100話:草原の約束――その4

「さて、全員揃ったわね?」


 希望の町の片隅にポツリと立つ小さな教会。

 その一室で、セバール、シスル、エイダを見回すと、リリーは椅子に腰を掛けた。

 じきに訪れるであろう被害について、話しておかなければならない。


「はい、本日の議題はいったい?」


 緊張した面持ちの三人。薄々感づいてはいたのだろう。

 恐る恐るといった様子でエイダが口を開く。


「皆も気付いているようだけど、直に黒雲がやってくるわ」


「――っ! そんな……。まだ収穫前なんですよ?」


 三人は目を見開き、苦虫を噛み潰したように歯噛みする。

 だがこればかりはどうしようもない。問題はその後だ。


「そうね、でもこればっかりは誰のせいでもないし、受け入れるしかないわ。それにこんな時の為に皆でコツコツ蓄えてきた備蓄もあるしね、どうにかなるわよ。それよりも問題は――」


 この件に関して、リリーは長い間考え続けてきた。

 日照りによる干ばつ。イナゴの大群による被害。

 考えられる理由などいくらでもあるが、いつか必ず飢饉がやっくると。

 町を預かる彼女にはそういったものから皆を守る義務がある。

 その為に、毎年コツコツと食料を蓄えてきたのだ。

 だからそれはいい。現状でも十分に対処できるだろう。

 むしろ問題なのは町の外にある。救うべきか、切り捨てるべきか。


 リリーはテーブルに突っ伏し頭を抱えると、うなり声をあげた。

 出来ることなら救いたい。もともと町を作ったのはそのためだ。

 しかし思いだけでは届かない。優先順位を間違えてしまえば、守るべき者達さえ失ってしまう。


「略奪……ですか……」


 セバールが溜め息混じりに呟いた。

 ここ10年で増えた住民はダーク・エルフだけではない。

 ヒューマンにワービーストと、様々な種族が生活を共にしている。

 元々、虐げられ行き場を無くした彼らには、この町はそれこそ最後の希望。

 その為か、種族による文化の違いで些細ないざこざはあるものの、大きな対立やトラブルなどは無く、概ね良好な関係を気づけていた。


 町の警備を担当するダーク・エルフの戦士達は、おそらくその事を気にしているのだろう。

 特にセバールは戦士長として戦士達を束ねる身。

 思うところは誰よりも大きいのだろう。


「いつも通り盗賊なんて蹴散らせばいいんじゃないか?」


 思い悩む面々を前に、シスルが軽口を挟む。


 三人の溜め息がユニゾンする。

 シスルは分かっていない様だが、これはそんな単純な話ではないのだ。


 素っ頓狂なシスルの発言にエイダが頭をひっぱたく。


「あ痛っ! 何すんだエイダ」


「アナタが馬鹿なことを言うからよ。良いこと? これはそんな単純な話じゃないの」


「単純って、いったい何がだよ」


「只の盗賊ならこんなに悩んだりしないわ。主様の言う盗賊ってのは飢饉で餓えた農民達の事よ。ここまで言えばアナタでも分かるでしょ?」


「あっ、そう言うことか……」


 言うと室内は静まり返る。

 この場にいる三人は元より、町に住む人々全員が一歩間違えば同じ立場に居たであろう事を考えれば、この問題に明確な正解を導き出せる者はいないだろう。

 だが、答えを出さなければならない。たとえそれが正解で無かったとしても。


「追い返すしかないわね。出来れば殺したくはないし……」


「よろしいのですか?」


 リリーの出した結論に、セバールは躊躇いがちに言った。

 どんな言葉であれ従う事に異論はない。

 だが、リリーは耐えられるのだろうか?

 これから振り払うその手は、自らが救いたいと願った行き場を無くした餓えた人々なのだ。

 セバールはただ、リリーの心中に傷が残るのではないか。それだけを危惧していた。


「他に方法はないわ。手持ち分や備蓄分。それにダンジョン内の食料や作物を考えれば多少の受け入れは可能でしょう――」


「でしたら!」


 なんとかならないかと声を荒げたエイダをリリーが一括する。

 確かに出来ることは出来る。

 しかし、それをすれば今度は別の問題が人々を苦しめる事になる。

 飢饉を前にして、それだけは避けなければならない。


「それでも! 受け入れる訳にはいかないのよ……」


「リリー様、理由を聞いてもいいですか? 俺には何故ダメなのか、さっぱり分からねぇんだ」


「いいわ。シスルだけじゃなく二人もよく聞きなさい。いまから誰かを町に受け入れるとなれば、人数に制限がかかってしまうの。それは分かるわね?」


 食料にだって限界がある。それは理解できる。と、三人は頷く。


「例えば、最初に助けを求めに来た人々を受け入れたとしましょう。そしてその人々がヒューマンだった場合、そして次に来るのがワービーストだった場合。二つの種族間で必ず争いが起きるわ……」


