103話:草原の約束――その7

 錆びた鉄の臭いが鼻につき、ときおり吹く風が真新しい死臭を運んでくる。

 そんな血にまみれた鉄火場で、リリーは一人の男と合いまみえていた。

 向かい合う両者の距離は凡そ3m。二人は互いに覇気を纏い、濃密な魔力が立ち上っている。


 そんな中、先に口火を切ったのはリリーだった。


「それで……、こんな辺境にまでいったい何の用かしら?」


「あぁ、仕事でね。やむにやまれず、と言う奴さ」


 言ってケタケタと笑う男を見て、リリーは不快そうに顔を歪ませる。

 ムカつく男だ。余裕ぶって見せれば、大物にでも見えると思っているのだろうか?


「私も暇じゃないのよ? 早いとこ話の本筋に入って貰えないかしら?」


「なんだぁ? 会話を楽しむ余裕すらねぇのか? せっかくこんな色男が、わざわざ会いに来てやったって言うのによ」


 舐めきった男の態度。ニヤつき、大袈裟な身振り手振りでわざとらしく煽り文句を並べていく。


――妙だ。言葉尻をとらえ、主導権を握ろうとしている様には見えない。

 どちらかと言えば――苛立ち。何かしらに腹を据えかね、八つ当たりをしているようにも見える。

 


「悪いけど、チャラい男は趣味じゃないの。それに、いい年して癇癪を起こした男に付き合える程の包容力も無いのよね」


 意趣返しとばかりにリリーが肩を竦める。

 

「言ってくれるねぇ……。だがまぁいいさ。気の強い女は嫌いじゃないし、俺がチャラいのも間違いじゃないしな」


 男は言ってニカッと笑顔を作る。所謂イケメンスマイルと言う奴だ。

 ナンパを誇る様な不快な笑み。リリーが最も嫌いタイプ。


「…………」


「はぁ……、わかったよ。単刀直入に言おう、君が欲しい!」


「ぶっ飛ばされたいの?」


「ま、まて待て、早とちりするな。今くわしく説明するから」

 

 バチリと雷を纏ったリリーに、男は慌てて両手を上げる。

 と、リリーは顎をしゃくって話の先を促した。


 そうして口を開いた男の話にリリーは腹立たし気に眉間に皺を寄せる。


 要約すればこうだ。

 町は貰う。但し住民は要らない。その代わり、リリーには公爵家での働き口を世話してやる。有り難く思え。


――ふざけるな!


 到底受け入れ難い舐めた申し出に、リリーの腸は煮えくり返る。


「言いたい事はそれだけかしら?」


 たっぷりと殺意を乗せて、唸るように紡いでいく。

 住民が要らない? 殺すとでも言うのか? ここで? 私の目の前で?


――挽き肉にしてやろうか?


 瞬間――溢れ出したリリーの魔力に反応したのは目の前の男ではなく、セバールだった。

 瞬時に部下へと指示を出すと、隊を二つに分け、退路を塞ぐように男を取り囲む。

 この男からは不可解な魔力の気配を感じる。それは微かな魔力の変質。

 本来ならば、精霊魔導師がもつ力の証だ。しかしこの男からは精霊の気配は感じない。故に不可避。


――この男は危険だ。

 

 セバールは直感に従い、自らの精霊を解放すると、精霊の力を借りて三重ものエンチャントを施した。

 戦闘となったなら遊びは無しだ。死に物狂いで挑まねば、甚大な被害が出るだろう。

 セバールの長年掛けて培った戦士としての勘がそう告げている。


「へぇ……、なかなか優秀な部下のようだな。しかも精霊魔導師まで居るとは……」


 言って男は感心したように周囲を見渡す。が、リリーは素知らぬ顔で話を続けた。

 あまり考える時間を与えたくはない。多少強引にでも話を進めた方がいい。


「あなたの素性は大凡の見当はついてるわ。その歪な魂の形……勇者ね? おまけに駆け引きすらしようとしない明け透けな物言い。間違いない、そうでしょ?」


 男は一瞬目を見開くと、ケタケタとかみ殺すように嗤った。


「あぁ、その通り。俺は勇者と呼ばれている。しかし流石は転生者だな、勇者について色々と詳しいようだ」


 つい先ほどまでへらへらとしていた男の瞳に、仄暗い憎しみの色が浮かび上がる。


 なる程……。リリーは何となく男の置かれた状況を察した。


 勇者とは、異世界より呼び出されし英雄の成れの果て、魂の総称。

 対外的には人種とされているが、そのあり方はむしろ精霊に近い。

 それが、こちらの世界に呼び出されたあと、あらかじめ用意された肉体に授肉する。

 そうして生まれるのが勇者であり、彼らは召喚者の傀儡でもある。


 さぞかし憎かろう。誇りのために戦い続けた先に待っていたのが、薄汚れた権力者達の戦奴など、結末としては最悪の類だ。


 しかし、だからこそ期がある。

 うまくやれば男をこちら側に引き込めるかもしれない。

 ただし、慎重に立ち回らなければ破滅を招く。

 何せ相手は勇者。理論上この世界おいて、最強の人種なのだから……。


「えぇ、知ってるわ。あなた達勇者が嘘を付けないと言う事も、私達異世界人を少なからず憎々しく思っていることもね」


「そうかい、なら俺が考えて居ることも分かってるんだろ?」


「えぇ、勿論よ……」


 おそらくこの男はリリーが申し出を突っぱねるのを待っているのだろう。

 相手の気持ちを逆撫でするように振る舞うのもそのためだ。

 そうやって敵意を煽り、殺意を抱かせる。それこそが狙い。


 勇者は基本的に召喚者に対して拒否権を持たない。

 が、何事にも例外があるように、勇者と召喚者の間にも唯一の例外が存在する。

 それは、勇者に対しての害意、もしくは物理的、魔法的な攻撃である。

 

