37話:少女に終わりを与えよう

 苦しんで、もがいて、諦めて、また苦しんで……。

 そうして生まれた憎しみの先には、絶望が待っているだけだった……。

 何時もの様に楽しげに私をなぶる怪物達は、何時もの様に愉しげにはしゃいでいる。

 あまりの痛みに耐えかねて赦しを請うが、其れすらも彼らの快楽の内と知る。


 救いを求めて死を願うも、それすら許されない地獄……。


 ずっと、ずっと、良い子にしてたのにな……。

 私、何か悪い事したのかな……。


 狂う事が出来れば、きっとこんなにも苦しまずにすんだのかな?

 一緒に攫われた母さんは、ずっと昔に狂ってしまった。

 他の人達も皆皆狂ってしまった。


 だから怪物達は私にだけ酷い事をする。

 私だけが泣き叫ぶから……、彼らを喜ばせる為に……。

 ずるいよ母さん、どうして私を残して狂ってしまったの?


 どうすれば狂えるの?

 どうすれば救われるの?

 どうすれば終わるの?

 どうすれば――

 

――殺して……。


 もう声も出ない……。今度こそ死ねるのかな?

 怪物が私の頭を踏みつけて大声で叫ぶ。


 これは終わりの合図。続く絶望への布石。

 死なないように痛めつけて、死なない内に戻されるの。

 母さん達の待つ豚小屋へ……。


――あぁ……、今日も死ねなかったな……――



――パァーン


 渇いた音が鳴り響くと、目を瞑り反射的にその身を縮める。

 それは刻まれ続けた暴力への反応だった。

 しかし、何時まで経っても続く痛みはやって来ない。


――何故?


 やがて襲われるであろう痛みに身構えていると、不意に頬を雨粒が撫でる。

 少女はうっすらと、恐る恐るその目を開く。


 その雨は赤かった。

 空の無いこの地下深くで、少女の目に血の雨が映る。


――ドチャ


 豚頭が倒れると小さな水しぶきが上がる。

 辺りには血にまみれ、肉片と脳味噌が飛び散っている。

 剥き出しの岩盤に出来た地下水の水溜まりを、今尚流れ出る大量の血液が小さな血の池へと変えていく。


 少女はその光景をただボンヤリと眺め、その広角を上げた。


 豚頭達は興奮したように雄叫びを上げる。

 その間も、一人、また一人と彼らは倒れその数を減らしていく。

 やがて一カ所に集まると、互いに身を守るように輪になって辺りを見渡し始める。


(ふふふふっ、良い気味。良い気味だわ……)


 怯えたように鼻を鳴らす豚頭達を眺めながら、少女はその口元を更に歪める。


(あっ……。また死んだ)


 次々に倒れ伏せる姿を羨望の眼差しで見つめていた。

 何時になったら自分の番が来るのかと……。


「「「ブヒィィィ」」」


 豚頭達が空を見上げて一斉に怒声を上げる。

 

 彼らはその手に農具を握りしめ、鬼気迫る表情で少女へ向けて走り出す。

 その瞳は憎しみに淀み、その口元は殺意に歪み、地を蹴る足はその速度を上げていく。


 迫り来る怪物達に怯え、やがて来るであろう痛みと死に、諦めたように目を閉じる。


――どんな形であれ、死は死だ。

 ただ……願わくば、怪物達の死に様を見届けてから終わりたかった。


 それは、地獄の苦しみに耐え続けた少女が、初めて願った神への祈りであった。


――ドチャ


 誰かが倒れる音がする、それでも迫り来る足音が止むことは無い。

 自らの死を受け売れて尚、少女はその身を縮ませるように震える。


 

 しかしその瞼を開けると、怪物達を見つめる瞳は細く、鋭くなってゆく。

 せめて最後の最後は彼らを睨みつけて死んでやろうと……。

 

――瞬間。

 天から一柄ひとからの槍が落ちる。

 それは先頭を走る豚頭を串刺しに、地へと刺さり縫い付けた。


――バシャァ


 少女の前に出来た真っ赤な水溜まりが、その中心から円を描くように血柱を立てると、またも辺りに血の雨が舞い落ちる。


 突然の出来事に目を見開いた少女の視線の先には、自身よりも年下であろうと思しき小さな少年が立っていた。



「てんし……さ……ま」


 か細く、聞こえるはずも無いその小さな祈りの言葉は、確かに少年の耳へと届いていた。


――奇跡。

 この日、この時、この場所で、少女の祈りが天へと届いたと言うのなら、其れこそがまさに奇跡の所行なのだろう。

 


 血を吐き、縋るように自身を見つめる少女に向けて少年は告げる。


「もう少しだけ待っていろ。直ぐに楽にしてやるからな……」


 膝を突き、倒れる事さえ許されずに事切れた豚頭を、蹴り出すように槍を抜き放つと、横へ凪いでバシャリと血を切る。

 その後ろ姿をじっと見つめる少女の瞳からは、止め処なく涙が溢れ出ていた。





――あぁ……神様、感謝します――




◇―――――――◇





 周囲に水球を浮かべると、少女を後目に地を蹴って突進する。

 この現状は自身のミスが招いた結果だ。

 多少危険でも退くわけにはいかないだろう。


「図に乗った結果がこれかよ。ざまぁねぇな、ったくよ……」


 これ以上、少女へ近付けない為にも先ずは連中の足を止めなくてはならない。

 威嚇するように大声を張り上げると、眼前を睨みつけ水球を次々に発射していく。


「うおおぉぉぉっ!」


 水魔法に殺傷力は期待出来ないが、構いやしない。

 大事なのは連中の足を止めることだ。

 槍を左手に持ち替えると、食事用のナイフとフォークを次々に頭部へ向けて投げ込んで行く。


 狙いはひとえに痛みを与えること、殺す必要はない。

 徹底的に痛めつけて、先ずはその戦意を叩き潰す。

 

 水球で鼻面を潰された者、ナイフを目に受けた者、フォークを頬に受けた者。

 それぞれが手にした農具をかなぐり捨てて、両手で顔を覆い地に膝を突いていく。


「「「ブキャァァァ」」」


 無様にも泣き叫ぶ豚頭達の間を縫うように駆け抜ける。

 その際、手にした槍を右手に持ち替え、ついでとばかりに切り払う。


 一々足を止めてはいられない。狙いを絞らなくては……。

 すれ違い様に目の端で捉えた軽傷の者を選んで……。


――ズシャ

 肉を切り裂く音を立て、真っ赤な血に染まった槍の穂先が宙に赤い線を描く。


 待機魔力を解放し、水球を作り出すと間髪入れずに全てを前方へと発射する。


 血走った目で牙を剥き、鼻息荒く突進してくる豚頭達は、迫り来る水球には、まるで無関心かの様に避ける動作一つも取らない。

 ノエルは、そんな彼らの様子を冷たく鋭い眼差しで冷静に……、いや、冷血に観察していた。


(完全に我を忘れてるな。まったく、有り難い事だ)


 更に水球を生みだし、今度は自身の背後に浮かべると風を使って速度を上げる。


「「「ブギャッ」」」


 予想どうりまともに水球を受けた豚頭達は、仰け反るようにその足を止めると、血走った目はどこへやら、途端に緊張した面持ちへと変わっていく。


――思った通りだ。


 コイツらは痛みをしらない。まるで物を知らない赤ん坊の様だ。

 尚も地を蹴り、一気に先頭を行く豚頭へと肉薄すると、その喉元へと槍を突き入れる。


――ザシュッ

 突き刺したまま体を回転させると、まるでサッカーのフェイントを思わせる動きでその脇を抜けていく。


 強引。無謀。死にたがり。

 

 端から見ればそうとしか思えないこの突撃には、ノエルなりの理由があった。


 恐らく此奴らは、知能は高いが知識が無い、と。

 身を切る痛みすら理解していなかったのだ。

 ならばその正体は、不気味な姿をした身長180cmの筋骨隆々な赤ん坊といった所だろうか……。

 ……其れは其れで気持ち悪いのだが……、どちらにしても。


――考える時間は与えない。


 続く相手へと突進すると、苦し紛れに握った鎌を振り上げる。


「ブヒィィィ」


――ドキャッ


 狙い澄ましたかの様に水球が振り上げた手首に命中すると、鈍い音を立ててへし折れる。


 肋骨を切り裂き、槍の穂先が心臓を捉える。

 更に返す刃で次の獲物へ襲いかかる。

 その動きに迷いはなく、その思考に忌諱感は無い。

 ただ、死なない程度に痛みを与え、その動きを奪って行く。

 

 正に一方的な暴力の限りを尽くし、ものの一分足らずで、その場に立っている者はノエルを残すだけとなっていた。


「ふぅー」


 深く息を吐き辺りを見渡す。

 其処には怯えたようにのたうち回り悲鳴を上げる哀れな豚頭達。


――ブンッ


 手にした槍を横に凪ぎ、血を払うと踵を返し歩きだす。

 やりたくは無いが、やらない訳にはいかないだろう。

 これは、ノエルが勝手に始めた事だ。

 ならば、終わらせるのは自分の責任だ。

 






――少女に終わりを与えよう――


 

 

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