「「「…………」」」


 聞いていた三人は言葉を失った。

 つまり、ヒューマンは助けたのに何故ワービーストは助けないのかと不満が出ると言うのだ。

 皆一丸となって、これから飢饉を乗り越えようと言う時に、それは流石に拙い。

 人は危機的状況に陥れば陥るほど心がささくれだるもの。

 その事は三人も痛いぐらいに理解していた。


「私には他に方法が思い付かないの、ごめんなさい……」


「そ、そんな! 主様は何も悪くなどありません! どうか頭をお上げください」


「そ、そうです、何も知らずに異を唱えるような事を言ってしまい、私の方こそ申し訳ありませんでした」


「おっ俺もすいませんした!」


 頭を下げるリリーを見て、慌ててセバール達三人が取り繕う。


「そう……そう言って貰えると助かるわ。それじゃあ皆に説明したいから住人全員を集めて貰えるかしら?」


「「「はっ! 主様の仰せの儘に」」」


「……その主様っての何とかならない? みんな見たいに町長でいいわよ?」


「そうは参りません。我ら一族は義理と忠義を尊びますゆえ」


 セバールの仰々しい物言いにリリーは天を仰いだ。


――不器用な連中だと。





◇――――――――◇





 三千人もの住民を前に、リリーの演説が始まった。

 彼らには全て、包み隠さず伝える事にしたのだ。

 どのみち不平不満は出るだろうが、理解しているか否かでその大きさも変わってくる。

 それに、多少強引にでも事前に納得させてしまえば不満の声を黙殺出来ると考えた。

 あまり好ましい方法とは言えないが、住人同士の争いを見るよりはいい。


「――。これは仕方の無いことなの。辛いだろうけど受け入れて頂戴。あなた達を守る為なんだから、ね?」


 壇上から見下ろすと、ポツリポツリと不満そうな顔をしている者も見えた。

 おそらく近隣の村々に近しい知り合いでもいるのだろう。

 申し訳ないと思いつつも、リリーは有無をも言わせぬ様子で話を打ち切った。その時――。


「主様! 盗賊化した隣村の連中が来ます。 ご指示を!」


「シスルとエイダは住民達を避難させて頂戴。セバールは戦える者を何人か選んで私と一緒に出るわよ。さぁ、みんな急いでちょうだい!」


「「「はっ!」」」


 報告を聞くや否や、リリーは即座に指示を飛ばす。

 ただ、少し気掛かりな事がある。

 東の村と言えば国境を越えた先、リーリア王国側にあるはずだ。

 餓えで腹を空かせた農民達が一体どうやってここまでたどり着いたのか。


 思い浮かぶのは最悪な情景。間違いであって欲しいが……。

 ギリリと奥歯を噛みしめ、リリーは東を睨だ。


「主様、馬の用意ができました」


「ありがとう。すぐに出るわよ」


 用意された馬に跨がり手綱を握る。と、突然行く手を遮るように男が現れた。


「まっまってくれ町長! 東の村には俺の妹が居るんだ! 頼む、後生だ助けてやってください。この通りです」


 男は地面に頭を擦り付け、必死で訴える。

 リリーは微かに顔を歪め、男を見下ろしていた。

 見れば先ほどの演説の際、リリーを睨みつけてきた男。

 何となく察しは付いていた。だが男の願いを聞き届ける訳には行かない。

 これはもう決定したことだ。自分が揺らげば皆が揺らぐ。

 それだけはどうしても避けなければならない。


「残念だけどそれは出来ないわ」


「な……なんでだ? あんたそれでも人間か? 心ってもんがねぇのか!」


「いい加減にしないか!」


 セバールは男を叱り飛ばすと、部下に指示を出す。

 そうして引きずられて行った男は、口角泡を飛ばしながら恨み辛みをまき散らしていた。


「いくわよ……」


「はっ!」


 パチンッと手綱を鳴らし、東へ向けて馬を駆けた。

 胸の奥底からジワジワとした熱い何かがせり上がる。

 無力感。焦燥感。罪悪感。それらがドロドロと綯い交ぜとなりリリーを襲う。


「ごめんなさい……」


 誰に聞かせるでもなく、小さな声で呟いた。




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