第111話 平穏な日々

 平和とは戦争と戦争の間の準備期間である。

 そんな物騒なことは言わないが、高校の部活動というのは、とにかく忙しいというイメージがある。

 しかし白富東は野球部に限らず、運動系の部活動は練習時間が短い。

「まあ自主トレの時間は長いけれどね」

 なんでこんなに短いんだろう、と尋ねたマナの返事がこうである。


 自主トレ。

 確かに耕作も、家でやるべきことをペーパーで渡されている。

 ただストレッチや柔軟はまだ分かるのだが、分からないものもある。

 これもストレッチなそうなのだが。


 デカイ大根やデカイキャベツ程度の重さの物を持って、肩をぐるぐると回転させる。

 駆動域を広くするために、肩の腱などを柔らかくする運動なそうだが、この程度の負荷で大丈夫なのだろうかと思ったりもする。

 サツマイモを入れた袋ぐらいの重さは必要ではないのだろうか。

「ほんの少しだけ重いのが重要なはずだけど。ほら、野球のボールに比べたら重いでしょ?」

 確かに。しかしなぜに野菜を例えに?


 しかしマナとしても、微妙なトレーニングだなとは思う。

 駆動域を広げるというのは分かるが、なぜそこに農作物が出てくるのか。

 耕作は誇り高き農民であるが、やたらとそのあたりをいじられている気がする。

 ひょっとしたらこれは、イジラレではなくいじめではないのだろうか。

 一年からベンチに入ったのは二人だが、耕作は普通科だ。

 今の野球部のベンチ入りメンバーは、上級生も大半が体育科である。留学生・帰国子女枠の文哲やユーキ、そして石黒を除けば、体育科ばかりである。


 白富東は別に体育科だからといって、クラスが別になっているわけではない。

 ただ運動部に入ることを前提として、体育科の生徒を集めている。

 マナのように中学時代、部活としては陸上で成績を残し、シニアの野球をしていた例もある。

 あまり多くはないが、他にも女子の体育科はいる。


 ただ、マナにはなんとなく、他の部員の中でも特に一年が、鬱屈としたものを抱えている傾向は分かる。

 一緒に話していると気付くのだが、耕作と話していると、自分は頭が悪いのではと感じることが多いのだ。

 別に耕作がインテリぶってるとか、頭がいいことを気にかけているとか、そんなことはない。

 耕作にしてもかなりの努力をして、白富東の普通科に入ったことは確からしい。


 ただ、これはなんだろう。

 おそらく農家などと言っても、実は元は庄屋の家系とかで、頭がいい人が揃っていたのではないか。

 そんなことを感じて、一方的にコンプレックスを刺激されそうになるのだ。

 マナとしてはさほどでもないが、男子にはその傾向が強いような気もする。


 上級生にはほとんどそんなことを感じないのは、白富東に体育科がなかった時代を知っているからだろうか、と思ったりもする。

 今の三年生からが、スポ薦と体育科で選手を集めだした。

 と言っても何か特別なことはしていないし、単に運動の実績があれば受けられただけである。

 知っている範囲内では、他の部活動でも体育科出身はいるのだ。

 もちろんメインとしては、野球部の強化が目的なのだろう。

 しかし偏差値の基準をやや下げて58としても、平均よりはかなり難しいのである。


 耕作は確かに、部活内での絡みを感じてはいる。

 だが大自然のキマグレという、最大級の理不尽に耐えた農民は、精神力も強靭なのである。

 でなければポンポンとヒットを打たれて点を取られても、最終回までマウンドに立ってたりは出来ない。

 中途半端に勉強も出来る体育科に比べると、スポ薦で入ったバカどもは、むしろ耕作のことを認めている気がする。

「百間~、これ教えてくれ~」

 隣のクラスからやってくるのは、キャッチャーの塩谷。

 ブルペンでバッテリーを組んでいるので、おそらく一番耕作とも接触時間は長い。

「またかよ。で、どれだ」

 耕作は確かに勉強は出来るのだが、生来ものすごく頭がいいというタイプではないらしい。

 なので教え方もそれなりに上手い。

 なんでも実の兄が三年にいるのだが、そちらの方が地頭は良すぎて、百間はなかなか教えてもらっても理解出来なかったらしい。

(頭もいいし、なんだかんだ言って面倒見もいいし、いじられてもくよくよしないし、私の考えすぎだよね)

