34話:豚小屋

――ガリッ


 干し肉を噛み千切り、水で流し込む。

 ノエルはドカリと暖炉の前に座り、眼前を睨みつけている。

 正直な所、全く食欲が沸かないのだが、無理矢理にでも胃の中に詰め込んで置かないと身体が保たない。

 昨日のように疲労で意識を失う何て事にでもなったら、目も当てられない。


 固い黒パンと固い干し肉を無心で頬ばり、無理矢理水で流し込んでいく。


――不味い……。と言うか味がしない。


 無事に家を脱出して、森を抜けられたら目一杯何かうまい物を食べよう。

 食い倒れるまで……。


――パンパンッ


 両手を叩き手に付いた食べカスを払うと、短槍を手に立ち上がる。


「よし、行くか」

「ライト」


 槍の穂先に明かりを灯し、突き入れるようにして暖炉の中を確認する。

 見ると、ご丁寧にも煙突に繋がる上の部分は、しっかりと煉瓦で蓋がされていた。


「わかってたし。期待してねーし」


 本当は期待していた。ちょっとだけ……。


 問題の地下へ続く穴を見ると、5m程垂直に穴が開いており、その先は、どうやら滑り台の様に坂になっているようだ。

 今から此処を降りるのかと、ウンザリとした顔をしながら、這う様にして穴の中へと身を投じていく。


 槍の穂先を下にして風を纏うと、5mもの高さを一気に降下していく。


――ブォン


 低い風音を立てながら落下速度を下げる。

 慣れたものだ。この程度の高さなら、今のノエルには大した危険はない。 


――バシャ


 派手な水音を立てながら着地する。

 どうやら地下水が流れているようだ。


「冷たっ!」


 顔に掛かった水しぶきを拭うと足下を見下ろす。

 思ったほどの水量は無い。水たまり程度、といった所だろうか。

 しかし、地下水だけあって水温はかなり低く、尻を付いて滑り降りる気にはなれない。


 槍を掲げて辺り見渡す。

 この世界では、これ程の物を一個人で作り上げる事が出来るのだろうか。

 そこは直径6mはあろうかという大きな洞穴。

 壁や天井はゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっている。

 対して床はツルツルと滑りやすく、滑らかな形状をしていた。

 恐らくは長い年月を掛けて、地下水の流れにより研磨されたのだろう。


 ノエルは、流れる地下水を掌ですくい上げると灯りで照らし、サラサラと地面に返す。

 キラキラと煌めくそれは透明度が高く、綺麗な天然水のようだ。


「どうみても天然の洞穴だよな……」


 天井を見上げて考える。

 もしかすると、この洞穴を利用するために上の建物が建てられたのかもしれない。

 だとするならば、わざわざ丸太小屋で偽装してまで隠したい何かがこの先に有るのだろうか?


 目を細めて先を見る。

 そこには、掲げた灯りを拒絶するかの様な、分厚く底の知れない闇が続いている。


――行くしかあるまい……。嫌だけど……。


「ふぅ……」


 短く息を吐き覚悟を決める。

 

 仕方なしに身体を半身にして腰を落とし、サーフィンさながらの体制で滑り降りていく。


 辺りを照らす光は、腰に付けたランタンと両手に構えた槍の穂先のみ。 

 視認できる先は、2mが限界と言ったところ。

 

 先の見えない闇の中をウォータースライダーの如く、猛烈な速度で滑り落ちていく。

 それも立ったままでだ……。


 ノエルの顔は恐怖におののき、ヒクヒクと頬を引きつらせる。


「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 水しぶきを上げながら、ノエルの絶叫が闇の中で木霊した。




◇――――――◇




 前方に風を射出し、逆噴射の様に速度を緩める。

 初めからこうすればよかった……。

 どうやらあまりの速度に頭が回らなかったようだ。


 やがてゆっくりと滑り降りていくと、遠くの方に薄明かりが見えてくる。

 これ程の地下深くに見えた灯り……。


――誰かが居るのかもしれない。


 そう判断したノエルは水球を浮かべると、前方へと配置し戦闘に備える。

 ゾンビ相手に水魔法が通用するとは思えないが、一瞬動きを止める事ぐらいは出来るだろう。

 それさえ出来れば、後はその素っ首を切り落としてやればいい。


 イメージは出来ている。怖じ気づか無ければ問題ない。

 短槍を握る両手に力が入る。


「何が来ようが、やってやる!」


――灯りが近づいてくる。

 小さかった灯りが徐々に大きくなり、終着点が近いことを確信させる。


――ザザッ


 投げ出されるように宙を舞う。

 ノエルの目の前に剥き出しの岩盤が迫ってくる。

 身体を捻り両足で壁を蹴るように、忍者さながら着地を決める。 

 次の瞬間、重力に従い自由落下をしながら地面へと着地を試みるが、そこに待ちかまえていたのは大量の干し草の山――


――ズボッ


 勢い良く突き刺さり、干し草の中へと埋もれてしまう。


「ペッペッペッ……。うぇ……」


 完全に埋もれてしまったノエルは、口の中の干し草を吐き出し、何とか脱出しようとかき分ける。


「何だってこんな所にこんな物が――」

「「「――ブヒィィィッィィ」」」


「――っ!」


 突然の鳴き声にノエルの動きが一瞬止まる。


 今、聞こえたのはどう考えても豚の鳴き声だ……。


――何故だ?


 干し草といい豚といい、此処は地下じゃないのか?


 先ずは状況を確認するのが先だと、モゾモゾト頭を突きだし辺りを伺う。


「何でこんなに明るいんだ?」


 地下深くにも関わらず、そこは十分な灯りに照らされていた。

 しかし、何処を見渡しても光を放つ道具も無ければ、光苔の様な特殊な植物も存在しない。

 だが、明るい……。それも見た事のない灯かりの色をしている。

 薄い灰色の光……。前世でだって見た事のない色の灯かりだ。


 そして、広い。とにかく広い。

 東京ドーム何個分だろうか。分からないがとにかく広い。


 ノエルの頭は混乱を極める。

 目の前に広がるそれは、どう見ても村の様相を呈していた。

 簡素だが木造の家々が立ち並び、小さな畑らしき物まで点在している。


「人……、なのか?」


 遠くの方で人影が見える。

 全裸の男性が四つん這いの女性の尻を抱え、一心不乱に腰を振っている。

 それも、よりにもよって道の真ん中で……。


 変態的な他人の情事を目の当たりにして、込み上げるのは、ただただ恐怖。


 ノエルは視線を逸らして目を閉じる。

 その表情は嫌悪感に満ち満ちていく……。

 赤の他人の趣味趣向にとやかく言う気はないし、はっきり言ってどうでもいい。


――ただ、これはあんまりだ……。

 

 ノエルは藁の山から這い出ると、近くの建物の影に隠れて様子を伺う。

 

――見たくはない……。


 見たくは無いが、確認しておかなければならない。

 自身が目の当たりにしているそれ・・が、本当に予想道理のものなのかを……。


 待機魔力を集中し、両の目に注ぎ込む。

 そうして得た視力で捉えた光景は、あまりにも残酷で悍ましい姿だった。


 それは人間と呼ぶには、あまりにも異形の姿をしていた。

 首の回りに浮かび上がったのは、投網の如く太い糸で紡がれた痛々しい傷跡……。

 辺りに響き渡るのは家畜の鳴き声……。





――それは、人の体に豚の頭を繋いで出来ていた――


 背を向けると、壁に手を突き思わずへたり込む。


――狂っている……。


 先程口にした保存食が喉元までせり上がるのを堪え、天井を見上げて深呼吸をする。


(落ち着け……。あれはオークだ。そう思いこむんだ)

 

 辺りに豚の鳴き声が木霊する――


「「ブヒィィィッィィ」」

 

 目を閉じ耳を塞いでうずくまる。


――頭がおかしくなりそうだ――


「「ブヒィィィッィィ」」


「クソッ……」


 壁に手を突きフラリと立ち上がる。

 膝が震え目には涙が浮かび顔色は蒼白としている。

 恐怖による身体異常。恐慌状態……。

 ノエルは無意識のうちに逃げ道を探していた。


――まるで恐怖に怯える子供のように……。


 目の前には家か倉庫か、どちらともとれるボロボロの木造の建物がある。


――無意識だった。

 

 なんの警戒も確認もせず、無意識に扉に手をかけてしまった。


――ガチャ


 扉を開けた途端、襲ってくるのは、家畜の、糞尿の、獣臭い空気。


――ガサガサガサ……。


 灯り一つ無い真っ暗な闇の中、床一面に引かれた藁を引きずる音が聞こえてくる。

 ゆっくりと何かが近いてくる。


 震えた手で握る取っ手がカタカタと音を鳴らしている。

 やがて現れたいくつもの黒い影に、崩れた壁から光が射し込む。


 射し込む光が影を照らすと、数十もの並ぶ目玉がギラリと光。


――ドサッ

 

 あまりの事態に腰を抜かし、尻餅を付く。

 床を蹴り尻を滑らせるように後退していく。


 すると、視界を埋め尽くす黒い影が、その口を一斉に広げ鳴き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――殺してくれっぇぇえぇえぇ!――

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