147話:上機嫌なお嬢様
見た目が子供の為か、とくに危険は無いと判断したようで、警備員はエリスのみを警戒している。ノエルは少し離れて後を追いながら、周囲の動きに目を走らせた。
進む度に警備の数が増えていく。先にカエル男が連れて行かれた時は、最終的に警備の数は二人だった。しかし今、エリスの周りを8人の男達が取り囲んでいる。
それも全員が体内魔力を練り込み、いつでも身体強化を発動できる体勢で、だ。理由は――おそらくエリスがエルフだからだろう。長命種であるエルフには、ことさら優秀な魔導師が多い。魔法とは多くの知識と鍛錬の先に得ることを許される技術である。そのため、より長い時間を生きるエルフは、魔法使いとして適した種族と言えた。彼らの警戒度が高いのはそういった事情があっての事だろう。
(どんどん増えるな……。問題はどこで仕掛けてくるか、だ)
外へ通じる裏口。最終的にはそこへ至るまでに、警備の数は合計で12人にまで膨れ上がっていた。
「こちらです……」
扉を開け、先を行くディーラーが促す。と、突然エリスは後ろを振り返り、背後にいた男を突き飛ばした。
「気安く触らないでちょうだい!」
どうやら急いた警備の一人が、エリスの背中を押したらしい。
見れば男が一人、尻餅をついている。ノエルは背後からその様子を見て、慌てて走り出した。突き飛ばされて頭に血でも上ったのか、男が待機魔力を解放したのだ。
「この
「落ち着けよオッサン……」
いち早く男の動きを察知したノエルが、背後からその喉元にナイフを突き当てていた。会場内で暴れられるのはマズい。もしも関係のない者を巻き込めば、互いに引っ込みが付かなくなってしまう。
反撃でも企んでいるのか、微かに男が身じろぐ。ノエルは後ろから男の目元を覆い隠すと、手にしたナイフを強く押し当てた。
「死にたいなら好きにするといい。あんたに気を使う義理はないんだ……」
タップリと殺意を込めた魔力を乗せて、耳元で男に囁く――
男の動きがピタリと止まり、息を飲みノドを鳴らした。
「…………」
「お嬢様、ご無事ですか?」
「無事じゃないわ! その男はなんの断りもなく私に触れたのよ? その汚い腕を切り落として頂戴!」
普段、適当にあしらわれていた反動か、困ったことにエリスは敬われることが気に入ったらしい。面倒くさいことこの上ない。自分で巻いた種をノエルに刈らせて悦に浸ろうとしているのが見えみえだ。
『うぜぇ!』心の中で吐き捨てると、一拍おいて口を開く。
「お嬢様、それはやり過ぎです……」
「むっ……。まぁいいわ、今回だけは許してあげる。私の従者に感謝する事ね」
ノリノリのエリスお嬢様は、高飛車な台詞を残すと踵を返して扉をくぐる。ノエルは困ったものだと首をすくめ、未だ身を固めたままの男の肩をポンポンと叩いて後を追いかけた。
――直後。空気が震えた。周囲を警戒していた男達が一斉に待機魔力を解放。そこから僅かに漏れ出した魔力が、辺りに漂いピンと空気を張りつめる。
「ふふふふっ、随分と可愛らしい反応だこと」
エリスは手のひらで口元を押さえて、上品そうに笑う。それは背後でつき従うノエルも同様だった。
それもそのはず、そもそも練度の高い魔法使いなら、せっかくの魔力を体外に放出したりなどはしない。出来る限り効率よく体内で循環させるものだ。
つまりは、ここにいる者達はその程度の使い手ということになる。
「お嬢さん……、あまり舐めてもらっちゃ困るんだ。こっちにも面子ってものがあるんでね……」
足を止め、ドスを利かせた声でエリスに食ってかかる。しかしエリスは止まらない。まるで眼中にないかの如く、微笑んだまま過ぎ去っていく。
結果そこには、男がひとりポツンと取り残されている。
これは恥ずかしい……。ノエルが後ろを振り向くと、案の定男の顔が赤く染まっていた。
たいしてエリスはますます上機嫌になっていく。心なしか足元も弾んで見えた。
――楽しんでるなぁ……。
「ふ、ふざけんなよ、こんの腐れアマがぁぁ!」
堪忍袋の尾が切れたのか、遂に男が怒声を上げた。しかし――
「後はよろしくね」
そう、たった一言ノエルに告げると、エリスは他の警備員を連れ立って屋敷の中へと消えていった。
――あの女、自分で煽っておいて丸投げしやがった!
