17話:幸せと風の魔導書

 ゼリュース聖法国・聖都ファーマ、その中央にそびえ建つ巨大な大聖堂の一室で、ジャスパーは片膝をつき頭を下げ、たった今目の前の男が言い放った言葉に声を失っていた。

 男の名は、タイラス・D・マティウス。第38代ゼリュース法皇である。

 白髪の初老の男は、およそ宗教国の法皇とは思えない程の分厚く鍛え上げられた肉体を持っていた。

 

「許せジャスパー……」


 ジャスパーは不敬と知りながら法皇へ進言せずにはいられなかった。


「ですがタイラス様、オンディーヌ殿は先の大戦の英雄ですよ? そのような事をしては、この法国の名に傷が付きかねません、どうかご再考を伏してお願い申しあげます」

 

 タイラスは眉間にしわを寄せ、机の上で両の掌を合わせると深くため息を吐く。

 

「想定以上に原理主義者共の勢力が拡大しているようでな。しかも帝国の陰がチラツく現状に置いて、連中の進言を戯れ言だと捨て置くわけにもいかんのだ」

 

 苦虫を噛むように顔をしかめ強く握りしめたその手は、白く染まっている。

 ジャスパーにとってタイラスは、父であり師であり守るべき皇である。

 タイラスは当時、孤児であったジャスパーに食事と寝床と教育を与えた恩人でもあった。

 彼の人となりはよく知っている。だからこそこのような馬鹿げた命令に従うわけには行かないとジャスパーは考えた。

 もしも、このような暴挙が英雄の血と言う成果を残してしまえば、このお方の心に傷が付く。

 それも決して消えることのない深い傷が。

 

「わかりました。その任このジャスパー、確かに承りました」


 タイラスは硬い表情を崩し、親し気にジャスパーに言った。


「お前にばかり苦労をかけてすまんな」

 

「おやめ下さい先生。私はただ先生から受けたご恩をお返しているだけに過ぎません。それより先生、最近些か体型を崩されたのではありませんか? 私として腹周りの脂肪の方が気になりますね」

 

 突然の素っ頓狂な物言いに、肩すかしを食らったタイラスは、堅く握りしめた手を緩めるとニヤリと笑う。

 

「そうだな、最近は公務ばかりで剣もろくに握っていなかったな。任務から戻ったら久しぶりに一緒に稽古でもするか、ジャスパー」

 

 そう言って笑いながら腹をさするタイラスの手にはくっきりとその手を握りしめた跡が残っていた。

 ジャスパーはその白い手形の付いた手の甲をチラリと見ると立ち上がってニコリと微笑んだ。

 

「はい、先生との稽古は久しぶりですからね、楽しみにしています。それでは、任務がありますのでこれで失礼いたします」


 立ち去るジャスパーの背を眺めるタイラスの目はまるで父親の其れであった。

 

「あぁ、またな、ジャスパー……」

 

 豪華な部屋の内装には、些か似つかわしくない質実剛健といった椅子の背もたれに寄り掛かると、吐き捨てるように呟く。

 

「原理主義者どもめ……」




◇――――――――◇




――新しくアルル村に建設された騎士団の詰め所の執務室で、ジャスパーは必死に頭を捻っていた。

 自分は聖法国の聖騎士であり民の盾である。

 たとえどんな理由が有ろうと与えられた任務は遂行しなくては成らない。

 しかし、本当にそれで良いのかとジャスパーは自分に問いかける。

 自分の目で見て耳で聞いて肌で感じた事は、かの英雄はお人好しであるという事。

 口が悪く横柄に見えるのは、恐らく周りの人たちを自分から遠ざけるためではないかとジャスパーは考えていた。


 現に、あのノエルという少年を見るオンディーヌの目は、まるで自分の孫を見る目その物に思えた。


(どうすれば……。いや、違うなやるべき事は分かっている。この期に及んで私は自分の保身を気にしていたというのか? まったく……)


「――団長――スパー団長」

 

「ん?ランドルフか、どうした?」

 

「どうした、じゃ有りませんよ団長。もう、定例会議の時間ですよ?」

 

「あぁ、そうか、もうそんな時間かすまないな少し考え事をしていた」

 

「何かあったんですか? 団長らしくない」 


「ハハハッ、すまんすまん大したことじゃない気にするな」

 

「はぁ、それなら良いんですが」

 

「さて、行くとするか」

 

「はい」

 


◇――――――――――◇

 

 

――薄暗い書庫の中で本を読み耽っていると、数日前の夜の出来事が頭をよぎる。

 あのザンバと言う男は恐らくは使い走りだろう。

 ゴブリン騒動に自分が関わっていた事を言い当てたのはザンバの後ろにいる誰かだ。

 一体この村には何人の間者が紛れ込んでいるのだろうか?

