第7話 隔絶

 五番に入っている宮武は、このピッチャー交代の意味を考えていた。

 単に打者一巡で代えるというわけではなかった。初めてのヒットが出たから代えたのか。

 それもおかしな話で、ツインズは確かに女子にしては速い球を投げるが、盗塁への対処を考えれば絶対に元のバッテリーの方が良かったのだ。

 ランナーの悟を見ても肩を竦めつつ、盗塁行くぞのサインを改めて出す。宮武はそれに分かった、と返す。


 ベンチにどっかりと座って、死にそうな顔をしている宇垣を見るが、同情する気にはなれない。

 自分が宇垣の打順にいれば、少なくとも一点は取れたと思うからだ。

 簡易的に決めた盗塁のサインを、悟が何度も出しても宇垣はそれを拒否した。

 勝手にスタートして宇垣がセカンドライナーなどを打ってしまえば、ダブルプレーになる可能性がある。

 しかしあの、ネクストバッターサークルから見えた沈む球は、キャッチからスローへの動作にわずかなロスがあったはずだ。


 悟の足は本物だ。あれで三塁にまで進んでいてくれれば、最悪でも一点は取れたと思う。

 確かに点差を考えたら、強攻していくしか選択肢はないように思える。

 だがアピールということを考えれば、ここはまず一点だろう。

 ワンナウト三塁となっていれば、外野フライはもちろん内野ゴロでも一点になる。

 あの球は打てない変化球なのかもしれないが、バントに徹すれば一点は取れたはずだ。


 宮武はキャプテンとしてシニアを率いていたので、絶対的な格上との試合でも、どうすべきかは分かっている。

 学習だ。

 このチームではこれから、左右の本格派に加えて、左のアンダースローという超変則派とも対戦経験が積める。

 そういったことを考えれば、正しいアピールは自分の能力を示す以外にも、チームに貢献出来るプレイヤーだと示すこと。

 自分が四番にいたなら、確実に一点は取れていた。それを印象付ける。




 自分の出したサインに同意のサインを返した宮武に、悟は応えなければいけない。

 これがワンナウトだったらとつくづく思うが、終わったことにこだわって、一点を見逃すわけにはいかない。

 文哲のピッチングは、とりあえず下位打線は封じてくれた。

 上位にどの程度通用するかは分からないが、序盤の八点差でピッチャーが代わったのは、むしろいいことかもしれない。

 上級生チームはスタメンを既に入れ替えた。

 四番を打っていた鬼塚が下がったことで、確実に打撃力は低下している。


 宮武への初球はいきなりスルーだった。

 援護というわけでもなく、宮武は普通に空振り。その間に悟は三塁へ進塁。

 やはり女子選手だけあって、全身を使って投げる球は速くても、盗塁を刺すだけの送球は身に付いていない。

 悟は知らないことであったが、桜も椿も、キャッチャーとしては送球の練習をまともにしていない。

 いざとなればスルーを投げれば打たれない、というのが今までの試合であったからだ。


 見事に三盗を決めた悟であるが、バッターボックスの宮武はそれを喜ぶ余裕はない。

 今の球は途中で消えた。

 振らずに見送れば変化の軌道が分かったのかもしれないが、あと二球の間にアジャストするのは不可能だろう。

 宮武は宇垣の人間性はともかく、野球の力量はそれなりに認めている。

 それが全く歯が立たなかった。ここで一点を取るには作戦が必要だ。


(普通に打つのは無理だな)