流石に少々イラッとしたが仕方がない。今のノエルはあくまでも従者だ。非常に不本意だが、主の命に従わないわけにもいかない。
「めんどくせぇ、マジでめんどくせぇ……」
今にも突進していきそうな男の前に立ちはだかる。思えばこの男はどうにも他の連中とは毛色が違って見えた。尻餅をつかされた時も、無視され取り残されたときも、仲間であるはずの警備員はこの男には目もくれずに歩き去ってしまった。
ひとりだけ浮いている。というより玄人の中に素人が混じっていた。そんな印象を受けた。
「……どけ! 二度は言わんぞ?」
爆発寸前。うなり声を上げる。眉間から鼻面にかけて深い皺を刻み、半笑いの口角が男の怒りを体現していた。
「落ち着けよ……。あんたの仕事は暴れる事じゃないだろ?」
「…………」
落ち着かせようと語りかけたノエルに、男は無言て歩み寄る。と、これが返事だとばかりに回し蹴りを繰り出した。
ノエルはその場にしゃがみ込み、クルリと身体を捻って軸足を蹴り飛ばす。
と、軸足を苅られた男がドサリと間の抜けた音を立て、芝生の上に尻餅をついた。
呆気に取られた表情。目を見開き、大口を開けている。一瞬、何が起きたのか理解できず、男はノエルをぼんやりと見上げていた――
「――くそガキがぁぁぁっ!」
――数瞬後。我に返った男が怒声をあげた。
その様子に呆れたノエルは小さく息を吐くと、起き上がろうと立てた男の膝を持っていた杖で殴り飛ばす。
「ぶべっ……」
体制を崩し、顔から地面にダイブした男が滑稽な悲鳴を上げた。
「落ち着けよ、俺だって暇じゃないだ……。うちのお嬢様がしたことは、元を正せば、あんたが悪いんだぜ? 許しもなく、女性の身体に勝手に触れるのは、お世辞にも紳士的とは言えないだろ?」
「てっ……、てめぇには俺が不抜けた紳士ってやつに見えたってのか? あぁあっ!」
この手の輩は話が通じない。ノエルは対話を諦め、早々に終わらせることにした。
力いっぱい地を蹴ると、今まさに顔を擡げた男の顎をけりあげる。まともに受けた男は、弧を描くように背面跳びで遠ざかり、地面を転がり滑っていった。
「もういいや……」
ノエルは冷めた面持ちで呟くと、男の状態を確かめることなく背を向けた。
防御も出来ず、受け身も取れない。とくに気にすることもないだろう。
用事を済ませ、ようやく屋敷の前にたどり着いた矢先、窓ガラスをぶち破って、空から人が降ってきた。
ノエルが慌てて飛び退くと、今度は屋敷の中から何かがぶつかり合うけたたましい音が聞こえてくる。
――あぁ……始まってる……。
自分を待たずに勝手に暴れ始めたエリスに苦笑いしつつも、ノエルは大人しく終わるまで待つことに決めた。
自分勝手に始めたのだから、きっちりひとりで仕事を終わらせてもらおう。
どのみちエリスが遅れをとるとは思えない。
「まっ、いいか……」
屋敷の壁に背を預け、腕を組んで目を閉じる。そうやって魔力越しに中の様子を伺うと、今度は悲鳴が轟いた。なんとも野太い男の悲鳴、もしくはうめき声。そして直後に重なるのは甲高い女性の笑い声。
上機嫌な女の笑い声が、魔力に乗って大気を振るわせ、いくつもの哀れな悲鳴がビバップを奏でていた。
エリス無双である。
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