 彼らは自身の身を守るために、条件次第では召喚者すら攻撃対象と出来るのだ。

 そして、それと同じように、殺意を向けられてさえいれば、命令を無視してでもリリーを殺害できると言うことでもある。


 そこまでして召喚者の命に逆らいたいとする理由は分からないが、これまでの言動から見ても一応の辻褄は合う。


 ならば、それこそが男の真の思惑。リリーはそう結論づけた。

 となれば、やりようによっては死者を出さずにすむかもしれない。


「ねぇ、あなた……私と取り引きしない?」


「あ? 何だ藪蚊なら棒に……。そんな事をして俺に何か得でもあるのか?」


「えぇ、私は貴方が一番欲しているもの、それを手に入れる手伝いが出来るわ。悪くない話でしょ?」


「お前が裏切らない保証は?」


「その辺も含めての話し合いよ。まぁ、どちらにしてもこんな所で大っぴらに話せる内容ではないでしょうけど」


「……今夜、真夜中過ぎに町の入り口だ……一人で来い」


「貴方の方もね。じゃ、私は行くわね。急いで住民を逃がさないといけないし」


「おい! 俺が逃がすと思ってるのか?」


「えぇ、思ってるわ。じゃあね!」


 喰って掛かる男を軽くいなし、リリーはセバールに目配せをすると踵を返す。

 約束の時間までは男も手は出さないだろう。急いで住民を逃がさなくてはならない。

 が、その前に――。


 リリーはふと思い付いたように振り向いた。


「私はリリー。貴方は?」


「名などない……。今の俺はそう言う物だ」


「そう……、それじゃあね、勇者さん」


 苦々しい顔で言い捨てた男に、リリーは表情を殺すとそのまま町へと歩きだした。


「物……か。そりゃあ恨みもするでしょうね」





……………。

…………。

……。




 町に戻るや否や、リリーは住民を避難させるために動き出した。


「皆、よく聞いて、これから皆には町を出て東へ向かって貰います。幸い東にあるイグニス王国には個人的な伝手もあるし、受け入れもすんなりいくと思うわ。問題は道中だけど、これも日頃の訓練のおかげで戦士の数も十分に足りるわ。いいわね? 直ぐに準備を始めて頂戴」


 有無をも言わさぬ勢いで、住民をねじ伏せる。

 が、中にはやはり梃子でも動かないと言い張る者も少なからずいた。

 主に年寄り連中だ。どうせ老い先短い命なら、せめてこの町で最後を迎えたい。


 こうなってしまうと、年寄りという者は頑として首を縦に振ることはない。

 まぁ、リリーとしても想定の範囲内だった為、その思いを受け入れることにした。

 どう生きるかではなく、どう死ぬか。年を取れば、誰もが行き着く選択の変化。こればかりはどうしょうもないし、説得する時間もない。


 ただ、一番の問題はダーク・エルフ達だった。彼らは元々東から逃げてきたのだ。

 未だに彼らの命を狙っている勢力もあるはず。かといって南には、最近戦場と化したばかりの平原があるだけ。

 やはり彼らにも残って貰うしかない。それがリリーにとっての一番の気掛かりだった。


「セバール、悪いけど皆には暫くダンジョンに隠れて貰うことになると思うわ」


「主殿、勘違いめされるな。我ら一族はもとより主様と生死を共にする覚悟は決まっております。存分に使われよ」


 ピンと背を伸ばすと、かしこまった様子でセバールは告げた。


――はぁ……。


 リリーの溜息が漏れる。元々森守りの一族だった彼らには、生活の拠点となる場所を頑なに命懸けで守ろうとする節がある。

 そんなもの、どうだっていいというのに……。

 

「別に戦う必要なんてないわ。逃げるチャンスがあるのなら、逃げればいいのよ」


「それではこの町は一体どうするおつもりで?」


「欲しければくれてやればいいのよ。そんな事よりも、脱出組が持ち出しきれなかった物を急いでダンジョンに運んで頂戴。もしかすると暫くの間、籠城する事になりそうだから」


「それは構いませんが、主様はどちらへ?」


「私は勇者と話を付けてくるわ」


「なっ! 貴女はどうしてそう一人で危険に飛び込もうとするのですか! 少しは我々にも頼ってください。それとも……、我々は信用出来ませんか?」


「馬鹿ねぇ。信頼してるし頼りにもしてるわ。だからこそ、あなた達には待っていて貰いたいの。最後まで私を信じて、戦う準備を整えた状態でね」


「それは……」


「私はあなた達を信じていいのよね?」


「も、勿論です!」


「そう、じゃ行ってくるわね」


 セバールは、言ってニコリと笑い、去っていくリリーの後ろ姿を黙ったまま見送る事しか出来なかった。


 これが、最後の別れになるとも知らずに――。

 

 


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