129話:ブックメーカー
いよいよその時が来た。領主館にある庭園。その中にあるテニスコート二面分程の開けた場所で、ノエルとマガークが向かい合っている。
周囲では魔導師達が魔道具を使った結界を張り巡らせており、その後方には立会と称した野次馬、貴族達が事の成り行きを見守っている。
点々と置かれたテーブルにはオードブルが並び、各人の手にはワイングラス。
――なにが立会なものか。
貴族達はニヤニヤと笑みを浮かべながら、今か今かと目をギラ付かせている。
おそらく彼らが期待しているのは、調子に乗った平民が無様に死に絶える姿。
少しばかり手柄を挙げたからと言って、いい気になっている子供。そんな道化を貴族が甚振る。彼らにとってはそれを目の当たりにするのも道楽の一つなのだろう。
ノエルは睨むように周囲を見渡すと、キツく拳を握り込んだ。
これがこの世界の権力だ。不法を合法に、殺戮を正義に上書きし、今度は決闘と称した公開処刑を、よりもよって立食パーティーに作り替えた。
認めよう、これが現実だと……。ただし……、受け入れる気は毛頭無い。
――せっかくだ、連中にも参加してもらおう。
先ほどからノエルとマガークの間に立ち、両者にルール説明をしている男。
茶髪蒼眼の騎士。名をサンドと言ったか、ヘインズの護衛だと言う。
その傍らにはヘインズが何やら言いたげな表情でノエルを見つめている。
そんな中、ノエルはサンドの言葉を遮るように口を開いた。
「一つ提案があるんですが、よろしいですか?」
「むっ、まだ説明の途中だが?」
「すみません、ルール変更も含めての提案なんですが、聞くだけでも聞いてもらえませんか?」
「しかしだな……」
「良いじゃないか、サンドは相変わらず融通が利かないな。ドートが嘆くわけだよ。で、提案とはなんだい?」
渋い顔で言い淀むサンドを宥めると、ヘインズがノエルの元へと歩いてくる。
相変わらずの笑顔。感情のない能面の口元を無理矢理歪めたような、酷く歪な表情。
ただ、その声色だけは愉しそうに弾んでいた。
「はい、賭をしませんか?」
ノエルは冗談としか思えない言葉を口にした。事実ノエル以外、この場にいる全員がそう思った。
中にはこれ見よがしに大声で笑い出す者さえいる。
「賭? 君と僕がかい?」
「いいえ、ここにいらっしゃる方々全員で、私とマガーク男爵様のどちらが勝つのかを賭けるんですよ。如何です? お好きですよね? そういった趣向が」
ノエルは煽るように肩を竦めると、周囲をグルリと見渡した。
「貴様、私を侮辱するつもりか?」
勝利宣言とも受け取れる話の内容に、自身がバカにされとでも思ったのかマガークはノエルに詰めより襟元を締め上げた。
「まぁまぁ、マガーク男爵。落ち着いて下さい。ここにいる誰もがあなたの勝ちは揺るがない、そう思っているのは間違いないんですから」
「…………」
「ノエル君、残念だがその賭はおそらく成立しない。全員がマガーク男爵に賭ける状況だというのに、一体だれがブックメーカーをやると言うんだい?」
ヘインズの言葉に周囲がどっと沸く。どうやら随分とウケたらしい。
ノエルとしては冗談のつもりはサラサラないのだが……。
「それは私がやりましょう」
間髪入れずにノエルが答える。
「君はいったい何を言っているんだ? これから死ぬ人間がどうやって配当金を支払うと?」
「配当金は、あらかじめ用意してあります。ご安心を」
「はぁ……、君にはがっかりだよ。いいかい? この場にいるのは全員上流階級の人間だ。君の持つ全ての財を集めても、到底支払いきれる額じゃないんだよ?」
小馬鹿にしたようにヘインズが鼻を鳴らす。
「何の問題もありませんね。なにしろ、実際に支払うのは私ではなく貴方なんですから」
「それはどういう意味かな?」
「もしも私が負けた場合、この品物を配当金にあてて下さい」
ノエルはそう言って、インベントリから小さな小箱を取り出した。
