19話:オンディーヌの決断

「間に合ったみたいだな……」


 自室の窓から家に入るとすぐさま室内を見て回る。

 幸いどこも荒らされた形跡は見受けられない。

 玄関に行きドアの上の隙間に挟んでおいた糸を確認する。


「ふぅ、今夜は徹夜だな……」

 

 台所へ行き夜食用にとサンドイッチを手早く作ると、ノエルは屋根の上へと昇る。


「インベントリ」


 取り出した矢筒を背負い、弓を握ると煙突の影に身を潜ませるように腰をかけた。


「このまま何事もなく、単に俺の早とちりでしたってのが理想なんだがなぁ」

 

 弓を脇に置き右手の平を上にして開くと魔力を練り始める。

 風魔法とは自身の魔力を属性変換させ、体外に放出された属性魔力を気体として操ることである。

 その性質のため風魔法は、単体での殺傷能力が低く他の魔導書の中でもっとも安い金額で取り引きされている魔導書である。

 しかしノエルは風魔法は複合魔法などに特化した属性なのではないかと考えていた。

 

「テンプレじゃ最強属性の一角なんだがなぁ、土属性の方が値段が上ってのはなんとも皮肉な話だよなぁ」

 

 過去、ノエルが読んだライトノベルでは土属性の魔法が不遇扱いされる物語を幾つか読んだことがあった。

 しかし、どうやらこの世界では単純に質量を持った物質を操る事が出来る土魔法は、強力な属性として扱われているようだ。

 

「プロフィール」

 

=============



  ノエル (性別:男 / 年齢7歳)

 種族:ヒューマン


 所持魔術:7

 

 火:着火  水:クリエイトウォーター


 土:ピット 風:ブリーズ 


 光:ライト 光:プロフィール 


 空:インベントリ 


 所持魔法:2


 水魔法:6/10


 風魔法:4/10


==================


「発動可能レベルが水魔法より低いのは何でだ? う~ん、水魔法は水を操り風魔法は風を操る……。

 いや違う、水魔法は水を操るのは間違いないが風魔法は風を操るのではなく気体を操るんだ! そう言うことか……」

 

 ノエルは右手に溜めた風属性の魔力をゆっくりと放出しながら手の平の上で渦を巻くようにイメージする。


「渦巻く風の中から酸素だけを抽出して周囲に散らす。手の中に二酸化炭素だけが残るようにイメージ……」

 

 ノエルは左の人差し指を立て着火の魔術を唱え、火の灯った指先を右手の平の上に近づける。

 

「消えた! 思った通り使えるな。ただ魔力消費が激しすぎるな、使い方と使い所に気を付けないと戦闘中に息切れしかねんぞ」


 ふと、話し声が聞こえ辺りを見渡す。


――何者かが近づいてくる。

 脇に置いた弓を拾い静かに矢をつがえる。

 遠くの方から男の怒鳴り散らす声と笑い声が近づいてくる。

 3人組の男たちは、ノエルに気づいた様子もなくフラフラとした足取りで通り過ぎていった。


(ただの酔っぱらいか……)


 煙突の影に戻り、膝を抱えるように座ると目を閉じる。


(この体で徹夜は堪えるな)



◇――――――――◇



 気が付くと東の空は白むんでいた。


「実に平和な夜だった……。ふわぁぁぁぁ」


 両手をあげ伸びをすると、弓と矢筒をしまい窓から自室に入りって何事もなかったかのように台所にいるオン婆に挨拶をする。


「んっおはよう」

 

「あぁおはよう、ノエル坊。どうしたんだい、目が真っ赤だよ?」


「んっ、問題ない」


「そうかい、まぁいいさね。ちょっと早いけど朝食にしようかね」


「んっ」


 いつものように二人で朝食をとっていると、本当にこのまま何事もなく1日が過ぎて行くのではないかと思えてくる。


(希望的観測なんて俺らしくない。今までだって散々な目にあって痛い思いをしてきたじゃないか。

 何があっても今日一日はオン婆から離れないようにしないとな)


「ノエル坊は今日は何をするんだい?」


「手伝う」


「手伝うったって今日は調合の予定はないよ?」


「なんでも言うと良い!」


「そうかい? あぁ、そうだ。せっかくだから昨日ノエル坊にあげた熟成樽を使ってみるかい?」


「んっ」


「ならあたしは食器を洗っちまうから、ノエル坊は調合の準備をしておいで」


「んっ」っと返事をすると、ノエルは作業場へと向かう。

 何度となく繰り返してきた作業だけあり、大した時間もかけずに準備を整える。

 

――オン婆と二人並んで調合をしているとこのまま何事もなくいつものように穏やかに日々が過ぎて行くように思える。


(平和だ……。本当に何も無かったりしてな?ハハハッ)


