69話:言霊証明

 振り向きざま、瞬時に身体強化を発動し後方に飛び退き距離をとる。

 死んだはずの。殺した筈の女が眼前に現れた。

 髪の色と目の色こそ違うが、まったく同じ顔をしている。


 あと、スタイルも違うな……。

 より女性的と言うか、主に胸のサイズが……。


(あれ? 別人か? 確か妹を殺したとか何とか言ってたような……)


 黒髪黒目の鋭い目をした女性。

 ポニーテールに結った髪がサラサラと風に靡き、ノエルを睨みつけているその眼差しからは、隠しきれない程の殺気が色濃く浮かび上がっている。


 ノエルはさり気なくチラリと背後を確認する。

 そこには、酒屋の店先に並んだ大きな樽の影に身を隠した子供達の姿があった。


――やるしかないか……。


 ここで自身が逃げ出した結果、子供達に被害が及ぶようなことがあれば目も当てられない。


 ノエルは待機魔力に各属性を通し戦闘に備える。

 魔力には予め闇属性を付与してあった。

 恐らく相手にはノエルが既に準備を整えている事は分からない筈だ。


 いまだ子供達を背にしていたノエルは、眼前のミルファによく似た女を睨みつけながら、ゆっくりと摺り足で横へ横へと移動する。


 流れ弾が彼らの元へと向かわぬように。


 女が口角を上げる。その獰猛な笑みには見覚えがある。

 ミルファだ。もしかしたらこの女も加虐趣味の気があるのだろうか?


――嫌な笑みだ。


「あたしの質問に答えな、糞ガキ! 死にたくなければな」


「アンタが誰かも分からないのに答えようがないな」


「いけしゃぁしゃぁと……。ミルファの事に決まってんだろうが!」


 女の膨れ上がった魔力に反応するかの如く、ノエルは一足飛びに横へと移動しながら弓を取り出し矢を番える。


「あぁ、あの女か……。確かに俺が殺したよ。で? だから何だ?」


 言いながらもノエルは弓と矢に風属性を注ぎ込み背後に水球を浮かべる。


「上等だ……、死んだぞ? お前……」

 まさに一触即発。

 どちらともなく瞬き一つでもしようものなら、間違いなく血の雨が降るであろうと言う、その瞬間――。


――濃密な魔力が辺りを包む。

 

「双方、退け! これ以上は看過できんぞ?」


「「――ッ!」」


 破壊され、ブラブラと揺れるギルドの扉から一人の男が姿を現す。

 茶色い髪を後ろに流したオールバックに、深く皺の刻まれた目尻。

 その黒みがかった茶色の鋭い眼差しが女を射抜くと、男は再び口を開いた。


「ジェニファー、何をしている……。 あまり私をわずらわせるなよ?」


「チッ、悪かったよ、隊長……」


 女は隊長と呼ばれた男からバツが悪そうに顔を背ける。


「少年、すまないが矛を収めては貰えないだろうか? 流石に其れほどの魔力を向けられては此方としても気が気ではないのでな」


 ノエルの背中に冷たい汗が垂れる。

 目の前にいる男女は、間違いなく共に魔導師クラスの実力者だ。

 特に、見るに初老の頃と思しき男から感じる魔力は尋常ではない。

 分厚く、濃縮されたその魔力は、男が魔導の高見へと至った老練家ろうれんかである事を物語っている。


 そもそもノエルは闇属性のエンチャントで自身魔力を隠蔽していた筈なのだ。

 それなのにこの男はさも当たり前に看破してみせた。

 張ったりでなければ、だが……。


――このまま2対1でやり合えば負ける……。


 戦いを回避するのが最善。

 それこそ火を見るよりも明らかだろう。

 しかし、安全かどうかも確認しないまま弓を下げる気にはなれない。

 そんな温い生き方はしていない。まだ七年だけど……。


(どうする? 罠か本気か判断ができんな……)