その鈍く光る銀色の小箱には薔薇と茨の彫刻が施され、蓋の中央には盾の中に双頭のグリフォンの紋章が描かれている。
魔の森で偶然手に入れた宝石箱。重要なのは中身ではない。箱そのものに価値がある。とある一族にとっては……。
何故なら、そこに彫金された双頭のグリフォンの紋章。それは紛れもなくディーゼル家のものだった。
ノエルは小箱についた埃を払うと、描かれた紋章をヘインズへと向ける。
すると――先程までの小馬鹿にした表情は一変し、感情の起伏を感じさせない無機質な仮面が姿を現す。
――やはりヘインズはどこかがおかしい……。
人形を思わせる表情こそが彼の本質なのだろうか? 愉しげなのに平坦な、人であるはずなのに無機質な、ちぐはぐで矛盾した感情を抱えている少年。
言い知れない不気味さを感じつつも、彼の心を揺さぶってみたいと言う気持ちになる。
「それをどこで手に入れた? 答えろ!」
怒鳴り声を上げたのはサンドだった。問い質すようにノエルに詰め寄ると、小箱へと手を伸ばす。
「おっと……、話せと言われればお話ししますが、今はヘインズ様との取り引きの最中ですので、少々お待ちいただけますか?」
「ならん! それは貴様ごときが触れていいものではない!」
「そこまでだサンド! 場を弁えろ……二度は言わないよ?」
「――っ! 出過ぎたまねをしました。申し訳ありません……」
ヘインズに一喝され、我に返ったサンドが静々と後方へと下がっていく。
どうやら予想以上に重要な品物らしい。だがおおっぴらに取り上げる訳にもいかない。
そんな二人のやり取りを見て、ノエルは内心ほくそ笑んだ。
勝ちが見えた。この場にいる全ての者に、一矢報いてやると。
「話の腰を折ってすまなかったね。さて、ノエル君……君は今取引と言ったね? はたしてそれは成立するのかな?」
「するでしょうね。いまのサンドさんの反応を見て確信しましたよ。もしもヘインズ様がお断りになるなら「他の誰かに売りつけると?」ええ、そうなるでしょうね」
「そうか……。いいだろう、君の勝ちだ。ただしこちらも条件を付けさせて貰う」
「どんな条件でしょうか? できましたらお手柔らかにお願いします」
ヘインズの声色が数段下がる。珍しいこともあるものだ、随分とご立腹らしい。
ノエルが知る彼は、終始ヘラヘラとしていて掴み所のない相手だった筈だ。
おそらくここから先が本物のヘインズ。取り繕った化けの皮を脱ぎ捨てた彼との取引に思わず噴き出しそうになる。
――初めまして。と言ったら彼はなんと答えるだろうか?
「要求は二つ。一つは決闘の最中、決して降参を認めないこと。二つ目は陣の外へ弾き出された場合、敗北ではなく続行とし、さらに陣に戻るまでは攻撃を禁止とする」
なるほど……。ノエルは頷く。ヘインズの要求をまとめるなら、確実にどちらかが死ぬまで戦え、そう言う事だ。
そもそもこの条件は、ヘインズ側にはマイナスしかない。何としてでも小箱を手に入れたいヘインズは、ノエルが死んだ場合ほかの誰にも渡さぬように賭金の肩代わりをしなくてはならない。
そうでなければマガークの勝ちに賭けた誰かに戦利品だと奪われてしまうからだ。
そしてノエルが勝った場合は何も手に入らない。それどころ金をむしり取られるだけで終わる。
だからせめて嫌がらせをしてやろう。そんな気持ちが煤けて見えた。くだらない発想。だが人間くささが零れ出る様は悪くない。
何を考えているのか解らなかった、今までのヘインズよりはやりやすくなった。
「私は構いませんが、マガーク男爵様のご意見も伺うべきかと」
「それは確かに道理だね。どうだい、マガーク男爵。このルール変更を受け入れて貰えるかな?」
「構わない……、どちらにしても私のやることは変わらない」
ルールは決まった。後は先ほどからニヤケ面でこちらを伺う連中を巻き込むだけ。
――連中のしたり顔がどう変わるのか、いまから楽しみだ。
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