20話:勇者殺しのオンディーヌ

 俺は今、目の前で起きた現象に混乱している。

 目を覆う程の光と凄まじい音が辺りを覆ったと思ったら、婆が美女になったのだ。

 何を言っているのか分からないだろう? 俺も分からない。


「さぁ、掛かってきな小僧共 !」


 混乱するノエルを余所に状況は展開していく。


「全員散開! 三方向から囲め、絶対に取り逃がすな!」


 突然の状況に混乱する騎士達へ叱咤するように大声で指示を飛ばすと、ジャスパーは自らも腰に差した剣を抜剣した。

 多少の動揺はあったものの、そこは訓練や魔物の討伐ダンジョンの探索などで、日常的に危険と隣り合わせの任務を続けてきた騎士達はジャスパーの指示に瞬時に答える。

 騎士達に油断はない。今まで積み上げてきた経験が教えてくれる。今目の前にいるエルフの危険性を……。

 

 オンディーヌを囲むように、三方向に展開した騎士達から練り上げられた魔力が立ち上り始める。


 聖法国の騎士団には教会騎士・聖騎士・魔導騎士の三階級があり、教会騎士はともかく、聖騎士は3属性以上、魔導騎士は魔導士であることが入隊の条件となっている。

 つまり、この場にいる殆どの者は魔法を使える魔法剣士でもあるのだ。


「魔導師は後方より魔法で援護、味方への誘爆に注意せよ」


 指示を出すジャスパーから猛烈な魔力が溢れ出るのを感じ、我を取り戻したノエルは身を縮ませる。

 見るとおそらくオンディーヌであろうと思われる金髪碧眼のエルフは楽しそうに笑みを浮かべていた。


「魔導師団は各自中距離射程魔法を準備、魔法発動後三方向から一気に押しつぶす。出し惜しみはするなよ、初撃に全てを込めろ!」


 気迫みなぎる騎士団長の言葉に騎士達は「おぅ!」と気合いを込めて答える。


「放てぇぇぇぇっ!」


 叫ぶやいなや後方にいた魔導師達から数十にも及ぶ魔法が放たれる。

 巨大な火球、石の槍、はたまた氷の矢が一斉にオンディーヌへ向かい猛スピードで押し寄せる。


「危ない!」


 思わず叫ぶノエル。しかし視線の先にいるエルフは腕を組み、憮然とした態度で今尚笑みを浮かべている。

 

 三方向から囲んだ騎士が逃げ場を塞ぎ、回避不能の一斉射撃がオンディーヌに着弾する――と、思われた瞬間。


――バリバリバリッ


 大きな破裂音を立て一筋の雷がオンディーヌと騎士達との間に落ち、又も辺りが眩いばかりの閃光に覆われる。

 

 沈黙――騎士達は言葉を失った。

 回避不能と思われた無数の攻撃魔法が一筋の雷と共に掻き消えたのだ。

 さらには――


「アハハハッ、良い判断だ。ただし相手がアタシじゃなければだけどね?」


 そう機嫌よく笑うエルフの前には何処から現れたのか、全長2.5mにも及ぶ真っ白な虎が、その体に雷を纏い悠然と立っている。

 あまりの出来事に言葉を失う騎士達の一人がボソリと呟く。


「あれではまるで、英雄オンディーヌではないか……」


 そんな一人の騎士の呟きが、その場にいた騎士達に伝わり動揺が広がっていく。


「そんな……生きていたのか……」


「ありえない……。かの英雄はヒューマンの筈だ!」


「無理だ……、こんなのどうしろって言うんだ」


――まずい……。ランドルフは焦っていた。

 彼は当初、団長であるジャスパーから、事の発端と事態を収束させるための案を説明されたが半信半疑だったのだ。

 しかし、目の前の状況が自身の迂闊さをその身に痛いほど痛感させる。


(格が違いすぎる。特に白虎型の精霊……。あれはだめだ、どうにもならない)


 諦めにも似た感情を抑え、すがるようにジャスパーを見ると、彼は未だ気迫をみなぎらせ、その両手の剣をエルフに向けて睨みつけていた。


「狼狽えるな、バカ共がっ! 精霊魔導師への対処法など始めから一つしかあるまい、術者だ! 術者を狙え!」


 狼狽する騎士達を又も一括すると、ジャスパーは瞬時に指示を出す。


「魔導師隊もう一度だ、もう一度魔力を絞り出せ。今度は点でなく面で攻撃せよ。いくぞ!」


 騎士達は団長の言葉を聞き落ち着きを取り戻すが、一部の騎士は未だ動揺が見受けられる。

 そんな騎士の姿を目の端で捕らえると、ジャスパーは騎士達に告げた。


「忘れるな、我らの剣は民のため、我らの命は神のため、己が命を剣に込めよ!」

 

