106話:ダンジョン 2日目――その3

 火属性を弓に、風属性を矢に注ぎ込む。現在放てる遠距離攻撃の中でも最速の一撃。

 その一矢をオークの顔面目掛けて狙いを定める。


 相対する二人の距離は大凡200m。いくら最速の矢とは言っても、これほどの距離だ。避けられるのがオチだろう。

 コレは、あくまでも牽制。虚仮威しの一撃。

 オークがどういった反応を示すのか。ノエルはそれが知りたかった。


――シッ。


 短く息を吐き、矢を放つ。風を纏った矢が加速度的に速度を上げ、オーク目掛けて飛んでいく。

 対するオークは仁王立ちのまま、避ける様子ひとつ見せない。

 ただ一つ、右足を軽く上げると、その場で踵を踏みならした。


 瞬間――オークの前に土壁がせり上がり放たれた矢が突き刺さる。

 と、乾いた音と共に弾け飛び土壁を大きく抉り取った。

 ノエルは続けざまに二の矢、三の矢と放ち続け、五の矢で遂に拳大ほどの小さな穴を開けた。


 ギロリ――とオークの瞳が穴から現れると、刺すようにノエルを睨み付けた。

 先程までの余裕の色は消え、敵を迎え撃つ戦士の眼差しへと変貌を遂げる。


「ブヒィィィィッ!」


 歓喜の雄叫びが上がる。自身の力を振るうに値する好敵手が現れた。

 オークの魔力が膨れ上がると、同時にボロボロと土壁が崩れ落ちていく。


 どうやら随分とやる気になったらしい。

 ノエルは小さく鼻白むと、弓を仕舞って鉈を取り出した。


「流石に土壁ぐらいは出すようだが、発動速度は及第点とは言えないな」


 言って左手を掲げると、クイッと手招きしてみせた。

 『今度はお前が撃ってこい』と。


 その意味を理解したのかしていないのか、オークはゆっくりとノエルへ向かって歩き出す。

 肩を揺らし、鼻を鳴らし、ドスンドスンと威嚇するように足を鳴らす。

 その様子はまるで売られた喧嘩を買ってやると言わんばかりだ。


 対するノエルは、その動作をじっと観察し続けていた。最初に感じた違和感の正体が分かった気がする。

 このオークの行動は、敵対者に対する反応だ。

 少なくとも飢えた魔物の取る、狩の様子とはまるで違う。


 やはり魔法に目覚めた魔物は他の種と違って知能が高いらしい。

 少なくとも、戦闘そのものを楽しむ程度には……。


 立ち上っていた魔力が収束を始める。すると程なくしてオーク前方に三つの石槍が姿を形成し始めた。


――遅い。


 未だ土属性こそ持ち合わせてはいないが、ノエルならば恐らくは瞬時に作り出せるであろう程度の魔法だ。


「やはり魔物は魔物か……」


 オークの使う魔法には、人間と魔物の違いが如実に現れていた。

 知性で魔法を扱う人間に対し、魔物は野生で魔法をものにする。

 その二つの大きな違いは、思うに鍛錬と効率化。これにつきる。

 人間は魔法使いに成るために、まず魔力操作の鍛錬から始め。

 如何に効率よく魔力を使い、素早く魔法を構築するかを学ぶ。

 しかし、魔物にはそれがない。


 覚束ない魔力操作で作られた非効率な魔法。それが一般的な魔物の限界なのだろう。

 少なくともアルル村で戦った間者の男は、石槍を一度に五発は作り出せていたし、構築までの時間も遙かに早かった。


 それらを鑑みるに、恐らくオークは待機魔力すら使いこなせないのだろう。それが出来てさえいれば、少なくとも今よりも半分の時間で構築出来たはずだからだ。

 