 マナの思考はフラグではない。

 農民の耐久力は、下手ないじりなどは軽く耐え抜くのだ。




 体幹がしっかりしていることは、耕作の最大の特徴である。

 足腰が強いのはもちろんだが、そこから重い物を持ち上げるため、背筋なども強くなっている。

 だが基本的にはこれらの筋肉は、瞬発力勝負のスポーツにおいては、さほど役に立たないはずなのだ。

 それが一般的な常識である。


 だが常識というのは、いくらでも破られるものだ。

 特にこの千葉で、ここ数年の高校野球を見ていれば、それを実感できている。

 もっとも耕作の素質は、そこまで非常識なものではない。

 昭和の、せめて平成でも初期の頃であったら、一人は欲しいタイプのピッチャーだった。

 今でも充分に価値はあるが、本当に重宝されたのは昭和の頃だったろう。それも中期あたりだ。


 あの頃のピッチャーは普通に先発で出た次の日、中継ぎや抑えとして登板したりもした。

 だからこそ30勝だの40勝だのという数字があり、勝利数は昔の方が圧倒的に稼ぎやすい。

 200勝投手の価値が、今とは全く違うのである。

 もちろんそんな無理をして、数年で壊れてしまった、偉大なピッチャーもいるのだが。


 無事是名馬という言葉がある。

 別に野球に限らず、大切なのは怪我や病気をしないこと。

 あるいはそういった頑健さや耐久力こそ、人間にとっては大切なことだ。

 しかしストレッチやトレーニングによって、わずかだが短期間で効果は出てきている。


 球速のMAXが2km上がった。

 たったの2kmと言うが、安定してMAXが投げられて、それが上がっているのである。

 本当に大切なのは、球速よりもむしろキレ。

 サイドスローから投げる球は、バックスピンが綺麗にかかることは難しい。

 だがスピンはしっかりかけた方が、確実にキレは増す。


 元々シュート回転はかかりやすかったのだが、今では完全に全ての球がシュート気味になっている。

 この小さい変化で、上手く相手のミートを外せば、内野ゴロを量産できるだろう。

 あとはそれほど確実でなくてもいいから、空振りが取れるようになってほしい。




 耕作はブルペンでピッチング練習が主になる。

 もちろんノックを受けたりする時間は、全ての選手にある。

 白富東は全国レベルで有名になる前から、守備では堅実なのが有名であった。

 とにかくボールに触れる時間が長いほど、ノックを受ける回数が増えるほど、守備というのは上達する。

 グラブの中でしっかりとボールの回転を止め、投げるときにはしっかりと握る。

 だいたいゴロでの出塁というのは、高校レベルだとまだ、送球ミスが多いのだ。


 打たせて取るピッチャーは、自分自身もフィールティングに優れていないといけない。

 耕作の場合は投げた姿勢から守備体勢になるのに、長い時間はかからない。

 安定したサイドスローの場合、投げた後も動きは横方向。

 さらに足腰が安定しているだけに、すぐに打球に反応出来る。


 さて、プロのパ・リーグでもないのだから、ピッチャーであろうとバッティングもしなければいけないのが高校野球。

 果たして耕作のバッティングはどのようなものなのか。

「地味~」

 思わす山村などは言うほど、耕作はゴロ打ちとバントが上手い。

 山村はバッティングも、打率はともかくそこそこ飛ばす。

 耕作は逆に、飛ばさないが前に転がす。


 中学時代もバントでランナーを進めることは重要であった。

 連打で点を取れることなど、あまりない打線だったので。

 バントがしっかり出来るだけでも、ピッチャーとしてはそれなりに合格である。

 ただバッティングの鬼である国立は、そこをさらに成長させる。


 バスター。

 バントの姿勢からバットを引き、打ちにいくスタイル。

 あまりやったことのない耕作であるが、これが嵌る。

 元々ゴロ打ちを考えて、大きなアッパースイングなどしていなかった。

 バスターで一度バットを引くことで、綺麗なレベルスイングが出来るようになる。


 ゴロを打つというのは、高校野球ではまだ有効な考えだ。

 将来はプロに行くぞと考えているようなスラッガーはともかく、高校野球で確実に勝ち進むためには、統計的に見たら送球の段階を持つ、ゴロ打ちの方がいい。

 スイングはコンパクトに、ミートを心がける。

 外野の手前に落とすか、内野を抜けていくか。

 重要なのはダブルプレイになるような打球にはしないこと。

 下手に打つよりは三振した方がいいという意見まである。




 県大会の決勝から関東大会まで、期間はわずかに10日ちょい。

 この間に怪我などがあればメンバーを変えることになるのだが、そういったトラブルはなかった。

 学校の方では他の部活が、本格的に始まったりする。

 千葉で開催される時は、休日であれば応援団が大挙して来るのだが、さすがに今年は茨城県で、そんな距離を移動して応援しに来るのは、暇のあるジジババと保護者ぐらいである。


