76話:物知りフラン
――シッ。
セバールの眉間へ向けて、ノエルの矢が放たれる。
しかし迫る矢の速度は、お世辞にも早いとは言えない。
属性のない純粋な魔力を注ぎ込んだ為だ。
案の定セバールは首を傾け容易く躱す。
と、次の瞬間――。
いつの間にか距離を詰めてきたノエルのナイフが、セバールを襲う。
――ギィィィ……
ガラスを引っ掻くような音と共にナイフが弾かれると、ノエルは浮かべていた水球を放ち、滑り込むようにして背後に回り込んだ。
「っらぁぁ!」
気合い一閃。手にしたナイフを背中目掛けて振り下ろす。
が、惜しくも刃は空を切り、体勢を崩したノエルは纏っていた風を放出しながら慌てて後ろへ飛び去った。
「ほっ、やりおるわい。視線を誘導しながらの時間差攻撃とはのう」
「チッ、年寄りの癖にやたらと機敏に動きやがって」
ノエルの背中に冷たい汗が流れる。
先にナイフを弾いたのは空間魔法だろう。
しかし背後からの一撃を躱した方法が分からない、と言うよりまるで見えなかった。
敢えて例えるとしたら、オン婆がジャスパーとの一戦で見せた高速移動のそれに近い。
これでは逃げ切る事さえままならない……。
「アニキ! 無事「来るな!」――ッ!」
「ちょっとどう言う事よ、ちゃんと説明して頂戴」
「どどど、どうしたの?」
ノエルの背後から子供達の心配そうな声が飛ぶ。
完全に形勢が逆転してしまった。ノエルは悔しげに歯噛みする。
幾通りかの作戦は考えてあったが、相手の力量を完全に見誤った。
想像していたより闇属性というのは厄介なようだ。
(こうなると取れる手段は一つだけか……。すまないが手を貸してくれるか?)
――トクンッ!
背後には子供達。眼前にはいまだ力を推し量る事すら出来ない強敵。
そして鉄火場は四方を石壁で囲まれた逃げ場のない檻の中。
覚悟は決めた。魂石の了承も得た。後は実行するのみだ。
「ごめん、訳は後でちゃんと話すから、今は言う事を聞いてくれ。頼む……」
「アニキ……どうしたんだよ。いったい何があったんだよ」
「訳があるなら今話しなさいよ。それとも話せない理由でもあるの?」
子供達の声色が強まる。どうやら譲る気はないらしい。
その時、いつもはビクビクと怯えてばかりのコリンが、二人を押し退け前へ出ると入り口から顔を出す。
「あっ! セバール爺」
「なっ! コリン来るなと言ったろ?」
「だって、危ない目に合ってるかもしれないって思ったから……」
予想だにしなかったコリンの登場に、焦ったノエルの魔力が膨れ上がると、セバールは慌てたように口を開いた。
「お主ら待たんか! 儂は初めからお主らをどうにかするつもりなど無いぞ?」
「……そんな言葉を俺が信用すると思うか?」
ノエルは手にしたナイフの切っ先を向けると、コリンを庇うように前へ出た。
「参ったのう……。ではお主は儂にどうして欲しいのと言うのかの?」
「コイツを腕に付けろ……」
ゴトリと足下に転がった
肉厚で飾り気のない無骨な腕輪。
それは先にメイから譲り受けた魔牢石の腕輪だった。
セバールは腕輪を拾い上げると溜め息を吐く。
「外すための鍵は持っておるんじゃろうな? もしも無かったら大事じゃぞ?」
「あぁ……、心配しなくても鍵はちゃんと持ってる」
セバールは躊躇いながらも仕方ないと腕輪を填めた。
「どうじゃ? これで話を聞く気になったかの? なんじゃ? そんな呆けた顔をして。腕輪を填めろと言ったのはお主じゃろうに」
「あ、あぁ……。まさか本当に填めるとは、思ってなかったんでな。少し驚いたよ」
「何を言うとるか、勝手に勘違いした挙げ句、問答無用で攻撃してきたのはお主の方じゃろうに」
『まったく最近の若い奴は』などとぶつくさ文句を垂れるセバールの様子に毒気を抜かれたノエルは、ナイフをしまうとほっと息を吐く。と、同時に、相手の思惑を計りきれずに首を傾げた。
つい今し方自身を攻撃してきた相手の前で、魔牢石の腕輪を填めることがいかに危険なことか、考えるまでもなく分かり切ったこと。
にもかかわらず、目の前のこの老人はたいした迷いも見せずに填めてみせたのだ。
なにか特別な対抗策でもあるのだろうか?
