42話:その声は届かない

――ズズゥーンッ


 ディーゼル辺境寮内における最大の城塞都市リルケ。

 アルフィードの成人の儀でお祭り騒ぎの真っ最中の町に、地響きを伴う低くけたたましい音が鳴り響く。


「お……おい、何だ今の音は。まさか戦争でもおっ始まったんじゃねーだろうな?」


「阿呆。ありゃー花火の準備に決まってんだろ。魔術師共が試し撃ちしてやがんのさ」


「花火? あぁ……、あのでっけー火花を飛ばすあれか?」


「おぅよ。アルフィード様に関しちゃ、良くねぇ噂が飛び交ってたからな。大方、派手に祝って悪い噂を払拭しようって腹積もりなんだろうよ」


「派手に……、ねぇ」


「何だ? 顰めっ面しやがって」


「だってよぉ。この祭りも結局俺らの払った税金でやってんだろ? だったら他にやること有ったんじゃねーかと思ってよぅ」


「だーかーらー。楽しまねぇと損だって話よ。ほれ、飲め飲め」


「おっとっとっと。それもそうだな。よっしゃ飲むぞー!」


「「「おおぉぉぉっ!」」」





◇――――――◇




 

 

 囂々と燃え盛る離れの屋敷がバチバチと火の粉をまき散らす。

 漆黒のローブに身を包んだ細身の男が、今尚燃え広がる屋敷を背に深々と被っていたフードに手を掛ける。


 男の背後には二人の人影。

 愛弟子とその乳母。

 そして眼前には30を越える騎士団とディーゼル家の面々。

 彼らの手には皆一様に、キラリと鈍い光を放つ抜き身の剣が握られていた。


 騎士達は皆、銀色に輝くミスリルの鎧を纏っている。

 その胸に見えるは翼の装飾。

 フェルナンド王国における国教。

 アウリール教のシンボル。


 その中で只一人、濃紺のマントを背負った男、聖騎士団団長ハロルドが口火を切る。


「貴様、自分のしている事が分かっているのか?」


 燃えさかる炎を背に、オレンジ色の光に照らされた男の顔がニヤリと歪む。


「貴方こそ、剣を向ける相手は選ばないと早死にしますよ?」


 両手を後ろ手に組み、余裕の笑みを浮かべる男、ユリウス。

 その後ろには庇うようにマリアを背にしたアルフィードがディーゼル家の面々を睨み付けていた。


「ロベルト、お前は皆を連れて避難しろ」


「――っ! なりません父上! 父上こそ皆を連れて避難して下さい。息子の不始末は父親の責任。ここは私が残るのが筋でしょう」


「ロベルト……、分かっている筈だ。悪魔崇拝は禁忌中の禁忌。それは全人類の敵である事を意味する。その様な者を一族から出す訳にはいかんのだ。そして悪魔崇拝者共から王国の盾たるディーゼル家当主が逃げる事は許されん」


