43話:漸く会えたなクソ野郎!

「もう大丈夫だよ、マリア」


 アルフィードの声で我に返ったマリアが顔を上げる。

 其処には、建物は疎か草木一本生えぬ不毛な大地と度重なる爆発で抉れ、荒廃した景色が広がっていた。


「あぁぁ……、何てこと……。何て事を……」


 もう戻れない。

 もう取り返しがつかない。

 もう決して許される事はない。


 アルフィードに、これから訪れるであろう最悪の未来を思い描き、絶望に身を震わせる。

 そう俯き、両手で顔を覆い泣き続けるマリア。


 そんな彼女を慈しむように優しく抱きしめるアルフィード。

 その顔は穏やかで、その瞳は自信に満ち溢れていた。

 

「恐かったんだねマリア。もう大丈夫だよ。マリアを傷つける悪い奴らは、僕が皆やっつけたからね」


 そんな二人のズレた遣り取りを眺めて、ユリウスは漸くハタと気付く。

 どうやら彼は聴覚を奪われてしまったようだ、と。


「なる程……、鼓膜をやられてしまったのか……。それなら気にする必要も無いな……」


――気にする必要も無い?


 ユリウスの呟きを聴き、抱きしめるアルフィードの肩口からマリアが訝しげな顔を覗かせる。


「ハロルドォォォ! 無事かぁぁ?」


 そうユリウスが大声を張り上げると、遠くの空で一発の火球が撃ち上がり、派手な火花を散らす。


「ハッ! 流石は騎士団長、存外しぶといじゃないか」


「ユリウス……、あなた……」


 その眼を大きく見開き震えた声でマリアが口を開く。

 恐怖と怒り、相反する二つの感情が混ざり合い、その顔は憎しみに歪んでいく。


 全てはユリウスの掌の上。出来レース。マッチポンプ。

 初めから仕組まれていた罠だったのだ。


 叫びだしたい気持ちを抑え、マリアは必死に考えを巡らせる。

 どうすればアルフィードを守れるのか、と。


 しかし振り返ったユリウスは、そんな彼女の胸の内を見透かしたように残酷な言葉を継げる。


「もう後戻りは出来ないよ? 今日、この日、この時、この場所で、アルフィードは全人類の敵になったのだから」


「――ッ! このっ、悪魔め!」


「酷い言い様ですねぇ。何か勘違いしているようなので言っておきますが、我々は別に悪魔を信仰している訳ではありませんよ?」


 敵意剥き出しで睨み付けてくるマリアにヤレヤレと肩をすくめる。


「我々はあくまでも魔導の探求者。悪魔召喚は知識を得る為の手段に過ぎないのですよ。連中のように神子などと言う中途半端で不完全な存在に頼っていては、何時まで経っても深淵を覗き見る事は出来ませんからね」


「いったい貴方は何が言いたいの?」


「はぁ……。一介のメイド風情が知らないのも無理は有りませんか……。まぁ良いでしょう、きちんと説明して差し上げますよ。但し場所を変えましょう。これだけ派手に暴れれば、流石に頭の弱い街の連中でも気付くでしょうからね」


「嫌よ、どこにも連れてなんて行かせないわ!」


「貴方の意見なんて聞いていませんよ。さぁ、そろそろ出発しましょうか」


 そう告げたユリウスの視線を追って振り向くと、深紅のローブを身に纏い、深々とフードを被った幾人もの男達が、貴族のような所作で胸に手を当て頭を垂れて整列していた。


「では行きましょうか」




――我々の楽園へ――

 



◇――――――◇




「悪魔崇拝者……ねぇ……」


 ノエルは、破り取られた切り口を確認する様に指でなぞると、静かに眼を瞑り本と閉じた。


 このタイトルすら無い黒革の書物は、どうやら手記のようだ。

 内容を鑑みるに、恐らく執筆者はメイドだろう。

 気になるのは破り捨てられた後半数ページと、裏表紙に書かれた血文字らしきもの。


『悪魔召喚が成功してしまった』


 そう書き殴られたその一文を思いだし、摘まむ様に眉間を押さえる。


 先にドラゴンに例えた魔力の正体は、その実、悪魔なのかもしれない。


「まいったな……。悪魔なんてものを制御できると本気で思ってたのか? バカ共が……」


 ノエルは現時点で知り得た情報を元に、自身の置かれた立場とこの先に待ち受けて居るであろう厄介事を考え始める。


――恐らく……、恐らくだが。


 連中は悪魔を召喚したのは良いが、制御しきれなかったのではないだろうか?

 その結果、イニシアティブを取られ瓦解した。

 そして出来上がったのがこの地獄・・・である、と……。


 そう考えれば一応の辻褄は合う。

 合うのだが……。


 それでもどうしたって疑問は残る。

 いや、寧ろ謎だらけだ。


 何故、豚頭や人面豚の様な異形種を作り出したのか?