 ノエルは擂り粉木で魔石をすり潰しながらオン婆をみる。

 オン婆の態度はいつもと変わった様子は見受けられない。

 話し方も仕草も、特に何かを気にするような素振りすら見せていない。

 

(まぁ、だとしても今日一日俺がすることは変わらんのだがな)


 瞬間――オン婆の魔力が膨れ上がり隣にいたノエルはビクっと体を竦ませる。

 

「ありゃ、ごめんよノエル坊。驚かせちまったかい? わるかったねぇ」


 ノエルは知らぬ間に額から脂汗を流していた。

 恐る恐るオン婆を見上げると、優しそうに目を細めながらノエルの頭を撫でていた。


「ノエル坊ちょいとお客さんが来たみたいだ。お前はここで残りの魔石をとっとと擦り潰しちまいな。戻ってきたら続きをするからねぇ」


 そうノエルに指示するとオン婆は、「よいしょ」と立ち上がって玄関へ向う。

 突如として殺気の籠もった膨大な魔力に晒されたノエルは、返事もろくに出来ないまま固まっていた。

 今までに感じたこともないような恐怖がノエルを作業場に縫いつける。

 オン婆の去った方向をジッと見つめ生唾を飲む。

 

 その時――パーンと言う乾いた音が作業場に響きわたる。


「何ビビってんだよ俺は、アホか! 全く」


「よしっ」っと言って立ち上がったノエルの頬にはくっきりと赤い手形が付いていた。





◇――――――――◇





「――なんだい仰々しいねぇ。たった一人のか弱い老人を捕まえに来るにしちゃぁ、ちょいと大がかり過ぎないかい?」


 玄関先に立つオンディーヌの前には、完全武装の騎士達が並んでいた。

 

「オンディーヌさん、何故逃げてくれなかったのですか?」


 総勢120名の騎士達を背にジャスパーが前に出るとオンディーヌは事も無げに言った。


「そんな事をすれば、あの子がこの先どんな目に遭うか、お前なら想像できるだろう? ジャスパー」


「ノエル君に手出しはさせません「無理だね」っな」


「ジャスパー、もしもノエルを拘束しろと命令を下されたとしたら、お前はそれを拒否できるのかい?」


「なら、彼を連れて逃げるという選択肢だって有ったはずです」


 そう言って詰め寄るジャスパーに、やれやれと首を振りゆっくりと諭すように説明を始めた。


「あたしがこの国を出ると言うことは、そのまま里帰りを余儀なくされるという事さ。

 あの場所へヒューマンであるあの子を連れて行けるわけが無いだろう。

 よしんば全てを投げ出して逃げたとしても、永遠に逃げ続けられる保証は何処にもないんだ。ならこうするしか無いだろうさ……」


「ですから、彼のことは私が責任をもって守ります。例えどんな事態になろうが、神に誓ってお約束します」


 そう言って胸に手を当てている様子をオンディーヌは目を細めて興味深げに眺めている。


「驚いたねぇ、随分な覚悟じゃないか。あんたが信仰心を持ち出してまで誓うとはねぇ。たった一晩で一体何があったんだい?」


「実は昨晩、幸運の招き猫が私の元へやってきましてね。未熟な私に色々と教えてくれたんですよ」


 頬をカリカリと書きながら照れくさそうに笑う。


「なんだい、そいつは?」


 怪訝な顔でジャスパーに問うが、「ハハハッ」とごまかし答えようとはしない。

 

「まぁ、いいさ。どっちにしろ今更逃がす気もないんだろう?」


 途端険しい顔になり右手の拳を左胸に当て騎士としての礼をとると自身の任務を全うすべく告げた。

 

「薬師オンディーヌ、貴殿に違法薬物の製造及び売買の嫌疑が掛かっている。御同行願いたい」

 

 オンディーヌは迷っていた。

 このでたらめな嫌疑を自分に掛けたのは、恐らくヒューマン至上主義を掲げる原理主義者共だろう。

 彼らは恐れているのだ、教会からオンディーヌを追い出し今まで虐げてきたことを恨んでいるのではないかと。

 そしてにわかに戦争が現実味を帯びてきた事が、彼らにこの茶番劇を起こさせる引き金を引かせてしまったのだ。

 逃げ切ることは簡単だろう。しかしもしここで自分が逃げ出せば今度はノエルが原理主義者共の標的にされかねない。

 逃亡者オンディーヌの弟子、ノエルはこの先ずっとそんな馬鹿げたレッテルを貼られ続けるのだ。

 

(あの子にそんな思いはさせられないねぇ。今までだってあの子は十分傷つけられて来たのだから)

 

