85話:貴族の戦い方――その3

 ノエルとヘインズは人混みを抜け出し、テラスへと出ると、それに倣うように少し遅れてマガークも後に続いた。


「ノエル君、もしかして君は、これで切り抜けられたと勘違いしてないかい?」


 開口一番ヘインズが真剣な面持ちで尋ねると、ノエルは不思議そうに首を捻る。


「それはどう言う意味でしょうか?」


「言っておくけど、僕の差し出した手を振り払ったのは君自身だからね? ここから先は僕の助力は期待しないで貰おう」


 横槍を入れてはひっかき回していたヘインズの言葉に、ノエルは途端に怪訝な顔へと変わる。

 どの口で言っているのかと。

 ただ、今後は口出ししないと言うのであれば、それはそれで有り難い。

 


「あの、それは「ノエルといったな?」」


「はい、マガーク男爵様」


「先程は国同士のいざこざに巻き込んでしまって済まなかったな」


 ノエルは、我関せずと言った様子で庭を眺めるヘインズに背を向けると、マガークへと向き直る。

 これまた予想外の言葉が飛び出したものだ。

 ノエルとしては、怒鳴られるか殴られるかでもするのだろうと予想していたのだが、まさかいきなり謝罪から入るとは思いもしなかった。


「いえ、お気になさらないで下さい。誤解が解けたのなら私はそれで十分ですから」


「そう言うわけにもいかんのだ。すまない……」


 言ってバツが悪そうに眉を歪めたマガークが、ノエルへと何かを投げつけた。

 放物線を描くようにしてノエルの胸元を捉えたそれは、そのまま音もなく床へと落ちていく。


「これは……手袋? ってまさか!」


 投げつけられたのは、真っ白な手袋だった。

 貴族のマナーなど禄に知りもしないノエルであったが、自身に投げつけられた手袋が何を意味するのかは知っていた。

 散々読み耽っていたライトノベルに、同じ様な描写が幾つも有ったのを思い出したのだ。


――決闘の申し込みだ。


 拾ってはいけない。

 もし拾ってしまえば、先に待つのは絶体絶命の大ピンチだ。


 ライトノベルでは、悪役貴族との決闘を制した主人公が、それこそ二段飛ばしで出世していく切っ掛けとして描かれていた。

 だが、それはあくまでも物語だから成し得たことだ。

 

 これだけ散々な目に遭えば嫌でも気付く。

 現実になったファンタジーの残酷さ。

 ダークファンタジーを飛び越えて、ホラーじみているとさえ思える狂気の世界に……。


「君に決闘を申し込む。受けてくれるな?」


「……お断りします」


 ノエルは顔を伏せ、震えるようなか細い声で答えた。

 強く握り締めた両の掌には、じっとりと汗が滲み出ている。


 足下に落ちた白い手袋を見下ろし、ノエルは必死に頭を巡らせていた。

 自分は一体どこで選択を誤ったのかと……。


――分からない……。何故こうなった?


「悪いが君に拒否権は無いんだ。分かるだろ?」


 俯き、肩を震わすノエルにマガークが告げた。


「待って下さい、マガーク男爵様。貴方は先程わたしに仰いましたよね? 国同士のいざこざに巻き込んだと」


「あぁ、言ったな」


「だったらお気付きなのでしょう? これが貴国を挑発する為の策略だと言うことを」


「勿論だ……。それこそが我らの本分だからね」


 言われてノエルが顔を上げると、感情の消え失せた面持ちで氷の様に冷たい目をしたマガークがいた。


(くそっ、何がどうなってやがる?)


 マガークの言った事が事実なら、分かっていてワザと挑発に乗ったことになる。 

 永世中立を謳っているイグニス王国にとって、それが一体何をもたらすのか……。


「国同士? 国……、そうか国か!」


 ブツブツと何かを唱える様に口ごもらせていたノエルの目が大きく見開く。

 どうやら何も見えていなかったのはノエル自身だった様だ。


 平和条約を結んだと言っても、三国の間では今尚ミリル平原を挟んでの睨み合いは続いている。

 それこそいつ戦争が起こってもおかしくないぐらいに。


 そんな微妙な国家間のバランスが崩れればどうなるのか?

