44話:黒の祭壇

 足音を殺し、石畳の上を進んでいく。

 その歩幅は小さく。その歩みは遅い。


 ノエルは身体強化とエンチャントを掛け直し、辺りに耳を澄ませ遠くを見る様にして目を細めた。

 掛けたエンチャントは闇属性。

 術者から漏れ出る属性魔力を隠蔽し、魔力関知による索敵から逃れる為である。


 足を進める度に、時折吹く風は勢いを増し、感じる土の香りは鼻腔を撫でる。


――出口が近い。


 そう思わせる状況に、本来ならば小躍りしたい所ではあるが、ピリピリと感じる魔力がそれを許さない。

 

 出口と思しき先から感じる魔力が進む度に強くなり、構えていた弓を握る手に思わず力が入る。


「威嚇してやがんのか? ……まるで獣だな」


 これ程までの膨大な魔力を有しながら、魔力操作を知らないとは考えがたい。

 で、あるならば、この感じる魔力も自らの存在感を示し、ノエルを牽制でもしているつもりなのかもしれない。

 それこそ外敵を前に吠える獣の様に。


 残念ながらアルフィードからは何の情報も得られなかった。

 しかし考えて見れば当たり前の話だったのだ。

 生きた生首と化したアルフィードに元より身体などは無く。

 故に肺も存在しないのだから、言葉を発することなど出来る筈がないのだ。


 結局、悪魔やユリウスの情報も無いまま、先に進む事を余儀なくされてしまった。


 この地下道の先に待ち構えているであろう敵の正体が何であれ、人間で無い事だけは確かだろう。


 弓を構えたまま、視線だけを漂わせ周囲を警戒しながら進んで行く。


 相手の姿も力も分からない以上、警戒してもし過ぎると言うことはないだろう。


 ノエルが想定した様々な状況の中で、もっとも最悪の展開は、敵の正体が悪魔で、かつ悪霊・・と呼ばれる存在だった場合だ。


 肉体を持たない霊的存在に襲われでもしたら打つ手がない。

 そもそも、その姿を視認出来るかどうかも疑わしい限りだ。


 そうやって最悪を想定し、それに警戒しながら進んでいるものだから、どうしたって歩みは遅くなってしまう。


――ピシャ


 天井から滴が落ちる度に緊張が走り、構えていた弓の矢尻がピクリとせり上がる。


 そんなふうにややビクつきながらも一直線に続く地下道を進んで行く。

 二倍三倍に引き延ばされたかのような体感時間の中。

 やがて遙か前方に今までとは少々毛色の違う、青白い明かりがうっすらと見えてくる。


――魔柱の発する灯りに似ている。


 そう判断すると、気配を殺して壁際を屈むように歩き始めた。


――ヒョォォォ……。


 吹く風が更に勢いを増し、纏っていた外套をバタバタと棚引かせると、その下から焦げ茶色のリュックがチラリと顔を覗かせる。


 そんな中、逸る気持ちを抑え、漸くたどり着いた先でノエルを出迎えたのは、夜空に輝く満天の星空だった。


(やった! やっと出られるぞ!)


 壁際に身を隠しながら小さくガッツポーズを取る。


(待て待て、焦るな俺。まずは状況確認だ……)


 惚けた頭を左右にブンッブンッと、振ると、ソロリと通路から顔を覗かせ周囲を見渡す。


 見ると其処はコロッセオの様に円形に作られており、壁と床は黒曜石と思しき黒く艶やかな石畳が敷き詰められていた。


 全体の広さは、直径にして大凡50m程だろうか。


 よくこれだけの物を作ったものだ。


 中央と壁の丁度中間辺りには、等間隔に真っ黒な石柱が連なっており、その天辺には蝙蝠の様な羽を生やした化け物。

 悪魔、もしくはガーゴイルを思わせる石像が鎮座している。


 それらの石像が、まるで部屋の中心を護るかのように壁際に向かって並んでいるものだから、結果、ノエルの足を止めてしまう。


(動かねぇだろうな? すげー怖いんだけど……、何か睨まれてる気がするし)


「ファンタジーは何でも有りだから困る……」


 などと愚痴りながらもゆっくりと足を進め、石柱の陰に身を隠すと、その先へと視線を飛ばす。


「――っ!」

(彼奴か……)


 広場の中央は祭壇の様相を呈している。

 その中心に、黒いローブに身を包んだ何某かが、ノエルに背を向けるように佇んでいた。


 祭壇手前は、三段ほどの階段になっており、中央に立つローブを着た人物の前には、腰骨辺りまでの高さの横長の大きな祭壇らしき物が備え付けらている。


 高さ80cm長さ2m、といったところだろうか。


 フードを深々と被っている為、種族は疎か性別すら確認することは出来ないが、見た所、2mには届かないまでも身長190cm以上はありそうな大柄な人物。


 その風体から、おそらくは男であろうと辺りを付ける。


 その様子を身を隠して伺っていたノエルの額からツゥと汗の雫が滴り落ちた。

 気が付くと、ここに至るまでの間、ずっと感じていた圧迫するような魔力の気配が掻き消えていたのだ。


 周囲を見渡すが、辺りにはローブの男以外とくに人の気配は感じられない。

 身を隠しているのだろうか?

 だとしたら虎視眈々と此方を狙っている可能性がある。


 無防備に背後を晒す男に向けて、キリリと弓を引き絞るが放つ事が出来ずに歯噛みする。


(どうすればいい……。強襲出来る機会を逃す手はない。しかし……)


――瞬間。


 突如として男の前方、宙に波紋が生まれたかと思うとその手元から猛烈な勢いで禍々しい魔力が溢れ出て来る。


(何だ!?)


 無詠唱によるインベントリから男が取り出したソレ・・

 拳ほどの大きさの小さなピラミッドを逆さにしてつなぎ合わせた様な、正8面体の赤いクリスタル。  


 男は膨大かつ濃密な魔力が溢れ出るソレを、祭壇の上へと掲げると、そっと宙に浮かべるようにして手を離す。

 すると、宙に浮いたクリスタルはまるでコマのようにゆっくりと回転を始める。


――ゴクリ……。

 思わず生唾を飲む。


 どうやら感じていた魔力の正体は、今正に宙を回り続けているクリスタルだった様だ。


 その正体は分かりかねるが、禄でもない物である事だけはわかる。


――呪い。


 ノエルはクリスタルを見た瞬間、本能的にそう感じた。

 溢れ出ている魔力が、まるで泣き叫んでいるかの様に大気を震わせる。



「*************」


 大陸共通語でも古代語でもない未だ耳にした事のない不思議な言語で、男が言葉を紡ぎ始める。


 一体何が始まるのかとノエルが男を見守っていると、未だ開いたままだったインベントリから今度は真っ黒な大鎌を取り出し始めた。 


 それは2mもの長い柄に1.5m程の分厚く内側に向かって反り返った刃。

 柄から刀身に掛けて全てが黒一色に染まり、刃物でありながら光沢は一切無く、降り注ぐ月の光すら飲み込む様な漆黒。

 存在そのものに違和感すら感じさせる異様な大鎌であった。


――カツッンッ。


 取り出された大鎌の刃先が石畳を鳴らす。


 瞬間――男の纏う魔力が膨れ上がり大鎌へと注がれていくと、

 それを見守るノエルが息を飲む。


 男が大鎌へと注ぎ込んでいる魔力量が尋常ではないのだ。

 間違いなく高位の魔導師、それもオンデイーヌに匹敵する程の。


(やべぇ……。これ絶対やべぇ奴だ)


――ズズズッ


 突然。大鎌の刃先が石畳へと沈み始める。

 その様子はまるで水面に垂らした釣り糸のようにやがて刃全てを飲み込んでゆく。


 その異様な光景をのぞき込むようにして石畳を確認するが、切り裂かれた跡も砕かれた様子も一切見受けられない。

 それこそその床一部分だけが水面であるかのように……。


(物理透過? とんでもない不思議アイテムだな、おい……。まったく……これだからファンタジーは……)


 男が唱えていた詠唱らしき物が終わりを告げると、手にした大鎌を祭壇に向かって振り上げた。


――やるならこのタイミングしかない。

 

 どこかに新手が潜んでいる可能性も捨てきれないが、物理透過等というとんでも武器を持った高位の魔導師と、正面から殺り合うのだけは避けなければならない。


 ふぅ、と短く息を吐くと、唇を横一文字に堅く結び、その瞳が鋭く尖る。


 次の瞬間。

 

――シッ。


 ノエルの放った矢が、男の後頭部に向けて放たれる。

 それは、男が祭壇に向けて大鎌を振り下ろした、その瞬間の事であった。


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