「あぁ、そうだね。とっととしておくれ、あの子が気付かない内にね」


 ジャスパーが手かせを取り出し近づこうとしたその時、タンッと言う音をたてて足下に矢が突き刺さる。


 とっさに後ろに飛んで回避したジャスパーが屋根の上を見やると、そこにはノエルが弓を構えて立っていた。 


 

「ノエル君……」


「ノエル坊!」


「アンタ何考えてんだい、この状況を見て分からないのかい? アンタがどうこう出来る状況じゃないんだ、分かるだろ? ノエル」


 ノエルは相も変わらず弓を構え騎士団長に照準を合わせながらチラリとオンディーヌを見ると、頬を膨らませる。


「んっ、行かせない」


 そんなノエルの行動を見かねたランドルフが説得にかかる。


「ノエル君良い子だからその弓を下ろすんだ。そんな物を人に向けてはいけないって事ぐらい、頭の良い君なら分かるだろう?」


(まずい、聖騎士はともかく後ろの教会騎士や魔導騎士の連中は今回の経緯を知らない。

 ましてや団長のしようとしている事など分かるはずもない)

 

「まて! そんな命令は下していない、勝手な行動をするな!」


 ジャスパーはランドルフに振り向き叫んだ。

 しかし直ぐに自信の目を通り越して遥か後方を睨みつけている事に気付く。

 瞬間――ゴゥと言う音とともに3つもの大きな火球が屋根の上のノエルを襲う。

 

「「ノエル坊」君」


 突然のことに初動が遅れ悲鳴にも似たオンディーヌの声が響きわたる。

 屋根の上で弓を構えたノエルは、微動だ似せず視線だけを迫り来る火球に送ると、不思議な呪文を唱える。

 

「co2」


 すると轟々と燃え上がった3つの火球はまるでその存在ごとかき消されたかのように消滅した。

 

「「は?」」


 思わず吐き出された疑問の声に向かいノエルはいつもの調子で「んっ、問題ない」と答える。

 

 目を丸まると見開き驚きの声を上げたオンディーヌだったが、いち早く我に返るとノエルを怒鳴りつけた。

 

「大問題だよ! いいからとっとと下りといで!」

 

「んっ」と頷き屋根から飛び降りるとトテトテと腕を組んで怒りの表情を浮かべるオンディーヌの元へ向かう。

 すると「まったくお前って子は!」と声を荒げ腕を振り上げる

 思わず身を竦ませ目を閉じるノエルだったが、いつもの優しげな薬草の香りに目を開けると、その目に涙を浮かべ抱きつくオンディーヌの姿があった。

 

「んっ、ごめんなさい」

 

「ほんとだよ、まったくアンタって子は、心臓が止まるかと思ったじゃないか」

 

「んっ」

 

「ねぇノエル、あんたこの状況が分かっているのかい?」

 

「んっ」

 

「そうかい、頭の良い子だねぇ。ならアタシがこのまま逃げたらアンタが酷い目に遭うかも知れないことも分かっているかい?」

 

「んっ」

 

「一緒には連れて行けないんだよ? それでもアンタはアタシに逃げろって言うのかい?」

 

「んっ」

 

「まったく、我が儘な子だよアンタは……。でもまぁいいさ、アンタがそこまで言うのなら、もう少しだけ生きてみようかねぇ」

 

「んっ!」

 

 立ち上がってノエルの頭をクシャクシャっと乱暴に撫でるとオンディーヌは大声で告げた。

 

「ジャスパー聞いたかい? 予定変更だアタシはこのままトンズラさせてもらうよ!」


 大胆不敵な物言いに騎士団は色めき立った。

 そんな総勢120にも及ぶ騎士達の前にゆっくりとオンディーヌは歩きだす。

 

「ノエル坊はそこで待っておいで、直ぐに終わるからね」


「オン婆……」


「大丈夫、心配するでないよ。アタシを信じな」


「んっ!」

 

 腕を後ろに組み散歩でもするように悠然と歩いてくるオンディーヌに騎士団は殺気を帯びた視線を送る。

 

「とは言え時間切れですよ、オンディーヌさん。このまま、何もせずにあなたを逃がしてしまう事になれば、私はともかく部下にまで沙汰が下されかねない。それでも逃げると言うのならば……」

 

 剣呑とした空気を放ちジャスパーが、右手を広げると騎士達が一斉に抜刀した。

 

「はん、そう怯えるでないよ安心おし、ちゃんと手加減はして上げるよ」

 

 瞬間――辺りを閃光が覆いズガガーンとけたたましい音が轟いた。

 その場にいた者達はあまりの光と音で狼狽え、目を瞑り耳を塞ぐ。

 ようやく視界が開け、立ち上った砂煙が風に流された後に立っていたのは、絵画のように見目麗しい金髪碧眼のエルフだった。

 



――さぁ、掛かってきな小僧共 !――

 

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