 少し考えれば分かりそうなものだ。

 

「結局俺は人を見て国を見ていなかったと言うことか……」


 ノエルがボソリと呟くと、背後から弾むような拍手の音が響く。


「正解だよ! さっすがノエル君」


 振り返ると、テラスの柵にチョコンと座ったヘインズが、両足をブラブラとさせながら楽し気に手を叩いて微笑んでいる。


――一々癪に障る奴だ。


 取り繕う余裕すら無くしたノエルが不快そうに顔を歪めると、途端にヘインズは真剣な面持ちへと変わる。


「君が察した通り、平和条約なんてものは形だけの紛い物さ。いいとこ冷戦状態って所だね。そして今日の戦場はここって訳さ」


「だとしても私には何の関わりも無いと思うのですが?」


 絞り出すようにしてノエルの放った言葉には、確かに怒りの色が浮かんでいた。


「だからこそだよ、ノエル君。ここにいる人間に手を出せば、それはそれで負けと同じだからね。でも――」


「――余所者の血が流れる分には何の問題もないと?」


「あぁ、だから君には選択の余地は無いのさ」


 喧嘩をふっかけた方は勿論のこと、相手も相手で引く訳にはいかない。

 これは国同士の賭け引きだ。

 個人の感情は元より、貴族としての誇りすらこの場においては意味を成さない。

 例え命を失ってでも、国の代表として弱みを見せる訳にはいかないと言うことなのだろう。


 だから互いの痛み分けとしてノエルの身を差しだし、人柱にする事でこの場を納めようとした。

 恐らくはそんな所。


「言ってる事は分かります。だけど……」


 ノエルが歯を食いしばるようにして口ごもると、ヘインズは手すりをヒョイと飛び降り、室内へと歩き出す。


「さて、お集まりの皆さんに御報告があります。ここに居るマガーク男爵と、今夜の夜会の主賓であるノエル君が、互いの誇りを賭けての決闘を行うこととなりました」


 ヘインズは両手を広げ大袈裟な身振りで語り始める。

 終始チラチラと様子を伺っていた貴族達は、漸く事が進んだかとヘインズの言葉に耳を傾けた。


 蓋を開けてみればなんて事はない。

 この場にいる貴族達は、皆がみんなこうなる事を始めから察していた。

 知らなかったのは当のノエルぐらいのものだったのだ。


 ノエルは、芝居掛かったヘインズの向こう側へと視線を飛ばすと、刺す様な鋭い眼差しへと変わる。

 元々の話し、始めから間違っていたのだ。

 この場にいる全ての人間が、ノエルにとっては敵でしかなかったと言うのに……。


「そこで一つ、私から提案をさせていただきたい」


「ヘインズ君、君は何をするつもりなのかな?」


 遮るように割って入ったマガークに、ヘインズは眉を顰めて答えた。


「マガーク男爵、言葉にはお気を付けくたさい。私は今、ディーゼル家の代表としてここにおりますので……」


「そうか、それは失礼した。許されよ」


「分かって下さったならそれで結構。話を続けても?」


「あぁ、構わない続けてくれ」


「では、この度の決闘。このヘインズ・フォン・ディーゼルが立会人をさせていただきたく存じます」


 聞いた周囲の貴族達へと、同様が広がっていく。

 ノエルはそんな彼らの様子をつぶさに観察し始めた。

 『此奴らは敵だ』一挙手一投足を見逃す訳にはいかない。


「今回の一件、事は彼ら個人の話に止まる事ではありません。これは国同士の代理戦争の様なもの。そうでしょう? ならば貴国と条約を結んでいる我々としても、黙って見ていることは出来ません」


 話が進むにつれ、ノエルは漸くヘインズの真意に気付くこととなった。

 


 

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