66話:シスター・アナベル
約十二万人もの人々が暮らす町。
城塞都市フェアリー・ベル。
町全体を取り囲う様に、百年以上もの長きに渡り建設を続けてきた壁は、今なお増え続ける人口も相まって花が咲くような形に増築を繰り返している。
また大通りには線路が敷かれ、各区画を行き来する魔導車なるものが往来し、人々の暮らしに欠かせない足として使われていた。
ノエルは門番の男に連れられて、魔導車で町の中心にある教会へと向かっていた。
魔導車は車輪と、それを支える床こそ鉄製だが、壁や天井など殆どが木製で出来ており、サスペンションなどの技術が未だ未熟なのか、ガタガタという振動が車内を揺らし続けている。
窓から眺める景色を見ながら町の説明を受けていたノエルは、酷い揺れに顔を青くしながらも目を逸らせずにいた。
その瞳に映るのは中世の町並みに、そこを行き交う多種多様な人々。
アルル村では出会うことのなかった他種族の姿があったのだ。
残念なことにドラゴニュートやケット・シーの姿こそ見受けられないが、エルフ、ドワーフ、ワービースト、剣を腰にぶら下げた者、ローブに身を包み大きな杖を持った者。
まさに自身の思い描いたファンタジー然としたその情景に、終始興奮を隠しきれないノエルだった。
その後も数十分ほど揺られ続け、流石に限界かとポーションを取り出そうとした時、ノエルの耳になにやら美しく澄んだ鐘の音が染み渡る。
案内役の男の説明によると、この鐘の音こそが町の名の由来だと言う。
今から凡そ150年ほど昔に、この地に嫁いできた第二王女アナベル・フォン・ランスロットが、作らせた鐘。
それは聞く者の心に染み入り、穏やかな気持ちにさせると言う聖なる鐘、ホーリー・ベル。
それが当時、あまりの美しさに妖精と称えられたアナベルと合わさり付けられたのがフェアリー・ベルと言う町の名の由来だそうだ。
確かに美しい音色だと聞き入っていると、不意に先ほどまでこみ上げていた吐き気が綺麗さっぱりかき消えている事に気付く。
これは一体どうしたことかとポーションを片手に首を捻っていると、鐘の音の癒し効果によるものだと教えられる。
ノエルはそう言って自慢げに言って聞かせる男を見て、慌てたように自身に闇属性のエンチャントを掛けた。
心が穏やかになると聞かされたときは、気の持ちようだろうなどと軽く考えていたが、乗り物酔いが治るとなっては途端、その意味が変わってくる。
乗り物酔いとは三半規管が刺激された結果、平均感覚や自律神経の乱れが生じ、引き起こされる症状である。
つまりこの美しい鐘の音は、聞く者の脳へ何らかの影響を及ぼす力があると言うことだ。
――嫌な予感がする。
酔いが治るのはありがたい事だが、自身の知らぬうちに思考誘導なんてされては堪らない。
思えばメイ曰く、犯罪も殆ど起こらない平和な町、と言うのも何か関係があるのかもしれない。
はたして本当にそんな力があるかは分からないが、用心するに越したことはない。
ノエルは領主と教会に対し、警戒レベルを一つ上げた。
………………。
…………。
……。
あんぐりと大口を開けて教会を見上げる。
天に向かって突き上げるようにそびえ立つ巨大な建造物。
ゴシック様式にも似た円錐状の屋根が幾つも連なり、その周りには茨のような刺々しい装飾が施されている。
もっとも目を引くのは所々壁にはめ込まれたステンドグラス。
遠目にも圧倒されるほどの大きなそれは、翼を広げた天使のような女性が、
「凄いだろ?」
案内役の男はノエルの頭にポンと手を置くと一際高い屋根を指さした。
「あそこに見えるあの鐘がさっき聞こえてきた聖なる鐘だ。この教会は町の象徴だからな、ふざけて壊したりしたら大変な事になる。俺の言ってる事わかるな?」
「う、うん、気を付けるよ……」
「じゃぁ行こうか」
