別の世界なのか、時代は? 国は?
今のノエルには知る由も無いが、考えずにはいられなかった。
「くそ、何でこんな目に……」
息が上がり、重い足を休めるように立木を支えに立ち止まると、来た道を振り返る。
何もない。そこにはただ、真っ暗な闇が広がっているだけ。
聞こえてくるのは風で
――おかしい……。
まるでこの森には、生命は自分しか居ないのではないかとすら思えてしまう。
不意に何やら怖くなり、視線を進むべき東へと向けが、そこに広がるのもまた、真っ暗な闇であった。
疲弊した身体を引きずる様に歩みを進める。
もう少し、もう少しだけ頑張ったら休もう……。
そう、自身を励ましながら重い足を前へと蹴り出す。
月の光も疎らな森の中を歩きながら、何度も来た道を振り返る。
先程から纏わり付くような視線を感じる。
それは、おどろおどろしい殺意のような何かだ。
しかし、気配は感じない、それがより恐怖を掻き立てるように後を追って来ている。
「くそ、何なんだこの森は……。魔物すら居ないじゃないか……」
何処かで休まなければ体が保たない……。
ここは、ダンジョンランク・B死霊の森。いつ魔物が襲ってきてもおかしくはない……筈だ。
顔色は真っ青で唇は紫色に染まり、おまけに先程からやけに肌寒く感じる。
このままでは不味い、自分の体調は自分自身がよく分かっている。
泥濘んだ地面に邪魔されながらも、休める場所を探して東へと分け入っていく。
「ん? 何だあれは……丸太小屋? 何でこんな所に……」
凡そ生命の気配すら感じさせない、夜の深い森の中、有るはずのない丸太小屋が、確かにそこに存在していた。
所々が腐り落ち、原型を留めているのが不思議な程に苔蒸した、緑色の丸太小屋だった。
「嫌な予感しかしないが……他に宛もないしな……」
言い訳をするように口にするが、一向に足が進まない。
この時、ノエルは何やら薄ら寒い物を感じていた。
この世の物ではない、何か得体の知れないものを……。
「ここはファンタジー世界なんだ……、何か出たとしてもそれはモンスターだ、問題ない……」
言い聞かせるように呟くと、一歩、また一歩と足を踏み出していく。
こうしている間にも森はノエルから徐々に体温を奪っていく、どのみち選択肢は無かったのだ、ならば迷っていても時間の無駄であろう。
やがて、丸太小屋の全体像を視界が捉えると、思っていた以上に大きな建物であるのが伺える。
広さにして4LDKのマンションぐらいだろうか。
作りは平屋で、屋根には2つの煙突が見える。
ノエルは玄関へと歩いていくが、丸太で出来た床板がまるで泥濘んだ森の地面のように、腐り柔らかくなっていた。
沈んでいく足下を恐る恐る進めながら、玄関の前に立つとナイフを取り出し右手に握る。
「ふぅ……。大丈夫、ビビるな……」
――ギィ
甲高い不協和音と共に開け放たれた扉の先には外観とは違い、手入れの行き届いた玄関があった。
「何だ? 誰か住んでるのか? ライト――」
呪文を唱え、左の人差し指に光を灯すと、ノエルはゆっくりと室内へと足を踏み入れる。
玄関から入ると、まず一本の長い廊下がノエルを出迎えた。
右手の壁は丸太で出来ているが、左手の壁は煉瓦作りとなっており、まるで後からリフォームでもしたかのように見受けられる。
また、廊下の途中には扉一つ無く、どうにも不自然な作りに思えた。
光球を掲げ先を見ると、廊下の先はL字になっており、突き当たりの壁も丸太で出来ているようだ。
ノエルは行くべき先を見据えると、今度はその場にしゃがみこみ、右手で床を撫でるとその指先を光球で照らす。
「決まりだな……」
見ると、指先には誇り一つ付いていない……。
まず間違いなく、この小屋には誰かが住んでいる。
何者かは分からないが、どう考えてもまともとは思えない。
ノエルは一瞬、このまま立ち去ろうか考えるが、他にいく宛も無く、何とか交渉できないかと頭を捻る。
(もしかして、ケイジ達の隠れ家だったりしないだろうな?)