 わざわざ村に住まわせていたのだ、何かしらの理由は有るのだろう。

 それにそもそもどうやってあんな者を作り出したんだ?

 手記に書いてあった神子を凌ぐ悪魔の知識って奴だろうか?


 更に言えばユリウスと言う男が気に掛かる。

 手記を読む限り、何度も悪魔召喚をしてきたような口振りだった。

 そんな男が容易く悪魔に主導権を握られるだろうか?

 そしてユリウスは今、何処にいるのだろうか?


 散々、疑問を並べてみるが、どれ一つ取っても解消される気がしない。

 

「……悪魔ってなんだ? そもそもどんな姿をしてるんだ? 全然わからねぇ。もしかして俺って詰んでねぇか? いやいや、待て待て、こんな所で死ぬのは御免だぞ。何とか逃げ出す方法を考えないと……」


 この世界で悪魔と呼ばれる者が一体何なのか、全くもって情報がないのだ。

 感だけを頼りに推理していくしかない状況。

 綱渡りも良いところだ。


 それでも何とか頭を捻り、出て来た言葉がこれである。


「ん~。悪魔のイメージと言えば……、メフィスト・フェレスかな……」


 頼りない。なんとも頼りないが宛もない……。

 仕方が無いと思考を沈ませ考える。


 ドイツの民話にファウスト伝説と言われる物がある。

 錬金術師であり死霊術士でもあるゲオルグ・ファウストが己の私利私欲を満たすために悪魔を召喚すると言う物語だ。

 そしてその際呼び出され悪魔の名がメフィスト・フェレスである。

  

 この物語は後に数多の作家によってリバイバルされるのだが、その結末も設定の作品によって諸説紛々だったりする。


 中でも有名なのは19世紀に書かれたゲーテ作「ファウスト」だろうか。

 変わっているのは、ゲーテのファウストには、悪魔だけではなく神が描かれている所だろう。


 悪魔であるメフィスト・フェレスが「人間は欲深く愚かであり、救うに値しない」と神を煽り勝負を持ちかける。

 その神と悪魔の賭に巻き込まれたのがファウストであり、その結果、彼は数奇な運命を辿る事となる。と、言った物語だ。


 メフィスト対ファウスト。悪魔対人間の手に汗握るコンゲームは、21世紀を生きていたノエルが読んでも凡そ古めかしさを感じさせない傑作であった。


 とは言え重要なのはその先――数多ある悪魔を題材にした書籍を鑑みるに、契約・・と言うのが重要に思える。

 どうにも物語に出てくる悪魔は、どれもこれも人間より余程、交わした契約を遵守する存在として描かれている物が多い。


「だめだ……。他に思いつかねぇ……」


 どれもこれもが創作物の設定であって、根拠もなければ確信もない。

 無いが……。他に案らしい案が無いのも事実である。

 これに縋るより他はないだろう。


 何の策も無いまま、悪魔と言う未知の存在に相対する訳にはいかない。

 其れこそ自殺行為だ。

 例え空から垂れる蜘蛛の糸程の可能性であったとしても無いよりはましだろう。


――とは言え、どうしたものか……。


 契約の穴を突くと言っても、契約の内容その物を知らなければ作戦の立てようが無い。


 其処まで考えてハッと思い返す。

 先に読んだ手記の後半数ページ。

 もしかすると其処に契約条項が連ねられていたのかもしれない。


 しかし、だとするといよいよ持ってお手上げでは? 


「……洗いざらい吐かせるしか手はねぇか……」


 目の前に鎮座する生首。

 今尚ノエルを睨み付けるその表情は憎しみに満ち満ちている。


 そんなおどろおどろしい生きた生首を前に、ノエルは露にも掛けないといった表情で鼻を鳴らす。


「フンッ。手前みてーなクズに同情する程、俺は甘くも優しくもねーんだよ」


 そう、目の前のこの男こそが地獄を作りだした原因の一端なのだ。

 自身の掌を見つめて脳裏に浮かぶのは哀れな少女の最後の姿。

 その命を奪う事でしか救う事が出来なかった、そんな己の無力さに思わず眼を閉じ拳を握りしめる。


 きつく握った掌に爪が食い込みうっすらと血が滲むと、自身を落ち着かせようと何度も深く深呼吸をする。


「ふぅ……。まだだ……、まだ我慢しろ……」


 その胸の中に渦巻く怒りに蓋をする。

 来る冪瞬間に爆発させるために。


 まるで陶器の様に表情を失ったノエルが、おもむろに机の上へと手を伸ばす。


 無惨な姿になって尚、艶やかさを残す白髪を鷲掴みにし、目線を合わせるように持ち上げると、その口元をニヤリと歪めて覗き込む。







――漸く会えたな、クソ野郎!アルフィード――

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