 宮武のサインに悟も頷く。どのみちただの内野ゴロを打ってもツーアウトからでは点にならない。

 対する佐藤ツインズも、自分たちからは狙い球を絞った上でないと打てないのは分かっている。

 回答は一つしかない。その一つをちゃんと選べるかが、この場面での課題である。


 二球目を投げたそのボールに対し、宮武はバットを寝かせる。

 セーフティバント、プラススクイズである。

 下に沈んでいくボールを転がす。方向はもちろんサードである。

 実戦でサードを守ることの少なかった西園寺が、この意外な、いや考えてみれば意外でもない戦法に反応が遅れた。

 ピッチャーの桜が捕ったが、判断にブレがあった。

 視界に悟が入ったからだ。ホームで刺せそうな気がした。


 普通に一塁で殺せば良いのだと判断するまでに、コンマ一秒ほどはかかったろうか。

 一年の中でも三番目に足の速い宮武は、それで一塁セーフ。

 悟がホームを踏んで、なんとか一点が返せた。




 スポ薦の意地とでも言うべきか。

 どうだ! とベンチを見る宮武であるが、まだ上級生たちは生暖かい笑みを浮かべている。

「必死かよ」

 これでもそんな言葉を洩らす宇垣に、淳は冷たい視線を向ける。

「お前は勝ち方を知らないんだな」

 心の底からの軽蔑に、宇垣も言葉を失う。


 中学軟式というのは、勝つために集められた選手が揃う環境ではない。

 しかし優秀な指導者と部員数がいればそれなりに上まで勝ち進めるのだ。

 ある程度以上に進めるかは、はっきり言って運の要素が強い。

 そんな軟式では、自分は勝っているのに試合では負けるというパターンが多く、才能はあっても活かしきれていない選手が多い。


 シニアにも問題がないではないのだが、実力主義で選手を選抜しているので、ある程度レベルの拮抗したプレイヤーが同じチームにいることが多い。

 豊田と岩崎、孝司と哲平などがそうだ。

 もっともシニアでも鬼塚のように浮いてしまう者はいるのだが、彼の場合は浮いていた理由が違う。

 宇垣の性格が悪いのはどうでもいいが、チームが勝つために必要な人格を持てないなら、こいつは不良債権になるな、と考える淳である。


 なお後続の打者はあっさりとアウトになり、宮武は残塁である。




 文哲がピッチャーになり、打たれても取ることを意識した結果、ピンチは迎えても最小失点で抑えてきている。

 悟と宮武の二遊間が機能しているのと、外野の大石の守備範囲が広い。

 それでも五回が終わるまでに、二点を追加されていた。公式戦ならあと一点コールドの点差である。


 監督である秦野は冷静に新入生側のチームを見ているのだが、おおよそ選手の実力と起用、育成の判断がついた。

 ベンチに入れるのは悟と文哲。

 あとはもし直前で入れ替わるとしてたら宮武と上山。特に上山は三人目のキャッチャーとしては優秀だ。

 守備固めには大石もいる。もっとも現在の外野陣を考えれば、終盤の代走などで使う以外にはないだろう。


 全然使えないのが宇垣と山村だが、この二人は単に今までが上手く行き過ぎていただけだろう。

 両者共に潜在能力は高いので、技術的な指導はある程度していく。

 精神的な修養などは、秦野はしない。

 選手にとって必要なのは性格ではなく人格だ。ただ人格者であることを求めるのではない。

 クソ生意気で他のチームメイトを怒らせることがあっても、それが勝利につながるなら放っておく。

 単なるお山の大将で終わるなら、それなりの使い方をするだけだ。だがもし野球に対して渇えているなら、プレイの内容も変わるだろう。


(しっかし水上のやつはもったいないな。あと文哲も面白い)

 ツインズが手加減をしたとは言っても、文哲は粘って出塁したし、悟も変化球に対応した。

 悟が怪我で一年間を棒に振ったと言っても、それまでに彼に注目していたスカウトは、特待生で獲得するべきだったと思う。

 長打力があまりなく、全体的に少し劣化した大介といった印象だ。

 つまり強豪に行っても簡単にスタメンに入れるレベルだ。


 ワンナウト一二塁で、四番の宇垣に三打席目が回ってくる。

 別にここで結果が出せなかったからと言っても見捨てるわけではないが、散々生意気なことを言っていて、まだ何も残せないなら残念すぎる。

 ただここで優しい選択を秦野はしてやらない。


 宇垣がさっきから見ているのは、自分が歯も立たなかったツインズではなく、ブルペンで投球練習を開始した武史である。

 その投げる球はパン!とかドン!ではなくゴン!という響きを持っている。

 鉛の玉をコンクリートの壁に当てたようなものだ。

 硬球と軟球は違うと分かっているが、あんな音がピッチングで出るのか。

「よーし、ツインズはここで終わり。倉田がキャッチャーに戻って武史がピッチャーな」

 死刑宣告である。




 マウンドから投げる武史の球を身近で見る宇垣は、リリーズの瞬間から球が消えて見える。

 消えるのに見えるとはこれいかにだが、そうとしか言いようがない。

 150kmオーバー。

 今の日本の高校生で、最も速い球である。

「マジかよ……」

 速いのは分かっていたが、まともに目で追えない。

「まだ七割だよ」

 倉田がさらに追撃をかける。


 ストレートがほぼど真ん中に三球。

 振ることも出来ずに三振である。

 ネクストバッターの宮武に何も伝えることが出来ず、ベンチに戻る。

 宮武としても、何か打つための情報が聞けるとも思わない。


 単純に球が速すぎる。

 一応振ってはみたが、当たることもなく三振である。


 こういった圧倒的なピッチャーはバッターの心を折り、そして相手ピッチャーの心も折ってしまう。

 だがこの回の裏のマウンドでも文哲は、己のピッチングを心がける。

 コントロールとコンビネーション。そして打たせて取るスタイル。

 完全にランナーを出さないということは無理だが、どうにか失点は防ぐ。

(点差でも諦めないというか、モチベーションを他に移してピッチングをしているのか)


 コールド条件の七回まで、もう試合は動かなかった。

 そして武史のボールをバットに当てたのは悟だけであった。




 入ったばかりの一年生と言っても、それでも上級生とは実力差がありすぎた。

 10-1というスコアは県大会であればまだ善戦した部類に入るだろうが、秦野がどんどんと選手を交代していったために、ベストメンバーで打線を組んだわけではない。

 あまり公式戦の出場経験がなかった上級生も、それなりにヒットを打ったりした。

 ただピンチにも最小失点で粘った文哲のピッチングは充分に合格だ。


 秦野は一年生の前に立つ。

「お前らは運がいい」

 何がだ、と言いたくもなるが、その後のロジックは合っている。

「こいつらに追いつけば、甲子園の決勝でベンチに入れる」

 まあ、間違ってはいない。


 弱いチームに入ってお山の大将になるか、甲子園に確実に行くために学校数の少ない県や一強の学校に行くか、競争はあるがチーム自体は強い学校へ行くか。

 少なくとも宇垣や山村でさえ、より高い場所へ行くという選択をしている。この点だけは最低限の意識を持っているといっていい。

 あとは現時点での実力差に腐らず、どこまで自分を伸ばしていけるかだ。

 宇垣にしろ山村にしろ、全くいいところはなかったが、それが限界であるはずもない。


「さて、千葉県の春季大会は中旬から地区大会が始まるわけだが、うちはシードでいきなり県大会本戦からの出場となる。そこで二回勝ったらとりあえず夏のシードは取れる」

 現在のチーム事情からすると強豪と戦うリスクが一度減ると言うよりは、夏に消耗しなくてすむという程度のものではある。

「だがうちは引退した前の三年が一年の秋に関東大会決勝で負けて以来、関東では一度も負けてないんだよな」

 考えてみたらレベルの高い関東では、信じられないような実績である。

「三年が卒業した後も、神宮の決勝で一回負けただけで、センバツには借りを返したわけだが……」

 上級生の方を向いて秦野は煽る。

「真田を打ってないのに全国制覇って言っても虚しいよな?」

 秒で殺気を洩らす上級生たち。


 そもそも今の三年が一年だった夏の甲子園は、準決勝で真田を打ち崩すのに時間がかかったせいで、直史が決勝で投げられなくなったのだ。それだけが原因ではないが、まともに投げられていたらという想定はある。

 その後の戦歴を見ていっても、直史が抑えて大介が打つという以外に、ほとんど真田を打てていない。

 神宮ではまさにそのせいで優勝を逃したわけであるし、センバツで決着がつくかと思えば、まさかのあちらの故障である。

「今年のチームには超高校級の選手はいるが、高校野球史上に輝くレジェンドはいない。それでも頂点は目指せる」

 秦野としては、さすがに去年ほどの手応えは感じてないのだが。

「今後の予定としては春のベンチメンバーを中心に県外の強豪と練習試合、あとは体が作ってあるやつはスキルを伸ばすし、体が出来てないやつはまず基礎トレだ。メニューの出来ていない一年はストレッチから教えていくわけだが、とりあえず今日は解散だな」

 入学初日からガンガン練習をしていくチームもあるのだろうが、白富東はそんなことはしないし、コーチの目が隅々までは届かない。


 一年に渡されたのはノートである。

「今日の試合や野球部の雰囲気を感じて、思ったことを書いておけ。別に提出するものじゃない。ただ、未来の自分が読むことを想定して書くんだぞ」

 座学の一環であるが、こういうのが案外馬鹿に出来ないのだ。

「何か気付いたらそれに書いていけばいい。あとうちは実際に体を使った練習もするが、座学も多いからな。寝るなよ」

 そして県大会直前になれば、ベンチ入りメンバーを優先して練習をすることになる。

「で、背番号だが、水上、19番だ。呉は20番」

 ピッチングとバッティングで結果を出した二人である。貢献度では大石と宮武、それに地味ではあるが上山もキャッチャーとしては使えそうだ。

 中学軟式上がりの二人がダメダメだったわけだが、そこは上山が意地を見せてくれたということで。

「うちは人数も多くなったから、大会中も練習試合を入れていくからな。それに春が終わったら夏まではもう時間はねえぞ。改めて決める背番号がどうなるかの保証なんてねえんだからな」

 秦野の見た限り、スポ選組の残り五人も、慣れればあっさりベンチ入り出来そうなスペックはあるのだ。




 間違ってはいけないのは、これでまだ新入部員が全員揃ったわけではないということである。

 一日目から野球部に参加出来ると言っても、全員が来たわけではないはずだ。

 事前の予想からして、おそらく30人前後になるのではないかと思われている。

「ああ、それと部員がちゃんと揃ってからだが、三里と一年主体の練習試合を組むからな。その結果でもベンチ入りはもう変わらないが、アピールしていくチャンスを潰すなよ」

 国立監督との話し合いで、そういうことになっている。

 なおその後には上総総合の鶴橋監督なども、公立校連合で一年やベンチ外メンバー主体の練習試合を組む予定である。


 野球は私立が強くて当たり前と言われているが、千葉県だって長らく公立の方が強い時代があったし、愛媛や徳島などはいまだに公立がバリバリに強い。

 他には蝦夷農産なども公立であったし、島のいた城東も公立校であった。

 去年の夏も白富東を含めて八校は公立であったのだ。


 私立は金も設備も使えるが、今のところ公立で対抗出来るのが工夫である。

 公立のくせに金も設備も人材も揃えてしまった白富東のような例もあるが、近年強くなってきた三里は公立だ。

 そんな公立の工夫に対して、私立がどれだけまた対抗出来るかで、高校野球のレベルがどんどん高くなっていけばいい。

(一番の問題は人数が多すぎることなんだけどな)

 単純に采配や育成だけに力を注いでいればいいだけではないのが高校野球であるのだ。

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