140話:ケルベロスの街

「やれやれ、騎士団長殿も困ったお人だ……」


 困り顔で呟いたルドワは、テーブルの上に投げ出された手配書を拾い上げた。

 確かに、人探しならお手のもの。貴族街に逃げ込まれでもしない限り、見つけだすのにそう時間は掛からないだろう。

 騎士団の連中とは違い、別の意味で街に影響力のあるコルネーリオ商会なら、文字通りに地下に潜っていたとしても探し出せる。


「仕事を拒否したいのならそう言え。その時は謀反の罪で、私が直々に裁いてやろう」


「まさか、ランスロット様に逆らおうなどとは、露ほども考えてやいませんよ。ただ――」


 言い淀んだルドワをベルンハルトが睨み付ける。敵意向きだし。隠そうともしない攻撃的なその態度に、困惑と呆れをいだいたルドワは閉口するしかなかった。


「ただ……何だ?」


 ベルンハルトが詰まった言葉の先を促す。その目は侮蔑の色が浮かび、明らかに挑発めいた表情で見下ろしている。


――忌々しいランスロットの犬め……。


 内心で毒づくが、言葉にならない。下手に食ってかかろうものなら、この男はベルンハルト嬉々として腰に差した剣を抜くだろう。彼らからしてみれば、ルドワなど幾らでも替えのきく道具でしかないのだ。


 それでもほんの数瞬。考える素振りを見せたルドワは、言葉を選ぶように口を開いた。


「ただの子供を躍起になって捜す理由をお伺いしても宜しいですか?」


「理由など知らずとも仕事は出来るだろう?」


「確かに……。承りました……」


「ふんっ、初めからそう言えばいい。余計な時間を使わせるな」


「…………」


 顔が熱を帯び赤く染まる。ルドワは、それを隠すように顔を伏せた。

 あからさまなベルンハルトの態度。わざと自尊心を刺激して激昂を誘いたいのだろう。

 そんな事は、ルドワも重々承知していた。しかしながらそれすらも分かった上でベルンハルトは更に煽ってくる。


 端的に言えば殺したいのだ。今日この場でルドワを始末したい。ベルンハルトは半ばそのつもりで商会を訪れていた。


 ルドワ・コルネーリオは優秀すぎた。今までも幾度となく無理難題を押し付けては顎でこき使って来た。が、この男、何を命じてもそつなくこなし、要求以上の結果をもたらしてきた。

 いくら必要悪と分かってはいても、ベルンハルトは危機感を覚えてしまう。なにせ優秀な悪党ほど厄介なものはいないのだから……。


「申し訳……ありません……」


 沸き上がる怒りを抑え込み、何とか言葉を絞り出す。そうして頭を擡げると、そこには既にベルンハルトの姿はなかった。


――今日も生き延びたか……。しかし――


「――クソったれがぁぁ!」


 激情のままに、目の前の机を蹴り飛ばす。それでも爆発した感情は収まらず、その行き場を求め、部屋中の家具という家具へと被害が及んでいく。

 蹴り上げ、投げ捨て、砕かれ、散らばる。そうやって散々当たり散らした頃、不意に聞こえてきたノック音に我に返った。


「会長……よろしいですか?」


「あぁ、入れ」


 激しく続いた物音に、様子を伺っていたダーオが顔を覗かせた。触らぬ神に祟りなし。普段なら癇癪を起こしたルドワに近付くなんて願い下げだが、今回ばかりはそうもいかない。遂にが口を割ったのだ。


 ダーオは返事とともに部屋へと足を踏み入れると、余談を交えることなく直ぐさま報告を始めた。


「男が自供しました。やはりリッジ・ファミリーの仕業のようです」


「そうか……」


 ルドワの顔色が変わる。高ぶっていた感情が途端にそげ落ち、代わりに毒蛇が顔を現す。能面のように凍り付いた表情の裏、思考だけが深く沈み込み、目まぐるしく回転を始めた。


 事の優先順位を決める必要がある。百年都市と言われるこのフェアリー・ベルで、人ひとりを探し出すのはそれなりに骨が折れる作業だ。

 急いで事を成そうとすれば、どうしたって人海戦術になるのは免れない。

 しかし……だ、現在コルネーリオ商会は何者かの襲撃を受け続けている。ダーオの報告によれば、リッジ・ファミリーによるものらしいが、どちらにしても時期が悪い。


 ベルンハルトからの仕事を優先するならば、部下達を少人数に分けてことに当たらせる必要がある。しかし、そうすればこれ幸いと標的にされかねない。少なくともルドワならそうするだろう。


 ただ、それにしても気に掛かる……。手配書を読む限り、ベルンハルトの探し人は何処にでも居る平凡な子供にしか見えない。

 拾い上げた手配書を広げると改めて目を通す。

 少年の名はノエル。黒髪黒目で平凡な顔立ちの七歳児。似顔絵を見ると如何にも眠そうな目をした何の変哲もないだ。


 いったいこの少年の背景には何があるのだろう? ルドワの好奇心が疼く。

 貴族の隠し子か? それともベルンハルトに近しい者なのか?

 少なくとも組織の力を使ってまで探すほどだ。何かがあるのだろう。

 先のやり取りでは、ベルンハルトは何も答えなかったが、どちらにしても捕らえてしまえばこちらの物。事と次第によってはランスロット家への切り札になり得るかもしれない。


 おそらくこの先、遅かれ早かれリッジ・ファミリーとの衝突は避けられない。

 二つの組織は共にランスロット家に睨みを利かせられた飼い犬に成り下がっている。しかし、牙を捨てたわけではない。機会さえあれば、互いに喰い殺さんとして狙い合う者同士。

 言わばそれぞれが主導権を握らんとするケルベロス。弱みを握るチャンスがあるなら、躊躇いはしない。


――となると、優先すべきは……。


「リッジ・ファミリーと話をつける必要があるな……」


「やりますか……?」


 ルドワの呟きにダーオが反応する。今回、殺害された者達の中には、ダーオの実弟も含まれていた。そのため、態度にこそ現れてはいないが、奥底では腸が煮えくり返っていのだろう。


「いや、まだ時期尚早だ。まずは話をつける」


「泣き寝入り……ですか……」


 かみ殺すようにダーオが口走った。必死に感情を抑えているのか、握り込んだ拳も震えている。


 その様子を感じ取ったルドワは、諭すようにダーオの肩に手を掛けると、ゆっくりと力強く言葉を紡いだ。


「バカを言うな! 絶対に泣き寝入りなどしない、必ず弟の仇を取らせてやる。俺を信じろ!」


「会長……、分かりました」


「すまんな、まずは会談の準備だ。今回ばかりは出し惜しみ無しでいく。魔法の使い手を全員集めろ」


「はい!」


 答えたダーオの瞳には、ありありと復讐の芽が根ざし始めていた。





………………。

…………。

……。




 ダンジョン五階層。さんざっぱらエリスにどつき回されたノエルが、遂には背中を向けて逃亡を始めた。


「やってられるかぁあ!」


「ふっ、逃げきれるとでも?」


 全速力で走り出すも、たった十数歩足らずでとっつかまる。そして始まる地獄の特訓。ノエルは地上での作戦行動時以外、こうしてエリスに半ば一方的に殴り飛ばされる日々を送っていた。


 事の発端はノエルの一言。『格闘術か……俺も使えようになるかな?』

 そんなボソリと呟いた何気ない独り言を、エリスに聞かれてしまったことから始まった。

 その夜から続く特訓という名の組み手の連続は、寝る直前まで休むことなくノエルを削る。

 エリス流の修業は終始実践的で単純明快。彼女がノエルにかけた言葉はたった一言。

 『死ぬなよ?』だけである。脳筋曰く、今日生き残れば、明日は今日より強くなっていると言う。無茶苦茶な理論だった。

 そんな暴論に付き合ってられるかと、ノエルは何度も脱出を試みた。


「うおぉぉぉ、やってられるかぁぁ!」


「ふっ、私から逃げきれるとでも?」



 こうして本日12回目の逃亡も、あえなく失敗に終わるのだった。

 

 

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