 

「都合良く自分の素性を隠した状態で、すべての間者をあぶり出すなんて無理にも程があるな。

 いやまてよ? そもそも何で俺は国家間の工作戦に首を突っ込んでるだ?

 元々絡んできたチンピラ達を黙らせようとしただけだよな? 

 はっしまった! 完全に自分から地雷を踏みに行ってるじゃねーか!

 アホか俺は? どこかのヤレヤレ系ラノベ主人公かよ!

 よし、無視しよう。間者なんて聖騎士の仕事だろ? そもそも俺の出る幕じゃねー……。

 いや、でも利用できるかも? しっかしなードツボにはまる可能性も……。うーん、しかたないあの手で行くか……」

 

 「よし!」と本を閉じ家を出る。事を起こす前に色々と準備して置かねばならない。

 家を出て商店街へ向かっていると、前方から見たことのある二人が歩いてきた。

 

「やぁ、ノエル君。オンディーヌさんは今ご在宅かな?」


 ジャスパーは歩きながら右手を挙げると、挨拶もそこそこにノエルに尋ねる。


「んっ、在宅」


「そうかい、それは助かった。所でノエル君は何処かへお出かけ買い?」


 そう言って分厚く大きな手でノエルの頭をなでている。


「ん、買い物」


「買い物? 一人でかい?」


 頭から手を離し目線を合わせるように屈むと心配そうに言った。


「心配ない」


「そうか……、ノエル君最近ここいらは何かと物騒だからねぇ、十分に気を付けていくんだよ?」


「んっ」

 

 手を振るジャスパーに言葉少なく別れを告げるとノエルは商店街のある方へと消えていく。


「あの子には恨まれたくはないですね……」

 

 その言葉を聞き、ジャスパーは既に姿の見えないノエルの消えた方向をジッと見つめていた。


「すまない……」

 

 

 

――久しぶりに東の商店街をブラブラとしている。

 先日の臨時収入をこの際パーッと使ってやろうと思う。

 あの例の勘違い野郎からせしめたお金で所持金が目標金額を大幅に越えたのだ。

 思い切って散財してあの夜の嫌な思い出を忘れてやろうと思っている。

 

(さて、先ずは何を買うかな?やっぱり先ずは魔導書だよな! これだけ金が有れば火属性や雷属性だって買えるぞ! 迷うわー、マジ迷うわー。くっくっくっく)

 

 うきうきしながら商店街を抜けていくと、女性の声に呼び止められた。


「ノエル……ノエルよね?」


 振り向くとソコには母親であるマイヤが立っていた。

 少し怯えたような表情をしたマイヤは、意を決したようにノエルに口を開く。

 

「ケーキ食べに行かない?」


「んっ」


 二つ返事で了承すると、マイヤは胸の前で手を叩きまるで少女のように飛び跳ね喜んでいる。


「あそこが良いわあそこにしましょう」


 ノエルの手を取りズンズンと歩いていく。

 その足取りは跳ねるように楽しげなリズムを刻んでいる。

 それなのに何故だろう? とノエルは不思議に思う。

 呼びかけられた時も、手を叩いて喜んでいる時も、こうして手をつないでいる時も、何故マイヤは自分の目を見ないのだろう?


 着いた先は何ともファンシーな内装の喫茶店で、見渡す限り客層はカップル連ればかりの様だ。

 

(内装がピンクばかりで目が痛いな……)

 

 ノエルは店内を見回しながら『趣味が悪いなぁ』などと考えている間に、マイヤがさっさとノエルの分まで注文をすませてしまっていた。

 

(え? メミュー見せてくれないの? そうですか……。まぁいいか) 


 マイヤを見ると相変わらず両手をモジモジと膝の上でコネるように動かしながら目を伏せている。


(やっぱりそう言う事なんだろうな……)


 互いに一言も言葉を発せず気まずい時間が5分程経過した頃、注文したケーキと紅茶が運ばれてくる。


「ここのケーキは美味しいのよ、きっとノエルも気に入るわ」


 そのセリフを皮切りにマイヤは水を得た魚のようにしゃべり出した。

 ノエルと言えば「んっ」と相づちを打つばかりで殆どマイヤの独壇場だ。


「ちゃんとご飯は食べてる?」


「んっ」


「毎日お布団でちゃんと寝れてる?」


「んっ」


「風邪引いたりしてない?」


「んっ」


 こんな取り留めの無い質問を聞きながら、ノエルは頭の中でマイヤと言う女性について考えていた。

 

