56話:初めての女難
(おいおいおい……、多過ぎるだろ。この人数相手に正面突破なんて自殺行為以外の何者でもないな……)
僅かに開いた扉の隙間から部屋の内部を見渡す。
そこは天井こそ剥き出しの岩肌が露呈しているものの、壁と床は綺麗に木材で作り込まれており、生活臭漂う空間となっていた。
特に飾り気のない大きな木製のテーブルに、これまた木製の丸椅子が備え付けられていて、食事をしている者、談笑をしている者、
食堂……、なのだろうか?
室内を覗き込んでいるノエルから見て、左右と正面にそれぞれ扉が付いており、特に正面に備え付けられた扉は恐らく観音開きであろう大きな二枚扉になっていた。
そんな内部の様子を観察しながら、ノエルの背中には冷たいものが流れていく。
その場にいる20数名全員が、皆一様に真っ赤なローブに身を包んでいたのだ。
ノエルは彼等のその姿に薄ら寒いものを感じていた。
――悪魔崇拝者。
連中の巣窟で偶然手に入れた、マリアと言う名のメイドが書いたであろう手記。
そこにはユリウスやアルフィードを迎えに来た連中が、赤いローブを身に纏っていた事が記されていた。
仄暗い地下洞穴に捕らわれた子供達、そしてそれを監視する深紅のローブの男達……。
どうやら状況はノエルが考えていた以上に切迫したものらしい。
――ドクンッ!
(分からない……、が、可能性は高そうだ……)
――ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、……。
(おい落ち着け! 言って置くがお前達の復讐に付き合うつもりは無いからな? あの悪魔はもういないんだ、それで満足しておけ。下手に怨念に捕らわれた結果、悪霊にでも落ちたら成仏すら出来なくなるんだぞ? ……わかったな?)
――トクンッ……。
猛る死した魂達をなんとかなだめ、ノエルは待機魔力を開放し闇属性のエンチャントを身に纏う。
身体強化も使いたい所ではあるが、ノエルがこれからやろうとしている事を考えると迂闊には使えない。
闇属性のエンチャントを纏っているとはいえ、身体強化後の身体能力の向上はとても隠し切れるものではない。
その後の脱出劇の為にも、今はノエルに魔法の心得があることを連中に知られる訳にはいかない。
何しろこれからノエルは赤ローブ達に捕まるのを前提に、正面突破を試みるつもりなのだから……。
「大丈夫……、殺されるわけじゃない」
――行くぞ!
一度だけ、気持ちを落ち着かせるために深く深呼吸をすると、次の瞬間、扉を開き勢いよく部屋の中へと飛び込んでいく。
「なっ! なんだこのガキ」
「おい、誰か捕まえろ!」
「テーブルだ! テーブルの下にいるぞ!」
「ええいっ、ちょこまかとっ」
ノエルは小さい体を駆使して、右へ左へ縦横無尽に逃げ回る。
油断しきっていた所に突然現れた小さな来訪者に、男達はやや狼狽えながらも、その身柄を確保すべく手を伸ばす。
ノエルは迫る手を横へと交わし、下へと潜り、テーブルの上へ飛び乗って、さらにはテーブルの下を這い進み、まるで小さな野鼠の如く逃げ続けて行く。
そうして、この場をやりたい放題荒らしながらも、どうかこうにか遮る手を逃れ続け、遂には目的の扉の前まで後少しとなった時――。
「よぉし坊主、ここまでだ」
ノエルの行く手を遮るように男が両手を広げて立ちはだかる。
走りながらも目の端で捉えたテーブル上のジョッキを握ると、ノエルはまるでハンドボールのシュートでもする様な要領で、飛び上がりざまに男の顔目掛けてブン投げた。
――ガゴンッ!
ものの見事に鼻面を捕らえ、男の顔が仰け反ると同時に、ノエルはその股下を潜るようにスライディングで滑り込む。
「ウガッ!」
「ざまぁ見やがれ!」
まさにホームスチールよろしく難を逃れたノエルは、即座に立ち上がると勢いもそのままに押し開く様にして部屋の外へと躍り出た。
「よっしゃぁぁ! やってやったぜ? えぇぇぇ?!」
遂に外へと躍り出て、してやったと思ったのも束の間、猛スピードで接近してきた何者かに襟首を捕まれ持ち上げられてしまう。
「は、離せ! ちきしょう、やっと外に出られたのに!」
予想していた通り、扉の先は外へと繋がっていた。
そこは木々が立ち並んでいたものの、森と言うにはやや少なく林と言った風景だった。
まるで小さな子猫の様に持ち上げられたノエルは、足掻くように罵声を浴びせ掛けながらも宙を走るように足を振り回す。
「えぇぇいっ、鬱陶しい静かにせんか!」
力強く、それでいて柔らかみの有る声色で怒鳴りつけられ、ノエルは思わず振り返る。
見るとノエルをつまみ上げていた人物は、予想外にも女性だったのだ。
それも見たところかなり高位の魔法使い、もうしくは魔導師であろう事が伺える。
施された身体強化も、身に纏った火属性のエンチャントも、その魔力は淀みなく目を見張るほど美しく流れていた。
(やばいな……。俺一人ならどにかなるかもしれないが、あれだけの数の子供達を連れてとなると、これは流石に厳しいぞ……)
――トクンッ。
(分かってるって。見捨てやしないさ、ただなぁ……)
「ミルファさん! す、すいません、ちょっと目を離した隙に逃げられてしまって……」
慌ててノエルを捕まえに来た配膳係の男達が、ミルファと呼ばれた女性に頭を下げる。
「しっかりしろ! 私が偶々通りかからなければどうなっていたか分からないんだぞ?」
「は、はい! すいませんでしたぁぁ」
「くそぉぉ、離せっつってんだろ!」
「おい、いい加減にしろよ? その人は俺なんかよりよっぽどおっかねーぞ?」
「何だよおっさん、男のくせに女なんかにビビってんのかよ。だっせぇなあ」
「お、おまえなぁ……、自分の立場分かってんのか?」
「フンッ」
「クックック……。随分と元気の良いことだ」
「偉そうにすんな年増女! 俺知ってるぞ、お前みたいのは
――プチンッ!