「ブモォォォ!」


 ノッシノッシと迫ってきたオークは、距離にして凡そ30mを切ろうかという地点まで来ると、突然――雄叫びと共に右手を振り上げた。

 殺意の籠もった瞳がキュッと収縮し、眉間から鼻に掛けて深く皺が刻まれる。

 と、当のノエルはその様子を呆れた様に眺めると、思わず苦笑いを浮かべた。


 今から魔法を撃ちますよと、大仰に宣伝するとは。

 黙って撃てばいいものを、やはり魔物は所詮魔物だったようだ。


「来いよ、根刮ぎ弾いてやる」


 オークの手が振り下ろされ、ノエルへ向けて石槍が放たれる。

 回転すら加えられていない石槍は、貫通力はおろか速度すら鈍く、ノエルの発動した結界障壁に容易く粉砕された。


「ブモッ?!」


 その様子を見たオークが驚いたように鼻を鳴らすと、ノエルはもう一度手招きしてみせた。


「ほれ、一々驚いてないで撃ってこい」


「ブモォォォ!」


 足を踏み鳴らし雄叫びをあげる。立ち上った魔力が次々と石槍を顕現すると、両手を振り回し発射する。

 構築。発射。構築。発射――。休み無く繰り返される法撃。

 自慢の魔法を容易く防がれたのがよほど腹に据えかねたのか、オークは完全に我を忘れている様子。

 ノエルは眼前に張られた結界障壁に、定期的に魔力を注ぎ込んで耐久力を維持しながらその様を眺めていた。


 土壁、石槍ともに完成度が低い。おまけに魔力効率まで低いとなれば、単純な魔法の撃ち合いで負けることは無いだろう。

 となると次は近接戦闘だが――大した驚異にはならない気がする。

 が、一応手の内は見ておいた方がいいだろう。なにしろこの後にはボス戦が控えているのだ。情報は多いに越したことはない。


 弾かれ砕けた石槍が粉塵を撒き散らし、辺り一面が真っ白に染まった頃、漸く法撃が止まり破裂音が鳴りを潜めた。

 視界が閉ざされオークの鼻息だけがやけに大きく響く静けさの中、ノエルは作りだした風で舞い上がる粉塵を振り払う。


「息切れか? まだもう少しだけ頑張ってくれ。死にたくはないだろう?」


 見ると、魔力が底を尽き掛けているのか、オークは肩を上下に揺らしながら息を切らしている。

 ノエルは結界障壁を解除すると、ゆっくりとオークへ向けて歩き出す。

 その手にはダンジョン内で手に入れた肉厚の鉈が握られている。


 コツコツコツ。と大袈裟に踵を鳴らしながらゆっくりと回り込むように距離を詰めていく。


 食欲を戦意で抑えつけられる程度の知能があるのなら、恐怖心も他の魔物に比べて抱きやすいだろう。

 ならばそこをつついてやればいい。接近戦も有利に進める事が出来るはずだ。


「ブモォォォ!」


 オークは背を丸め、威嚇するように吼える。

――刹那。ノエルは地を蹴り一気に距離を詰めた。


 虚を突かれ慌てたオークが身を捩って腕を振り払うが、当のノエルは足元をすり抜けるように背後へ回り込む。

――硬い。すれ違いざまに切りつけてみたが、弱点だったはずの脇腹に、まったく刃が通らない。

 辛うじてうっすらと赤い線が描かれただけだ。


「んじゃこっちもエンチャントさせて貰おうか」


 待機魔力を火属性へと変換。圧縮。解放――。

 ノエルの速度が上がる。踏み込む足が、蹴り出す爪先が、爆発的に瞬発力を上げ、未だ動揺も醒めよらぬオークを切り刻んでいく。

 直線的な移動を繰り返しながら切りつける。ガリガリとした身を削る音が響く。

 腕、太もも、ふくらはぎ、かく関節。ともに刃通らず。

 ならば――と、すれ違いざまに、体重を載せた全力の凪払いがオークの脇腹を襲う。


「ブヒィィィィッ!」


 悲鳴が上がり、絶叫が轟く。遂にノエルの振るった刃がオークを切り裂いたのだ。

 へその直ぐ上辺りを大きくかっさばかれ、ピンク色の内蔵がズルリと飛び出す。

 

「駄目だな……。斬れるっちゃ斬れるが、刃が欠けちまう」


 いつの間にか距離を取るようにオークの背後に回り込んでいたノエルがボソリと呟く。

 天井に掲げたようにして眺めた鉈は、見ると刃先が少し欠けていた。


――だがまぁ、切れない事もない。か……。


「ブギャァァァ……」


 こぼれ落ちる自らの内蔵を受け止めるように両手で抱え、オークは涎を垂らしながら悲鳴を上げ続けている。

 下半身が真っ赤に染まり、足下には大きな血溜まりが広がっていた。


「あぁ……悪い。もう大体わかったから、死んでいいぞ?」


 言ったノエルの頭上に、三つの白炎が姿を現す。

 と、その表情は、陶器の様に感情が消え失せ、瞳は冷たく目端が尖っていった。


――瞬間。白炎が放たれると、避ける間もなくオークを襲い、その全身を淡く白い灼熱の陽炎が包み込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る