待機魔力を解放し、身体強化をかけると、ナイフを腰に差し弓を取り出す。
「ライト」
更に、つがえた矢尻の先に光球を灯すと口をひらく。
「夜分遅くにすみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
大声を張り上げるが、返事は返ってこない。
誰も居ないはずがない……、外観は兎も角、室内は明らかに手入れがされているのだから。
もしかしたら、身を潜めて待ち構えているのかもしれない。
そう推測し、弓を構えると周囲に水球を浮かべる。
ゆっくりと足を進めながら、もう一度声をかけるべきか思い悩むが、それは悪手であろうと思いとどまる。
まともとは思えない相手に、まともな対応をするのは危険だろう……。
やがて、廊下の突き当たりに差し掛かると、煉瓦作りの壁を背にして気配を伺う。
(本当に誰も居ないのか?)
どんなに意識を集中しようとも、辺りに魔力の気配は感じない。
「ライト」
インベントリから小石を取り出すと、明かりを灯し廊下の先へと投げ込む。
腰に差したナイフを抜き、刃の腹を鏡のように廊下の先を伺うが、そこにもまた、何もない長い廊下が続いるばかりだった。
「何だ、この家は……。いや、もしかして家じゃないのか?」
ここに来てノエルは気付く、この家には窓が一つも付いていないことに。
前提が間違っていたのかもしれない。
もしかすると、煉瓦作りの建物を覆うように丸太小屋が後から建てられたのだとしたら……。
そこまで考えて首を捻る。
だとしても、いったい誰が何の為にそんな偽装を施したのか、皆目検討もつかない。
ただ、この煉瓦作りの建物の中には、誰にも知られたくない何かがあるのだろう……。
「ここまで来たら、行くしかねーよな……」
ゆっくりと廊下を進み、更に突き当たりの角を曲がると、遂に扉が見えてくる。
煉瓦作りの壁に備え付けられたその扉の前に立つと、弓をしまい腰に差したナイフを抜き取る。
偽装のために建てられた外観から察するに、中はそう広くはない筈だ。
ならば、弓は取り回しが悪く逆に不利になる。
不本意だが、何かあっても接近戦にならざるを得ないだろう。
「ふぅ……。行くぞ!」
――ギィィ
覚悟を決めて扉を開くと、ツンと何かが腐ったような臭いが襲ってくる。
ノエルは思わず眉をしかめて後ずさると、袖口で鼻先を覆い隠した。
「うげっ、何だこの臭いは……」
あまりの臭いに目を細めて、開け放たれた扉の中を伺うと、光球を付与した小石を投げ入れる。
コトンッと音を立て投げ込まれた光球に照らされた室内は、手入れの行き届いた廊下とは対照的に、床も家具も誇りにまみれていた。
「どう言うことだ? 訳がわからん……」
インベントリからタオルを取り出し、マスクのように口元を覆い隠すと頭の後ろで縛り付ける。
更に幾つかの小石を取り出すと、ライトを付与して部屋の
「よし、おじゃましまぁす」
そろりと足を滑り込ませるように部屋の中に足を踏み入れると、まず始めに飛び込んできたのは8人掛けの大きなテーブルだった。
天井にはシャンデリアが吊り下げられ、テーブルの上には食べかけの食器が並んでいる。
大分時間が経っているのか、料理は黒く変色しその原型を留めていなかった。
どうやら先程ノエルを襲った臭いの元は、この腐った料理のようだ。
「最悪だな……。ここで寝るのは流石に嫌だな……」
続くリビングに備え付けられた扉を開くと、小石を投げ込んでいく。
そこには一本の細い廊下があり、左右にはそれぞれ2つ、計4つの扉が見受けられる。
ノエルは廊下を見ると後ろを振り返り首を捻る。足跡がない……。
床は何処も埃を被っており、誰かが足を踏み入れれば足跡が付くはずだ。
しかし、振り返った先にあったのは、ノエルの小さな足跡のみ。
つまりこの部屋には少なくとも床一面に埃が積もる程の長い間、誰も入室していない事を示している。
「結局、誰もいないと……。ならあの廊下は何だったんだ?」
――ギィ、バタンッ
「――ッ!」
ギョッとして振り向くと、開け放たれていたはずの入り口の扉が閉まっている。
――ゴクリッ。
思わず生唾を飲む。
建て付けが悪かったのか、其れとも自然に閉まるような造りになっていたのだろうか?