機嫌良さげに笑っていたミルファのこめかみがピクリとひきつると、周囲の男達が何やら後退りをはじめる。
「はっはっは……、面白い少年だな。コール、暫くこの少年を借りていくぞ。いいな?」
『やばい、やり過ぎた』と、思った頃には時既に遅し。
ミルファはノエルをひよいっと肩へ担ぐと、部屋に備え付けられたもう一つの扉へと足早に歩いていく。
「は、はい、勿論です。ただ、その……殺さないで下さいね?」
「安心しろ、殺しはしないさ。殺しはな……」
言ったミルファの顔を見上げ、ノエルの背筋は凍り付く。
その目尻は鋭さを増し、その瞳は黒々と染まり、さらにその顔は能面の様に表情を失い、凍り付くような冷たさを放っていた。
「や、やべぇ……。おいおっさん助けろ! コイツの目ぇ見ろよ、フォレスト・ウルフ見たいな目してやがる! マジやべぇって、おい聴いてんのかよおっさん!」
「……自業自得だ。安心しろ、骨は拾ってやる」
「助けろぉぉぉ」
「はっはっは、本当に元気な少年だ。さぁ、行くぞ」
「おいっちょっと待てやミルファ!」
「ん? 何だ、ゴンゾか。何のようだ?」
不意に呼び止められたミルファは、さも機嫌が悪そうに聞き返す。
「そのガキを置いていけ」
「あん? 何を言っている?」
ノエルにジョッキを投げつけられ、潰された鼻から鼻血を吹き出しながらゴンゾが唸るように口にした。
「そのガキには貸しがある。だから置いていけと言っているんだ」
「そうでは無い。貴様は私に命令をしているのかと聴いているんだ」
「だ、だったら何だ? 良いから黙って置いていけ!」
刺すような目で睨みつけられたゴンゾが思わず後退る。
どうやらこのミルファと言う女性はここにいる連中の中でも一目置かれるほどの実力者のようだ。
その時ノエルは閃いた、このゴンゾと言う男、
「おっ? おっさんビビってんのか? ダメだなぁ、そんなんだから鼻血ブーの赤っ鼻のゴンゾだなんて言われんだぞ?」
「なっ! んなこと一度も言われた事ねーわ!」
「ぷっ……。いいじゃないか赤っ鼻のゴンゾ。よかったなぁ、立派な二つ名が付いて。赤っ鼻のゴンゾ君! ぷはははははは」
ノエルの煽り文句に自ら乗っかるようにミルファが笑い飛ばすと、流石のゴンゾも怒り心頭と顔を真っ赤に赤らめて手近にあった丸椅子を投げつける。
「ふっ、下手くそめっ!」
ミルファはゴンゾを鼻で笑うと、ヒラリと身を交わし更に煽ってみせる。
「このアマァ……。もう勘弁ならねえ、死にさらせや!」
言うや否や、ゴンゾは身体強化を発動し、八人掛けの大きなテーブルをミルファに向かって全力で投げつけた。
「くだらん奴だ……」
実に興醒めと言った様子で、ミルファは無造作に飛んで来るテーブルを前蹴りで迎え撃つと、一直線にゴンゾ飛んでいく。
「うがぁ!」
如何にもな断末魔と共にひっくり返ったゴンゾは、仰向けになって干からびたカエルの様に白目を剥いて気を失った。
「弱っ! ゴンゾ弱っ!」
あまりにも呆気ない幕切れに、突っ込みを入れるノエル。
等のミルファは、その様子を腹を抱えて大笑いすると、やがて満足したのかノエルを担いだまま踵を返し歩き出す。
「ま、まて! まだ終わってないって。おいゴンゾ起きろ! 諦めんな、お前ならやれるって! ゴンゾ! ゴンゾォォォォ!」
「はははははっ、元気な少年だ」
「のぉおおお!!」
――ガチャ、キィィ、バタンッ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます