18話:夜空の下のケット・シー

「お帰り、ノエル」


「んっ」


「何処に行ってたんだい?」


「魔導具屋」


「あぁ、あの使えそうな男の所かい?」


「おっさん、使えた」


「そうかい、使えたかい。アハハハハ」

 

 取り留めのない話をしながら、オン婆と一緒に調合の準備に取りかかる。

 テキパキと準備を終わらせると二人並んで、擂り粉木を回し始めた。

 幾度となく繰り返してきたノエルの日常だ。


「今日はノエルが魔力水を作ってごらん」


「んっ」


 オン婆に促され壷の中に魔力水を満たしていく。


「あぁだめだめ、もっと魔力を込めて密度を上げないと」


「まってまって、一度壷の中身を捨てなきゃ意味ないだろう」


 有り難いことに、オン婆は出来の悪い俺に根気強く教えてくれる。

 この世界に再び生を受けて、いきなり新たな家族とギクシャクした関係になり、あげくに家を追い出されても誰も恨むことは無かったし「まぁ人間なんてこんな物かな」と達観視できたのは、きっと前世の記憶のおかげだろう。

 しかし今が幸せだと感じるのは、紛れもなくオン婆のおかげだと思う。

 だからマイヤに言った言葉に嘘はない。

 俺は今この日常がとても気に入っている。

 

「そうそう、うまいじゃないか」


「んっ」

 

 最近この無口キャラを作ったことを後悔している。

 もっとオン婆と色々話したりするのも良いかも知れないと思うのだ。

 でも気持ち悪がられるのは嫌だから前世の事は話せないけれど。

 他にも話したい事や聞きたいことは山ほどあるんだ。

 いつか話そう、マイヤの事もダズの事もゴルドー達やラーメン屋のこと何かを……。

 オン婆ならきっと何時も見たいに楽しそうに笑いながら聞いてくれるはずだ。

 

「んっ、オン婆」


「なんだい? ノエル坊」


「これあげる」


「髪留めかい? 一体どうしたんだい?」


「買い叩いた」


「へぇ綺麗じゃないか。ありがとうノエル坊」


 欲しかった魔導書が手に入らなかった腹いせに、ケイジから安く買いたたいた髪留めの魔導具をプレゼントした。

 オン婆の髪はとても綺麗だが最近白髪が増えた気がしたのだ。

 この髪留めの魔導具は魔石を交換することで、髪の色を自由に変えることが出来る優れ物。

 これでオン婆も白髪を気にする事もなくなるだろう。

 

「ところでノエル坊は将来何になりたいんだい?」


 オン婆はプレゼントした髪留めを付けて、手鏡で嬉しそうに確眺めている。

 

(将来か……。今は魔法に夢中だけど、仕事にするとなったら荒事必須だろうしなぁ……)

 

「んっ、薬師」

(やっぱり薬師だな。魔法は趣味でいいかな)

 

「そうかい、薬師かい。それはいいねぇ、ちょいと地味だけどいい仕事だよ」


 オン婆は手鏡をしまうと、銀色に光る牛乳瓶の様な形をした大きな容器を2つ取り出し、嬉しそうにノエルの前に置いた。

 

「ノエル坊にプレゼントだ、ポーションの熟成樽だよ。1つ10リットルだから2つ合わせて20リットルしか入らないけどねぇ」


 そう言ってポンポンっと樽を叩く。


 ポーションに使う熟成樽はミスリルで出来ていて、10リットルの容器となれば1つ白銀貨1枚はする代物である。


「んーんっ」


 いくら何でも高すぎる。自分があげた髪留めは銀貨一枚にもみたない安物だというのに。


 ノエルは遠慮がちに首を振る。しかしオン婆はそれを遮るように言った。


「明日はノエル坊の誕生日だろう? それにね、薬師の世界では師から独り立ちする弟子に樽をプレゼントする習わしがあるのさ」

 

「独り立ち?」

 

「あぁ、いや別にノエル坊を追い出そうってんじゃないよ。アンタにはまだ教えないといけないことが山ほどあるんだ。ただね、あたしももう良い年だからねぇ。渡せるときに渡そうと思っただけさね」


 オン婆の言葉にいつもは無表情のノエルがムッと頬を膨らませで抗議する。


「縁起でもない!」

 

 そんなノエルを優しそうに見つめながらオン婆はさらに言葉を重ねた。


「願掛けみたいなもんさね、ノエル坊。人はね、いつでも思い残しの無いように生きようと努力すれば、意外と長生きするものなのさ」

 

 そう言って笑ったオン婆は頭に付けた髪留めをスッと優しくなでた。

 


◇―――――――――◇





――床にドカンと胡座あぐらを掻き、目の前の熟成樽を眺めながらノエルは考え込んでいた。


(オン婆は、この樽は誕生日プレゼントだと言っていたが、だったら明日渡せばいい話じゃないか? 何で今日なんだ? 今日じゃなきゃいけない理由があるのか? それはつまり明日何かが起こるって事何じゃないか?)

 

 腕を組みウンウンと唸りながらいつものように前世で読んだ数々のライトノベルの物語を思い出す。

 

 「ラノベで言ったら完全にフラグだよな、これ……。

 今行動しないと手遅れになるパターンの不幸フラグだ。

 くっそぅ、なんでオン婆が?確かにオン婆は腕のいい薬師だが、それ意外はただの婆さんだぞ?

 この世界の連中は年寄りを労る敬老精神って物がないのか?

 くぅ、考えろ、考えるんだ、俺は一体いつ何処でフラグを踏んだ?」


 不幸フラグは全てへし折る。回収するのは幸せフラグだけでいいと心に決めているのだ。


 ノエルはオン婆に出会ってからの事を、出来るだけ事細かに思い出し書き殴るように紙に起こした。

 

「うーん、西のギャングと聖騎士団は除外してもいいだろう。

 問題は教会騎士と東のギャング団とザンバたち間者連中だ。

 うーん、3つか? 嫌違うな、東のギャングどもと間者はセットで考えた方がいい。

 となると……ザンバか? 教会騎士が俺のことを嗅ぎつけられるとは思えないしな。ゴルドー達が裏切ってなければだけど……、信じて言いよな? しかしなぜザンバが? わからんな……」


 ノエルはゆっくりと立ち上がると、いつものローブを取り出し樽をしまう。

 

「予定より少々早いが仕方ない。ここは躊躇っている場面じゃないよな」


 やけに大きなローブを身に纏い、首には赤いマフラーを巻いて顔を隠すように口元まで託しあげる。


「よし行くか!」

 

 部屋の窓を開け向かいの屋根めがけてジャンプすると、ブォンと言う音とともに5mほど浮かび上がる。

 覚えたばかりの風魔法を使用してみたが、出力の調整を間違えよろめく。

 

(うぉ、あぶね。やっぱり慣れないと怖いな)


 ノエルはその後も何とか体制を立て直しつつ風魔法を使い屋根から屋根へジャンプしていく。


(今日中に最低でもエンチャント位は物にしないとな)


 ピョンピョンと屋根の上を音もなく飛び跳ねていくとやがて教会が見えてくる。

 

「さて、うまく行くかどうか……」



◇――――――――◇



――ドンドンッ


「ん? なんだ?」


 ジャスパーが執務室でタイラス宛に手紙をしたためていると何やら窓を叩く音がした。

 机の横に立てかけた剣を左手に持ち窓を見やると、そこには開け放たれた窓枠に腰をかけ、ぶかぶかのローブを来た子供らしき者が腰掛けている。


(何者だ? 見ればエンチャントを施しているにも関わらず一切魔力の気配を感じなかった)

 

 音も気配もなく突然現れた侵入者に、ジャスパーは左手に持った剣の柄を握り問いかける。

 

「何者だ?」


 突然現れた小さな侵入者は長い袖口をブンブンと振り回しながら慌てている。


「ま、待つにゃ、落ち着くにゃ。ちゃんとノックはしたにゃ」

 

「にゃ?」


 ジャスパーは怪訝な顔で侵入者を観察する。

 その小さな体に似つかわしくない程の魔力量に精密な魔力操作、それに何より特徴的なしゃべり方……。


「ケットシー?」


「にゃ! にゃんで分かったにゃ!」


 さも驚愕と言わんばかりに体を仰け反らせる姿を見てジャスパーは剣の柄から手を離す。


「それで、最近噂のケットシーが私に何用かな?」

 

「うわさ? にゃんの事だか分からにゃいにゃ。にゃーは、聖騎士に話が合ってきたにゃ」

 

 自身のバレバレの演技に全く気づいていない様子のケットシーに毒気を抜かれジャスパーは姿勢を正すと話を続けた。

 

「私が貴殿の探している聖騎士団、団長のジャスパーだ。私でよければ話を聞こう」

 

「そうにゃ? それなら話が早いにゃ」

 

――ケットシーの話にジャスパーは驚愕した。

 よりにもよって教会騎士団が不正を働いていると言うのだ。

 法国の騎士は皆その剣を神に捧げていると信じていたジャスパーにとってはとても信じがたい話だった。

 

にわかには信じられんな。何か証拠があって言っているのかな? 騎士たる者がそのような――」


 誇りを傷つけられたと感じたジャスパーが不快感を隠さずにまくし立てると、被せるようにケットシーは言った。


「呆れたにゃ、お前ほんとに団長にゃ? 人の上に立つ者の器じゃないにゃ」

 

