第112話 乙女の視線

 幼少期の宮武学は、だいたい最初は男の子に間違われていた。

 名前もそうだし髪も短く、活発で兄について遊んでいたからだ。

 現在もベリーショートの髪型で、やや背が高いため王子様扱いを受けることがあるが、ベリーショートを可愛く保ち続けるのは、実際のところは大変なのだ。

「もう少し、髪伸ばそうかな」

「なんだ色気づいて」

 兄の物言いにムッとするマナである。


 食事後の居間で、寛いでいた兄と妹。

 宮武は学校でこそ細かいことに気付くキャプテンであるが、家庭の中でだとそれなりにだらしない。

「お兄ちゃんはもうちょっと、女の子に対する言葉を考えた方がいいと思う。だからモテても彼女出来ないんだよ」

「ちょっと待て。俺はモテてるのか?」

 気になるのはそこか。


 高校野球に全てを賭けた高校球児……というほどではない。

 白富東の練習は、意外なほどに短いなどと聞かされたのは、志望した理由の一つである。

 実際それは間違いではなかったが、短いがかなりキツイ。


 一年の秋あたりから思っていたのは、シニア時代と同じように、また自分がキャプテンをするのかな、ということであった。

 別に絶対に嫌なわけではないが、キャプテンの苦労は知っている。

 まして今度は高校野球だ。シニアとは規模が違う。

 しかし覚悟していたほどの、理不尽なまでの大変さはなかった。

 秦野や国立の他に、手伝ってくれる大人はたくさんいて、選手は練習と試合に集中出来る。


 セイバーがそうしたのだ。

 白富東における、伝説の女監督。

 就任した直後の夏こそ逃したものの、秋の大会では関東準優勝。

 創立以来初めての甲子園出場を決めて、ベスト8まで勝ち進む。

 ただそれよりも評価されるのは、SSの才能を開花させたこと。


 大介を出塁重視の一番などではなく、クリーンナップの三番に据えたこと。

 それも彼女はMLB流なので、三番を最強打者と認識していた。

 彼女が率いていた間の白富東は、県大会決勝、関東大会決勝、センバツベスト8、夏準優勝と、確実にその力を高めていった。

 その強さを率いて、最後に秦野は夏を制したわけであるが。

 監督不在の間に、マネージャーが監督を代行し、そしてセンバツを優勝したのも伝説である。

 SS世代は最後の年、二年の国体から秋を終え、その次の年の国体まで、全国大会五連覇を成し遂げている。

 年間完全無敗だったのだ。


 効率を最大化したチームを作ったのは、間違いなくセイバーだ。

 まず組織を作った。当然のように勝てる、スリム化した組織を。

 OB会も父母会も、そもそも声を上げるほどの力は持っていなかったが、下手に周囲が騒ぐ時に、確実に自分で抑えてきていた。

 甲子園のベンチの奥で、ノートPCを操る安楽椅子型の監督。

 ノックも出来ない監督だったというのは、有名な事実である。




 そんなチームであるので、キャプテンである宮武にも、恋愛をする余裕はある。

 同級生でも大石や山村あたりは彼女がいるのだ。あと地味に文哲なども。

 悟や宇垣には、全く浮いた話はない。

 宇垣はともかく悟は、性格がかなりいいので不思議でもある。


 宮武には彼女がいないが、作らないという方針なわけではない。

 ただなんとなく機会がなかったのだが、どちらかと言うとはっきり言って正直に言えば、彼女はほしい。

 野球だけの青春も悪くはないが、そこに可愛い彼女がいても悪くはないではないか。

 いや、野球部はそれだけで、かなりモテるとは聞いていた。

 だがそれは自分の一代前までのことであるとも言われている。

 要するに体力バカがいなかった時だ。


 白富東の生徒は懐が深いので、別に馬鹿でも恋愛対象にはなるらしい。

 ただ宮武が見るに、どうも野球バカとは相性が悪いらしい。

 大石は徹底した陽キャであるので分かるが、山村などはかなり自己中心的だ。

 文哲は普通に性格がいいので分かる。ピッチャーはモテるのだ。

 そうか、ピッチャーだから山村も彼女がいるのか、と思いつつ、自分のピッチャーをやった経験があるなあと、遠い目をする宮武である。


 妹の手前嘆くことは出来ないが、ほとんど常時思っている。

 どうして俺には彼女がいないのか。

「そういうとこだよ」とマナは言うだろう。

「俺がモテてるのはともかく、恋愛禁止で問題は起こってないだろうな」

「どうかなあ」

 野球部のレギュラーなどに近付きたいという女子は、そこそこいたようである。

 ただ恋愛禁止と聞いて去っていった人間など、もしもいても部内の風紀が乱れるだけだとも思えるのだ。


 もちろんそれなりに、人気のある男の子はいる。

「ユーキ先輩はモテてるみたい」

「ああ、あいつはちょっと異色だしな」

 完全な日本語ネイティブとは言いがたいのだが、しっかりと学業成績も残している。

 宮武とは入れ替わりで卒業したが、直史と似たようなタイプである。


「あとは悟先輩」

「悟か」

 宇垣などは今でも宇垣なのだが、悟はかなり悟と呼ばれることが多い。

 なぜかは理由は分からないが。

 おそらく上山と名前で呼び合っているところから、そうなったのだろうかとは思う。

「あと、モテとかじゃないんだけど、百間君のいじり多すぎない?」

「あいつは面白いからなあ。それに反撃もすごいし」

 宮武としても、当初隠していた農民設定がバレるにつれ、百間がいじられているのは承知している。

 ただ百間はそこでイジメに発展するようなキャラではなく、農民馬鹿にすんじゃねえと口からものすごい勢いで反撃してくるのだ。

 体育科の人間が、普通科に口で勝てるわけがない。(偏見


 耕作に対しては、正直宮武も羨ましいなとは思う。

 女にモテるとかではなく、かなりコーチ陣の指導が手厚いからだ。

 もっとも国立はニコニコ笑いながら、かなりどぎつい下半身強化メニューを課していたりする。

 だがその負荷に耐えられるのが、ドM揃いの体育会系なのだ。

 宇垣や山村などは、ドSも兼ねているが。




 キャプテンの妹ではあるが、一介のマネージャーでしかないマナは、気になることもある。

「関東大会も、百間君投げるのかな?」

「どうだろうな。一回戦はそんなにとんでもなく強いとこじゃないが」

 関東大会まで出てくるチームに、雑魚はいない。最低ラインがトーチバレベルである。

 しかし神奈川代表や東京代表、次いで埼玉代表あたりは、甲子園常連校だ。

 そこを相手にした場合は、耕作は左のワンポイントとか以外では、使いにくいとは思う。

 ただ秦野の構想の中には、ピッチャーとしてちゃんと入っているらしい。


 耕作が先発して何点か取られても、取り返す自身はある。

 今の白富東は打力のチームだ。ただ打線に本当に隙がなかったのは、SS世代の一つ下だったかもしれない。

「ピッチャーは確かに不足してるからな」

 今の三年生は、左右の二枚に加えて、地方大会レベルならそれなりに投げる力はあるピッチャーが多い。

 だが二年生はユーキ一人が突出している。

 いちおうそれなりに投げられるピッチャーはいるが、タイプが同じなのだ。


 耕作の左のサイドスローというのは確かに貴重だ。

 慣れるまでに試合が終わる高校野球を考えれば、初見殺しの中の一つであろう。

「クラス同じだよな。授業とかではどんな感じなんだ?」

「頭いいよ。教えるのも上手いし。体育科の生徒はかなりお世話になってるかな」

 世話好きというのだろうか、なかなか周囲をほっとけないタイプであるらしい。

 そう言うマナにしても、お世話になっているのだが。

 ただごく普通に、男子に教えるときは厳しい。

「兄貴の方はもっと頭いいけどな」

「あれ? お兄さんいたんだ?」

「三年にな。農家の出だとは知らなかったけど」

「けど農家を継ぐのは自分だ、みたいなこと百間君言ってたけど」

「そのあたりは家庭の問題なんだろうな」


 どんな家庭にだって、問題とまではいわなくても、課題とでもいうべきものはある。

 宮武家の場合は、長男にはいい大学に行ってほしいという、ごくありふれた願いであるが、そのためどちらかというとマナは、後回しにされてきた。

 宮武もいつまで野球をやるのかと、口に出したのは区切りの数度だが、それが最近は両親も応援してくれている。

 野球部のキャプテンであれば、推薦でいい大学に入れる。

 それが分かってきているからだ。


 宮武としては野球で大学に行くのに抵抗はない。いや、正確には指定校推薦なのだが。

 スポ薦で入った部員のうち、宮武は体育科の偏差値でも入れそうなぐらいは、勉強が出来たからだ。

 どんなことでも続けていれば、その先には意外な道が広がっていたりする。

 これはその例であろう。

 ただしその道の先がふさがっている場合も多いだろうが。

「で、俺に好意を持っていてくれる女の子は誰なんだ? 怒らないから素直に教えなさい」

「そんなこと私は言えないよ。まあお兄ちゃんが彼女いないってぐらいは伝えてあげるけどさ。けど彼女が出来たとして、何がしたいの?」

 それはもう色々としたいことはあるのだが、宮武はとても言えない。

 男と女の兄妹の間では、こういった話はしづらいのである。


 しかし、モテているのか。

 ほんの少し、明日からも頑張れそうな宮武であった。




 ピッチャーによって調整方法というのは異なる。

 それは分かっているのだが、耕作のそれはかなり独特のものだ。

 直史も信じられないぐらい投げ込みはしていたが、あれはコントロールなどを確かめるため。

 だが耕作の場合は、投げれば投げるほど肩の力が強くなる。


 これまでの運動では、明らかに筋力を活かしきれていなかったのだ。

 下半身をしっかりと使うサイドスローであるが、あるいはもう少しフォームを変えて、下半身の力も大きく球速に反映させたい。

 新しいおもちゃを見つけたような、熱心すぎる指導をするコーチもいる。


 選手を壊すコーチは、無能よりもさらに劣るコーチである。

 だがかなり厳しく鍛えても、肉体に異常は全くない耕作である。

 瞬発的な筋力はまだまだ身に付いていないように思えるが、その分頑丈だ。

 さすがに関東大会の前一週間からは、練習量は落としていっているが。


 既にトーナメントは分かっている。

 一回戦はなしで、二回戦からの登場となる。その相手は埼玉のウラシューである。

 浦和秀学は埼玉三強の一つであり、今回は準優勝での選出となっているが、春のセンバツにも出ていた強豪である。

 ただ一回戦は21世紀枠に堅実に勝利したが、二回戦で大阪の理聖舎と戦って敗北した。

 県大会の情報はある程度分かっているが、さすがに白富東と違って、一年生をベンチには入れていない。


 チーム力でいったら、おそらく白富東の方が上であろう。

 だが油断できる相手ではない。




 育成をしっかりとしながらも、秦野と国立は対戦相手を分析する。

 だが相変わらずしっかりと地味に強いということは確かで、決定的な弱点など見つからない。

 しかし、力ずくで戦って勝って、それでいいのか。


 準々決勝となる三回戦の相手は、おそらく水戸学舎。

 そして準決勝は微妙だが、春の成績から言うと早大付属か横浜学一であろうか。

 向こうの山から来るのは、さすがに分からない。実は帝都一も向こうの山にいる。

 今回は帝都一が都大会のベスト8で負けているのだ。珍しいことと言っていい。

 ただセンバツでベスト4に入ったので、推薦で関東大会に出られることは出られる


 今年も練習試合の申し込みもしてあり、あっさりと通ったりもした。

 ただし向こうはダブルヘッダーでやるらしいが。

「帝都一、試合内容がちょっと悪かったみたいですね」

「エラーが三つか。珍しいな」

 隙のないチームを作り上げるのが帝都一なのだが、まあ元々東京は秋と春は東西に分かれていないので激戦区なのだ。

 珍しくはあるが不思議と言うほどではない。

「帝都一は春の疲れが抜けていなかったのかもしれませんね」

「そういや東京は都大会が早めか」

 都道府県ごとに地方大会の開催はわずかにずれていて、東京などは甲子園が終わった直後に大会がある。

 千葉県はやや休養の余裕があるのだ。


 春はあくまでも夏の予行練習という意識はある。

 だがそれでも、ここでちゃんと勝っておけば、苦手意識が湧いたりしなくて済む。




 ある程度対戦するであろうチームの分析を終えると、二人は雑談気味に、他の地区の話もする。

 東北大会では仙台育成と青森明星が強いだろうとか、九州では桜島が相変わらずだとか。

 ただ桜島も決勝で負けていて、あちこちの強豪が取りこぼしが多い。


 白富東も、弱くなった。

 それでも今年の夏までは、全国有数の戦力を保持できる。

 左右のピッチャーが二枚に、センターラインがごっそり抜けて、クリーンナップもいなくなるのだ。

 全国制覇どころか、甲子園出場すら危うい。

「またタイミングの悪いところで、野球部を渡してしまうことになるが」

「これも公立校ならではですよ」

 スカウティングをするにしろ、白富東でやりたいと思って、スポ薦や体育科で来てくれる者はありがたい。

 だが名門の私立が特待生で取っていくような選手は、そうそうもう入ってこないだろう。


 今の一年はそこそこいい。

 ただ、どうしてもピッチャーが弱いのだ。

 来年はユーキと耕作を中心に投手陣を作るのかと言うと、どうも安心感には欠けるような気がする。

「まあ、とりあえず夏までだ」

「そうですね。最後の夏に」


 白富東の本当の偉大な時代を知っていた者は、もうほとんどいない。

 教師もまた異動はあるので、その顔ぶれは変わるのだ。

 コーチ陣も全員が残るわけではない。

 セイバーと交渉し、寄付金からコーチ料を出して、ピッチングを見てくれる者には残ってもらえるようになったが。


 そう、もちろん選手もレベルが落ちるのだが、それ以上に指導者の質が落ちる。

 セイバーの契約していたコーチが抜けるからだ。

 そんな状態で国立はチームを率いることになるのだ。


 夏までは、強い。

 この夏でどこまで勝てるかで、来年の新加入戦力も決まる。

 だがそろそろ白富東の千葉一強も、終わりを告げようとしている。

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