 そして対戦相手のことも想定した練習になる。

 茨城県と言えば水戸学舎。

 この数年の高校野球では新しい潮流となってきた、シニアと新興私立の密接な連繋。高校の二年と少しではなく、中学校時代からの引き継がれる戦術理解。

 まあ昔からある程度の名門シニアは、名門高校とつながっていたりもしたものだが。

 実際にシニアとしては下手な選手は薦められないし、高校側もバーターを承知の上で、いい選手は取りにいく。

 それを選手が拒否すると、絶縁状のようなものが内々で噂されるのであるが。

 白富東としては淳の例があっただけに、それが本当のことだと知っている。


 高校に入学してからおよそ一ヶ月、生徒にとっては野球部の応援に行くことが、ある意味イベントになっている。

 学校としてもいい話で、集団で応援に行く場合は、団体料金が使えたりする。

 球場によっては無料である場合もあるのだが、白富東の場合は応援客が多いため、ささやかながら料金を徴収される球場で開催されることが多い。

 学校からこれに補助が出るので、生徒は連れ立って応援に行き、生徒同士が仲良くなるというわけだ。


 ただ関東大会は、この応援のバックアップがほとんどなくなる。

 大介がいた頃には、平日でもなんでも関東圏なら、トランペットを吹きに来てくれるおっさんがいたものであるが。

 あの人は大介が関東に遠征に来た場合、高い確率で応援に来ている。

 いったい仕事は何をしているのやら。


 相手チームの分析は、もちろん秦野や国立に、コーチたちも加えて行われる。

 他にはキャプテン宮武と、正捕手上山も加わる。

 自主的に加わってくるのは、ピッチャーの文哲である。彼のピッチングスタイル的に、相手の情報は多ければ多いほどいい。


 センバツに出たチームについては、おおよそ分かっている。

 新一年生に力があっても、さすがに春の大会から使っていくチームは少ない。

 スコアラーを派遣し、ビデオ動画も撮影してきた。

 今は春の大会でも、準決勝や決勝レベルだと、ネットのチャンネルで放送される時代である。

 高野連が野球の啓蒙活動の一環として許可しているらしいが、強いチームはデータが集められやすくなって対策を採られてくる場合が多い。

 白富東も、もちろんその研究される側だ。

 だからこそ地力を鍛えて、奇策などに頼らず、上まで勝っていくことを求められる。


 一番いいのは、対策の取りようがないチーム力を手に入れることだ。

 プレイの全ての平均レベルが圧倒的に高く、そして他に真似出来ない長所があればいい。

 ほんの二年前に比べても、データの拡散は容易になってしまっている。

 高校野球の人気が出たことで、名門や強豪が一回戦から圧倒する試合も、見てみたいと思われるからだ。

 結果的には分析と研究が進み、相互のレベルアップが促進される。


 その中では、より相手チームの練習を取り入れようという動きもある。

 少なくとも千葉で言われるのは、練習時間の短縮と効率化だ。

 白富東と三里が特に優れているが、金の多い私立に対して、公立は工夫をしなければいけない。

 それが練習時間の短縮化である。


 人間というのはどうやっても、一日で集中して練習出来るのは、およそ二時間が限界であるという。

 それ以上の練習はむしろ、手を抜きながら体を動かす練習となり、時間に対して技術の向上が少なくなる。

 下手をすると集中力を失い、悪い影響さえ与えるのだと研究でも言われている。

 これが本当かどうかは分からないが、日本以外でここまでアマチュアに限らず、スポーツの練習を毎日やる国はない。

 ただ高校野球を見た場合、名門の実力校とそれ以外を分ける最大のものは、練習量だという。


 練習量である。時間ではない。

 多人数になってしまうと、練習時間は増えるが待っている時間も増えて、無駄な時間になってしまう。

 なので白富東は集団を分けて、サーキットで練習をしたりトレーニングをしたりしている。

 休憩が短いので、むしろこちらの方がキツイ。


 野球において必要な体力は、実はそれほど多くはない。

 ただ夏の暑さに耐える耐久力と、ピッチャーの場合は確かにスタミナが必要になる。

 しかし攻撃時間の間は、他の選手は休んでいられるのだ。

 それほど体力は必要ないのに、どうして野球部はスタミナを重視するのか。

 しかもそのスタミナの付け方も、あまり効率的ではない。


 農民は強かった。

 五月ともなれば、段々ともう暑くなってくる。

 さすがに真夏に比べればだいしたことはないが、体力を奪う暑さの中で活動するという点では、農民は強い。

 まあ実際は朝早くの早いうちにこなしてしまうことが多いのだが。


 五月の下旬。関東大会。

 春の最終戦が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る