「「「うおぉぉぉぉぉ!」」」


 自らを鼓舞するように大声を張り上げると、騎士達は三度剣を構える。


 久しぶりの旧友との再会にオンディーヌはとても嬉しそうに笑った。


「こうして実体化して会うのは久しぶりだねぇ、ハクア」


 そう言って頭を撫でてやると「ゴロゴロゴロ」と気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

 辺りに殺気が充満する鉄火場で、一人と一匹はまるでその場に似付かわしくない程の穏やかな表情を浮かべていた。


「魔導師隊、放「させると思うかい?」――ッ!」


「があぁぁぁっ」と言ううなり声と共に白虎が走り出す。


 右へ左へ雷を放ちながら騎士達の間を抜けていく。


「2番隊、魔導師隊を守れ!」


 慌てて指示を出すが、今度は3番隊から悲鳴が上がる。


「それは悪手だねジャスパー、精霊に兵を割くぐらいなら一気呵成にアタシの首を取るべきだったねぇ」


 振り向くとそこにはすでに蹂躙された3番隊が倒れ伏していた。


「うがぁぁぁっ」


 悲鳴を上げるランドルフは、こめかみを鷲掴みにされ足をバタつかせている。

 全身に鋼の鎧を着た大男を、まるで花でも摘むかのように片手で持ち上げると小枝のように投げ飛ばす。


「だめだねぇ、まるでなっちゃいないよ。これが今の騎士団かい? 悲しくなっちまうねぇ。ジャスパー?」


 ニヤリと笑うエルフを見て生唾を飲む。

 分かっていた・・・・・・、かなわない事など始めから分かっていたことだった。

 しかしこれほどか、とジャスパーは思う。

 自身の想定していた状況の遥か上をオンディーヌはいっていた。

 そして同時に原理主義者共の恐怖心の根元も痛いほど理解した。

 理解した上で尚確信する。この化け物を敵に回してはいけないと……。


 更に振り返ると狙われた魔導師隊と援護に回った2番隊が共に倒れ伏し、そこには白虎型の精霊が此方を向いて立っている。

 既に倒れた部下を見ると、酷いけがをしており息も絶え絶えになってはいるものの、どうやら全員生きているようだ。


(よかった、どうやら手加減をしてくれたようだ。しかし、思ったより重傷の者もいる。早くこの茶番劇を終わらせなければ……)

 

「怯むな、総員前へ!逃げ出すような腰抜けは私がこの場で斬って捨てる、覚悟せよ!」


 全身から覇気を出しジャスパーが切りかかる。

 後方からは白虎のうなり声と部下の悲鳴が轟くが、それを振り払うかのように叫び声を上げる。

 

「うおぉぉぉ!」


 一撃一撃に、自らの命を乗せるが如く振るわれるその剣閃は、まるで目にも留まらぬ早さで繰り出されていく。




――ノエルは口をアングリと開けその光景を眺めている。

 まるで駒送りの映画を見ているようだった。

 剣を振るうジャスパーの肘から先が掻き消えるようにブレて見えるのだ。

 剣筋などまるで見えず、ただ辛うじて剣を振るっているのだと分かるのみだった。

 その高速の剣閃をオンディーヌは全て躱してみせていた。

 いなす事も弾くこともなく見切っているかのように回避し続けている。

 まさに馬鹿げた光景・・・・・・だった。

 残像を残像が斬っている、ノエルの目にはそう見えた。




「アンタ、魔法を失っているねぇ」


 オンディーヌのその問いかけにジャスパーは迷いなく答えた。


「そうだ、だが後悔はない」


「そうかい……、たいしたものだ」


 どこからか取り出したのか聖銀に輝くレイピアで、初めてジャスパーの剣を弾き距離をとる。


「魔法を失ったヒューマンの身で、よくぞここまで鍛え上げたねぇ。いいだろう、特別にアタシの剣を見せてあげるよ」


「ひゅー」と短く息を整えると、ジャスパーは改めて中段に剣を構える。

 

「では、胸をお借りする、英雄殿」


 ノエルは生唾を飲んで見守っていた。

 およそ自身の理解を超えた戦いを、只の傍観者で終わるまいと、その全身に存在する魔力を自分ができる最大限まで練り上げ、全てをその両目に送る。

 一挙手一投足をその目に焼き付け、己の糧にするために。

 

