30話:平凡、故に異質
待機魔力を風属性へと変換し、エンチャントを纏う。
本来ならば、自身の位置を敵に知らせるようなエンチャントは控えるべきであろうが、ここに至るまでに散々属性魔法を使っているのだ、後の祭りであろう。
何より辺りに漂う死臭が、どうにも我慢ならない。
「お次はどっちだ?」
未だ開けていない残り3つの扉を見渡し、憂鬱な表情を浮かべる。
どの扉を開けてもハズレにしか思えない。
あんな地獄のような光景は、出来る事なら2度と拝みたくはないのだが……。
どす黒い血で満たされたバケツの上に浮かぶ内蔵……。
無惨にも腹を裂かれ、吊り下げられた遺体……。
無造作に積み上げられた無数の遺体……。
辺りを漂う強烈な腐臭……。
直視を避け、考えないように思考を先へと送り出すが、フラッシュバックのようにノエルの脳裏を過ぎっていく。
血の気の引いた顔は蒼白となり、鬱血したかのように紫色に染まった唇を堅く結ぶと、地団駄を踏むように足を踏み鳴らす。
「クソ、クソ、クソ、クソ、クソっ! こんなのファンタジーじゃねぇ! まんまホラーじゃねぇかっ!」
――ドカッ!
八つ当たるように、眼前の扉を蹴りつける。
疲労と恐怖と悪寒が容赦なくノエルを襲い続ける。
右手のナイフを堅く握りしめ、天井を仰ぐように見上げると、その両目を大きく見開いた。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
己の中に渦巻く、恐怖と不安と苛立ちを、怒声に乗せてまき散らす。
その声色は、まさに死に際のザンバを思わせた。
「よし、すっきりした。大丈夫、俺はまだ正気だ……」
――集中力を切らしてはならない。
ここは、常識の通用しない地獄なのだから。
周囲に水球を浮かべ、光を灯した小石を握ると先程、蹴り飛ばした扉へと向き直る。
扉にはノエルの足跡がくっきりと残っている。
どす黒い血の足跡だ……。
――何から何まで不快な場所だ。
ノエルは溜息を吐くと扉に手を伸ばした。
――ガチャ
「あれ? 閉まってる? あぁ、押すのか……」
ゆっくりと開けられた扉は中程まで開くと、
強引に蹴破るのは危険だと、隙間から小石を投げ込みのぞきこむ。
――瞬間。
地を蹴り、リビングへと跳躍する。
――何者かが其処にいた。
扉を押さえるように、黒い衣服を身に纏った誰かが……。
浮かべた水球を更に増やし、圧縮して打撃力を高める。
背は冷や汗で濡れ、額からは脂汗を流し、満身創痍ながらも戦意だけで眼前を睨みつけている。
どれ程の時が流れただろう、数十分にも感じられるが実際には数分だろうか。
しかし、いくら待てども何者かが現れる事は無かった……。
見間違いだったのだろうか?
もしかしたら、自身か扉の影を人のように錯覚しただけなのかもしれない。
最早、ノエルは自分の判断力にすら自信が持てなくなっていた。
不味い――持久戦は不利になる。
まだ身体が動くうちに、出来る限り安全を確保しておきたい。
この場に至ってはやむを得ないと、意を決して歩き出す。
水球を全面に配置し、ナイフの切っ先に明かりを灯す。
斜に構え扉の隙間を伺うと、確かに何かが其処にある。
明かりの灯ったナイフを掲げると眉を歪めて後ずさる。
「そう言う事かよ……。次から次ぎへと……ったく」
其処には確かに何者かが立っていた。
いや、正確には吊られていたと言うべきだろうか。
黒いワンピースに白いエプロン、白い靴下に黒い革靴と、ハリウッド映画にでも出て来そうな、ハウスメイド然とした姿をしている。
問題はその足下が宙に浮いている事だろう……。
肩で押し開く様にして強引に開いた隙間に身体を滑り込ませる。
切っ先を突き出す様にして見渡した室内は、思っていたよりも狭く簡素な寝室の様を呈していた。
藁が敷き詰められたベットに丸い小さな机と椅子、観音開きのクローゼットと何処かで見たような部屋の造りである。
目の前のホームメイド以外は……、だが。
「自殺……、か……」
ナイフを掲げ、縄の食い込んだ首元を見上げる。
正直な所、あまり見たくは無いのだが、どうしても確認しておきたかったのだ。
自殺なのか、それとも他殺なのかを……。
見ると、縄の食い込んだ首回りには、無数の引っ掻き傷が見受けられた。
更に、遺体の手元を照らすと爪の間には肉片のような物が見え、指先にも乾燥して固まった血の痕のような物が伺える。
恐らくは苦し紛れに自身で付けた傷跡なのだろう。
つまりは、首を吊った際この女性は生きていたという事だ。
そして、このイカレた
で、あるならば、まず間違いなく自殺であろう。
ノエルは更に遺体を検分するかの如く見上げていく。
情報が欲しい。少しでも良いから何か情報が……。
平凡故に異質な死に様。
この女性は重要な何かを知っていた。
ノエルにはそう思えてならなかった。
恐らくは事切れて長い月日が足ったであろう遺体は、幾許か腐乱が始まっていた。
肩口まで延びた黒髪は所々が抜け落ちて、白い頭蓋骨が覗いている。
飛び出そうな程に見開いた両の目は、白濁としており、口許からは大凡、人の物とは思えぬ程に長く延びた舌が垂れ下がっていた。
足元を見ると糞尿でも垂れ流したのか、高級そうな革靴を汚し床まで汚損している。
ノエルは此処にいたって初めて知る。
首吊り自殺とは斯くも汚い死に方なのかと……。
床に転がる椅子は蹴り倒されたかの様に、遺体の前に背を向けている。
ノエルは倒れた椅子を持ち上げると、壁際に置かれた丸い小さな机の前に収めた。
特に意味はないが、何となくそうすべきだと思ったのだ。
机の上にはフラスコが置いてあり、土色に変色した萎れた花だった物が垂れ下がっている。
他には何もない。
いや本当に部屋中見渡して見ても、私物らしき物が見当たらないのだ。
凡そ生活臭のない室内を見渡し考える。
「監禁されていたのか?」
ノエルの視線はクローゼットへと向けられる。
「後は其処だけか……」
クローゼットへと赴き、その取っ手に手を掛けようとして動きを止める。
何であれ、無防備に開くのは危険であろうと。
「ふぅ……」
溜息を吐くと二度三度と首を振る。
どうやら危機感すら薄れてきているようだ。
流石にこのままでは不味い、早急に安全を確保して休みを取らなければ……。
インベントリから麻紐を取り出すと、観音開きの取っ手に結び付け、部屋の反対へと移動する。
――椅子を盾にしてゆっくりと紐を引く。
しかして静寂が支配し、数十秒の時間が流れると、ほっと息を吐く。
「流石にないか……」
盾にしていた椅子を元へ戻すと、クローゼットをのぞき込む。
見えるのは三着の黒いワンピース。
もう一方の戸を開け放ち中を確認すると、途端に怪訝な顔に変わる。
其処には、三着のメイド服が掛けてあり、下着や換えの靴など最低限の物しか入っていなかった。
しかし、換えの衣服があると言うことは、本当にこの家に遣える只のメイドの可能性が高い。
どうやらこの家の主は然るべき立場の人間なのかもしれない。
如何にファンタジー世界と言えど、使用人を雇える立場の人間はそうは居ない筈だ。
少なくともアルル村では、メイド服など見た事すらなかった。
しかし、だとするならば何故、自殺を選んだのだろうか?
そもそもこの家の主は、今も存命なのだろうか?
ノエルは振り向き、その目を鋭く細めると未だ宙に吊された遺体を睨み付ける。
――お前らは一体何者なんだ?――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます