72話:路地裏の攻防

「よぉ……、探したぜ? 糞ガキ……」


 薄汚れた麻のズボンにシャツを着たワービーストの男が、ノエルの行く手を遮るように姿を現す。

 身包みを剥がれただけあって、随分と酷い格好をしている。

 錬金ギルドへの道中に絡んできた変態だ。


 ノエルは男の足下にチラリと視線を落とすと、煽るように口角を上げ、目線だけを漂わせて周囲を確認する。


――やはり人数は三人で間違いなさそうだ。


「どうしたよオッサン。いい年して靴を買う金すら持ってねぇのか? それともワービーストには裸足で過ごす文化でもあるのかよ?」


 自身のみならず同胞をも侮辱するノエルの軽口に男の声色が変わる。


「てめぇ……、殺してやる!」


「落ち着けよオッサン。 ここじゃ直ぐに衛兵が駆けつけて来るぜ? 続きはそっちの路地裏で聞くよ。あんたのお仲間も待ってる事だしな」


 ノエルは男の目を真っ直ぐ見据えて言い放つと鼻を鳴らす。

 のぞき込んだ男のネコのように縦に伸びた瞳に変化が見えないのだ。

 どうやら相手はノエルをいまだに舐めているらしい。


 ワービーストは猫科の動物に似た身体的特徴を持っている。

 そのため感情の機微が瞳に出やすい性質を持つ。

 つまりノエルの目の前にいるこの男が見せた怒りの感情は偽物・・と言うことになる。


「いい度胸だ。さっきは邪魔が入ったが、今度はそうはいかねぇぞ? ついて来い!」


 先に絡まれた折り、どうやら男はノエルではなく別の誰かに不意を突かれたと勘違いしているらしい。

 なるほど、これはノエルのミスだ。

 となれば改めて教え込まねばならないだろう。


――下手に手を出せば高くつくと言う事を……。




 男の後について路地裏へと足を踏み入れる。

 身体強化に風のエンチャント、更には待機魔力を水属性へと変換し、すでにその時に備てある。


 見れば待ちかまえていた仲間らしき二人の男はヒューマンとワービーストで、どちらも共に魔力の流れに揺らぎを捉えた。


――どちらも大した使い手ではなさそうだ。


 ノエルは路地裏に入るや否や水球を発現させると、左右にいる壁に背を預けてニヒルを気取る男達へと発射する。

 その数一人につき20発。

 他の属性ならまだしも水属性ならば、よほど打ち所が悪くない限り死にはしないだろう。


 と、考えての事だったのだが、いささかやり過ぎだったようだ。

 

 二人の男達は、ノエルの放った水球を構える間もなく全弾まともに受けてしまい、悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされていく。


「なっ! て、てめぇいきなり何しやがる!」


 まるで枯れ葉のように吹き飛ばされた仲間を見て、男は慌ててノエルから距離をとる。


「笑わせるなよ? お前らチンピラ相手にヨーイドンで拳を握るほど俺は優しくねぇんだよ。それにな……、俺はお前らみたいに平気で子供に暴力を振るう輩が大嫌いなんだ。覚悟しろよ?」


 縦に伸びた男の瞳が大きく広がる。

 それは猫科の動物が興奮した時に見せる瞳孔の動き。

 ようやく男に怒りの感情が沸き上がったようだ。

 が、もう遅い。


 ノエルは自身の背後に水球を浮かべると掛かってこいと手招きをしてみせた。


「…………」


「ん? どうしたオッサン。突っ立ってるだけじゃ何時まで経っても状況は好転しないぜ?」


 太々ふてぶてしい態度で挑発を繰り返すノエル。

 男は毛を逆立てた猫のように背中を丸めると、射殺すような目でノエルを睨み付けた。


「なにもんだ……お前……」


 威嚇するように身構えた男の声が震える。

 その開いた瞳孔は、怒りではなく怯えの感情が浮かび上がっていた。


――駄目だな……、これでは埒が明かない。


 ノエルは浮かべていた水球をかき消すと、ゆっくりと歩き出す。


 圧倒的な実力差を見せつけた上で、痛みと恐怖を植え付ける。

 そうでなくては意味がない。

 この手の輩は執念深いと相場が決まってるのだ。

 しばらくの間、悪夢にうなされるぐらいで丁度いい。


「そう怯えるなよ、特別に魔法は使わないでおいてやるよ……」


「くっ、馬鹿にしやがって……」


 男はジリジリと近づいて来るノエルから思わず後ずさろうとする、と。


「待てよ、どこへ行く気だ?」


「…………」


「今ここで逃げ出せば、お前のお仲間は確実に死ぬぞ?」

 

