31話:咀嚼
この説明のしようも無い一連の不可思議な現象は、本当に人のなせる技なのだろうか。
干からび、半ば腐乱した首吊り死体を前に考える。
あれだけの数の屍を積み上げておきながら、なぜこの女は自殺を選んだのだろうかと。
考えてみれば、おかしな話なのだ。
この屋敷の主の気が触れ、イカレた快楽殺人鬼になったとしよう。
幾人もの旅人や冒険者、村人に狩人を罠にハメるか斬り殺すかして、持ち帰って来たとする。
その後に、あの悍ましい部屋で狂った人間解体を主が始めたのならば……、だ。
普通ならば自殺を選としたら、その時ではないだろうか?
しかし、リビングで見た器に盛られた人の手らしき物は、あまつさえ調理された形跡さえ見受けられたのだ。
あれが哀れにも首を吊った、この目の前の女の手によるものだとすると……。
主従二人してイカレていたと言う事になる。
――わからない……。
これ程の狂人の胸の内など、分かるはずもない……。
「お前は何故、自殺を選んだんだ?」
思わず口にしたその問い掛けに、いまだ宙に吊された女の屍が答える筈もなかった。
屍を見上げ考えに耽るが、回答を導き出すことは出来ない。
「これ以上は、無意味か……」
ノエルは諦め、肩を落とす。
これ以上は考えても詮無きことだ。
それよりも今は最優先でするべき事があるはずだ。
ノエルはテーブルへ向かうと、引きずる様に女の前へと移動させる。
首に括り付けられたロープを、切ろうと言うのだ。
自殺とはいえ、あれだけの惨事を起こしたであろう狂人を、供養するつもりはもうとう無い。
ただ、休みたいのだ。
目の前にぶら下がる死体さえ片づけてしまえば、この部屋は休息を取るには実に適した場所であった。
天井を見上げる。大丈夫、十分に手の届く高さだ。壇さえあれば。
テーブルの上に上ろうと手を掛けたその時――ノエルは女が下げているエプロンにポケットが付いているのを見つける。
――もしかすると何か入っているかもしれない。
そう思い、手を伸ばした瞬間――
『あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ』
突如、枯れた喉を鳴らすかの様な、悍ましい声がノエルを襲う。
「――ッ!」
頭に激痛が走ると同時に、浮遊感が足下を巻き上げる。
とうに屍となっていた筈の女が動き出したのだ。
女は右手でノエルの髪を鷲掴みにすると、強引に持ち上げようとする。
その両足は宙を掻くようにバタバタと机を蹴り飛ばし、左手は今まさにノエルへと迫って来ていた。
「――ドンッ」
女の腕を、見えない何かが拒んで弾く。
それは反射的に発動させた結界障壁だった。
自らの髪を鷲掴みにする、その忌々しい手首を握ると膝を曲げ腰を落とす。
同時に、右手のナイフを宙で回転させるように回すと、逆手に握り直し振り上げる。
「離せ、こんのぉ干物ババァが!」
手首を掴み、腰を落とす事で延びきった女の肘裏に、叩き付けるように刃を寝かせたナイフを突き刺す。
「離せって……。言ってんだろうがぁ!」
「サシュッ」と乾いた音を鳴らしてナイフを横に振り抜くと、瞬時に後方へと跳び去り距離を取る。
油断無く。ナイフの切っ先を相手に向けると、腰を落として身構える。
追い駆けいる積もりなのだろうか。
今尚、女はノエルに向かって両手を伸ばし足をバタつかせていた。
「チッ、ゾンビか……。思ってたよりキツイな……」
切り裂かれた右腕は、辛うじて薄皮一枚で繋がり、ブラブラと揺れている。
言葉にならない奇声を叫び続けるその口元からは、今尚長い舌が垂れ下がっていた。
ゾンビの存在は以前読んだ本で知っていたし、死霊の森においては、最も多く存在する魔物である事も知っていた。
しかし、実際に目の当たりにすると色々とくるものがある。
「――っ! うわぁ……マジかよ……」
気付くと、ゾンビはムシャムシャと何かを咀嚼している。
恐らくは口元から垂れていた、自身の舌を噛み切ったのだろう。
あまりにも気持ちの悪い光景に思わず目を逸らす。
――其れにしても……。
何故このゾンビは、自分に向かって手を伸ばしてくるのだろうか?
ふと、疑問を感じた。
とうに光を喪ったその瞳は白濁としており、既に腐りかけているように見える。
視力があるとは思えない。ではどうやって?
可能性があるとすれば音だろうか?
足音を立てぬようゆっくりと横へ移動する。
――ゾンビの生態を知る良い機会だ。
精々、観察させて貰うとしよう。
右へ移動すれば右に。左へ移動すれば左に。
ゾンビは的確にノエルを認識し、追いかける動作を繰り返している。
「音では無い? なら何だ? どうやって俺の位置を認識してるんだ?」
ゾンビとは魔素に狂った精霊が、死体に宿ることで生まれる半魔力生命体である。
それは、生きたように死んでいる矛盾の存在。
以前読んだ本にはそう書いてあった……。
そもそも腐乱が始まっているのだ、脳だって機能していないだろう。
だとするならば、五感全てが死んでいる筈だ。
ノエルは身体強化とエンチャントを解除し、身体から絶えず漏れ出ていいる魔力を押さえ込む事だけを意識する。
「これで、どうだ?」
そのまま暫く観察していると、ゾンビの動きに変化が現れ始める。
まず奇声が鳴り止み足が止まり、やがて両の腕がぶらりと下げられる。
右に歩き左に歩き、更にゾンビの周りをうろうろと大きな足音を立てて歩き回る。
――思った通り反応がない……。
どうやらゾンビとは、生命が持つ魔力に反応するらしい。
「成る程ね、貴重な情報が手に入ったな」
身体強化が使えなければ移動速度はかなり落ちてしまうが、代わりに比較的安全に森を横断する事が出来るかもしれない。
ノエルの中に微かな希望が生まれる。
「ここを脱出する事が出来れば、だけどな……」
そう呟くとそのまま部屋を後にする。
ゾンビのいる部屋では流石に寝る気にはならない……。
「ふぅ……。あぁ、くっせーな、もう」
エンチャントを解除した為、腐臭がまたもノエルを襲う。
半ばやけくそ気味になったノエルは待機魔力を解放し、身体強化とエンチャントを掛け直す。
『あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ』
「あぁぁ、まったく……」
案の定ゾンビが反応するが、気にする素振りもなく残る二つの扉の前で腕を組み、考え込むように俯く。
予測出来うる脱出口が煙突しかない現状において、向かうべき部屋は向かって右手の部屋だろう。
しかし、其処は忌むべき人間解体部屋の隣に位置している。
――正直、入りたくない……。
どの部屋に入っても禄な事がない……気がする……。
流石に疲れ切っていたノエルは、休めそうな向かいの部屋から調べようと考えた。
先程の部屋は、間取りが小めに作られていた。
となると、その隣となる部屋は、大きめの間取りになって居なければ家の面積的に辻褄が合わない。
恐らくは、この家の主の部屋ではないかと思う。
たぶん――。
「よし、やっぱり左にしよう!」
――ガチャ
扉を開くと、例によって小石を四方へ投げ入れる。
隣の部屋と同じく押し戸になっていたが、今度は押し返される事無く、すんなりと開け放つ事が出来た。
明かりを付与したナイフを掲げ、部屋の中を見渡す。
中央には大きな天蓋付きのベットが置かれており、一際存在感を放っている。
「天蓋付きベットって……。この家の主は女だったのか?」
この世界において、天蓋付きベットを使用しているのは、水準のかなり高い暮らしをしている者が多い。
貴族や豪商などがそれに当たる。
とは言え、特に女性専用と言う訳ではない。
特に貴族の間では、男性も多く愛用しているのだが……。
どうにもノエルの頭の中には、お姫様が愛用している心象が強う様だ。
更に奥へと踏み込み周囲をぐるりと見渡す。
その時ノエルの視線は有る一転に釘付けとなる。
視線の先にあった其れは、まさにノエルが探し続けた――
――暖炉であった――
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