146話:ストレートアップ

 見るべきものは見た。そろそろ怪しまれないうちに戻った方がいいだろう。ノエルは屋敷の中へと消えていく男達を見送ると、会場へ戻り何食わぬ顔でビュッフェへと向かった。

 ケーキやシュークリームなどのデザートと、紅茶をトレイに載せていく。

 従者という役割のノエルが、主から離れて勝手にフラフラ行動していたのでは怪しまれてしまう。これはそのためのというやつだ。


 まぁエリスには何かしらの食べ物を与えておけば、機嫌が良さそうなので好都合でもある。


「さて、戻るか……」


 山盛りのデザートを手に入れたノエルが、エリスのいるであろうルーレット台へと足を向ける。途端、会場の空気が震えた。ワーと言う、人々の大きな歓声が響いてくる。多分――エリスが要るはずの方角だ。嫌な予感を覚えた。下級とはいえ貴族を巻き込めば、余計な厄介ごとを背負い込むことになりかねない。


――頼むから大人しくしていてくれよ……。


 祈りつつ慌てて戻ってみれば、ルーレット台を取り囲むのは溢れんばかりの人集り。そこでは耳が痛くなるほどの拍手喝采が続いていた。これはいったいどういう事かとギャラリーを伺う。


『凄い、ここまで全部一点賭けで当ててるぞ』

『おい、私も彼女と同じところに賭けるぞ!』

『これは我々も勝ち馬に乗るしかありませんな……』


 どうやらどこかの誰かが派手に勝ちを上げているらしい。

 ノエルは何かを察したのか、ひどく眉を歪めると吠え面よろしくうなだれた。


 数分。たった数分の間、目を離しただけだというのにどうしてこんな事になったのか……。


――頼むから暴れてくれるなよ……。


「すみません、ちょっと通ります――」


 デザートの載ったトレーを頭に乗せ、集団の中に体ごとねじ込んでいく。そうやって何度か窒息しそうになりながらも、どうにかこうにか人の壁を抜け出すと、現れた光景に息を飲む。


 山だ――分厚く、高く積み上げられたカジノチップが、ピラミッドのごとく鎮座していた。


「なんだこれ……」


 呆気にとられたノエルが呟く。狐につままれるとはこのことだ。

 何をどうしたらこの短時間で、これ程までに大勝ちが出来るのだろう……。


「あら? 遅かったわね。どうしたの? 泣きそうな顔して」


「お嬢様、これはいったい……」


「あぁこれ? 私こういうの昔から得意なのよね。何となく分かるのよ、不思議よねぇ」


 エリスは特に感慨もなく事も無げに言い放つと、ノエルからトレーをひったくりケーキを頬張り始めた。


――どうしよう……流石にこれは予定外だ。


 とは言え作戦の終着点はリッジ・ファミリーの構成員を叩きのめすこと。当初の予定では賭けの結果に難癖を付けて、エリスに暴れてもらうつもりだったが……。


――うん、これはこれで悪くない。


 コレなら、こちら側から仕掛けなくても、相手の方が動いてくれるかもしれない。

 思慮を巡らせ、考えに耽っていたノエルは、おもむろに顔を上げるとエリスに向かって。どんどんやれと促した。


 ニヤリ――エリスは不敵に笑うと一気に紅茶を流し込む。

 エリスの手が金色に輝く駒をつまみ上げた。それは大金を一度に賭ける為に使われる特別な駒。

――瞬間。歓声がさざ波のように引いていき、微かに息を飲む音がいくつも重なる。ディーラーがルーレットを回し、続いて銀色に輝く玉を走らせた。


 エリスの駒がシートの上を滑り出すと、野次馬達の目がジッとそれを追いかける。


「00よ! ここに全額賭けるわ!」


『うぉぉぉぉ!』


 空気を震わすほどの歓声が上がる。その熱狂と呼ぶべき雰囲気に、ノエルはまたも唖然として大口を開けた。


――嘘だろ? コイツマジか!


 いきなり全額。それもストレートアップ。00の一点賭けだ。これには開いた口が塞がらない。

 豪快というかなんというか……、サムズアップは失敗だったかもしれない。


 そう諦めたように天井を見上げたノエルは、ゆっくりと目を閉じる。

 過ぎてしまった事はどうにもならない。なるようになれだ。


 カラカラと玉の転がる音だけが響き。やがて弾む音へと変わっていく――。


「00です、おめでとう御座います……」


 そして辺りは再び熱狂の渦に包まれた。


――この女、当てやがった!


 これに慌てたノエルは、エリスの腕を引くと切り上げるように指示を出す。

 十分だ。これ以上やれば、彼らもなりふり構わずイカサマを仕掛けてくるだろう。どうせ着地点が同じだとしても、勝ちを拾った方が良いに決まっている。

「そうね、確かにそろそろ潮時かも。あのディーラーから、なんだか嫌な感じがするのよねぇ」


「お嬢様、もしかして今まで勘だけで賭けてらしたんですか?」


「当たり前じゃない。ギャンブルってそういう物でしょ?」


「そ、そうですね……」


 脳筋や天然は、突き抜けると天才に致らしい。しれっと言い切ったエリスに、ノエルは頬をヒク付かせた。


「終わりにするわ。換金して頂戴」


「しょ、少々お待ち下さい……」


「いいわ、でも急いで頂戴。私も暇じゃあないんですからね」


 エリスの終了宣言に、ディーラーの男は態度を一変。先程までのポーカーフェイスはどこへやら、焦りを隠しきれない様子でどこかへ走り去ってしまった。

 当のエリスはといえば、何食わぬ顔で残りのデザートにパクついている。


「お嬢様、この後のご予定を覚えていらっしゃいますか?」


「覚えてるわよ……。ずっと思ってたんだけど、キミは私のことを馬鹿だと思ってるでしょ?」


 ノエルの言葉にピタリと動きを止めたエリスが振り返る。するとスッと目を細め、訝しげにノエルを見下ろした。


「いえいえ、そんなことは微塵も考えておりません」


「ふぅーん……、まぁいいわ。そういう事にしておきましょ」


 口元に手を添えて、遅蒔きながら上品に『ホホホ』と微笑むが、頬に付いた生クリームがなんとも滑稽で、ノエルは必死に笑いをかみ殺していた。

 そんなおり、人垣を分け入るように三人の男達が現れた。ひとりは先程のディーラーの男。残りの二人は着ている身形から警備の人員だと直ぐに察しが付いた。


 おそらく場所を変えて話をしようとでも言うのだろう。ノエル達にとっては好都合だ。が、その前に――。


「失礼します、お嬢様」


「むぐぐっ……」


 口の周りに付いたクリームを拭う。流石にこのままでは恰好がつかない。


「大変お待たせ致しました。それではご案内いたします」


「案内? どういう事かしら? 私は換金してちょうだいと言ったのだけれど」


 現れた男の物言いに、エリスは苛立ったようにテーブルを指で鳴らした。演技なのか地なのか判断が難しいが、横柄な態度がとにかく上手い。いい感じに彼らを逆なでしている。


「申し訳ありません。金額が金額ですので、警備上別室での受け渡しとさせていただきます」


 刺々しい言葉をサラリと受け流し、警備の一人が頭を下げる。しかしエリスはそんな彼らの申し出を不満顔で一蹴した。


「大金? 冗談でしょう? こんなのたかが端金じゃない。いいからさっさと持ってきて頂戴」


「ですが決まりですので……」


「まったく、融通の利かない人達ね! もういいわ、案内しなさい」


「ありがとうございます。それではコチラへどうぞ」


 不満たらたらといった様子でエリスが立ち上がる。と、ノエルは少しばかり後ろに陣取りエリスの後を追いかけた。

 左右へと割れた人垣の中を、花道でも通るがごとく優雅に歩く。その姿は我こそが勝者であると言わんばかりだ。


 エリスは煽りも一流らしい。顔には出さないものの、男達から発せられる魔力が不快そうにうねり始めた。


 この調子でエリスに牙を剥いてくれるといいのだが、どうなることやら……。




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