「なっ、どういう意味かな?」


「人は間違いを犯すものにゃ。そこに信仰心は関係ないにゃ。極まれにお前みたいにバカまじめな者も見るみたいだけどにゃ」

 

「にゃははは」と笑うケットシーに詰め寄るようにジャスパーは言った。


「そんな事は分かっている。それでも正道を貫くのが騎士なのだと私はそう言っているのだ」

 

「にゃ? にゃにを怒こってるのか分からにゃいが、それはにゃーではなく教会騎士共に言う事だにゃ」


「っ! そこまで言うのであれば証拠を見せてもらおうか?」

 

「いいにゃ」と、ケットシーは執務室いっぱいに何やら物資を出すとジャスパーに書類らしき紙の束を差し出す。

 奪うように引ったくり書類に目を通すと、そこには聖都に運ばれるはずの物資の目録と不正に関与した人物たちの名前が書き連ねられていた。

 

「こ、これは……」


「言っておくけど、普通はここまで手遅れになる前に気づくにゃ。

 疑うのも、疑っているのを隠すのも上に立つ者の義務にゃ。

 それは、お前が義務を怠ったからここまでになったにゃ。

 反省するにゃ」

 

「…………」

 

 それ以降、証拠書類を険しい顔で眺めたまま固まっている。

 そんなジャスパーをケットシーは、黙って見守っていた。

 やがて、「そうか」とボソリと呟くと「ご助力感謝する」と言って頭を下げた。

 

「ちょっと、待つにゃ」


「まだ何か?」

 

「返すにゃ」

 

「はっ?」

 

 意味が分からないと言った顔をするジャスパーにケットシーは言った。

 

「その書類はにゃーの物にゃ、あげるとは言ってないにゃ」

 

「あぁ成る程、報奨金ですね? それでしたら「ちがうにゃ!」」

 

「は? ではなにを?」

 

 益々混乱するジャスパーにケットシーは「にゃはは」と笑いながら話を続ける。

 

「お前はやっぱり何も分かってないにゃ、良いかにゃ? そんな物的証拠が何もせずに空から降ってくるわけがないにゃ。

 これらはみんな危険を省みず不正を正そうとした人々の勇気の結晶にゃ。

 お前が今手にしている物を与えたのは神様ではないにゃ。

 勇気を出して不正に立ち向かった一般市民にゃ」

 

 ジャスパーはハッとした、不正取引の商品や書類を持っているという事は、取引に関わったことを意味しているのではないだろうかと。


「それは……、彼らも罰せられてしまうと言う事か……」

 

 その呟きを聞いたケットシーは呆れたように首を振る。


「何でそうなるにゃ、あきれるにゃ。それは、潜入捜査と言うものにゃ!」

 

「なるほど! それなら問題はないか……。嫌むしろ私が指示したことにすれば彼らに報償も出せるな」

 

 ジャスパーは顎に手を当てブツブツと独り言を始める。


「やっと分かったみたいだにゃ」


 そう言って肩をなで下ろしたケットシーは新たな紙束を取り出し投げ渡す。

 

「ん? これは一体?」

 

「勇気ある一般市民への報酬だにゃ」

 

 受けととった紙束をめくる度に目を見開き「なるほど」と一々頷いている。

 

「それが実現すればみんなが得をするにゃ。むしろ損をする者がいるとすれば?」

 

「他国の間者か! なるほど、よく考えられている」

 

 ジャスパーは受け取った紙束を閉じると姿勢を正し深々と頭を下げる。


「重ね重ねのご尽力、本当に感謝する。約束は出来かねるが報酬に関しては此方としても出来うる限り努力しよう」


 その様子を興味深げに見つめると「あぁ」と手を叩く。

  

「にゃるほどー。反対勢力でもいるのかにゃ?」


 

「そ、それは……」


 言いずらそうに顔をしかめるジャスパーにさらに手を後ろに組みウンウンと頷くと向き直る。


「では、もっと大きな手柄をあげる事が出来たら、その五月蠅い連中も黙らせる事が出来るのではないかにゃ?」

 

「そんな都合のいい物が有るのですか?」

 

「あるにゃ!」

 

「それは一体?」

 



――間者の正体を知ってるにゃ――






――真っ黒な空の下を飛ぶように駆け抜けノエルはオン婆宅へ向かう。

 出来ることはやった、後は不測の事態に備えるために急いで帰らねばならない。


「しっかし、ジャスパーはクソ真面目すぎるだろ。

 あんな感じで良く騎士団長まで出世できたなぁ……。

 あのままじゃいつか破綻するな……。だがまぁ、概ね旨くいったかな。

 一時はどうなるかと思ったけど……」

 

 ノエルは更にスピードを上げた、夜空の下を飛び回るその姿はまさにケットシーそのものに見えた。

 

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