 似ている――前世で母親だった女性ととてもよく似ている。

 容姿ではなく、その人となりが。簡単に言えば子供の様な人なのだ。

 一人になることをとても恐がり、自分一人では何も出来ないと勘違い・・・している。

 だからなにを言われても受け入れ、理不尽な目にあっても「仕方ないわね」と悲しそうに笑う。

 誰かが自分を救い出してくれると心の何処かで期待して、目をつぶり耳をふさいでただうずくまって震えている子供、きっとこの人も同じなんだ。

 誰も助けてはくれないのに、世界はそんなふうに優しくは出来てなどいないのに。


「んっ」


 ノエルは只頷きながらこの目の前の女性が哀れに見えてならなかった。

 

(悪い人じゃないんだよな……)

 

 悪い事をしたからと言って悪人とは限らない。

 悪人とはきっと悪意を持って悪をなす人の事を言うのだから。

 だからだろうか、ノエルはこの目の前にいる女性を、弱い人・・・と感じていた。

 

「ねぇ、ノエル……」


 怯えるような目でモジモジと手を動かしながらマイヤはバツが悪そうに言った。


「お母さんのこと……、恨んでる……?」


「んーんっ」


「本当?」


「んっ」


「ノエルは何も悪くないの……。悪いのは全部私なの……。それなのに」


「…………」


「ノエル? どうして恨んでないの?」


 弱い――この人はどうしようもなく弱い。

 年端もいかない子供を自分の保身のために捨ててしまうほど、悲しいほどに弱い。

 ノエルは道ばたで突然呼び止められた時から大凡の察しは付いていた。

 マイヤが何の為にノエルを呼び止め、何を望み、何を求めているのか。

 マイヤは許しがほしいのだ。ただ恨まれたくない、憎まれたくない、その為だけにノエルを呼び止めたのだ。

 自分が捨てた小さな子供を、ただ己の心の平穏という名の保身のために。

 

 だから前世では言ってあげられなかったあの言葉を、ノエルはこの目の前で震える母親に伝えようと決めていた。

 

 

「んっ、しあわせ!」

 

「――っ! ……そぅ」


 消えそうな声で頷いたマイヤは泣いたように笑っていた。



………………。

…………。

……。




――グッと両手をあげて伸びをする。


(んっんー、あー何か妙にすっきりした気分だな!)

 

 マイヤと別れた後、なにやら妙に晴れやかな気分で商店街を歩く。

 春が終わりそろそろ夏が訪れようとするアルル村で、ノエルは散歩をしながら今年最後の春風を楽しんでいた。

 


「――っ! だー、また来たのかよ!」


「んっ!」


「んっ、じゃねーよ! 買わねーからな? お前がなんと言おうと買わねーよ? どうしても買って欲しいってんなら、お前もたまには何か買っていきやがれ!」

 

 行きつけの魔導具屋で、開口一番何やらひどいことを言われた気がするが気にしない。

 今の俺はとても気分が良いのだ、なにせ――。

 

「んっ、魔導書買う」

 

「…………」

 

「…………」

 

「まじで?」

 

「んっ!」

 

 いつもの一画に有るいつもの定位置で、ガラスケースに両掌てのひらと額をくっつけてノエルは目を見開いた。

 

「魔導書……ない……」

 

「いや、有るだろ? 水属性と風属性の魔導書が」

 

「かーみーなーりー」


 両足でドンッドンッと床を踏みつけながらノエルは地団太を踏んでいる。

 

「売れちまったもんは、しょーがねーだろ?」

 

「んっんんんんんんっー」

 

 全力で地団駄を踏み続けているとミシミシッと床が悲鳴を上げ始める。

 

「ば、ばかやろう、店を壊す気か! やめろっ! まじ、やめろ……お願い、やめて……」

 

 

 涙目のケイジに免じて地団駄を収めると、プクーと頬を膨らましうなだれる。

 期待すればするほど残念な気持ちも一入である。技名とかも考えてたのにな……。

 因みにつぎの入荷は1ヶ月後で、入荷予定の魔導書は光属性と土属性そして闇属性だそうだ。

 雷属性はないのか、がっかり。


(一ヶ月後か……ん~。一ヶ月もあれば又たまるかな? 何より戦力の底上げをせにゃならんからなぁ……)

 

「で、どうするんだ?」

 

「風を買う!」

 

「おぉ、そうか、ちょっと待ってろ今出してくるから」

 

 ガラスケースに何やら魔力を流して魔法陣を動かしていく様子を興味深げに眺める。


(おぉぉ、かっけー。この世界のシステムはファンタジーでどれもこれも一々かっこいいわぁ)

 

 見ほれるように回転する魔法陣を眺めていると。

 

「ほれっ」とケイジが風の魔導書を投げて寄越した。

 

 ガッチリとキャッチした後「んっ、感謝」と言ってノエルは店を後にしようとするが、ケイジに後ろから肩をつかまれる。

 

 流石に無料タダでは無いらしい。

 

 

 

 とは言え、この日ノエルはめでたく風魔法・・・を手に入れた。

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