「初対面の、それも殺気をぶつけて来た人間を手放しで信用しろと? 馬鹿にしてるのか?」


 いまだ弓を構えたまま声を荒げるノエルに対し、女が怒鳴り返す。


「んだと、このガキ! ぶち殺すぞ? おおう?」


「止めないかジェニファー! 三度目はないぞ?」


「…………」


「度々すまないな。では、これではどうだろう」


 男は襟を正すように直立すると、胸に手を当て目を閉じる。


「【私、ベルンハルトは本日ノエルに対し敵性行動を一切取らない事を此処に誓う】」


「――ッ! いいのか言霊なんてそう易々と使って……。どうなっても俺は知らないぞ?」


「構わないさ。それで君の信頼を得られるのならね」


 言ってニコリと笑うベルンハルトを見て、ノエルは漸く弓を下ろした。

 言霊で宣言されては是非もない。

 これ以上渋るのは不粋だろう。


「取り合えず話を聞かせて貰えませんか?」


「あぁ、勿論だ。ここでは人目を引きすぎる。ひとまず中へ入ろうか」




………………。

…………。

……。





 男の名はベルンハルト。ランスロット家に仕える騎士である。

 予定では昨日の時点で言霊による誓いを立てる筈だったノエルが、未だギルドへ姿を現さなかった為、確認すべくギルドへと赴いて来た所だと言う。


 通常、言霊証明を持たない魔法使いが街へ足を踏み入れることは決して許される事ではない。

 しかしながらノエルは成り行き上とは言え、ランスロット家の嫡子、アリスの恩人である。

 礼節を重んじる貴族の立場上立ち入りを禁止するわけに行かず、取り合えず教会預かりとして早急に言霊による誓いを立てる事を条件に街への立ち入りが許可されたのだ。


「なる程、そう言う事でしたか。遅れてしまい申し訳ありませんでした」


 頭を下げるノエルを制止し、ベルンハルトは説明を続ける。


「いや、こちらこそすまなかったな。うちの部下が暴走してしまって……。ジェニファー、お前もきちんと謝罪しなさい」


「ちっ、悪かったよ……」


 ふてくされたように顔を背けるジェニファーに、ベルンハルトは業を煮やしたのか声を荒げる。


「いい加減にせんか! 貴様のやっている事は街のチンピラと何も変わらん。これ以上は主の恥になると言うことも理解できんのか?」


「……。すいませんでした……」


 言われて、ジェニファーは渋々ながらも頭を下げる。

 その姿を苦笑いで見ていたノエルは、改めてベルンハルトへと向き直った。


「失礼ですが彼女の妹さんは本当にあの?」


「あぁ、そうだ。恥ずかしながら……ね」


「そう……ですか。その、なんて言って良いか……」


 気まずそうに顔を伏せるノエルの様子に、慌てたようにベルンハルトは口を開く。


「君が気にする事はない、迷惑を掛けたのは此方なのだ。ジェニファーも、そしてミルファの事もな……」



 これ以上の突っ込んだ話は聞かない方が良いだろうとノエルは口を噤む。

 知れば知るほど状況が悪化することもある。

 知らぬが仏と言うやつだ。


「あの、それじゃあそろそろ……」


「あ、あぁ……そうだな、言霊証明をすませてしまおうか」

 

 それでは早速と、ギルドの受付へと赴きカウンターの向こう側にいる老人へ話しかける。

 ブルートと名乗った老人は、どうやら錬金術ギルドのギルドマスターらしい。

 聞けばノエルが未だ姿を現さないとベルンハルト達が訪ねて来たため、ギルド職員に朝早くから叩き起こされて来たらしい。


 何か本当、すいません……。全てはアナベルの仕業なんです。

 悪いのはバブルスライムと言う凶悪な魔物なんです。


 ネチネチと老人特有の遠回しな愚痴を散々聞かされて、ややうんざりし始めた頃、ようやっと言霊証明の儀式が始まった。


――場所は変わって、ギルドないの地下一階。


 先程、ベルンハルトは何の気なしに言霊を使って見せていたが、それは緊急事態故の事。 

 普通は、何の準備も環境も無しにそう易々と使うものではない。

 何かの拍子に揚げ足を取られ、カッとなって売り言葉に買い言葉で魔法を失う魔法使いもいるのだ。

 言霊を使うときは、感情的になってはならない。

 それが魔法使いの常識である。

 

「先ずはこれを渡しておこうかの」


 ブルートは懐から名詞サイズの金属製の板を取り出すとノエルへ手渡した。


 それはうっすらと紫がかった色をしており、ノエルの持つ調合用の熟成ダルによく似ていた。

 ノエルは興味深げに掲げると、裏表を明かりに照らすようにして眺める。


「もしかして、これってミスリルですか?」


「もしかしなくてもミスリルじゃぞ」


「でもそれって、お高いんでしょ?」


「カッカッカ。何と今なら無料じゃ! しかも言霊証明手続きまで付いてくるぞ!」


「なんと! 其れはお買い得!」


「「ハッハッハッハッ」」


「と、冗談はそこまでとして。何で無料なんですか?」


「なんじゃ、気になるのか?」


 ブルートは不思議なものでも見るような目つきになる。


「そりゃまぁ……。無料より怖い物は無いって言いますからね」


「ふむ、まぁ安心せい。料金は御領主様より既にいただいておる。何やら報酬だと言っておったが、お主一体なにをやらかしたんじゃ?」


 値踏みするような目つきのブルートに、ノエルは肩を竦める事で答える。

 あまり聞いてくれるな、と。


「まぁ、良いわ。それよりとっとと始めるぞい」


 言霊証明は、それを記すミスリル板と見届け人、そして宣言する当人が揃って初めて可能となる。

 今回のノエルの宣言見届け人は、ブルートにベルンハルトとジェニファーの三人がそれに当たる。


「はい、進めて下さい」


「では先ず始めに誰に誓いを立てるか決めよ」


「ふむ、騎士や魔導師は、仕える主に誓いを立て、貴族は国王様へ誓いを立てるのが通例じゃな。因みに主を持たぬ魔法使いは大抵神様に誓う者が多いのう」


「神様か……。正直それは俺の柄じゃないな」


「まぁ好きにせい。お主の事じゃしのう。ただし迂闊な相手は選ぶでないぞ? 取り返しはつかんからのう」


「うーん……。よしっ、決めた!」


 ノエルが最も信頼し、誓いを立てるに値する人物。

 そんな者は考えずとも初めから一人しか知らない。

 オン婆だ。


 この選択が、ノエルを次なるトラブルへと導くことになる。

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