「くそっ……。クソクソクソクソったれがぁぁ!」


 男は半ばヤケクソ気味にノエルへ向かって走り出す。

 元々ワービーストは身体能力の高い種族だ。

 それが拙いとは言え身体強化まで施せばどうなるか。

 およそ武道の心得すらない、この男ですら驚異的な力を手にする事になるのだ。

 

 男からノエルまでの距離は、約五m。

 男はその5mを助走もなくたった一歩で詰めてくる。


「死ねや!」


 いまだ脱力したように呆然と立ち尽くしているノエルへ向けて男の抜き手が放たれる。


――ドゥゴッ


 低く鈍い音と共に男の体がくの字に曲がように浮かび上がる。

 ノエルはひょいっと首を傾げて抜き手を交わすと、ニヤリと笑んだ。


「ぐっ、うげぇぇ……」


 その場に膝を突き腹を押さえるようにして嘔吐する男。

 ノエルの放った水球が、カウンターで男の腹部を捉えたのだ。


「ぐ……、や、約束が違うじゃねーか。魔法は使わないって言っただろうが」


 よほど苦しいのか、男は目に涙を浮かべて鼻を垂らしながら立ち上がることすら出来ずにノエルを見上げている。


「馬鹿だなぁお前……。そんなの嘘に決まってんだろ?」


「て、てめぇ……」


 歯を食いしばり立ち上がろうと膝を立てた男の鳩尾に水球が放たれる。


「うがぁぉ……」


 顔を、腹を、肩を、足を……。

 立ち上がろうとする度にノエルの放った水球が男へ放たれる。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 

 繰り返される痛みと屈辱に、遂に男の心が折れようとするその時。

 鉄板の仕込まれたブーツのつま先が男の鼻面に叩き込まれた。

 盛大に鼻血を吹き出して白目を剥いた男を後目に、狸寝入りを決め込んでいた男達へ水球が放たれる。


 最初に気を失った二人の男が薄目を開けてノエルの方を伺っていた事など、当に気が付いていたのだ。


「次はお前らの番だぜ? 人の痛みって奴を教えてやるよ……」


「「ひぃぃぃ……」」


 ノエルは周囲に水球を浮かべると、殺気をまき散らしながら男達へとにじり寄っていく。


「すっげー! お前超つぇぇじゃん!」


「――ッ!」


 不意に掛けられた声に振り返る。

 そこには鼻息荒く、興奮した面持ちでノエルを見つめるダンの姿があった。


――どうしてだ? 何故気付かなかった?


 ノエルは今日だけで二度も子供達に後ろを取られた。

 しかも油断していた前回とは違い、今回は戦闘中にも関わらず、だ。


(まさか三人とも魔法使いなのか? そんな事があり得るのか?)


――何かしら絡繰からくりが無ければこうはならない。


 唖然とするノエルを余所に興奮したダンはノエルの肩を揺らしながら詰め寄った。


「アニキ、俺を子分にしてくれ!」


「えぇぇぇ……」





………………。

…………。

……。






 ダンとフランに腕を引かれ、街中を進んでいく。

 これから彼らの秘密基地とやらに案内されるらしい。

 どうやら彼らの親分になるのは決定事項のようだ。

 先が思いやられる……。


 路地裏でダンに詰め寄られた後、男達に優しく教育を施してから子供達を連れてその場を後にした。

 それ以降今に至るまでずっとこの調子である。


 ノエルとしては今日の今日までトラブル続きの自分のそばに、あまり子供達を近づけたくは無かったのだが……。


「こっちだぜ、親分! 後少しで俺たちの秘密基地だ」


「親分とか勘弁して欲しいんだけど……」


「駄目よ! 男なら初志貫徹なさい。女々しい男は嫌われるわよ?」


「フランは一体どこでそんな言葉を覚えたの?」


「シスター・アナベルよ。他にも色々教わったわ。男を落とす仕草とか虜にする方法だとか」


「い、いいから、もういいから……。まったく……あの変態シスターは、子供相手になんて事を教えてやがんだ……」


「僕はあのシスター苦手だなぁ……。お風呂に入るときいっつも身体中をくすぐってくるんだ」


「…………」


 フランの発言からのコリンの告白。

 アナベルの暴走っぷりに眩暈を覚えたノエルは、人知れず決意した。


 今度あのシスターをしめようと。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る