29話:ブギーマンでも出てきたら堪らない

「本物じゃないよな……」


 天井を見上げながら後ずさる。

 人の骨らしき物でできたシャンデリアがユラユラと揺れ、その影がノエルの顔を撫でている。


「きっと動物の骨だ。そうに決まってる……」


 自身に言い聞かすように呟くと、ふと、揺れている影の方に視線が向く。

 そこにはテーブルに上に食器が並び、腐って変色した料理が乗っている。


「くそっ……、最悪だ……」


 眉間にしわを寄せ、思わず視線を逸らす。

 皿に盛りつけられ変色した其れは、明らかに人間の手であった。

 吐き気を我慢しながらも辺りを見回し警戒を強める。

 どうやら自分は、何者かの狩り場に足を踏み入れてしまったようだ。

 ナイフを腰に差して弓を取り出し、矢をつがえる。


「食われてたまるかよ。くそったれが!」


 自身を鼓舞するように吐き捨てると、辺りに漂わせた水球をかき集め圧縮していく。

 最早なりふり構っている場合ではない。

 何としてでも扉をこじ開けなくては……。

 周囲を警戒しながら扉へと近づいていく。

 一歩一歩、足を踏み出す度に絨毯に染み込んだ大量の血が、踏み出した足の圧力でブーツの周りに滲み上がってくる。

 ベチャリベチャリと不快な足音に顔を歪めながら、視線を扉へと向ける。


「なっ! 冗談だろ……。出口が消えてる……」


 圧縮した水球を掲げ扉へと向き直ると、そこには真っ赤な血の滴る煉瓦作りの壁があった。

 未だ血に塗れているその様から、確かに先ほどまで扉があったのは間違いないだろう。

 ノエルはすがるような微かな希望を口にして、恐る恐る近づいて行く。


「有り得ない……。幻覚の類にきまってる」


――キュィィン

 甲高い切り裂き音を立て射出されたウォーター・カッターをゆっくりと横に凪いでいく。

 ――ゴクリ。

 思わず生唾を飲む。


 先程の耳をつんざく様な悲鳴と、血の泡を吹いた扉の光景が脳裏を過ぎる。


 はたしてこの一連の出来事は魔物の仕業なのだろうか?

