150話:厄介な買い物客
リッジ・ブラディッシュという男は、思いのほか話の分かる人物だった。エリスへの支払いをそうそうに済ませると、動ける者たちを集めて即決採用を宣言したのだ。
契約はフリーランスで、主に屋敷の警護が仕事となる。殆どの部下が返り討ちにあったのだ、リッジにしてみれば思うところもあるようだが、早急に警備の空いた穴を埋める必要があった。いつ始まるとも知れないコルネーリオとの抗争に、現状の警備体制では心許ない。まぁそれもこれもエリスが暴れ回ったせいなのだが……。
とにかく――リッジ・ファミリーにエリスを潜入させるという目的は果たされた。次は――
――いよいよノエルの出番である。
………………。
…………。
……。
時刻はそろそろ0時をまわり、街も眠りについた頃。ルドワ・コルネーリオは何者かの襲撃を受けていた。商会があるのが倉庫街の近くという事もあり、周囲には他に人気はない。そこにいるのはコルネーリオの構成員と、真っ黒なローブに身を包んだ小さな人影。
「てめぇ……、どういうつもりだ。自分からノコノコやって来やがって」
「どうもこうもないな。ここは商会なんだろ? なら買い物に来たに決まってるだろうが」
ノエルがヤレヤレと両手を掲げると、長い袖がブラブラと揺れる。以前に着ていたローブが消し炭になったことを知ったエリスが、ノエルにと用意してくれた真新しいローブだ。ただし大人用……。
どうもエリスはブカブカのローブを引きずって歩く姿がいたく気に入ったらしく、わざわざ手持ちの中から大人用を選んで渡された。ノエルには理解出来ないヘンテコな趣味である。
「ふざけたガキだな……。買い物に来た客が、いきなり店の人間に襲い掛かる訳ねぇだろうが! イカレてんのか?」
「いきなりだって? とんだ言いがかりだな……。襲ってきたのはそっちの方だろ? 俺は正当防衛を主張させてもらうよ」
馬鹿にしたようにクククッと笑う。事実、ノエルが店先に現れた途端、男達に囲まれ拘束されそうになったのだ。返り討ちにあったからといって、敵意を向けられても困る。ノエルとしては当然の言い分。
「てめぇ、自分の立場が分かってんのか? おい……、誰を相手にしてんのか、分かってんのかって聞いてんだ!」
「誰って言われてもなぁ……。無精髭の小汚いオッサン、かな?」
「――っ! 来いっ、口の聞き方を叩き込んでやる!」
いよいよ頭に血が上った男の手が伸びる――
――次の瞬間。ノエルへ向けて伸ばしたはずの腕が、当の男の眼の前でクルクルと回転していた。
「え?」
理解の追い付かない現象に、男が困惑の声を上げる。
伸ばしたはずの手が戻ってくる? これはいったいどういう――。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
絶叫。静まり返った夜の街に、男の悲鳴が木霊した。
綺麗に切断された腕の断面から、噴水のように止めどなく血が溢れ出る。あまりの光景を目の当たりにして、錯乱したのか男はその場で飛び跳ねながら、ある筈のない右腕を振り回す素振りを繰り返していた。
ノエルは手にしたナタを勢い良く振り下ろすと、刃に付いた血を切った。
周囲へと視線を走らせる。男たちに動く気配はない。呆けているのか、怯えているのか判断がつかない。
どうせなら派手に暴れたほうがいい。ノエルは煽るように口角を上げた。
「オジサン、落とし物ですよ」
言って拾い上げた右手を差し出した。男が崩れ落ちる。失血、痛み、恐怖。それらが限界へと達し、電源が切れたかのように動きを止めた。
「失血性ショック死といったところか……。まぁ、普通は死ぬわな」
「てめぇ!」
ようやく再起動した男たちが、一斉にノエルへ襲いかかった。その数合計22名。
ノエルは目の前の男へ向けて、手にしていた右手を投げつける。ギョッとした表情。一瞬、動きを止めた男の腋をすり抜けると、強引に包囲網を突破し距離を取る。
これがエリスなら、そのまま全員を迎え撃つのだろうが、生憎とノエルにはそこまでの自信はない。
腕を斬り落とされた男然り、人間は意外とあっけなく命を落とす。それに大人にとっては大した怪我ではなくとも、子供にとっては致命傷と言う事もある。
拾える安全はすべて拾っておきたい。
「一応半分は生かしておいてやるよ」
ニタリと笑う。火属性、水属性、風属性。予め練っていた魔力を圧縮――開放。
ノエルによる蹂躙劇が幕を開けた。
………………。
…………。
……。
轟音が鳴り響き、大気を震わせる。地震のように建物がグラグラと揺れる。それはさながら重力が暴れだしたのかと錯覚を誘う程。執務室にいたルドワは飛び上がった。
「何事だ?! おい、誰かいないか?」
部下を呼ぶが返事はない……。変わりに聞こえてきたのは派手な悲鳴と戦闘音。
――ただ事では無い……。
備え付けられていた飾り棚の中から一振りの刺突剣。いわゆるレイピアを抜き放つと、ルドワは扉に耳を押し当てて様子を窺った。
本拠地である商会本部が襲撃を受けるなど初めてのことだ。いったい誰がなんの目的で……。
「リッジか? チッ……、拉致った部下を奪い返しに来たのかもしれんな」
怒声と悲鳴、破裂音と打撃音。それらが連鎖するように数を減らし、やがて微かな呻き声だけが残された。
――来る!
ルドワがゴクリと喉を鳴らす。身体強化を発動し、握っていたレイピアの切っ先を扉に向けた。
コツコツコツと床板を鳴らす小さな音。足音を殺しているのか、それとも小柄な人物なのか? どちらにしても近付いてくる物音は一人分のものだった。
耽っていたルドワの顔が苦々しく歪んでいく。まさか単独で襲撃を仕掛けてきたのだろうか? 馬鹿げている。仮にもここは商会本部だ。警備と他の構成員を合わせれば、ゆうに三桁の人員が常に待機している。そんな場所にたった一人乗り込んでくるなど自殺行為もいいところだ。
「くそ、何者なんだ……」
いよいよ足音が近くなってきた。それはゆっくりと一定のリズムを刻み続けている。ルドワがどの部屋にいるのか把握しているのだろう。まるで迷いがない。
(来てみろ……、串刺しにしてやる)
扉越しにレイピアを水平に構える。聞こえる足音から距離を測り、タイミングを見計らう。三歩、二歩、一歩――今!
ルドワ渾身の突きが扉に突き刺さる。狙ったのは大凡心臓があるであろう胸元付近。勘で当てようというのだから、頭部を狙うよりは的が大きい胸元が最適という判断。しかし――
「くそっ、手応えがねぇ!」
扉を貫いた切っ先が、その後なんの抵抗感もなく根本まで突き刺さる。と、ルドワは慌てて引き抜き、二撃目を放とうと足を踏み鳴らした。
――刹那。扉の中ほどに空いた、薄く小さな風穴から炎が吹き出した。
破裂音と共に中心から外側へ向けて弾けるように爆発する。破片が
「ぐあっ……」
ルドワは勢いよく壁に叩きつけられ、くぐもった悲鳴を漏らす。肺が押し潰されて息をすることすら難しい。それでも何とか頭を
「――っ!」
息を飲む。蛇眼の呪術式は対象のもつ魔力を完全に暴く力をもっている。潜在魔力に属性魔力、果てはその者の持つ魂の器までもが視覚化されてしまうのだ。
そうして目の当たりにした侵入者の魔力は、文字通り化け物じみていた。
濃密で底の見えない暗黒。ドロリとした魔力の塊が、人の姿を形どっていた。
――殺される!
そう直感したルドワは落としたレイピアを拾い上げ、近付かせまいと相手に向ける。未だ息苦しさを感じる胸元を押さえながら、必死の形相で威嚇するように言葉を絞り出した。
「き、貴様は何者だ……」
震えたように言葉を発したルドワに向けて、この小さな襲撃者は耳を疑う言葉を返した。
――ただの買い物客だ――
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