どちらにしても構造上、風の仕業と言う事は有り得ない。
ノエルは意識を集中し扉の向こうの気配を探るが、それらしい気配は一切感じない。
「マジ勘弁してくれよ……」
身体強化を掛け直し、浮かべていた水球を自身の進行方向へと防御するように配置する。
――ガチャリ
扉を開こうとするが、鍵でも掛かっているのかドアノブが回らない。
「え? 何で?」
ガチャガチャと力ずくでこじ開けようとするが、扉を開くことは出来なかった……。
言い知れぬ恐怖を感じノエルの鼓動は早くなる。
出よう……。これ以上ここにいては危険だ。
ハッキリとした根拠は無いが、ノエルの感が今すぐ逃げろと叫んでいた。
後ずさるように扉から距離を取ると、浮かべていた九つの水球を全て扉に向けて発射する。
――ドドドドドドドッ
辺り一面に埃をまき散らしながら、派手な音を立てて扉を突き破らんと水球が激突するが、等の扉はびくともしていない。
何故だ? 何の変哲もない木製の扉だった筈だ……。
嫌な予感がどんどんと膨れ上がっていく。
「あれをやってみるか……」
ノエルはまたも水球を浮かべると、今度は一つの大きな水球へと変化させ圧縮し始める。
『ウォーター・カッター』ノエルが水魔法を覚えた際に、真っ先に試した魔法である。
ただ残念な事にこの魔法は、射程距離が凡そ3cmと言う実戦にはまるで不向きの欠陥魔法だった。
しかし事この場に至っては、十二分に有効であろう。
少しばかりの時間をかけて圧縮した水球に左手を添えると、扉へと歩き出す。
扉ギリギリへと水球を近づけると、射出口を絞るようにイメージし一気に射出する。
――キュィィィン
甲高い音を立て、扉に一本の筋が入ると、
「よし、いける!」
そう確信した瞬間――
『ギャァァァァァア』
「なっ!」
部屋中にまるで断末魔のような悲鳴が轟く。
それは、腹の奥底まで響き渡り、人の持つ根源的な恐怖その物を呼び起こすかの様な声色だった。
ノエルは瞬時に飛去ると、水球を浮かべ風属性のエンチャントを身に纏う。
その顔は狼狽え、脅えが浮かんでいる。
「嘘だろ……」
その時、ノエルの視線は自身が切り裂いた扉へと向けられていた。
そして……、その扉についた一筋の切断痕からは、赤黒い血のような液体が溢れ出ている……。
ポコポコと血の泡を出しながら流れる液体は、やがて床へとこぼれ落ち、敷かれた絨毯を真っ赤に染めてゆく。
「なんだよ、これ……。何なんだよここは!」
冷静さを失い思わず叫び声を上げたノエルの足下で、ゆらりと影が蠢く。
「チッ」
とっさに横へ飛び、浮かべていた水球を盾にする様に上を見上げると、そこにはユラユラとシャンデリアが揺らめいている。
「マジ……、かよ……」
部屋に入室する際、只のシャンデリアだと思っていた其れは、白く、両端に節のある少しだけ湾曲した物を、まるで子供の工作のように紐で繋ぎ合わせて出来ていた。
――それは、人間の骨で出来ていた――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます