32話:B級ホラー映画の如き

――漸く見つけた……――


 思いも寄らぬ形で現れた希望に、ふらりふらりと足が進む。


『ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛』

 

 轟くゾンビの雄叫びに、はっとし慌てて足を止める。


「待て、まてまてまてまて! 安全確認が先だろうが!」


 どうやら唐突な急展開に、思わず我を忘れていたようだ。

 ノエルは心の中で、人知れずゾンビに感謝した。


 一つしかない命を失うには、それこそ一度のミスで事足りる。

 思いがけず拾った幸運に、命を救われる形となった。


「ふぅ……」


 短く息を吐くとナイフを掲げ、改めて周囲を見渡し始める。

 いまだ聞こえてくる絶叫に、苦笑いをしながら歩き出す。


 やはり、この部屋は主の寝室のようだ。

 備え付けられた家具や道具、調度品などが一々手の込んだ造りになっており、素人目に見ても高級品である事が伺える。


 まず入り口を背に左手手前には、本棚らしき・・・物が置かれている。

 らしき・・・とは、肝心の書物が一冊も置かれていないのだ。


 ノエルは本棚へおもむくと、切っ先を向けて下から順に確認していく。


 本は重要だ。一冊でも見逃す訳にはいかない。

 ノエルが生前に見た映画や、散々やり込んだゲームでは日記や手記、書類や走り書きがされた紙片などが、脱出の鍵になっていたのだ。


――定番だ――見逃してはならない。


 しかし本棚には結局、書物は疎か紙片すらも残されてはいない。

 おかしい……。ノエルは首を傾げる。

 事、此処に至るまで、部屋を荒らされた形跡は見受けられなかった。

 日常生活が送られている最中、ある日突然、住人だけが神隠しに合ったかの様に……。


 首を吊ってゾンビ化したメイドの部屋も、埃すら被ってはいた物の、特段おかしな所は見受けられなかった。

 敢えて言うならばこの家の住人の日常は、ノエルから見れば非日常と言う事だろうか。


 しかし何故、書物だけが抜き取られているのだろう?


 切っ先を本棚へと向けのぞき込む。


「――抜き取られてから間もないのか?」


 見ると、本が収まっていたであろう箇所と、その手前では明確に積もった埃の厚みが違っていた。


 この事の意味する所は、住人が消えて埃が積もる程の時間が経過した後で、何者か・・・本だけ・・・を持ち去ったと言う事だ。

 その証拠に脇に置かれた、見るからに高価な銀製の燭台には興味を示した形跡すらない。


 これ程の目に遭ったのだ、金になりそうな物は根刮ぎ戴いて行こう。

 そうでもしなければ割に合わない。

 

 そう思い、自身の身の丈を越えるほどの燭台を、慎重に真上に持ち上げるとインベントリへと仕舞う。 

 見下ろすと、燭台の置かれていた後にくっきりと埃で出来た輪が見て取れる。

 その場にしゃがみ込み、周囲に溜まった埃に厚みの差がないか調べるが、思った通り動かされた形跡は見受けられなかった。


「はぁ……。手掛かり所か、謎ばかりが増えていくな……」


 とんだハードモードだと盛大に溜息を吐くと、灯りを掲げて先へと進む。

 急いで調べてしまおう、こんな所に長居は無用だ。


 壁沿いに先へと進むと大きな鏡台があり、その隣には引き戸のタンスと観音開きのクローゼットが並んでいる。


「鏡台なんてこの世界で初めて見たな。丸ごと持って行くか? うーん、デカすぎるか……」


 幾ら便利な魔法があるとは言え、無限に収納出来るわけでは無いのだ、持ち出すなら吟味しなくては。


 更に近付くと、鏡台の上に銀製の宝石箱らしき物が置かれているのが目に入る。

 埃を被ってこそ居るが、美しい細工が施されている。

 ノエルはナイフの切っ先でそうっと箱を開けると感嘆の息を吐く。


「これだけあれば暫くは食うに困らんな」


 開いた宝石箱の中には、大小様々な宝石が溢れんばかりに収められていた。


 インベントリからタオルを取り出すと、近くに浮かぶ水球で濡らし、ギュッと絞る。

 凡そ長さ30cm程の長方形の形をした宝石箱を持ち上げると、丁寧に埃を拭き取っていく。


 やがて以前の輝きを取り戻したそれは、周囲に薔薇と茨の彫刻が施され、蓋の中央には盾の中に双頭のグリフォンの紋章が描かれていた。

 もしかすると、どこぞの貴族様の持ち物かもしれない。

 もしそうなら、箱を売れば足が付く可能性がある。

 ノエルは一瞬思い悩むが、流石にこの状況下で考えることでは無いだろうと、インベントリへとしまい込む。


 ふと見上げると、薄汚れた鏡に映る自分の姿があった。

 思えば今日まで、まじまじと自身の顔を眺めたこのなど無かった気がする。


 ノエルは手にしたタオルで鏡を拭き始める。

 せっかくの機会だ、自分の顔ぐらい確認しておこう。

 そう思い、丁寧に鏡に付いた汚れを落としていく。


「んっ、こんな物かな……」


 灯りを照らし、覗き込んだ鏡の中には、何とも冴えない少年の姿だ写しだされていた。

 樽の中の水なもに映った見慣れた顔。

 

 鼻筋こそ通ってはいる物の、少々垂れ目の如何にも眠たそうな目、子供らしくふっくとらしたほっぺたにボサボサの黒髪と、とてもイケメンとは言い難い。

 が……、今のところ子供らしくて良いのではないだろうか。


 それにしても不思議だ。と、ノエルは思う。

 目の前にいる子供が自分自身だと言うのだから、人生とは一種異様である。


 目尻を上げ下げし、眉間に皺を寄せ、口を開いたり突き出したり、千変万化を眺めていると――。


 不意に背後から寒気が襲う。


「――っ!」


――瞬間。

 鏡の中を中かが横切る――。黒い影のような何かが……。


 ノエルは瞬時に振り返ると、腰を落とし身構える。

 切っ先を付きだし、扇状に凪ぎながら辺りを伺う。


 確かに何かがいた。

 襲ってきた寒気は決して勘違いではないはずだ。 

  

 寒気を感じたと思しき場所へ向けて歩き出す。

 周囲には既に水球が浮かべてあり、いざと言う時に備え全方位を防御している。


 やがて、向けられた灯りに照らされたのは、暖炉の前。

 進めた足を止めると、ノエルは思わず顔を歪めて口を開く。


「暖炉が実は罠だったって言う落ちは、勘弁してくれよ……」


 更に辺りを伺うが、先程の違和感は既に跡形もなく消えている。

 この状況下で考えられるのは、やはり暖炉の中だろう……。


 ノエルは暖炉を睨みつける。

 希望への入り口と信じて疑わなかったそれ・・は、今や真っ暗な地獄へ続く門のように大きく口を開けている。

 門番が居なかった事が唯一の救いだろうか……。


「ふぅ~……」


 額に浮き出た汗を拭う。

 肌寒い中、濡れた衣服が、よりノエルの身体を冷やしていく。

 油断無く身構えたまま、足下に転がる小石を暖炉目掛け蹴りつける。


「え? 消えた?」


 明かりを灯した小石が暖炉の中に入った瞬間――。

 まるで、黒い天幕の裏側に隠れたかのように何処へともなく姿をけした……。 


「……まさか」


 ノエルはその場にしゃがみ込み、小石を握ると床を滑らせるように投げ入れる。


「うわぁ……。もう、嫌だこの家……」


 投げ込まれた小石は、又も闇の中へと消えていく。

 但し、今度はハッキリと視認する事が出来た。


 石は消えたのではなく、奈落の底へと落ちていったのだ。

 漸く見つけた希望は、絶望への入り口でしかなかった。

 少なくとも今のノエルにはそうとしか思えない。

 B級ホラー映画の如き展開に、流石のノエルも落胆を隠しきれない。


「はぁ……。もういい、後回しだ」


 ノエルは何の警戒もなく立ち上がると、スタスタとそのまま部屋を後にする。

 有り体に言えば、切れたのだ。

 部屋に入る際、蝶番へと引っかけていたフォークと抜き取ると、勢い良くドアを閉める。


「やってられん……」


 そう憂いだノエルは、遂に、眼前にある最後の扉に手を掛けた――。

 

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