48話:銀の魔眼

 憤懣ふんまんやるかたないといった様子で睨み付けてくるアゼルを、ノエルはやや冷めた面持ちで眺めていた。

 恐らくコレは演技だろうと。

 100を超える魔法を放たれて尚、ノエルが未だ無傷なのがその良い証拠だ。


――遊んでいるのか……、それとも……。


 更なる確証を得るため、ノエルは遂にアゼルに向かって歩き出す。


 初めの一歩はゆっくりと、二歩で歩幅を大きく延ばし、続く三歩はスキップで、四歩目で力一杯地を蹴りあげた。


「うぉぉぉぉ!」


 恐怖心を振り払うように雄叫びを上げ、全速力でアゼルへ向かって走り出す。

 それを迎え撃つかのように、アゼルは自身の背後に火球を浮かべると、つま先を床に滑らせるように半身になって槍を構える。


「精々私を楽しませて見ろ、小僧!」


 ノエルは浮かべていた水球を前面に配置し、走る速度を更に上げる。


「言ってろクソ悪魔が!」


 右手のナイフを逆手に持ち替えると、ノエルは更に風を纏って飛び上がった。


「――っ!」


 意表をつかれ唖然として見送るアゼルの頭上を遥かに飛び越え、空を翔と大きく両手を振りかぶる。


 宙を走る様にアゼルを飛び越え、背中を向けて祭壇へと向かうノエル。

 その行為は一見すると只の自殺行為とも思える。

 しかし、これこそがノエルの待ち望んでいた構図。

 己の推測の正しさを確認する為の賭であった。


 アゼルは、無防備にも背中を晒すノエルに対し動くことが出来ずに見送っている。

 せっかく浮かべた火球が有るにも関わらずだ。


 かくしてノエルは、確証に至る。間違いないと。


――瞬間。

 

 ノエルの眼前に土壁がせり上がる。


「――なっ!」


 慌てて身を捻り、壁を蹴るようにして激突を防ぐと、アゼルに対し向き直る様に着地を決める。

 ノエルとアゼル。相対する二人の距離は10m以上は離れている。


――有り得ない……。


 ノエルはアゼルが何の気なしに発動した土壁に恐怖した。

 通常、魔法の発動は術者を中心に半径1mが限界点で、発動した魔法を操作可能なのは半径3m程である。

 しかしアゼルは、10m以上も離れた場所に土壁を発現させたのだ。


 これが悪魔の持つ力なのだろうか?

 思わず背中に冷や汗が垂れる。


「なぜ分かった?」


 唇をへの字に結び、苦々しい顔をするアゼルに対して、ノエルは靦然てんぜんたる面持ちで睨み返す。


「いい加減にしろよ、この大根役者が。流石の俺でも気づくぜ?」


 ここまでしてノエルの知りたかったこと。

 それはひとえにアゼルを召喚した契約者が誰なのかを確かめる事だった。


 元々ノエルが予想していた契約者は、勿論アルフィードである。

 しかしながらここに来てその予想が揺らぎつつあった。

 その理由は、当のアゼルの物言いである。


『お前の契約者は、どこにいる?』


 ノエルがそう質問した時、アゼルの視線が泳ぎ、ほんの少しだけ眉がピクリと動いた気がしたのだ。

 普段ならばその程度の事は気にも掛けないのだが、事ここに至っては命が掛かっている。

 そうなればノエルも流石に無視するわけにもいかなくなってしまった。


 ましてや視線の泳いだ先が祭壇の上の少年・・・・・・・となれば、尚更確かめない訳にもいかない。

 

