99話:草原の約束――その3

「ちょっと! いくら何でも足元を見過ぎじゃない?」


 大きな三角帽子を被った女性が、割腹のいい男に詰め寄る。

 と、男は困ったように眉をしかめた。


「いやいや、いくらリリーさんの頼みでもこれ以上は出せませんよ。ご存知でしょう? 今はどこに行っても小麦は割高なんです」


「そりゃまぁ、そうだけど……。でも、こっちはを出してるのよ?」


「わかってますとも。属性付きの魔石ならいくらでも買わせていただきますよ。でもねぇ……」


「お願い! 家も大所帯になって困ってるのよ」


 拝むように手を合わせるリリーを見て、商人はそれならばと手を叩く。


「はぁ……。そうだ、お支払いは金貨でいかがです?」


「要らないわよ。そんなものじゃお腹は膨れないわ!」


「そんなぁ、無茶言わないで下さいよ」


「……どうしても駄目なの?」


「はい、私どももこれが精一杯でして」


 リリーがセバール達、ダーク・エルフを町に受け入れてから約10年。

 何かと世話になってきた行商人ドノバン。

 彼は商人だけあって利には聡いが、取引には常に誠実だった。

 これ程まで頼み込んでも、この男が首を縦に振らないと言うことは、本当にどうにもならないのだろう。


 リリーは仕方がないと、肩を落とす。だが、ただ諦める訳にもいかない。

 この10年で、町はすっかり大きくなり、住人も大幅に増えた。

 今では3000人もの人々の生活が、リリーのか細い肩に掛かっているのだ。

 がぜん取引にも力が入る。


「わかったわ。でも塩や香辛料はあるんでしょ?」


「勿論ですとも。こちらは不作はありませんからね。いくらでもお譲りしますよ?」


 ドノバンは打って変わってにこやかに微笑むと、手揉みをしながら売り込みを始める。

 当初の予定よりも、小麦の買い付けが出来なかった為、塩や香辛料。はたまた雑貨に到まで相当な数を買い付けて来たのだ。

 買ってもらわねば損害を出してしまう。


「まったく……相変わらすの商売根性ね」


「はははっ、それほどでも」


「別に褒めてないわよ。いいわ、見せてちょうだい。それと広場にも露天を広げて貰えるかしら。町の皆にも買い物を楽しんでもらいたいの」


「はい、ではすぐにでも用意させましょう」


 リリーは魔石に金貨、手持ちの金品を全て使い切り大量に買い入れた。

 自身の予想が正しければ、近々町に厄介の種が訪れる事になる。

 それまでに出来うる限りの準備をしておかなければ――


「お買い上げありがとうございます。それにしても随分と買い込みましたね。何かあるんですか?」


「どう致しまして。何かって、知ってるんでしょ? 白々しい」


「はははっ、何がなにやら……」


「ふぅ……。愛想笑いはもういいわ。それよりもリーリア王国側はどんな状況なの?」


 途端に真剣な面持ちへと変わったリリーが口を開く。

 噂程度には聞いていたが、行商人が小麦を買い付ける事が困難な状況にまで陥っているのだろうか?

 嫌な予感が膨らんでいく。

 

「そうですね、小さな集落では既に餓死者の出ているようです。隣国から小麦を輸入する事で、今のところなんとか持っているようですが。それもいつまで持つ事やら……」


 ドノバンは口ごもると、悲しげに眉尻を下げた。

 誰かから聞いた素振りで話してはいるが、おそらく彼は目撃したのだろう。

 餓えに苦しむ人々と、それに頭を抱える国の人々を。

 それならば大金を払っていると言うのに、手持ちの小麦を出し渋るのも頷ける。


 利に聡く。小狡く。したたか。

 そんな商人然としたドノバンの本質は、実のところ只のお人好しだった。


 事実リリーが難民達を受け入れ、作り上げたこの町の発展にはドノバンの力によるところが大きい。

 彼は何かにつけて助言や投資をしてくれていたのだ。

 勿論、それなりに利益を得ての事ではあるが、それにしたってリスクの方が大きかった筈だ。

 また、他の行商人や商隊が、この町を立ち寄るようになったのも彼による口コミのおかげだと聞いている。

 そんな彼だから、リリーも引き下がるしかなかったのだ。


 悲哀に満ちた表情をした彼の事だ、きっと残りの小麦を今正に餓えに苦しんでいる貧しい村に届けるつもりなのだろう。

 そんな村には、小麦を買えるだけのお金など無いというのに。

 これは投資だとでも言って、はした金を受け取る。


 偏屈で、お金に目がなくて、嫌味な愛想笑いを浮かべた優しい商人。

 それがドノバンと言う男だった。


「マズいわね……。これは一波乱ありそうだわ……」


「えぇ、最近、西の方でも戦があったようですからねぇ。どこへ行ってもきな臭い匂いが立ちこめていますよ」


「ミリル平原の戦なら私も実際見に行ったから分けるわ。それは酷い戦いだったわ」


 何の気なしに放ったリリーの言葉にドノバンはあんぐりと大口を開けて固まった。

 見に行った? 何故そんな危険な事を……。


「みみみ、見に行ったって、本当にそんな危険な場所に行ってたのか? 一体全体、君は何を考えているんだ!」


 食ってかかる様に身を乗り出したドノバンを押しやると、リリーはヤレヤレと肩を竦める。


「落ち着きなさい。商人の口調じゃなくなってるわよ?」


「ぬっ……、しかしなぁ」


 納得できない。ドノバンの表情からは、そんな思いがひしひしと伝わってくる。

 リリーが元々住んでいた村を抜け出して、この平原にたどり着いて直ぐに出会ったのがドノバンだった。


 当時七歳のリリーは、着の身着のままで宛もなく草原を漂っていた。

 そこに偶々通りかかったドノバンが彼女を見つけ、何事かと保護しようとした。

 が、その小さな少女はそれを一蹴すると、逆に取引を持ち掛けてきたのだ。


『ここに大きな町を作りたいの。行く宛の無い人や迫害された人々が安心して暮らせる町を。だからあなたも協力しなさい!』


 子供の世迷い言。馬鹿げた妄言。

 ドノバンは呆れて返す言葉も出てこなかった。


 だが、あれから20年――少女は本当にやり遂げた。


 ドノバンにとっては、リリーの成し遂げた偉業に、自身の力がほんの少しでも役にたった事が誇らしかった。

 だからこそ納得がいかない。いや、する訳にはいかない。

 放っておけば、リリーはまた突拍子も無いことをするに決まっている。

 ドノバン曰く、リリーに常識は通用しない、だ。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私にだって背負うものがあるんだから、無茶なことはしないわ」


「はぁ……まったく。あまり心配させないでくださいよ?」


「ふふっ、変わってないわね、貴方のそう言うとこ」


「リリーさんがそれを言いますか?」


 商人口調に戻ったドノバンがポリポリと頭を掻く。

 確かに背負うがあるのだ。リリーも以前のような無茶はしない、か?


「なに? 急に遠い目をしちゃって」


「あぁいや、昔を思い出しましてね」


「昔? なんの事かしら」


 不思議そうに首を傾けるリリーに、ドノバンが苦笑いを浮かべる。


「私から商品を買い付けるお金を稼ぐんだって、小枝を振り回しながら盗賊狩りに出掛けようとした貴女を思い出しましてね。あれには本当、肝を冷やしたなぁ……」


「あはははっ、あったわね、そんな事」


 懐かしむように目を細めるドノバンを見て、リリーが腹を抱える。大爆笑だ。


「笑い事じゃ無いんだけどなぁ……」


 まさか、僅か七歳の少女が付近にいた盗賊団を、手当たり次第に全滅させるなど誰が信じるだろう。

 当時を思い返すと、あの時の様々な出来事は、実は夢だってんじゃないかとさえ思えてくる。


 小さな少女がその身を真っ赤な返り血に染めて、金貨の詰まった革袋を差しだして微笑んだ。


『とりあえず替えの服を頂戴!』


 ともすれば恐怖でしかないその状況で、それでも少女の笑顔は美しく透き通って見えた。


――本当にハチャメチャ人だ。


 その瞳に涙を浮かべながら、大声で笑うリリーに

『貴女も変わってないですよ?』

 ドノバンは心の中でそう呟いた。

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