「時にお主、確かカラスと言うたかの?」
「そうだ……」
「ふむ、ではカラスよ、ちと儂と話をせんか? 折り入って頼みたい事があるんじゃが」
「断る!」
「何故じゃ! 話ぐらい聞いてくれても良かろう? 年寄りは大切にするものじゃぞ?」
「はっ! なにが年寄りだ。あんな人外じみた動きをする老人がいてたまるか。どうせその姿も偽りなんだろ?」
ノエルの言葉にセバールは目を丸くして驚くと、次の瞬間ニタリと笑みを浮かべた。
「やはりお主はただ者ではないのう……。これは是が非でも話を聞いて貰わねばなるまいて」
「い・や・だ・ね! どう考えても厄介事の臭いしかしねぇ。巻き込まれんのはゴメンだね」
「そんなぁ、後生じゃ、話しだけでも聞いてくれカラスよ。のう、頼む、この通りじゃ」
ヨレヨレとその場にしゃがみ込み、か弱い老人を演じてみせるセバールをじと目で睨む。
「ったく……、白々しい爺さんだ」
実際の状況とは真逆に、傍目から見ればノエルがセバールをいじめている様にも見える絵面。
その最中にコリンの後を追うようにダンとフランが部屋へと入ってくる。
二人はノエルとセバールを何度も交互に見返しながら大袈裟に頷いた。
「なるほど、だいたい分かったぜ」
「そうね、だいたい分かったわ!」
「なにが?!」
軽蔑するような視線がノエルを突き刺す。
とうやら二人は、ノエルが一方的にセバールをいじめていると勘違いしたようだ。
(くっ……、あの爺やりやがったな)
「アニキ、弱い者いじめは良くないと思うぜ?」
「そうね、弱い者いじめは卑怯者のする事だわ。セバール爺に謝りなさい」
「まてまて、俺は別にいじめなんてしちゃいない。これは爺の演技だ。本当だって」
「後生じゃ。許してくれ、後生じゃ」
白々しくも両手をすり合わせる様にして拝むセバール。
その姿にノエルのこめかみがひくひくと引きつる。
「アニキ、俺はアニキを見損なったぜ。まさかこんな事をする奴だったなんてな」
「えぇ、まったくその通りね。連れて来るんじゃなかったわ! 信用した私達がバカみたいじゃない」
「ぼ、僕はアニキを信じてるから」
「…………」
まくし立てる二人の言葉に、思わず声を失うノエル。
セバールは、その様子を上目遣いでチラリと見ると、してやったりと呟いた。
「話を聞いてくれんかのぅ……」
「――ッ! このっ! 「アニキ!」」
事情を知らない子供達からすれば、ノエルが責められるのは無理からぬ事。
かと言って事のあらましを説明する訳にはいかない。
それは彼らを巻き込むことに他なら無い。
ノエルは顔を覆う様にして大きく息を吐くと、セバールに向き直る。
「分かった、聞くだけ聞いてやる。ただし今は駄目だ。意味は分かるな……」
セバールはノエルの後ろにいる子供達を見渡すと、これまた白々しく掌をポンっと叩いて頷く。
「なるほど、いいじゃろう。儂はいつでもここで待っておるでのう。じゃが、約束するからにはキチンとして貰わねば困るのう」
「チッ、一々しゃくに障る爺さんだ。が、まぁいいさ【あんたが子供達を巻き込まない限り、必ず戻ってきて話を聞こう】」
「ほっほっほ、いいじゃろう」
「んじゃみんな帰るぞ?」
「え? どういう事だ?」
キョトンとした顔で首を傾げるダンの肩をポンっと叩く。
「だから誤解だって言ったろ? ありゃ、爺さんが勝手にすっころんだだけだ」
「そうなのか? それならいいんだけどよ……」
いまいち釈然としない様子のダンの隣で、フンスッとフランが鼻を鳴らす。
「私は初めから分かってたわ! まったく、ダンの早とちりにも困ったものね」
「えぇ……。フラン、いくらなんでもそりゃないぜ」
「ふんっ」
「あーあー、分かったから皆、出た出た。とっとと帰るぞ」
子供達を押し出すようにして外へ促すノエルに、慌てた様子のセバールが右手を掲げて呼び止める。
「ま、待てカラス! 腕輪はどうする気じゃ? 鍵を持っておると言っとったじゃろーが」
「俺を担いだ罰だ。次に俺が来るまでの間、そのまま反省してやがれ!」
「後生じゃ。それだけは許してくれ」
追い縋るセバールを無視して子供達と一緒に横穴から出ると、こっそりと入り口に何重もの結界を張っておく。
おそらく30分は保つだろう。
「なぁアニキ、いいのか? すげー必死に呼んでるぞ?」
「いいんだよ。いいか、ダン、よーく覚えとけよ? 老人を簡単に信用するな。連中は大抵ずる賢いものなんだ」
「そうなのか?」
腕を組んで首を傾げるダンの横で、またもフランが胸を張る。
「そんな事、私は初めから知ってたわ!」
「「「…………」」」
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