 そこでクリスタルについての質問をし、少年が既に事切れていた事を確認した。が、ここで更に疑問が沸き上がる。


 精霊だ。アルフィードは、生首にされながらも生きていた。

 それは恐らく生きた扉同様、精霊を移植したのではないだろうか? 、と。


 ならばそれは同時に少年にも当てはまる事になり、またもや無視できなくなる。


――悪魔相手に腹の探り合いなんてするんじゃなかった。


 ノエルは心の中でそうごちる。


 裏を掻こうとした結果、良いように翻弄される事となってしまったのだ。


 だが、それもここまでだ。


 ノエルは確信している。

 契約者はアルフィードであると。


「ほぅ……。何が言いたい?」


 この期に及んでアゼルが知らを切る。


 ノエルはウンザリしたように顔を歪めると、羽織っていた外套をバサリと脱ぎ捨てた。


「腹の探り合いはもう止めだ! どのみちアンタ相手じゃ勝てる気がしねぇ」


「クククッ……。もう少し遊べると思ったんだがな。残念だ」


「嫌味な奴だ……。覚悟しろよ? こっちの手札はジョーカーだぜ?」


 ニヤリと笑んだノエルは、背負っていたリュックを下ろすと半身になって左手で盾にするように肩口まで持ち上げた。


「あぁ……、その様だな」


 言ったアゼルの顔色が変わる。

 鋭くなった眼差しが、『遊びはここまでだ』そう物語っているように見えた。


 ノエルは、小さな身体を更に縮めてアゼルに向かって再び走り出す。


――悪魔は契約者を殺せない――


 誰であれ、もしも悪魔と契約を交わすなら必ずその一文を思い描くだろう。

 恐らくソレはアルフィードも同じだった筈だ。

 しかし結果はご覧の有様。

 生きた生首へと成り果てている。


 だが生きている。


 これだけの事をしておきながら結局殺せないのだ。

 そして、それこそがノエルにとっての唯一の勝機だった――。


 ノエルは、地を這うようにアゼルに接近すると水球を放ち、槍の穂先を交い潜る様にして距離を積める。

 ノエルが盾したリュックが気に掛かるのか、攻め倦ねていたアゼルは奪い取るべく手を伸ばす。

 ノエルはそれをクルリと交わし、手にしたナイフを手首に向かって切り上げた。


――ズシャ

 

 血の花が咲き、切り落とされた手首が宙を舞う。


「残り三本」


 ノエルは呟くと、勢いもそのままに滑り込むようにしてアゼルの背後へ回り込む。


 アゼルは振り返り様に槍の石突き側をノエルへ向けて振り払うが、ノエルはすかさずバックステップで交わし、危なげなく距離を取る。


――刹那。

 ノエル背後で魔力が膨れ上がる。


 突如として後方に現れた殺気混じりの魔力に、とっさに身をよじり横へと交わすが、なにか・・・に背中を切り裂かれてしまう。


「がっ! 痛ってぇぇぇ」


 慌てて身を起こし確認すると、鋭く尖った石槍が地面から突き出ており、その先にはノエルのものであろう血がベットリと付着していた。


「どうした? ジョーカーを持っているのだろう?」


 ノエルに向かい、煽るように口にするアゼル。

 見るとその瞳はいつの間にか銀色に輝いている。


「くっ……。なんなんだよ、その反則みたいな魔法はよぅ……」


 痛む体を無理矢理起こし、なんとか構え直すノエル。


――不味いな、少々血を流しすぎた……。


 ノエルの身体は未だ少年のそれ、脆弱なのだ。


(これは流石にヤバいかもしれん……)


「自分だけがカードを手にしているとでも思ったか? 図に乗るなよ人間風情が!」


 叫ぶアゼルの瞳がギラリと光ると、ノエル足下から殺気立った魔力が立ち上る。


「くっそがぁぁぁぁ!」


 ここが生死の境目。文字どうりの死線。

 歯を食いしばり地を蹴るとアゼルへ向けて走り出す。

 後ろからは次々とノエルを追いかけように石槍が地面から天へと突き上げてくる。


 迫る石槍、走るノエル、そしてそれを迎え撃つアゼル。

 両者の距離が遂に手の届く程へと接敵する。


 アゼルが石突きを横に凪ぐようにして払うとノエルは下へと交い潜り、ナイフの切っ先を突き刺すようにして胸元へと手を伸ばす。


――ズシャ


 血肉を切り裂く音と共にノエル身体が浮かび上がる。

 胸元を捉えたかに思えたノエルの一指しは、アゼルの三本目の掌を穿つに終わった。


 そのままナイフを捕まれ持ち上げられると、遂に盾にしていたリュックへとその手が及び、右に左に振り回される。


「どうした、どうした? 自慢の手札が奪われてしまうぞ?」


 枯れ葉のように宙を振り回されながらも、必死で離すまいとリュックを握るが、止めとばかりにアゼルの蹴りがノエルの顎をち上げる。


「あがっ……」


 仰け反るように蹴り飛ばされたノエルは、小さな身体も相まって、幾度と無く地を跳ねと転がるように滑っていく。


「ぎ……。ま゛まだだ……」


 言葉にならない程の弱々しい声がこぼれる。

 血を流し過ぎたのか、何やら目も霞んで見える。

 それでも必死に腕を伸ばし、地を這いずる様にして石柱へと進んで行く。


 後少し。後少しで――に手が届く。


「無様だな。見るに耐えん……」


 アゼルの侮蔑の言葉がノエルを抉る。


――まだだ……、まだ負けた訳じゃねぇ。


 満身創痍、もはや声もでない。

 それでも這いずり前へと進む。


「どう足掻いても勝ち目は無いと言うのに、まだ足掻くか……」


 ノエルは何とかたどり着くと、身を隠すようにして石柱の影に背を預けた。


 その姿をただ感慨もなく見届けていたアゼルは、無情にもノエルへ向けてこれで最後と口を開く。


「唯一、勝ちを拾える可能性のあった手札を失い、立ち上がることさえ儘ならぬ状態。もう終わりでいいだろう? 付き合いきれんよ」


 ノエルから奪いとったリュックへチラリと視線を向けると、ギラリと瞳が銀色に輝く。


「さらばだ転生者よ。来世があったらまた相見えようぞ」


 石柱へと背を預け、投げ出すように伸ばしていたノエルの足下から魔力が立ち上る。


「如何に隠れようとも、私の魔眼から逃れる事は出来ぬ」


――貫け!


 アゼルが告げた瞬間、ノエルの足下から立ち上っていて魔力が収束すると、眉間を目掛けて石槍が突き上がる。


――ズシャ


 骨を突き破り、眼球と脳味噌を飛び散からし、血飛沫が弾ける。


 アゼルは、石柱の影からこぼれ出る血肉を一蹴すると、手にしたリュックを掲げた。


「やはり契約とは面倒なものだな。あわよくば誰かに始末されないかと放置してみたが、まさか逆手に取られるとはな……」


 自分で殺せないのなら誰かに始末させればいい。

 自身の預かり知らぬ所で、見ず知らすの者に殺されるのなら契約の範囲外。

 それがアゼルの企みだった。


――ドサッ


 突然、アゼルが膝を付く。


「なっ! 何が? 力が……抜けていく?」


――カランッカッカッカ


 いきなりの事に目を丸くするアゼルの耳に、何かが石畳を跳ねる音が届く。


「プハァァ……。不味い……、何とかならんもんかね、ポーションの味は」


「どういう事だ……」


 力無くへたり込み未だ状況の掴めない様子のアゼルが、慌てたようにリュックを開きのぞき込む。


「なっ……、何だ、このガラクタは! ふざけるな……、ふざけるなぁぁぁ!」


 激昂したアゼルが手にしていたリュックを投げ捨てる。


――ゴッ……


「おいおい、ガラクタはねぇだろう? ミスリル樽は高級品なんだぜ? それに薬師にとっちゃぁ、それこそ命の次に大事な商売道具だ。大事に扱ってくれよな」


「何故だ……。何故貴様が生きている? いったい何が……」


 呆然としたアゼルの前に、ノエルが重たそうに身体を引きずり石柱の影から姿を現した。


「しんどい。マジでしんどい。もう二度と悪魔なんか相手にしねぇからな」


 顔中を真っ赤な血に染めて、身体を引きずる様に歩くノエルがニヤリと笑むと、全てを理解したようにアゼルはうなだれた。


「ぶわっはっはっ! まんまと悪魔をだましてやったぜ!」


 ドヤ顔で胸を張るノエル。

 その顔は未だアルフィード・・・・・・の流した返り血にまみれている。


「おい、クソ悪魔――」







――契約不履行だ!――


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