98話:ダンジョン 1日目――その5

 地を蹴ったノエルが風を纏って速度を上げる。

 宙を翔るように一足飛びで距離を詰めると、すれ違い様に膝裏目掛けて手にした鉈をなぎ払う。


 妙な手応え。ガリッと言う岩を削るような、不思議な感覚を覚えた。

 固い。矢を射った時も思ったが、想像以上の防御力だ。


 斬りつけられたオークは、目を血走らせ雄叫びを上げながら両の拳をブン回す。

 遅い。武術の様な理を詰めた動きでもなければ、ボクシングの様な速さもない。

 力任せにやたらめったら振るわれた拳。そんなものにはなんの怖さも感じない。


 ノエルは踊るように拍子を刻み、その全てを交わしていく。

 右に避け左に避け。踏み込まれたら後ろへ飛び去る。

 と、オークは突如として掴み掛かるようにノエルへ向けて両手を伸ばした。


「ブモォォォォ!」


「捕まるかよ!」


 言うが否やノエルは待ってましたとばかりに身を屈め、オークの手をかいくぐる様に距離を詰めた。

 結果、オークの手が空を掴み、その勢いで多々良を踏むと、ノエルの振るった鉈がわき腹を切り裂き血飛沫が飛び散る。

  

 体勢を崩したオークは、なんとか立て直そうと足を踏ん張り悲鳴を上げた。

 大きく切り裂かれたわき腹からは、まるで割腹自殺でもしたかの様に大量の血が滴り、内蔵までもが飛び出している。

 その上、胸元に受けた白炎がついには全身へと廻り息をする事さえままならない。


「どうしたよ? ほれ、殴って見ろ」


 言ってノエルは煽るように頬を差し出す。

 魔力は既に練ってある。後はオークの動き次第だ。


「ブモォォォォ!」


 オークが吠える。言葉など分からずとも侮蔑ぶべつの仕草は嫌でも伝わる。

 自らの命が尽きようとするその時に、この小さき人間はなんと愚劣な……。


 まさに死なば諸共。オークはノエルに覆い被さる様にして両の拳を叩き下ろした。


「おっと……」


 ノエルは練っていた魔力を眼前に解き放つと、そのまま後ろへ飛び退く。

 死に際の。それこそ命の全てを乗せたオークの一撃が、ノエル放った結界障壁に拒まれ弾き返される。

 と、途端に目の色が黒々と染まり、糸の切れた人形の様に崩れ落ちていく。

 それはまさにバーサーカーと呼ぶに相応しい散り際であった。


「ふぅ……、なんとかなったな」


 見ると顔に黒炎を受けたオークも事切れたように倒れている。

 今なお炎に包まれているさまを一瞥すると、血を切るように鉈を振り下ろした。


 今回は少しばかり無茶をしたが、おかげで色々と情報が手には入った。

 本来ならば単独で現れたオークで試したいところだったが、次に遭遇するオークがより複数、例えば三体や四体なんて事もある。

 多少の無茶は仕方がない。


 それに危険を冒しただけの価値はあった。

 オークの持つ防御力の高さは、おそらくその身に纏う毛皮によるものだと言うこと。

 下半身を斬りつけた際はびくともしなかったが、肌が露出している腹部は簡単に刃が通った。

 先に矢を受けてもあまりダメージを受けなかったのもそのせいだろう。


 それと結界障壁の耐久性だ。

 死に際に放ったオークによる渾身の一撃を完全に防いでいた。

 障壁で防御が可能なら、接近されても大して問題はないだろう。

 そもそも動きも鈍重だ。複数相手でも十分やれる筈。


 そうやって考えを纏め上げたノエルは、急ぐように歩き出した。


――少しペースを上げよう。出来れば今日中に、十五階層までは足を運びたい。


 黒炎を三つと白炎を三つ。自らの背後に浮かべると、鉈を弓に持ち替える。

 弱点が腹部と判った以上、近付く意味はない。遠距離で対処する。


 その後あらわれたオークは、単独または二体までで特に問題なく戦闘を繰り返していく。

 黒炎で視界を潰し、白炎で火だるまにする。

 それでも倒れない相手には、弓で腹部を狙い確実に命を刈り取る。

 そうやって順調に足を進め、漸く十五階層までやってくると、早速魔力の気配を感じ取る。

 数は三つ。オークだろうか? 感じた魔力の一つがやや小さい。


