142話:鉄腕のリッジ

 緊迫した空気。張り詰めた糸。重苦しい雰囲気。言い方は多々あれど、今この場に相応しいのは、差し詰め殺意渦巻く修羅の戦場――。


 薄明かりの中、無言のまま睨み合った二人の男。ルドワ・コルネーリオとリッジ・ブラディッシュ。

 今にも殺し合いが始まるかという雰囲気の中、押し黙ったままの二人は互いに一歩も譲らないと言った様子。

 更にそれぞれの背後には、二人の右腕と称される男達。ルドワの部下、ダーオとリッジの部下アレン。

 彼らは後方で控えるように一人ずつ立ち、此方もこちらで睨み合いが続いていた。


 時が止まった空間の中で、互いを遮るように置かれた机。その上で、時折ゆらりと揺れる蝋燭の炎だけが、時間の流れが正常である事を示している。


 ここは貴族街に程近い高級レストラン。真っ赤な絨毯が敷き詰められた柔らな床。壁に掛けられた色鮮やか風景画に、落ち着いた色を基調とした調度品がおかれ、生けられた花々も見事に部屋と調和している。

個室が売りのこの店は、その場所柄も相まって上流階級の者達が数多く来店していた。

 

 その様な場所で乱闘にでもなれば、たちまち互いの立場は地に落ちるだろう。

 この店が会談の場所として選ばれたのにはそんな理由があった。


 にも関わらず、当人達はいまだに敵意剥き出しの一生即発。ルドワからすればリッジは一族の仇敵であり、反対にリッジすれば未だに安否不明な子分の誘拐犯である。

 もとより仲良く食事など出来るはずもない。加えて普段なら取りなす役割のダーオまでもが殺意を漲らせている。


――コイツは不味いかもしれないな……。


 ダーオを睨みつけたまま、アレンはどうするべきか思い悩んでいた――。


 今回は少しばかり分が悪い。いつもと違い、部下の大部分をイカレた妖精悪戯の犯人の捜索にあてている。だというのにコルネーリオ側はまるで戦場に赴くかの如き顔ぶれが揃っていた。それにダーオのあからさまな態度。コイツは互いのボスがドンパチを始めないように、自分と一緒になってとりなす役割のはずだ。


(チッ……流石に分が悪いか……)


 アレンの目の色が変わった。その思考は攻撃から防御へ。迎撃から逃走へと流れていく。

 如何にしてリッジを逃がすか。それが問題だ……。


 窓は無く、扉は一つ。更にその向こう側には大勢の兵隊と魔法使い。対してこちら側には、部下が八人で自分を含めても魔法使いは二人だけ。

 どう考えてもコチラが不利なのは否めない。


(しょうがねぇ、一か八かルドワを人質に……)


 無表情を装う裏で、アレンは必死になって考え続けた。リッジを守りながらダーオをいなし、さらにルドワの喉元にナイフをかざす。


――出来るだろうか? いや、やるしかない……。


 袖口に隠し持っていたナイフ暗器に意識が泳ぐ。動くなら一息に……、相手の呼吸に合わせて一瞬で……。


「失礼します」


 不意に扉がノックされ、黒衣を着込んだウェイターらしき若者が入室してくる。

 銀色に磨き上げられた配膳者を引き、その上には突き出しと食前酒、それに幾本かのワインが置かれていた。


 突然の乱入者にタイミングをズラされたアレンが小さく舌を打ち鳴らす。こうなってはもう打つ手はない。最後の最後は自らを犠牲にして、リッジを護るほかはないだろう。握り込んだ暗器をさり気なく袖口に仕舞い込むと、襟元を直す素振りに隠して室内を見渡した。


「こちらが本日のアミューズになります」


 気を張るアレンをよそにウェイターが突き出しの説明を始めた。この店は、現代で言うところのフランス料理に近い趣向でコースが出されている。その為、一々ウェイターが運んでくるのだが、それがまた解説が長いのだ。やれどこで取れた野菜だの、めったに手に入らない魚だのワインだのと言った具合に……。