――刹那。二人の姿がブレたかと思うと「ズギャギャン」と金属音が鳴り響き、瞬間移動したかのように二人の位置が入れ替わっていた。


「お見事……」そう呟くやいなや糸の切れた人形のようにジャスパー崩れ落ちる。

 その鎧には幾つもの剣線が刻まれているのが見えた。

 3撃、ノエルが辛うじて見えたのはそれだけだった。

 しかしジャスパーの鎧にはそれを遥かに越える剣線が刻まれている。

 興奮を抑えるように両手を握りオンディーヌに視線を向ける。


「ガルルルゥ」と二人の戦いを見守っていた白虎は、オンディーヌの元へ行くと甘えたように顔を擦り付けている。


「よくやったねぇ、ハクア。手加減してくれてありがとうよ」


「グルル」


 甘える白虎を幾度か撫でてやると、オンディーヌはノエルの元へと向かう、ゆっくりと躊躇うかのような足取りにノエルが首を傾げると、


「ノエル坊は、アタシが怖いかい?」


「んーんっ」ノエルは首を振る。

「本当かい?」オンディーヌは怯えたように聞き返す。


「んっ、かっこいい」


「そうかい、格好いいかい」


 目線を会わせるようにノエルの前にしゃがみ頭を撫でていると頬を膨らませて「んっ、ちゃんと説明する」と抗議を受ける。


「あぁ、そうだねぇ。どこから話したものかねぇ」




◇―――――◇



 今から凡そ300年前、アルカディア大陸全土を巻き込んだ大きな戦争があった。

 それは、アルカディア大戦、もしくは”勇者大戦”と呼ばれた。

 血で血を洗うこの戦争は実に30年にも及んで続いた。

 当時、聖法国には勇者召喚の使い手が存在せず、戦況の悪化を余儀なくされていた。

 そしていよいよ敵軍が聖都に集結しようとしたところへ、満を持して勇者が現れた。

 敵の士気は最高潮まであがり、味方の士気は衰えるばかり。


 そんな時、当時魔導騎士団団長を務めていたオンディーヌが、単身敵軍の前に現れ勇者に一騎打ちを挑んだのだ。

 蛮勇・・、敵も味方も誰もがそう思った。

 しかしオンディーヌは辛くも勇者を倒してみせたのだ。

 それから戦況は一変した。

 勇者を倒したオンディーヌという英雄を手に入れた聖法国は、逆に隣国を攻め滅ぼし、今の巨大な宗教国家にまで成長を遂げるこことなる。


 しかし、聖法国の一部の勢力、原理主義者等はあろう事かオンディーヌを追い出し、英雄の正体をヒューマンで有ると偽証したのだ。

 吟遊詩人に歌わせ作家に英雄譚を書かせ、世界はヒューマンである偽の英雄オンディーヌを称えることとなった。

 それからオンディーヌは一人、薬師として辺境でひっそりと暮らしていた。

 

 そこへにわかに戦争の臭いが立ち上ると、原理主義者はこの機に乗じて、オンディーヌが自分たちに復讐の刃を向けるのではないかと怯え始める。

 彼らはあらゆる手段を用いて法皇に圧力をかけ、結果的に騎士団を動かさずにはおけない状況にまで持って行った。

 ジャスパーはその馬鹿げた状況を何とかするため、自分を犠牲にオンディーヌへ逃げるよう説得するが、とうのオンディーヌはノエルを守るため自分を犠牲にすることを選んだ。

 

――これが俺が聞いた今までの顛末である。

 これを聞いて何を思ったかと言えば、全員まとめて大馬鹿野郎・・・・・である。


「ノエル坊?」


 苦々しい顔をして「んーっ」と唸っているノエルに、おそるおそるといった感じでオンディーヌは口を開く。


「いやな話を聞かせて悪かったねぇ。古い話さアタシはもう何も気にしちゃいないよ」


「嘘!」


「嘘なもんかい、あたしゃ気にしちゃいないよ」


「なんで、俺のために命を差し出すの?」


「さぁ、なんでだろうねぇ……。実の所アタシにもわからないのさ」


「んっ、オン婆」


「なんだい?」


「次からは、プレゼントはお金で買える物にしてね」


「っ!ノエル坊……。そうだねぇ……そうするよ、ノエル坊」


「んっ、ならいい!」


 オンディーヌは立ち上がると「じゃあ、そろそろ行くかね」と言ってパンパンッとスカートの砂埃を落とす。


「あぁ、そうだノエル坊。この家にある物はノエル坊が好きに使っておくれ。

 それとね、食堂のテーブルの上に誕生日プレゼントを置いといたからねぇ。まぁアタシのお古だけど中々に良いものさ。

 それに今度はちゃんとお金で買えるものさ、安心おし」

 

「んっ、ありがとう」


「それじゃぁね、ノエル坊。さよならだ」


「んっ、オン婆」

 

「なんだい?」


「またね」


「あぁ、そうだねノエル坊……」




――またね――






――俺は、白虎にまたがり去っていく、オン婆の後ろ姿が見えなくなっても、しばらくの間眺めていた。

 オン婆との色々な事が次々と浮かんでくるのだ。

 思えば短い間だったが、この世界での育ての親みたいなものだろうか。




 そう、目を瞑り感慨にふけっていると、不意にノエルの名を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ノ……、ノエル君……」


 消えそうな声でランドルフが這いずるように近づいてくる。

 ノエルはジト目で満身創痍のランドルフを眺めながら「んっ?」と素っ気なく聞くとランドルフは涙目で、


「ポ……ポーションを、分けて貰えないだろうか……」

 

 いまだ今回の件でなっとくの行かないノエルは、できる限り冷たい声色でランドルフに言い放つ。







「バカにつける薬は無い」

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