 弓に矢を番え、待ちかまえるようにして掲げると、やがてオーク達が姿を現した。


「ゴブリンか……」


 感じた小さな気配の正体を捉えて矢先を合わせる。

 ここまで進んできて判ったが、現れる魔物の種類と数にはパターンが存在する。

 まるでゲームの様だが、単身で攻略を目指すノエルにとっては有り難いことこの上ない。

 ダンジョンを攻略する上で、もっとも考慮すべき事態。

 想定外の危機的状況を回避できるからだ。


「まぁ、まずはゴブリンからだな」


 弓でゴブリンを仕留め、同時に黒炎でオーク達の視界を潰す。

 その後はこれまで通りの流れ作業。この階層も特に問題はなさそうだ。


 因みに此処に来るまでには横道や行き止まりはあれど、隠し通路や部屋などは無かった。

 そのてのものはかなり階層を下らないとお目に掛かれなそうだ。


「今日はここまでにしておくか」


 十六階層への階段を確認すると、これまで書き記してきた地図を取り出す。

 よくよく見比べると、階層を降りる度にダンジョンの内部が広がっているように思える。

 これより下へ向かうには、途中で野営をする必要が出てきそうだ。

 と、なるとどちらにしても一度戻って準備をする必要がある。


「よし、帰ろう」





………………。

…………。

……。




「今までずっと待ってたんですか?」


「いえ、そろそろお帰りになる頃だと思い、お迎えに参りました」


「そうですか……。それはどうも」


 五階層への扉を開けると、畏まった様子でリリーが出迎える。

 ともすれば、やや冷めた面持ちにも見える端麗な立ち姿。

 連れて行かなかった事を怒っているのだろうか?


「それでは、ご案内いたします」


「あ、はい」


 ノエルは素っ気ない様子のリリーに気圧されるように、言葉少なく後に続く。

 リリーにしてみれば失敗しないよう、恥を掻かぬよう気を張っているだけなのだが、そんな事を知りもしないノエルからすれば、些か居心地が悪い。

 結果、リリーの思惑はまたしても失敗しているわけだが、そんな事とはつゆ知らず、得意げな顔でノエルの前を歩いていく。

 流石は我が道を行く天然少女。まったくブレない。


 どうにも噛み合わない二人だった。


 しばしの後、案内された場所は四階層にある何もない大きな空間。

 そこでは今まさに飲めや歌えやの宴会が繰り広げられていた。


「随分と賑やかですね。何かあったんですか?」


 沈黙に耐えかねたノエルが口を開くと、リリーはこれまた素っ気なく無表情で答えた。


「神子様が長老にお酒をお渡しになったからです」


「え?」


「おかげさまで……」


「なんかすいません……」


「謝らないで下さい。そんな事をされては、私が叱られてしまいます」

 

「はい……」


 いたたまれない。視線が痛い。言葉が刺々しい。

 ノエルは逃げるようにその場を離れ、セバールを探す。

 たが、勘違いしないで欲しい。リリーは決して嫌みを言ったつもりでは無い。

 むしろ感謝の言葉を伝えたかったのだ。

 ただ彼女の場合、ノエルに認めて貰いたいと出来る女を演出したのが悪かった。

 必死で演じた結果、出来上がったのがこの無愛想でつっけんどうな能面少女なのだから。


「いったいどうなさったのかしら……」


 去っていくノエルの背中を眺め、リリーは首を捻る。

 自分の演技は完璧だった。全てが予定通りに事を終えたはずだ。では何故?

 そこまで考えて、リリーはハタと思いつく。


「もしかして、私の演出した理想の女性像が完璧すぎたせい?」


 それは無い! ノエルがこの場にいれば間違いなく突っ込むであろう勘違い。

 どうやらリリーは、ノエルが自分に気があると勘違いしたらしい。


「どうしましょう。困ったわぁ……」


 と、言いつつ小さくガッツポーズをとるリリー。

 その口元は心なしか、だらしなく歪んでいた。


――迫られたらどうしましょう――

 

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