 結果、剣呑な空気をぶち壊す青年に、少しばかりイラついたアレンが鋭い視線を飛ばす。


「ひっ、ご、ごゆっくりどうぞ!」


 アレンの視線に気付いたのか、流石の青年も慌てふためくように逃げ出した。


その時――ルドワとリッジが当時に動き出した。まるで合わせ鏡のようにフォークを手に取ると、一口大にカットされたホワイトアスパラガスを、これまた同時に口へと運ぶ。


「で? コイツはいったい何の茶番だ?」


「…………」


 低くしゃがれた声。一際がたいの良いスキンヘッドの男。リッジは吐き捨てるように口にすると眼前のルドワを睨んだ。

 しかし当のルドワは、まるで聞こえていないかの様に黙々と食事を続けている。


「なぁ毒蛇の……。お貴族様みてぇな腹の探り合いがしたいなら相手を選べ。俺に言いてぇ事があるってんならハッキリ言えや。手前につき合って、をするつもりはねぇぞ?」


「18人死んだ……」


「あん? なんだァ?」 


「ここ二週間の間に、何者かの手によって家の者が18人も殺された。分かるか? の……。いま、私の腸は煮えくり返っているのだよ」


 キョトンとした顔で聴いていたリッジは、珍しく感情を露わにしたルドワを見て、途端に笑い声を上げた。テーブルをバンバンと叩き、機嫌良さげにはしゃいでいる。


「そんなに楽しいか? リッジ……」


「ああ、楽しいね。手前らは女子供の生き血をすするヒル野郎共だ。そりゃさぞかし方々から恨み辛みを買ってるだろうしな。俺に言わせりゃ自業自得だぜ? 毒蛇の、仁義を忘れたお前が悪い……」


「それが貴様の答えか?」


「答えも何も事実だろうよ。それとも何か? まさか俺が一枚かんでいるとでも言いてえのか?」


 ルドワは膝に掛けたナプキンで口元を拭うと、無言のまま立ち上がった。

 終始リッジを射抜くように見つめていた視線が、ギロリとアレンへ向けられた。その瞳にはうっすらと赤紫色をした幾何学紋様が浮かび上がっている。


 ピクリ、とアレンが身じろぐ。心臓が締め付けられたように硬直し、額からは汗が吹き出した。


「失礼する……」


 その一言を残して、ルドワは店を後にした――。





………………。

…………。

……。




「チッ、相変わらず気持ちの悪い目ん玉だ。おい、手前はいつまでそうして呆けてやがるつもりだ?」


 ルドワ達のいなくなった室内で、リッジがアレンを怒鳴りつけた。


「す、すいません……、もう大丈夫です。あの目に睨まれると、どうにも落ち着かなくて……」


「まぁ分からなくはねえな。何しろありゃあ呪術式の呪法陣だからな。あれに抵抗するのは、それなりに骨が折れるもんだ」


「呪術……ですか……」


 ルドワの蛇眼。裏の世界に生きる者の間では有名な話である。しかしそれが呪術によるものである事を知る者は少ない。

 コルネーリオ家の当主は代々この蛇眼を持って生まれた者が勤めている。呪術式は魔術式と違い、極稀に血統による継承が行われる物がある。そしてその代償は例外なく魂の消費。その為かコルネーリオ家の当主は代々短命とされていた。


 先代のコルネーリオも四十半ばで亡くなっている。リッジにとっては苦い思い出のある人物だ。


「俺も若い頃はあの目が苦手でな、だからお前もあまり気にするな」


「……はい」


「それよりだ……。俺ァ蛇野郎の言ってたことが気に掛かってんだが、お前なにか俺に隠してねぇか?」


 つい先ほどルドワの蛇眼から解放されたばかりのアレンは、今度はリッジから放たれた威圧に身を堅くする。


「実は――」


 かくしてリッジは、遅まきながら漸く行方知れずの子分の所在を知ることになった。




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