 いったいどの様な力を使えば、こんな恐ろしい光景を作り出せると言うのか……。


「なっ! 再生してる?」


 見ると確かに切り裂いたはずの壁が、見る見るうちに裂いた傍から再生して行く。

 まるでポーションでも掛けられたかの様に……。


「冗談じゃねーぞ、クソッ……」


 ノエルは諦めずに何度も切り裂いていく。

 再生する速度よりも早く切り裂いてしまえば良いだけの話だ。

 更に周囲に水球を浮かべ、2本のウォーター・カッターを作りだし、自身が通り抜けられるだけの丸い穴を開けていく。


 しかし、予想に反して再生速度が速く、どれだけ試しても切断に至ることは無かった。


「再生速度が速すぎる。一度にぶち抜くぐらいじゃないと無理だな」


 作業を止めて待機魔力マガジン練り直すリロード

 いつ襲われるともしれない現状で待機魔力マガジンを空には出来ない。


「ここから出られないとすると、他の出口を探すしかないか……」


 ノエルは弓をしまうとナイフを取り出し、部屋の奥にある扉へと向かっていく。

 先程投げ入れた小石に照らされた廊下には、4つの扉が備え付けられている。

 その4つの内のどれかが出口に繋がっている事を祈るしかない。

 廊下の入り口に立ち、眼前に並んだ扉を睨みつけながら考える。

 何か見落としは無いかと……。


 ここに至るまでに通った丸太作りの廊下には、扉は一つしか無かった。

 ならばどの部屋に入ろうと外へ通じる扉が有るとは思えない。

 可能性が有るとするならば……。


「そうだ! 煙突だ。確か2本の煙突が有ったはずだ」


 ノエルは外から見た煙突の位置と部屋の構造を頭の中で重ね合わせていく。

 2つの煙突の内一つは、子供なら十分に通り抜けられるほどの大きさが合ったはずだ。


 リビングを振り返り考える。

 思えばこのリビングにはキッチンはついていなかった。

 ならばどれか一つの部屋が専用の調理室になっているのだろう。


「可能性が高いのは、リビングに近い手前の部屋だろうな。よし、冷静に考えることが出来ている。大丈夫だ……」


 廊下を進み手前、右手の扉に手を掛ける。

 外から見た煙突の位置、リビングからの距離、そのどれもが一致する可能性のもっとも高い部屋、ここしかないだろう……。


「ふぅ……。行くぞ!」


――ガチャリ

 扉を開いた瞬間、またも強烈な匂いに襲われる。

 腐った何かとヘドロと糞尿を混ぜ合わせたような悪臭があふれ出てくる。

 ノエルは思わず顔を逸らし、リビングへと避難する。


「うっぷ。クソ、吐くかと思ったわ」


 誰に聞かせる出もなく入れた突っ込みは、ノエルの恐怖心の現れでもあった。

 悪臭の先にあるかもしれないおぞましい光景を、どうしても想像してしまうのだ。

 インベントリから小石を数個取り出すとライトを唱える。


 タオル越しに鼻を摘まみながら悪臭を放つ扉へと向かい、一度に全ての小石を投げ入れる。

 部屋の中央に向かって投げ入れられた小石は、空中で何かにぶつかるとそれぞれが四方へと散らばっていく。

 そうして照らされた部屋を覗いたノエルは、勢いよく口元を覆い隠したタオルを首元まで下げると、


「オェェェェェェ……」


 と、胃の中にある物全てを吐き出してしまう。


 涙目になりながら顔を背けたノエルの前には、衣服をはぎ取られ山のように積み上げられた人間の死体があった。


 とても直視出来る光景ではないが、この部屋が外へと通じているのなら、入らない訳には行かない。

 ノエルは首元のタイルを託し上げると、意を決して部屋へと踏み込んでいく――


――部屋の中は、まさに地獄の光景だった――

 真っ先に目に付いたのは、天井から吊り下げられた3つの遺体。

 そのどれもが太く鋭い鉤状の物で、首の後ろから喉元に掛けて貫かれており、天井へと鎖で繋がれている。

 胸元から股下に掛けて真っ直ぐに切り裂かれ、内蔵を取り除かれたその様は、まるで屠殺場とさつじょうの様相を呈していた。

 あまりの参上に顔を伏せ、吊された遺体の足下に置かれた木製のバケツへと視線が泳ぐ。

 ピシャリと血が滴り落ちるその中には、人間の内臓が浮かんでいた。


「最悪だ。何でこんな事を……」


 沸き上がる吐き気を堪えながら辺りを見渡す。

 右の壁には大小様々な形のノコギリやノミ、包丁などが掛けてあり、左の壁には返り血で所々がどす黒く変色した、エプロンや長靴などの作業着が掛けてある。


「まるでブギーマンだな」


 呟き視線を奥へと向けると、中央に置かれた作業台の上には衣服をはぎ取られた首の無い遺体が寝かされている。


「ん? 何だあれは?」


 中央の作業台へと近づくと、遺体の横に土色の何かが置かれているのが見えた。

 恐る恐る近付いてみると、それはどう見ても豚の生首であった。


「何でこんな物が? くっ……、もう、訳がわからねぇ」


 この家の主が何の為に何をしようとしていたのか、考えても仕方が無いだろうと首を振る。

 これだけの地獄を見せられて、分かった処で理解できる筈が無いのだから。


 顔を歪めながら視線を更に奥へと向けると、そこには大人や子供、男性や女性などの遺体が折り重なるように積み上げられている。

 この家の住人にとっては、人間は只の食料なのだろう。


 その後も部屋の内部を見渡すが、キッチンは疎か釜戸や暖炉と言った、煙突を必要とする道具は存在しなかった。

 どうやらこの部屋はあくまで、人間を捌く為だけの部屋のようだ。


 ノエルは不快な惨状、不快な臭い、不快な足音から逃れようと出口へ向き直る。

――瞬間。ふと、先程の嫌な記憶が蘇る。

 今ここで扉が閉じられてしまったら……。


 待機魔力を解放し、床を蹴って出口へ飛び込む。

 無様にも転がり出て、強かに廊下の床に背中を打ち付ける。


「いってぇ……」


 どうやら自身で思っていたよりも、冷静さを欠いていたようだ。

 本来ならば部屋に入る前に、扉を閉められないよう細工をすべきだったのだ。


「まったく……。いい加減ビビリ過ぎだろ。しっかりしろ!」


 身体を起こすと痛む背中をさすりながら立ち上がる。


――パーン


――乾いた音が鳴り響く。

 自身の頬を両手て叩き、気合いを入れた音だった。

 本来ならば深呼吸の一つでもしたい処だが、生憎とこの悍ましい臭いの中ではそれすらままならない。


 ノエルは部屋の扉を閉めると、インベントリから食事用ナイフを取り出し、扉ギリギリの位置で床に突き刺すと、更に柄を踏んで押し込んでいく。

 部屋の扉は廊下側から見て引いて開ける造りになっており、こおして置くことで何者が勝手に開けるのを防ぐ算段だ。

 

 ブギーマンでも出てきたら堪らない。


 

 

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