厳かな雰囲気の中、扇状に広がった階段を上り、開け放たれた大きな扉へと歩いていく。
やや緊張した面持ちで前を見据えたノエルは、いざと言う時に備え待機魔力を闇属性へと変換する。
この町において、教会の持つ権力は想像以上のものかもしれない。
もしかしたら、立ち回り方次第では次のやっかい事に発展しかねないと、身を引き締める。
(今度こそ上手くやらないとな……)
「お待たせしましたシスター・アナベル。この子が例の子供です」
純白の法衣に身を包んだ金髪碧眼の女性が、扉の前で出迎える。
白いレースのベールを捲り、にこりと笑んだアナベルは、ノエルに目線を合わせるようにしゃがみ込むと、両手で包み込むように抱きしめた。
「辛かったわね、もう大丈夫よ。ここにいれば絶対に安全だから」
「え、えっと……ノエルです、よろしくお願いします」
「えぇ、よろしくね。私の事は気軽にアナって呼んでちょうだい」
「は、はいアナさん。一つお聞きしてもいいですか?」
「えぇ、勿論よ。何でも聞いてちょうだい」
「アナさんって王女様なんですか?」
ノエルの質問に一緒にきた案内役の男は、慌てて口を挟む。
「す、すいません、シスター・アナベル。その辺の事情は、まだ説明してなくて……」
「ふふふっ、大丈夫ですよジャックさん。そんなにお気になさらないで下さい」
案内役の男の名前を初めて知ったノエルは、互いに名乗る余裕もない程に緊張していた事に気付く。
ノエルは今後の自身の身の置き場について、ジャックは……。
――あれ? もしかして……。
なんとなしに思い至ったノエルが見上げると、ジャックの耳はほんのりと赤らんで見えた。
――ツンツン
と、ジャックの脇腹をつついてサムズアップ。
「ば、バカ、やめろこのガキ!」
「まっ! ジャックさん……、教会でそう言った粗暴な言葉づかいは、おやめください」
「す、すいませんしたぁぁ!」
――頑張れジャック!
思いを込めて背中をポンポンと叩くと、ものすごい形相で睨み返される。
げせぬ……。
その後、恨めしげなジャックを背に、アナベルに手を引かれて教会へと入っていく。
聞けば、アナベルとは聖なる鐘の管理者が代々受け継ぐ特別な名前で、元々の名前ではないとのこと。
むろん、その名の由来は、第二王女アナベルだそうだ。
踏み入れた教会内部は荘厳の言葉に相応しく、金や銀などの高価な素材こそ使われていないが、ステンドグラスは勿論のこと、備え付けられた長椅子一脚一脚の背もたれに、それぞれ違った細工が程こされ、素人目にも値打ち物であることが伺えた。
ノエルは教会の雰囲気に呑まれつつキョロキョロと辺りを見回す。
アナベルは、そんなノエルを見て微笑まし気に笑むとすっと立ち止まる。
「ノエル君」
「はい……、なんでしょうか?」
ノエルは、何か失礼なことでもしたのだろうかと、口ごもる。
なにせこの国の宗教については何も知らないのだ。
知らず知らずのうちにタブーを冒していてもおかしくはない。
――時として宗教は恐ろしい。
前世であった地球の宗教史でさえ血生臭さい話など幾らでもあった。
ましてやこの命の軽い世界ではなおのことだろう。
信仰という目的を忘れ、布教と言う手段に狂った長い歴史を思い、些か緊張した面持ちでアナベルを見上げる。
アナベルは眉間に皺を寄せ、途端に真剣な表情へと変わる。
――ゴクリッ……。
生唾を飲む。
「あなた、やっぱりちょっと臭うわ。まずはお風呂に入りましょう!」
そう真剣な面持ちで告げるアナベルを前に、ノエルは突っ込むべきか否か頭を悩ませるのであった。
そんな毒気を抜かれて呆けたノエルをよそに、アナベルは衝撃的な一言を放つ。
――せっかくだから一緒に入りましょう――
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