「し……しかし父上」


「くどい! 当主として命ずる。ロベルト・フォン・ディーゼル、皆を連れて避難せよ!」


「ぐっ……。お……仰せつかりました」


「……すまぬなロベルト。アルフィードはもう……」


「分かっております。父上こそ、どうかご無事で」


「あぁ……。簡単に死にはせんよ」


 遠ざかる面々を目の端で確認すると、不意に耳に届いた笑い声にその目を細く尖らせる。

 両手で腹を抱えるように笑い転げるユリウス。

 その異様な姿を苦々しい顔で睨み付けると、手にした剣を握り直す。


「聞いたかい? アルフィード君」


「はい、先生……」


「私の言ったとおり彼らは君を切り捨てた。いとも容易くね。これで私と行く決心はついただろう?」


「……は「いけません!」」


「成りません、坊ちゃま。今ならまだ間に合います、お考え直し下さい」


「マリア……」


「そうは言うけどね、マリアさん。彼らはもう此方の話を聞く気は無いみたいだよ?」


 そう言って余裕の笑みをこぼすユリウスに無数の魔法が放たれる。


――ズガガガガァァァン


 轟音と共に生まれた爆風が、大地を削り屋敷を吹き飛ばし土煙を舞い上げる。

 視界は暗く閉ざされ、最早1m先すら見通すことは出来ない。


 咄嗟に防御結界を張ったアルフィードであったが、耳をつんざく爆発音までは防ぐことは敵わず頭を抱えてうずくまる。


「がっ……。マリア……、マリアは……」


 地を這うように辺りを彷徨い、最愛の人を探し続ける。


 確かに結界は、マリアを守るように張った筈だ。

 自身が無事なのだからマリアだって無事に決まっている。


 そう祈るような思いで地面を這いずり、両手をふらふらと漂わせていく。

 すると、不意に何かが指先を弾き返す。


「――っ! マリア!」


 這い寄ると、其処には額から血を流し倒れ伏せるマリアの姿があった。


 アルフィードの背筋が凍り付く。

 自身が躊躇ったばかりに最愛の人を犠牲にしてしまった。

 他者よりも少しばかり魔法の才能が有るからと言って、いい気になっていた代償がこれだ。


 アルフィードは、慌てたようにマリアの肩を抱き寄せる。

 もしも彼女を失えば自分はもう正気ではいられないだろう。


 悲痛な面持ちでマリアを見つめる目の端が、微かに上下に動く胸元を捉える。


――良かった、まだ息はある。


 インベントリから上級ポーションを取り出すとマリアの口元へと飲み口をあてがう。

 何とか飲ませようと薬瓶を傾けるが、無情にも口の端からこぼれ落ちてしまう。

 其れならばと自らの口にポーションを含み、口移しで強引に流し込んでいく。


――ゴクリ


 その喉元が波打つと、虫の息だったマリアが「ゴホゴホ」とせき込み始める。

 見ると先程まで血を流していた額の傷も見る間に塞がっていく様が見て取れた。


「よかった……。本当によかった……」


 目を閉じ両手で強く抱きしめると、マリアの息が頬を撫でる。

 耳元に触れる何かを感じて閉じた瞼を開と、今にも泣き出しそうな顔でアルフィードを見つめるマリアがいた。


 我が子をあやす様にアルフィードの頭を撫でるマリア。

 彼に何かを伝えようと口を開くが、その言葉は届かない。

 先の爆発がアルフィードから聴覚を奪っていたのだ。


「心配をお掛けして申し訳ありません、坊ちゃま……」


「マリア……、もう大丈夫だからね。二度と誰にも傷つけさせやしないから」


「私は大丈夫ですよ坊ちゃま。其れよりも御当主様にきちんと訳をお話ししましょう。悪いのはあの男、ユリウスなのです。さぁ……坊ちゃま?」


 マリアをそのまま寝かせると、その場を後に歩き出す。


「もう少しだけまっててね、マリア。直ぐに終わらせるから……」


 噛み合わない言葉のやり取りに、マリアの表情に怪訝な影がさす。

 背を向け遠ざかって行くアルフィードの姿に、言いしれぬ不安を覚え、伸ばしたその手は無情にも空を掴み、見つめる背中はやがて土埃の中へと消えてゆく。


 いけない――このまま行かせてはいけない……。

 痛む身体を必死に起こし、後を追おうと更に手を伸ばすが、目に見えない何かに行く手を遮られる。


――結界障壁。


 マリアを護るために張ったアルフィードの結界が、彼を思う彼女の行く手を拒んで弾く。


「あ……、あぁぁ……。いけません坊ちゃま……」


――瞬間。


 土色の世界に金色の閃光が走る。


――バギャギャ


 肩口まで延びた銀髪が、吹きすさぶ風に逆らうように巻き上がる。

 バチバチと光り、火花をその身に纏うと深紅の瞳をギラつかせた。


――上位エンチャント。


 一部の上位属性でのみ可能とされる高等技術。

 二重にエンチャントを掛ける事で雷を身体に直接纏わせるそれは、極限まで五感を研ぎ澄まさせ、術者の肉体の持つポテンシャルを限界を超えて引き出すことを可能にする付与魔法の奥義である。


「素晴らしい……。素晴らしいよアルフィード君……。君は、私の予想など容易く飛び越えてゆく。あぁぁ……」


 いつの間にかアルフィードの傍らに立っていたユリウスが感嘆の息を吐く。

 両の手で自らの身体を抱きしめる様に組むと、ブルリと身体を震わせながら恍惚な表情で目を細める。


 真っ白な白髪が雷の発する光りを受けて、美しい銀髪へと色を変えた様を眺めて思わず手を伸ばすと、バチッと拒むように弾き返される。

 ユリウスは、拒まれ痺れた右手を抱え、2歩3歩と後ずさると顔を伏せてニヤリと笑う。


「クククククッ……、素晴らしい。君ならきっと、爵位持・・・ちすら召還出来るだろう……ククッ……ハハハハハハハハ」


 目に見えない壁を必死に叩き、声を張り上げるマリア。

 その瞳には、全てを拒むように雷を纏った銀髪のアルフィード。

 そしてその傍らで狂った様に笑い転げるユリウスの姿が映し出されていた。


「だめぇぇぇ、やめてぇぇアルフィードォォォ」


 そんな二人の言葉も当のアルフィードには届かない。

 彼はただ、自信の内側より溢れ出る殺意にその身を委ね、目に見えぬ敵を殺すべく辺りを漂う魔力を探し続ける。


「見つけた――」


その目を鋭く尖らせ、眼前を睨み付けたアルフィードが呟く。


――瞬間。


 濃密な魔力が土埃を巻き上げ、アルフィードを中心に立ち上ると、その背後に次から次へと魔法が出現する。

 石槍、火球、氷槍、水球――その数は優に100を越えていた。


「――死ね……」


 短く、呟くように口にしたその言葉には、たっぷりとドス黒い殺意が込められていた。


――刹那。

 全ての魔法が放たれる。


 土煙を切り裂き、轟音が轟き、火柱が上がり、大地が爆ぜる。

 休む事なく続く法撃に世界が揺れる。


 感じる気配が一つ、また一つと消える中、休む事なく次の魔力を練り上げていく。

 正に一方的かに思えたその攻撃に、実戦経験の無いアルフィードの気がほんの少し緩んだ瞬間――。

 眼前に10を越える火球が現れる。


「――っ!」


――死ぬ。


 思わず眼を瞑り、頭を抱えるアルフィード。

 しかし、続く痛みはやって来ない。


 覚悟を決めて恐る恐る目を開くと、いつの間にか自身の前に結界障壁が張られていた。


 ハッとした表情で振り返るアルフィード。

 見ると其処にはニコリと爽やかな笑みを浮かべたユリウスがたっている。


「先生……」


 今にも泣き出しそうな顔でアルフィードが呟く。

 そんな彼に大丈夫だと言わんばかりに、力強くユリウスが頷いた。


 尊敬する恩師に背中を押され、覇気を取り戻したアルフィードは、頷き返すと向き直る。


「もう、反撃する隙は与えない!」


 周囲一帯を更地にし、地形すら変えて仕舞うほどの猛攻撃が始まった。

 休む事なく練り上げられる魔力。

 止まる事なく放ち続けられる魔法。

 その間、実に数十分。


 その様子を眺め、腹を抱えて笑うユリウス。

 取り返しの付かない事態に泣き叫ぶマリア。


 しかしアルフィードの放つ法撃は、そんな二人の叫びをもかき消していった。

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