126話:仕組まれた暴落

 暖かな寝息が前髪を揺らし、微睡みから徐々に意識が覚醒していく。

 鐘の内側に書かれた魔法陣を転写するのに、結局朝方まで掛かってしまった。

 その後すこしでも仮眠を取ろうとベットに潜り込むが、案の定アナベルに捕まり、結局寝入った頃には朝日もすっかり上った時刻。

 あれからどれぐらい経ったのかは分からないが、随分と体が軽い。


 ノエルは、相変わらず全裸で抱きついているアナベルから逃れようと身をひねる。

 と、ムニュッと柔らかなものが二の腕に押しつけられた。


「おはよう、ノエル君」


「おはようございます。起きてたんですか?」


「ええ、もうお昼前だもの」


「あぁ、寝過ごしたか……。いい加減おきないと、ととっ?!」


 起きようとするノエルを、アナベルが胸元へ押さえ込む。

 ノエルは自らの顔の上で不規則に弾む柔らかな物体を、押しのけるように持ち上げると、アナベルから吐息が漏れた。


「あんっ、悪い子ね!」


「馬鹿なこと言ってないで退いてください。そもそもこんな時間まで寝てて良いんですか? シスターとしてのお勤めもあるんでしょ?」


「神職にだって休日はあるのよ? つまり今日はずっとこうしていられるって訳ね」


「そう言われても、俺には仕事の予定が入っていますので」


 ノエルはそう言ってアナベルの胸元からスルリと逃れると、ベットから飛び降りた。

 先ほどからナインの威嚇するような鳴き声が聞こえる。一悶着おきる前にとっととお暇した方が良いだろう。


「おいで、ナイン。とっとと出発しよう」


「ミャッ!」


「あーん、いけずぅ……」


 何やら古めかしい常套句が聞こえた気がするが気にしない。

 気にしたら負けだ。突っ込んでも負けだ。無為に時間を取られ、ストレスが溜まるだけ。

 ノエルは逃げるように部屋を後にした。





………………。

…………。

……。




 ノエルは今後の資金を集めるために、薬師ギルドへと向かっていた。

 思っていた以上に出費がかさんでしまったため、ポーションを売って少しでも稼がないと生活もままならない。

 前回来たときに、手持ちの殆どを売り払ってしまっていたが、セバール達から相当数のポーションを預かってきている。

 見るとなかなかに出来もよく、結構な値段で売れるはずだ。取りあえずはなんとかなるだろう。


 ふと気が付くと教会からの道中、昨晩までは確かにあった後を付けてくるような気配がパッタリと止んでいた。

 その様子に少しばかり無気味さを感じたノエルだったが、よくよく考えてみればそれもその筈。ランスロット側からは護衛が付いているし、イグニス王国側にしてみれば想定外の横やりにてんやわんやしている頃だろう。

 唯一、動きが予想できないのはヘインズが属するフェルドナンド王国の動き。

 ただし、これに関しては国と言うよりもヘインズ個人による独断の可能性も否定できない。

 あくまでも勘でしかないが、ノエルはヘインズにどこか壊れた印象を抱いていた。

 愉快犯じみた彼の言動に、振り回されないように気をつけなければ……。


「おはようございます。ポーションを卸しにきました」


「坊主か……、随分と早いな。この間おろしたばかりだろ?」


 ギルドの扉を開けると、キョロキョロと辺りを見渡す。

 すると書類仕事でもしていたのか、眼鏡をずりさげながら怪訝な顔でブルートが出迎えた。

 嫌われるような事をした覚えは無いはずだが、どう言うわけかあまり歓迎されてないらしい。

 それでも仕事はしごと、ブルートはため息混じりにカウンターへと足を向けた。


「ギルドマスターが直々に買い取りカウンターに立つなんて意外ですね」


「そうでもないさ。人手が足りなきゃワシだって例外なく仕事をする。ここは軍隊でもなければお役所でもないからな。それよりとっとと物を出せ」


 急かすように鼻を鳴らすブルートに、愛想笑いで返すとノエルはいそいそとポーションを並べていく。

 

「はい、結構な数があるんですが、全部買い取っていただく事って出来ますか?」


「売ると言われりゃ買い取るが、今は値が下がってるぞ?」


「多少の値崩れは気にしませんよ。今の単価どれぐらいになりますか?」

 

「……十本で銀貨一枚」


「は? 冗談ですよね?」


 ポーションを並べていたノエルの手が止まった。いくら何でも安すぎる。

 そんな捨て値で売っていては薬師は首をくくるしかない。

 なにしろ前回の十分の一の価格だ。何かの冗談だと思っても仕方がないだろう。


「需要と供給だ。子供には分からんだろうがな」


「それぐらい知ってますよ。値下がりどころか暴落じゃないですか? ポーションが霞むほどの新薬でも開発されたんですか?」


「んな訳あるか。で? 売るのか売らないのか?」


 ノエルが驚き声をあげるが、ブルートは鬱陶しそうに切って捨てた。

 まるで取り付く島もない。横暴にもほどがある。


「流石にその値段では売れませんよ。原価にすらならないじゃないですか!」


「ワシが知るか。自分でどうにかせい」


「どうにかって……どういう意味ですか?」


「ワシの口からは言えんな……。売る気がないならとっとと帰れ」


――まるで訳がわからない……。


 以前ギルドを訪れたときには入会金すら受け取らなかったブルートが、今では厄介払いでもするように素っ気ない態度を露わにしている。

 たった一週間の間になにがあったと言うのだろうか?


「……出直して来ます」


「そうか、ではな」


 ノエルは唇を噛みしめると、震えた声で口にした。

 何者かの圧力。ブルートの放った言葉を考えれば、そうとしか思えない。

 いったい誰がこんな事を? 自分を追い出したい勢力でもあるのだろうか?


 ブルートは興味なさ気に一瞥すると、そのままノエルに背を向け去っていく。

 ひとり残されたノエルは、必死に頭を巡らせた。

 こんな事をして誰が得をするというのだろう? 心当たりがまるで無い。


 ブルートは仮にもギルドマスターだ。圧力を掛けるには、それ相応の力が必要になる。

 最低でも貴族階級。それも領地持ちで武力も金もある実力者。


――ただ……。


 そんな力のある者が、このような回りくどい方法をとるだろうか?

 気に入らなければ潰せばいいし、必要なら力を見せつけ脅せばいい。

 金をチラ付かせて取り込むことだって出来るだろう。


 少なくともわざわざギルドに圧力を掛けるなんて事は――。


「いや……、もしかして俺は脅されてるのか? マジか……、舐められたもんだな。この程度で今更びびるかよ」


 ノエルは膨れっ面でポーションをしまうと、踵を返して出口へと向かった。

 ただ売るだけなら別にギルドにこだわる必要はない。道具屋でも行商人でも他に宛はいくらでもある。

 ここに来たのはギルドに加入した以上義理がある。ただそれだけの事。


――そっちがその気なら……。いや、まてよ? ブルートにしてみればとばっちりを受けた形になるのでは?


(なるほど、だから機嫌が悪かったのか……)


 はぁ……。と、ため息を付いて振り返る。見るとブルートは未だに顰めっ面で書類を睨みつけていた。


「やっぱり、仕返しをするなら脅してきた当人にしないとな」


 大凡の検討はついた。おそらくはランスロットだろう。

 他国の、それも辺境泊のお膝元でギルドにちょっかいを出すはずがない。

 となれば当の辺境泊本人しか有り得ない。


 自分の元へ下るなら面倒を見てやろう。逆らうのならば――。と言ったところか……。


 もちろん証拠と呼べるようなものは一つもないが、別に訴えたいわけではないので問題ない。

 かと言って泣き寝入りするつもりもさらさらない。

 セバール達ダーク・エルフの事もある。盛大に意趣返しをさせてもらおう。

 

「待ってろよランスロット。度肝を抜かせてやる!」

 

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